12 トゥーリ

 円状の広場は、大体5mほどの奥行きがある。中央には大きな岩があり、座るにはちょうど良い高さだ。そしてその岩には、既に1人、誰かが座っていた。


「あ、人間だった。やっほー、言葉通じる?」


 金色の髪をオールバックにして、緑色の瞳を僕に向け、笑う少年。腰掛けている岩は苔むして、彼の足は地に付いていない。

 エメラルドグリーンの半袖パーカー、黒い長袖のシャツ、深緑色のカーゴパンツに、襟付きの白い靴。靴には紐が無く、岩に当たってチャリチャリと音がする辺り、ジッパーが後ろに付いているのかもしれない。帝国式に近い服装だ。


「君、帝国の人? 名前は?」

「ちょっとー、言葉が通じるかどうか聞いたんだけどー? まぁ良いけどさ」


 ムッとした表情を浮かべるけど、少年はすぐさまパッと笑顔に戻る。


「俺はトゥーリ。― トゥーリ=ミルティッリ ―だ。お前は?」

「ぼ、僕は、エドシェリック=コレクテッド。エドだよ」

「エド? ふぅん」


 何か含みのある表情で小首を傾げて、トゥーリは再びニッと笑った。

 すると、岩の上から下りて、僕に2、3歩近付く。

 トゥーリ。そう名乗る少年は、優しく、柔らかな笑みで僕を見つめた。


「エドは何で此処に? 俺が知る限り、此処を通って亡命する人はいなかったけど」

「亡命……あぁ、今は戦争中だからか。たしかに、この森にはロクな食料が無いし、ずっと暗くて怖いし、かなり広いから町や村に辿り着ける確率はかなり低いね……」

「そうそう。俺はあれだ、風の向くまま気の向くまま旅をしているから。それに、諸事情でそんな食料とかいらないし」


 ケラケラと笑うと、トゥーリは服をはたいた。特に砂とかは付いていなかったみたいだけど、これはただ単にクセ、かな。

 それと。

 諸事情で、とか言っていたけど、何と無く分かった。

 肌は血色が良いし、指は他の人より細いけど、心配するほどのものじゃない。けど、彼が服をはたいた時に少しだけ見えた手首。

 異様に、細かった。

 骨にただ皮をかぶせただけのような。筋肉が付いていないのではないかと、心配になるくらいに細かった気がする。下手すると、人差し指と親指で掴んでも、結構な隙間が出来てしまうのでは無いだろうか。そのくらい細かったように思う。

 実際に触っていないけど、一瞬で分かる異常だった。

 多分胴体とかも、ゆったりとした服装だから分かりづらいだけで、凄くやせ細っているのでは……。


「で、何で此処に?」


 1人で勝手に気まずい空気を作っていると、トゥーリはずい、と顔を近づけてきた。


「あぁ。えと。その。あー、一言で言うと」

「迷った?」

「うっ」

「あははっ、まぬけだねー! なに、カモフラージュ系の結界から外に出ちゃったとか?」

「……」

「マジか」


 何か、妙にテンポ良く話が進むなぁ。

 何で結界魔法の事まで分かるのかなぁ。

 シュレイドと、話しているみたいだ。お互いの動きとか、何を考えているのかとか、もう何もかも分かっているから、相手が何を言いたいのか、たとえ隠していても分かっちゃう。

 言いづらいことでも、嬉しい事でも。

 ……。

 何だか懐かしくて、ちょっとこっぱずかしくなってきた。


「トゥーリは旅をしているの?」


 というわけで、話題転換だ。


「おいおい、妙に話のテンポが良いからって、照れなくてもいいぜ? まぁ良いけど」

「何で分かるのさ……」

「随分昔に、お前とよく似た奴と親友だったから、かな」


 僕よりほんの少し年上っぽいけど、昔と言えるほど生きているのだろうか。まだ十代くらい、というか、クロアさんとかホランに近そうだ。あ、クロアさんが一番近いかも。

 クロアさんは確か17歳。うん。ちょうどそのくらいだ。

 あぁでも、世の中にはヒトの寿命を軽々越える長寿の種族もいると聞いた事がある。条件付きで不老不死の一属がいるという話も。見た目はあてにしない方が良いかな。


「こんな恰好だが、旅はしているぞ。俺は主に魔法で攻撃するからな。武器は特に要らないわけだ」

「あぁ、杖を使わないで魔法を発動させるタイプか」


 魔法の発動方法は、大きく分けて3つある。道具を使って発動させるタイプ。道具を触媒にして発動させるタイプ。道具を全く使わないタイプ。

 道具を使っての発動とは、要するに、自分の魔力は使わず、道具そのものに宿る魔力で魔法を発動させるタイプの魔法だ。使い捨てである事が大半だけど、自身の持つ魔力が少なくても、一定の威力の魔法が発動出来るから便利である。

 道具を触媒にして発動させるタイプとは、要するに杖を使う場合である。杖、お札、水晶球など、自身の魔力を消費して発動させる魔法である。自分の実力に加えて、触媒にする物の室によって魔法の威力が変わってくる、この世界で最もポピュラーな発動タイプだ。

 最後に道具を使わないタイプ。これは、言葉や思念によって直接精霊に働きかけて発動させる。魔法によっては使う魔力の量が少なかったり、道具を使うよりも使用魔力が多かったりと、道具に資金がかからないメリットと、使う魔法がかなり限られるデメリットに悩まされる。

 とはいえ。

 道具を介さず直接精霊に働きかける分、道具を使うより、ずっと感情に左右される一面があるのが、道具を使わないタイプだ。

 かつて英雄と呼ばれた人は、杖を壊された後で直接精霊に働きかけて、それまで以上の威力の魔法で魔王を倒したとされる伝説が残っている。

 ただし、やる気が無いとその感情がそのまま魔法に表れる。それに体調も関係するらしく、風邪を引いた時に魔法を使ったら、発動したのかも分からないほど弱い魔法しか使えなかった。

 経験者は語る、というやつだ。

 学校では魔法技能はあまり重視されなかったから、余計にやる気など出てこない。シュレイドはそれでも張り切っていたけどね。

 あの単純さと才能、凄く羨ましい。

 僕には無いからね。うん。


「とはいえ、そんな薄着で寒くないの? 見たところ、他の服は無いみたいだけど」

「常に暖かいところにいれば問題無いし」


 それもどうだろう。

 この世界は球体の形をしているそうだ。球体の中心に向かって重力が働いていて、海や大地はその重力があるおかげで、浮いたりバラバラにならなかったりする。

 この球体、地球は常に一方向へ向かって回転している。それが更に太陽の周りを旋回する事で季節が巡っていく。この四季の中でも、夏と冬は地域によってとてつもなく過酷な環境だ。春や秋などの、暑すぎる夏と寒すぎる冬の間に位置する季節が、最も過ごしやすい。

 地球は、太陽に対して若干傾いた状態で回り続ける。そのため一年中同じ季節が続く場所は無く、しかし季節は変わっても気温が全く変わらないという場所もある。一年中太陽が沈まないのに、ずっと寒いという場所があるのだ。

 うだるような暑さの夏も、凍りつきそうに寒い冬も避けて生きていくなら、常に気候が春になるよう自分から移動する他無い。

 何せ地球は回っている。どれだけ神に祈っても、季節が変わる事は変えられない。

 今現在、僕のいる森は春だ。日陰ばかりで涼しいけど、木の上に出ればポカポカ陽気の日差しに、つい、居眠りをしたくなるような気候だ。

 不思議とひらけたこの空間では、木の上から落ちる心配が無い分眠くなりやすい。随分と暖かいし、岩の近くに生えている草は柔らかそうで、僅かに咲いている花からは甘い香りもする。

 お昼寝にはもってこいの場所だ。


「エドはこれからどうするわけ?」

「へ?」

「要するに、今は迷子状態だろ? どこから来たかは知らないけどさ、姿が見えない物を探すのは至難の業だぜ。ほら、沼地に落とした指輪を見つける時みたいな」

「それは、そう、だね」


 例えはピンと来ないものだったけど、言いたい事は分かった。たしかに、闇雲に歩き回っても効率が悪いだけ。この唯一と言ってもいい、ひらけた空間すら見失ってもまずい。

 ど、どうしよう。


「トゥーリは、どっちから来たの?」

「俺か? 俺は……」


 と、そこで、トゥーリの動きが止まる。


「ま、まさか、トゥーリも道が分からないの?」

「えっ! いや、そうじゃないよ!」


 慌てて否定するトゥーリ。

 何回か、こめかみの辺りを指でつついて、片目を閉じて。いかにもバツが悪そうにする。口をモゴモゴとさせて、何か言いたげなような、言いたくなさげのような。

 ただ、このタイミングでこの態度だと、気になってしょうがない。


「トゥーリ、何かあるなら教えてよ」


 僕が前のめりに言うと、トゥーリは僕の動きに合わせて若干後ずさりして、溜め息をつく。


「……さっきさ、森の奥でドームを見たような気がして。たしか、あっちだったかな」


 そう言って、トゥーリは僕から見て右を指差した。

 僕はトゥーリの指差した方向へ目をやる。そこには当然、何も見えないけれど、僕は期待を込めた眼差しを再びトゥーリへと向ける。

 すると、トゥーリは悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「何も当てが無いよりはマシじゃないか?」

「!」

「ま、こんな事でお金を巻き上げてもねー。必要無いし」


 バツが悪そうにしていたのは、僕からお金を巻き上げようか考えていたからだったようだ。そもそも渡せるお金なんて持っていないけど。


「行くの?」

「うん、ありがとう、トゥーリ。元気で」

「……また、か」


 トゥーリは整った顔を呆然とさせながら、僕の目を覗き込む。


「僕、FLCっていう生活支援団体の拠点でお世話になっていて……あっ、僕と一緒に来る?」

「いや、良いよ。人混み、というか、人の多い場所は苦手でね」

「そ、そっか」


 気さくそうだし、実際話していると、トゥーリは明るいし優しげだし、人気者オーラを感じる。人混みとかは逆に得意な類だと思うけど。

 なんて考えは、すぐに消える。何故なら、僕も以前シュレイドに言われたことがあるのだ。

 僕、どういうわけか子供とかお年寄りの方に好かれるのだけれど、会話は苦手なのだ。最近になってようやく解消されてきていたけど、初めの頃はシュレイドにこう言われていた。

 曰く。


『エドってさぁ、見た目の割に人見知りだよな!』


 ……。

 見た目の割に、とはどういう意味か分かりかねる。会話が上手そうな見た目、という解釈で間違いないだろうけど、それってどういう見た目かな?

 笑顔が似合っているとか、かわいい顔立ちとか、何か話しかけたくなるのかな。むしろ親しみやすくどこにでもいそうな顔立ちとか?

 無事に帰る事が出来たなら、チェリーにでも聞いてみようかな。


「また、会えたら良いな」


 トゥーリははにかんで手を振った。


 ジジッ。と、何処からかノイズの音が混ざる。

 どこかで、見た事があるような笑顔。

 そう、幾分か幼い顔が、トゥーリとダブる。


「そうだね」


 気のせいか。そう思って、僕は胸の前で手を握った。

 何故かは分からないけれど、胸の奥の方が苦しくなったような気がする。

 それを紛らわせるかのように、無意識に。

 ……。

 また、会えたら良いな、か。

 また。


「ねぇ、みんなには話しておくからさ、今度FLCに来なよ!」


 僕は気付くと、再びトゥーリをFLCに誘っていた。

 人混みは嫌い、とは言っているけど、コミュニケーション能力は特に悪いわけではなさそう。強いて言うならかつぜつが悪い事くらい。

 きっと僕と同じで、ちょっと人見知りというだけかもしれない。

 そう思って、僕は去る前に言った。


「……考えておくよ」


 困ったような笑みを見せて、手を振り続けてくれた。

 こうして僕は、トゥーリの言った道を進み始める。



 ―― あーあ、あれは絶対来ない感じだよ。



 そんな声が、僕の心に小さく響いた気がした。

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