11 ひとりで

 フラフラと、ただ適当に歩く。自分のいた病室から適当な方向へ歩いて、適当な道をただ進む。人がいなくなるまで。人のけはいが無くなるまで。


「……何処まで?」


 思わず自分に聞いてしまった。

 人がいない場所は、そのままFLCから離れる事を意味している。守護班と呼ばれるFLCを守るための部署が、僕が帝国の人間である事を考慮して、此処の情報を帝国へリークするスパイだと認識し、僕を攻撃するかもしれない。

 ……いや、そうだとしても、別段特殊なことはしないだろう。アネモネというたった一人の少女に、一個小隊は壊滅。いとも簡単に、だ。守護班全体がそんなばかげた戦闘能力保持者の集団なのだとしたら、たとえ帝国が此処の情報を手に入れたとして、手を出さないだろう。

 想定される被害に対し、得られる物が少ない。今後の戦力を大量に失うにもかかわらず、この森はどうやら、食用の果物や木の実よりも、効力の弱い薬草が多い。

 薬草なら、野生に生えている此処の物よりもずっと効力の高い薬草が帝国では栽培されている。徹底的に管理された環境で育てられているから、収穫量も質も一定。わざわざ天候に左右されて質が悪くも良くもなる野生の物より、ずっと効率が良い。

 要するに、帝国は効率重視であるが故に、そもそも此処を襲撃する事を断念すると思うのだ。故に、僕がこのまま帝国に向かうとして、排除される事は無い。

 だからこそ、人のいない場所を目指す。

 どこらへんまでが守護班の守備範囲なのかは知らないけど、とにかく人のいない場所へ。

 守護班だろうが何だろうが、誰もいない場所まで。

 ……帝国にいた時は。軍学校にいた時は。いつだってシュレイドがいてくれた。シュレイドは明るくて、きさくで、友達想いで。

 劣等生だからといじめられた時も、訓練や勉強でみんなに付いて行けなくて落ち込んだ時も。いつだって一緒にいて、励ましてくれた。

 でも今、この場所に彼はいない。

 残念ながら、僕はシュレイド無しでの立ち直り方は知らなかった。

 この場所に、いじめっ子や訓練や勉強が無いのと同じで。

 シュレイドという人間も、この場所にはいない。

 当然の事なのに、たった今気付いたみたいな衝撃に襲われる。それまで難無く持ち上げられていたはずの重石が、急に僕を踏みつけ始めたみたいだ。

 それほど歩いていないのに、足が重く感じる。疲れていないはずなのに、汗が止まらない。胸が苦しい。息がつまる。もう帝国ですらないこの場所で、シュレイドのいないこの場所で、今まで見ていなかった部分を、勢い良く突きつけられた感覚。

 考えれば考えるほど息苦しくなる。考えまいとしようとすればしようとするほど辛くなる。

 僕は何処へ行けば良い?

 僕はこれから何をする?

 僕は今何処へ向かおうとしているの?

 ……。


「此処、何処?」


 気が付いたのは、足元に落ちていた小枝を踏みつけて、折った時だった。

 森の中という事は分かるけど、それ以外何も分からないような。

 ……あー。



「思い切り迷った」



 どうしよう。帰り道も分からないぞ、これ。

 後ろを向いても、前を向いても、左も右も、上も下も。木と木の間に見える獣道は幾つもあり、僕が通ってきた物かも判断がつかない。

 本気の本気で迷子になったみたい。

 で。

 どうすればいい?!


「帰れるのかな、これ」


 とりあえず、落ち着こう。手っ取り早い方法としては、そこら辺にある木の中でも特に背の高い木を登って、上から施設を探すこと。かなり大きな施設だったから、見えるかもしれない。

 そう思い立って木に手をかける。しかしよく思いだせ、僕。帝国は確か、この森を捜索対象として色々と調べていたはず。一応、隠れた拠点とかに使えないか、という理由での調査だったはず。

 今だから分かるけど、守護班に屠られて帰ってこない隊が多かったらしく、最近はモンスターなどの脅威が無いかどうかを調べるだけだの隊を送り込んでいたみたい。とはいえ、遠くから望遠鏡とかで全体を見るくらいの事はしていたはず。それであそこが見つかっていないという事は。

 幻術か何かで、FLCの施設が見えないようカモフラージュが施されていたかもしれない。だったら此処で木に登るのは、体力の消耗でしかない。万が一此処がFLCの一部だったら見えるかもしれないけども、木々に阻まれてその施設が視認できないのなら、その線は低いだろう。

 わざと守護班をあおるようなことをしてみるか? けど相手は帝国の捜査隊を何度も、かつ幾つも潰した連中だ。僕なんかが敵うとは到底思えない。僕の知名度はFLCでは皆無なので、あおった結果殺されるなんて事態は起こりうる。運よくあのアネモネという少女に会えればまた違うと思うが。

 そんな低い可能性にすがりつけるほど、僕は鬼気迫った状況ではない。

 ただ、このまま歩いていても活路が見出せないのは確かな事だ。

 そう考えた時、僕は何処と無く背の高そうな木に触れる手に力をこめる。

 何もしないよりはマシ。何か見えればそれを目印に行動するし、見えなければそれまでだ。運任せというのはかなりリスキーだけど、道無き道を歩いて来た僕にも責任はある。


「何か見えてくれよ……!」


 ぐっ、と、太い幹を掴む。空いた穴やでこぼこに足をかけ、徐々に木を登って行く。

 ……。

 慎重に、10分もかけて登った先には、生い茂る葉に遮られて見えなかった青空があった。

 身体全体に風が当たる。上だけしか見ないようにして登っていたから、まだ森は見下ろしていない。何か見えて喜ぶにしろ、何も見えずに絶望するにしろ、ギリギリまで見ないでいた方が、心の準備ができると。そう思ったのである。

 おそらく僕の体重に耐える事の出来るギリギリの枝。下の方にある枝はかなり太かったけど、上の方の枝はそこまで太くない。

 そこに足をかけ、幹の部分をしっかりと握り締め、落ちないようにしてから体勢を調節する。

 地面ではないから不安感はあるものの、両足ともフラフラしていないからバランスはとりやすい。別に、平均台に乗っているわけではないのだ、僕は。


「……よし」


 おそるおそる、目を開く。

 方角は分からないが、とりあえず今現在見ている方向には何も見えなかった。

 絶望するのはまだ早い。まだ、後ろが残っている。


「……っ」


 再びおそるおそる、後ろへと顔を移動させる。

 ……。


 何も、見えない。



「……あっ」


 ズルリ、と、しっかり力をこめていたはずの手がすべる。

 手の力が抜けてしまったようだ。

 さすがに危ない……再び力を込めた。

 人工物の無い、ただただ森が続くだけの世界。もしかしたら帝国とか見えるかなぁ、なんて考えたけど、どうやら期待は外れたらしい。

 見覚えのある山は見えたものの、僕の知る帝国の領地らしき場所は見えず、人工物は欠片も無い、ただただ森が広がるだけの視界。

 空は雲ひとつ無い快晴で、目がくらんでしまった。

 何せ今まで、夜の暗闇の中で過ごしていたのだ。僅かな光で足元がよく見えない中、林を掻き分けて進んでいたのだから。

 ……。

 何処へ行こう。

 見覚えのある山があったおかげで、何処となく方角は分かる。あれは確かサリカル山地という鉱山。たしかあの山に隠れるようにして帝国があったはず。山の手前から山の向こう側へ、この森はあった。という事は、此処は帝国にとって山を越えた先。

 いつの間にか、山越えしていたらしい。戦場はこの森を無視した場所にあるし、僕がアネモネさんに拾われた場所は山と山の境界線、平地と同じ高さにあるくぼみの部分。視界全部が木で埋め尽くされるから、いつ山越えしたのか判断つきづらいけど。

 まぁ、帝国の位置と方角が分かったからといって、FLCの位置が特定できるわけではない。

 どこからどの方角で歩いて来たかなんて覚えていないのだから、此処からあの山へ一直線に線を結んだからってそこにFLCがあるとは限らない。

 どれだけの時間歩いてきたのかも分からないから、また適当に歩いて探すというのも無謀だ。

 ご飯は食べてきたけど、お昼になればお腹は空いてしまうだろう。薬草ヤキのみはあるから飢えは凌げるだろうが、いつまでもそれでは生きていられない。何せ此処の食べ物には、すべて魔力が含まれているのだから。

 人というのは難儀なもので、魔力を失いすぎると死んでしまうが、摂取しすぎても死んでしまうのだ。この森は正に魔力の宝庫。人の限界を超えて、魔力を摂取してしまうだろう。

 FLCでは魔力抜きを行ったり、何処か別の土地から食べ物を輸入したりしているようだから心配は無いけど、魔力欠乏症の次に怖い魔力中毒にはかかりたくない。

 よって、長居はそのまま死に直結する。魔力抜きの技術は持っていないし。

 だからといって、帝国に戻る気は無い。戻ったって、他に死んでしまった7人がどうのこうのと言われるのがオチだ。

 僕なんかが戻ったって。

 意味、無いよ。


「……あ」


 視線を落とす。そこに、一部木の無いひらけた場所が見えた。

 どう考えてもFLCが入るような広さではないけれど、もしかしたら、あそこでなら、少しは気がまぎれるかもしれない。少なくとも、ずっと夜みたいな視界よりは幾分かマシになるはずだ。

 僕は、方向をしっかりと確認してから木をスルスルと下りる。

 帝国に戻りたくない。でも、FLCに戻りたくも無い。

 いや、FLCには、戻りたいかもしれない。

 けど、今は時間が欲しい。考える時間が。

 何を考えるのか? 何を考えれば良いのか?

 思考が追いつかないまま、僕は走った。

 そして、目の前に光が見える。

 夜の闇から、ようやく――


「やぁ、ごめんね、先客がいるよ」


 太陽の光に包まれて、その少年は輝いていた。

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