9 ひとりに

 FLCに来てから、4日目の朝。相も変わらず朝6時に起きたらしく、只今チェリーを驚かせてしまったところだ。

 チェリーによると、時計は無いし窓が無いから朝日がいつのぼっても分からないような部屋で4日も過ごすと、大抵の人間は体内時計が狂って起床時間も変わるとの事。


「で、今日も牛乳を残すのですか?」


 イライラしているのが目に見えて分かるような雰囲気のチェリーを前に、僕はちょっと困り気味だ。どうも彼女には、かわいらしい顔にはかなり似合わない面を持っているようなのだ。怒らせてはいけないタイプの少女だという事を、僕は初日に、既に理解する事となったのだから。


「あ、あのさ。チェリー。今更だからちょっと信じられないかもしれないけど、僕は牛乳そのもののにおいとかは好きな方で」

「じゃあ、何で飲まないのでしょうか」

「えと、だから」


  ―― バンッ


「早めの朝食持ってきたぜぃ~・・・・っと、お取り込み中?」

「……ホラン~~ッ!!」


 僕の言葉が中断されて、イライラの行き場を失ったチェリーがホランに怒鳴る。彼には悪いが、ちょっと助けてもらいたい。

 本当に殺されそうな勢いだから。


「うおぉ?! どうしたチェリー、こんな朝早くから! もう起きていると思って食事持ってきてやったのに、お礼も無しとはどういう了見だ?!」

「別に持ってきてくれと頼んだ覚えはありません! むしろ何でこんな早くから持ってくるのか意味不明ですよ! いただきますけど!」

「食うのかぃ……まぁ良いけど。今日はハンバーグにホウレン草のおひたし。それとキャロットゼリーにコーンスープ、更にレタスとトマトのサラダと野菜尽くしだ。牛乳飲めよ、チェリー」


 と、プレートに乗せられた食事のメニューをスラスラと述べると、この部屋に備え付けてあるベッドのテーブルに乗せた。

 そしてそのプレートではなく、おそらく僕の分であろうプレートの上に乗せられた食事を見て、チェリーが目を細めた。


「……もう1つのメニュー、何か違いますね」

「ん? おう。エドの分な。ちょいと味気無いが、豆腐をハンバーグ風に焼いてみた。それと野菜の部分は良いとして、ちょっと昨日とかぶるが鶏肉のソテーだ。昨日の分が珍しく余ってなぁ」

「ダメです! 牛乳が無いじゃないですか! 栄養が足りません!」

「……エドよ。まだ言っていないのか?」

「むしろ、何でホランが分かったのかが疑問です……」


 良い匂いのするご飯が目の前に置かれる。


「あ、それとこれ」


 と、ホランは何処からか、もう一枚プレートを取り出した。あ、僕の分と同じメニューだ。ん? はて。この部屋には僕とチェリーしかいないはず。


「プレートがもう一枚? ホランも一緒に食べるの?」

「いや。これは……」

「俺の分」


((?!))


 チェリーと一緒に、目を見開いて驚いた。



 ―― いつの間にか、隣にクロアさんが立っていたのである。



 何かこの人、いつもいつの間にかいるような気がする……。


「あ、クロアさん。あれ。エド君と同じメニューだ」


 あ、これはチェリーが怒る予感。

 僕の時でこれだもの。僕より年上のクロアさんがわざわざ別メニューにするとなれば、どうなるのだろうか? ……。

 うわ、想像出来ない。


「クロアさんとエド君が同じメニュー……」


 あわわ。



「えっ。という事は、エド君も牛乳と牛肉にアレルギーを持っている人ですか?!」



 ……チェリーという名の火山は噴火しなかった。や、むしろ火山からただのお花畑に戻ったような感覚。何か、一気に場の雰囲気が和やかになった?!


「あぁ、なるほど。思い返してみれば、あれもこれも全部、アレルギーだったからですね……。わぁ、クロアさんとのやり取りを思い出します」


 ぽあぽあ、チェリーの周りに花が見える。かわいらしい、ピンク色の花だ。


「そういえば、俺のアレルギーの事を知らずに、チェリーが俺のポークカレーにヨーグルトを隠し入れていた時があったな。死にかけたからよく覚えているぞ」

「にゃっ、それはごめんなさいです! もう、謝って済む話じゃないですけども……」


 かなりデンジャラスな体験を明るく笑顔で語るクロアさん。

 ……僕は確か、クラスメイトにムリヤリ食べさせられて保健室行きになった事があるなぁ。


「そうか、昨日は話の途中で終わっていたな。アスター種は家系によってアレルギーなんかも決まる。この調子で俺と似ている事があったら、本物の兄弟みたいな感じになりそうだな」

「あー。でも、僕に兄弟はいないからなぁ。シュレイドとだけはそれっぽかったかもですけど。まぁ、いつもどっちが兄的立場なのかで議論に議論を重ねて、結局決まりませんでしたねー。同じ年だし。どっちともいつ生まれたのか分からないし」


 言葉の最後に「いただきます」と付け加えて、僕は豆腐で出来たハンバーグっぽい食べ物を頬張る。ケチャップとかワインで作っているらしいソースと絡めて、更に食べ進めて行く。

 採れたてなのか、レタスはシャキシャキしているし、トマトはとてもみずみずしい。そういえばホウレン草のおひたしって、帝国よりもずっと東にある、7つの国からなるオリオンアーク同盟の1つ、ユレ共和国の独特な料理の1つじゃなかったかな。

 作り方は簡単らしいけど、実際どうなのだろう。後で聞いてみよう。


「……そうだ、エド」


 クロアさんが、僕と同じく豆腐のハンバーグっぽい物を頬張りながら話しかけてくる。


「ちょっとした噂話だが、とある情報筋の話だと、帝国ではお前を含む8名の学生が殉職している事になっているらしい」


 僕とチェリーが噴出した。


「は、はぁっ?!」

「どうも君の辿った軌跡を、最後まで辿る勇気が無かったようだ。此処は一部の国や地域を除いて、迷いの森、帰らずの森と呼ばれ恐れられている森だ。何せうちの守護班は優秀で、殺気を感じ取ったらすぐに敵だと判断しちゃうから」


 そこまで言われて、僕は此処に来るほんの少し前の出来事を思い出す。

 アネモネと呼ばれている少女。桃色の髪が、辺りに撒き散らされた物と同じ色に染められていた。見開かれた目には銀色の光が反射して、普通だったら上げないような角度で口を、頬を、瞳を歪ませて。身の丈ほどもある大剣を背負う覇者の姿を。

 よくよく思い出してみると、やはりシュレイドが持っていた大剣よりもやや小振りだった。幅は狭いし、長さも少し短いし、厚みまでは見えなかったけど、おそらくアネモネの方が薄いだろう。

 あまり思い出したくないが……周りにいた帝国軍の負った傷は、どれも大きく、そして鋭かった。もしシュレイドが持っていたような大剣と同じ厚みだったとすれば、おそらく切るだけの物ではなく、鈍器のように殴打による攻撃もあったはず。

 あくまで多分の話。アネモネさんは聞いている限り相当出来る人のようだから、守護班の仕事の事を考えると、非効率的な事はしないと思う。

 やはり、シュレイドの持っている剣の方が大きい、と思う。

 こればかりは、見比べないと分からないけど。


「……とにかく、僕は帝国に帰らない方が良さそうですね」

「え、何故ですか? 死んだはずの兵士が奇跡的な生還! なんて事になったら、面白そうですが」

「いや、面白いかどうかじゃないよ。それに、僕は落ち零れの劣等生だし、帰っても文句か何か言われるだけだって分かっているから」



「―― 僕には帰る意味、無いんだよ」



 思った事をそのまま、喉の奥から放り出す。

 此処に生粋の軍人か帝国の人間がいれば、僕の事をこう言うだろう。


 『 足手まといだ 』と。


 重い荷物を背負って走っても、それがよほど大事な物でなければただのタイムロスにしかならない。汚水の入ったバケツなんて誰も欲しがらない。壊れた武器ほど役に立たないものは無い。

 僕は、ただ重いだけの荷物だ。役に立たない。実際僕が最初で最後に配属された部隊の人達は、僕が居ても構わず僕の悪口を叩いていた。……ハズレクジを引いた、置いていこうか、荷物にしかならない。

 最後に聞いたのは、笑顔で吐かれた『お前を殺すだけで戦果になりそうだよな』という言葉。

 何も、言い返す事は出来なかった。

 そこで何をしようか迷った事は覚えている。

 ただその考えの中に、何かを言い返してやろう、というものは無かった。ただ僕は役立たずなりに、戦場の端で震えているか、無謀にも敵に突っ込んで死ぬか。

 ……というものさえ、考えていなかった。

 その場で、僕は空気のようだった。道端に転がる石より存在感が薄かった。もしかすると、あの人達は僕に聞こえるように言っていただけかもしれない。僕は頭を上げていなかったから表情は見えなかったけど、いつだってそうだ。軍人だって、先生だって、クラスメイトだって。

 ただ、歪んだ笑みを浮かべているのだ。

 学校に通えていたのは、軍人が足りない事から来る人員補給目当ての政策があるからだ。帝国は特攻作戦もままやる国だから、捨て駒にしかならないような凡人でも軍に入れる。

 皮肉にも、その捨て駒採用の政策が無ければ、僕は奴隷と呼ばれる階級にでもなっていただろう。そういう人は、決まっていじめられる。実力主義の帝国でおいて、才能の無い人間ほど肩身の狭い者は無い。僕みたいに、最弱のレッテルを貼られれば尚更だ。

 何かむしゃくしゃする事があったら、ストレスが溜まる。そうして周りに発散させると自分の評価が落ちていく。悪循環だ。その悪循環は、何度も言う実力主義の帝国内でもまずい。実力があっても、ついてイキたい人間かどうかとでは全く別の問題だから。

 だから、そんな悪循環を断ち切る道具。怒りとか不満を解消させ、自分の調子をムリヤリ戻す為の道具。その矛先は、動かず反論しない『物』よりも、動くし反論もする『者』に向かう方が多い。

 サディズム、というやつだ。自分より弱い者を痛めつける事に快楽を覚える。それでストレス発散を促して、自分が強者である事を楽しむ。弱者の事は何も考えなくていい。別に自分の悪口を言われても、弱者に色々押し付ければいい、と。

 そういう考えが染み付いている。帝国の人間は、いつだって強者の中に快楽を見出す。その対象は虫であったり、人であったり。それすら怖がる者は、生き物ではない物を痛めつける事で自分を強者の位置へ上げる。それが、帝国の国民性だ。

 だが当然、それが当てはまらない帝国民だっている。

 帝国と言えど、端は存在する。元々帝国の領土ではなかった場所だってある。弱者と呼ばれる者を救う、物を大事に扱う、生き物には優しくしなければ。なんていう思考の帝国民だっているのだ。

 僕は、帝国の国民性についていけない類の人間。だから軍内最弱の汚名に皿に泥がかぶせられていた。

 それが事実だから、何も言い返せなかった。


「……エド君」


 声のした方を見ると、チェリーの手が止まっている。


「ごめん、チェリー。ご飯不味くした?」

「え、いえ。その」

「ご馳走様。ちょっとトイレに行ってくるよ」

「えっ、あの」


 僕はその後の言葉は聞かず、部屋から出て行った。

 トイレなんて、行かなくても大丈夫だけど。



 ―― ただ、今は1人になりたかったのだ。

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