7 違和感

「―― おぅい、大丈夫か?」

 屍のようになっている僕を、おそらくその辺で拾ってきたであろう棒か何かでつつくクロアさん。チェリーも、傍であわあわしているのがよく分かるほどドタバタしている。

 簡単に今の状況を説明しよう。僕は50m、100mを無事走り終え、400mの計測へ移った。しかし300m地点で、どういうわけか僕が倒れ、こうなった次第である。

 別につまずいただとか、体力が切れたというわけではないのだけれど、僕が全力で走れる距離は、もって300mが良い所なのである。

「す、すみま、せ。す、すぐ、はし、はしります……」

 とにかく息切れが凄いのだ。どういうわけか、体力は残っているのに汗はかなり出てくるし、呼吸がしづらくなって上手く酸素が取り込めなくなるし、大して暑いわけでもないのに喉は渇くし。しかもこれに目眩が加わってくるので転倒してしまうというわけだ。

 ちなみに、本当に体力は残っているのだけれども、身体が上手く動かなくなるし、大して走っていないのに心臓はバクバク言って五月蝿い。

 ただ走ろうと思えば走れるのだが、毎回此処で強制的に保健室へ連れて行かれるのである。今回はそれが無いので、ちょっと新鮮だ。

「お、お水! おみずっ! ウォーターッ!」

 慌てた様子で、チェリーは走って離れて行った。結構足は速いらしい。おそらく水を取りに行ったのだろうが、慌てすぎだと思う。

「チェリー、君は少し落ち着いてくれ。……エド、呼吸はどうだ?」

 地面に突っ伏していた身体を持ち上げてみる。

 一度深呼吸をして、すると次第に、呼吸も汗も引いていく。僕はそういう体質らしい。

 まったく難儀な体質だなぁ。

 よっこいしょ。

 ―― と、僕が立ち上がろうと足に力を入れた途端だった。


「やはりそうだったか」


 突如として、視界が切り替わる。

「えぇと、あ、え? えっ?」

 眩しくなった視界を、砂の付いている手で影を作ってみる。

 何回も瞬きした視界に、綺麗な青の背景が映る。

 やがて、薄い白の膜のような、綿のような物が見えて、それが『空』であると、やっと理解した。

「あ、え?」

 どういう事なのか、僕はクロアさんに抱きかかえられ・・・・。

 もとい、お姫様抱っこなるものをされていたのである。

「あ、あの。僕はお姫様というか、そもそも性別は女では」

「急ぐぞ」

「え、あの、ど」

 何処へ、とまでは言わせてくれなかった。

 その後の事は殆ど覚えていない。

 お姫様抱っこをされている最中、クロアさんから口の中へ何かを放り込まれた所は覚えている。

 確か、白衣に留めてあったピン……の裏にあった何かから、器用にそれを取り出して、僕の口へ放り込んだのである。

 それと同時に、視界も音も全て消え去って、気が付いたら此処だ。

 何か、状況が保健室に運ばれている最中と似ている気がしなくも無い。

 今はただ、ぼんやりとした視界と思考の海の中。声が聞こえてくるだけだ。

「―― やはり―― うこと―― そう―― すか?」

 心配そうなチェリーの声。

「そう―― だと捉え―― 構わな――」

 そして何処となく眠そうな、しかし冷静さを失わないクロアさんの声。

「―― やはり――とお――った。彼のな――は――が存在している」

「……――ですか。やは――いなし――が、残されて――ですね」

 何だろう。よく聞こえない。まるで、意図的に聞こえなくされているような。声が途切れ途切れに聞こえてきて、ひどくノイズがかかっている。

 声が途切れていなくても、よく聞こえないのだ。


「……そうですか。やはり厄介な代物が、残されていたのですね」

「仮説だが、この単語、あるいはそれに類似する単語すらも聞き取れない状況にあるだろう。そうでなければ、自分でこれの存在に気付くだろうしな。これが存在する限り、彼はこの先あらゆる動きや力量を、極度に制限された世界でしか生きられないだろうな」

「そうですね。ですが、リスクは存在します。前回は痛みの根源を探す目的で魔法を行使したため、あれの場所が分かりました。しかしそれに引っかからなかったという事は、――は既に彼の一部と化している可能性があります。もしかすると、彼の重要な機関の一部になっている可能性も……」

「それはそうだが、やってみる価値はあるだろう」

「もう少し可能性のある方法を使うべきです! これでもし失敗したら、彼は二度と」

「チェリー。リスクのない挑戦など無いよ。むしろノーリスクの事例など、殆ど聞かないだろう? それに今の段階ではこれが最善策だ」

「……それは……」

「それに、彼にリミッターのかかった状態でいろとでも? あの様子だと、相当批難されていたようだが」

「ぅぐ」

「何も、最初から失敗する方法なんて提示していない。大まかな場所を検討した上で、実際に見て探そうと言っているだけだ。今回見つけられればすぐに取り出して万々歳。見つからなければ、見つかるまで彼には来てもらうだけだ」

「でも、その魔法は失敗すれば、クロアさんにもエド君にも大きな負担がかかります。いくら比較的リスクが低い方法だからと言って、廃人になろうとしている人を止めずに何が医療従事者ですか」

「……君は俺を廃人にしたいのか?」

「いえいえ。あくまでちょっとした緊張感を出す為の脅しです」

「や、脅しって」

「あれです。帰ってこないと殺すぞコノヤロウ」

「……麻酔が切れ掛かる頃だけど、良いの?」

「え、えぇっ! それを早く言ってくださいよ!」

「……と、もしかしてもう切れていたかな。目がちょっと開いているみたいだ」

「えぅっ?! ぅう……」

「まぁ、この状態なら会話は覚えていないでしょ」

 プシュウ。と、音が聞こえる。

 そこで初めて、僕は自身が麻酔をかけられている事を理解した。彼等の会話から数秒のタイムラグの後、やっと麻酔という単語が耳から頭へ届いたのだ。

 でも彼等の会話の内容を覚えていないわけではない。むしろいつもより周りが静かなので、聞き取りやすくて忘れられないくらいだ。

 ……会話は覚えているのだけれども、目が開いているからと言って何かが見えているわけではない。

 暗くて何も見えない視界は、かろうじて所々光が見える。壊れたテレビに映る、白い線みたいな。そんな模様にも似た景色だ。

 あと分かる事といえば、寝そべっているであろう場所。僕がよく知っている『保健室のベッド』とは違って、何か普通のベッドよりも柔らかい場所だ。何処と無く身体にフィットしている感がある。

 ただ、近くで聞こえてくる独特な機械的で甲高い音は、あの『保健室』と同じかもしれない。


 そして再び、僕の意識は途切れた。

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