6 人工抑制装置
手渡された服を着て、久々に思える地面の感触を手で確かめる。足はつい先日確かめたばかりで、それほど感慨深いものは無い。
渡されたのは、ツルツルとした感触の、おそろしく肌にフィットする柔らかいシャツ。空気抵抗を考慮して作られた、細いシルエットの短パン。そして靴の底がゴム、他はほぼ布地で出来ている靴。シャツと靴は白を基調にしているが、短パンは藍色である。
ゴムの半透明な黄色と合わせれば、およそ3色の組み合わせである。他に、シャツの肩から短い袖に走る黄色いライン、脇の下からシャツの裾、また短パンの脇にも、黄色いラインが走っている。その模様は靴にもプリントされており、光っているようにも見えた。
僕の知っているシャツと違う点は、材質だろうか。絹では無さそうだし、綿では絶対ありえない感触なのだ。よく伸びるし、風通しもいい。
「で、何をすれば良いのかな?」
準備体操をして、準備は万端。しかし、その準備体操をしている場面で、僕が着替える間にこの場所へと来ていたチェリー、クロアさんは、黙り込んでいた。
「えぇと?」
「……はっ。あ、いえ。その。とても、身体が柔らかいですね?」
「そりゃ、落ち零れとはいえ特攻クラスだったからね。戦力外である事と身体が柔らかい事は別物だから。むしろ、これくらいしかみんなと対等な物は無いというか」
そういえば、軍学校の訓練でやっていたストレッチの時。僕と組んだ生徒の人が全員目を丸くしていたけど、もしかして、僕って人より柔らかいのかな?
あぁ、でも、むしろ他の人より硬いのかも。基準値を下回っていて、驚かれたのかな。
と、僕は肩幅に開いた両足の間に腕を通して、その先にある地面に手の平を触れさせつつ考える。
(此処にいる人の誰よりも柔らかいかも……?)
「チェリー、それは聞こえるように言った方が良いぞ」
小声で会話をする2人。何を話しているのかは分からないけど、まぁあの2人の事だから僕の悪口は言っていないだろうな。
「……コホン。では、今から身体測定、および体力測定を開始しますね!」
「え、あ。はいっ」
「内容は、身体測定では視力、聴力など。体力測定では、握力、速力などだ。なお、屋外を使うのは体力の方なのだが……屋内向けのものを優先的にやった方が良いかもしれないな」
「あ、そう言えばそうですね。血圧とかも一度ちゃんと測りたいですし」
「「と、いうわけで」」
チェリーは気まずそうに、近くにあった建物の1つを指差した。
FLCが使う建物の殆どが、この白くて四角い建物である。別段重要ではないのか、壁は薄く、夜は何処と無く肌寒そうな印象を受ける。
おそらくそこに、身体測定用の機器が置かれているのだろう。
……。
―― 外に出た意味はあったのだろうか?
まぁとにもかくにも、準備体操で身体は温まっているものの、身長測定や聴力測定で落ち着いてから血圧やら握力やらを測定する事になった。
「……驚くくらいに正常値ですねー」
紙に書き写された僕のデータを見ながら、チェリーは呟いた。目を細めて、疑わしい目で見るような、そんな見方をしている。
「あの、それって良くない事なの?」
「いえいえ。むしろ、此処ではとんでもなく良い方です。ただ、出血による血の量は魔法でも元に戻せませんし……一応正常値に戻っている事に、ちょっと驚いただけです」
魔法は、あくまで傷を癒すための手段。人が生きるために必要とする、酸素や栄養などを運ぶ血液の量なんかは、魔法で戻す事は困難らしい。
理由は明らかにされていない。授業で習った限りでは魔法を構成する精霊に『意志』が無いらしいので、意志のある人間が細かい設定をしないとその辺りの回復は望めないのかも。
とにかく、最低限の量の血液はあっても、貧血を起こすのが人間である。普通失った血液は、3ヶ月ほどかけて治すのが普通だ。それが5日も経たない内に回復するわけが無い。と。
確かに変だ?!
「僕って変……?」
「あ、えぇと。まぁ、そういう人がいても、おかしくは無いですよ! ほら、回復魔法を使ったのはクロアさんですし! 何が起こっても不思議じゃありません!」
「何が不思議だって?」
「きゃあぁあ?!」
チェリーは、突如として現れたクロアさんに、異常なまでに驚いてみせる。相も変わらずゴーグルを身に付けたままのクロアさんは、紙で出来た使い捨てのコップを差し出してきた。
さすがにストライプとかの模様は付いていないが、それは中身にさして問題は無いので無視しよう。ただ軍学校でも此処までシンプルなものは無かったので、ちょっと新鮮だ。どういうわけか、軍学校の紙コップはかわいらしい水玉模様がプリントされていたからなぁ……。
そんな事を考えながら、無地の白い紙コップを受け取る。どうやら中身は暖かいもののようで、真っ白な湯気が立っているが、香りはどうやらレモンティー、の、ような?
何と無く嗅いだ事があるような気がしないでもない香り。でも、それだけだと異常に不安である。
「わぁ、デンジャー」
「別に飲めないものは入っていないぞ」
怪訝な様子で眉間にシワを寄せるクロアさん。それもそうか、と、僕はコップを見つめた。
背の高いクロアさんを見上げてみると、レモンティー(?)を一気に飲み干している。そしていつの間に持ってきたのか、あるいはクロアさんから受け取ったのか、チェリーもこくこくと美味しそうに飲んでいるではないか!
知らない土地での食事って、あの病院食的な食事はまぁまぁ見慣れている物だから良いけど、若干未知の部分があるだけでこんなにも不安になるものなの?
「……うぅ」
多分美味しい。いや、絶対美味しい。チェリー達が美味しそうに飲んでいるのだから、これは絶対に美味しい。うん。美味しそうなにおいだし。
「よし」
ぐい、と、コップを傾ける。
……!!!
「これ、ハチミツ入りのジンジャーエールレモンティー?!」
「あ、知っていましたか? 身体を温める効果と栄養補給に最適なのですよ~」
「……隠し味のハチミツを当てるとは。飲んだ事があるのか? 軍学校では栄養しか考えられていないドリンクばかり飲んでいると思っていたが」
「あぁ、いえ、そっちじゃなくて! 僕が軍学校に入る前にいた孤児院で、よく飲んでいたので。何か懐かしいなぁ。あぁ、シュレイドは苦手だっけ」
あぁ落ち着く。温かい飲み物って何かとても落ち着くよね。
「じゃ、今から体力測定を始めます。まぁ、屋内でも出来ちゃうような握力なんかは、さっきさりげなくやってしまったのでそれは良いとして」
そういえば、握力は体力測定扱いだったような。
「まずは、50m走から。本気もしくは本気じゃなくても良いから、これは気軽に」
こういうのって本気では知らないとダメですよね?
「ダメですよクロアさん。こういう測定では本気を出してもらわなきゃ」
ですよね。本気じゃないとダメですよねチェリーさん。
「でもちょっと気を抜いた方が良いですよ! ほら、100mの時に圧倒的な差を見せて、普段全然ヤル気を見せないからこそあえてのギャップを周囲の人々に見せ付ける感じで!」
「何で2人して真面目じゃないの?!」
やっと気付いた。この2人、どう見てもふざけているようにしか見えない!
それを言葉で表現すると、2人は顔を見合わせた。
「「……ノリで?」」
「と、まぁ、ふざけるのはこのくらいにしておこう。じゃ、50m先で待っているので、適当なタイミングで走ってきてくれ」
とっ。と、軽く蹴るような音が聞こえた。
……50mほど先に、クロアさんが立っている。
「はやっ?!」
「あぁ、今の所50mのベストタイム保持者はクロアさんですからね。コンマゼロイチなんてあだ名が付いていたぐらいですよ」
そして何事も無かったかのように、チェリーも配置に付いている。その手には金色の懐中時計が握られており、どうやらスタート時間を記録する目的で持っているようだった。
踏み固められた地面には、既に白い線が書き込まれている。
「いつでも良いですよー」
そう言うチェリーの瞳は、時計の秒針を追いかけている。
……僕の事は見ているのだろうか。
心配しつつ、スタート地点へ向かう。普通にクラウチングスタートで良いだろうか。というか、50m走なんて、軍学校入学時の検査以来無かった。2年に上がってから初の検査では、イキナリ400m走からだったし。
整備はされていないものの、グラウンドと同じような地面だ。グラウンドでは灰色の砂が目立っていたけど、此処は黄色。でも、細かい粒から荒めの粒まで揃っているのは同じ。ガラスの破片も混じっている辺りまで同じである。
これなら軍学校と同じ感覚で走っても、さして問題はなさそうだ!
「―― ふぅ」
それにしても、コンマゼロイチなんてあだ名、何か『久しぶりに』聞いたなぁ。そんなあだ名が付くような人、この世でシュレイドただ1人だと思っていたけど。
とっ。
音は、無い。
ただ耳元で、地面を蹴る音が聞こえただけ。
この一瞬は好きだ。落ち零れの僕でも、何の文句も言われない時間。
舌打ちも、陰口も無い時間。
一瞬の間に景色が流れて、その一瞬の冷たい風と無音の世界も一緒に消えていく。
……流れた後の音は、嫌いだ。
ヒソヒソ、内緒話がそこら中から聞こえてくる。怖い目でみんなが睨んでくる。
だから、嫌いだ。
まぁ、毎回シュレイドが話しかけてきたから、別段気にせずに終わっていたけど。
「ほぅ」
と、その声で僕は我に返った。いつもより若干長く感じた一瞬の後の音。というか、クロアさんの驚きに満ちた声で。
「ど、どうでした?」
正直言って、50m走はあまり体力と関係無いので、重要視されていなかった。短い距離だと瞬発力が肝になるが、長い距離だと体力、その持久力が肝になってくる。
帝国軍および軍学校では体力増強に力を入れているため、50m走はあまり重要視されていないわけだ。そして僕は、その持久力が無かったのである。この50m走でどのような結果が出ても、僕の評価にプラスされていなかった。
「ゼロコンマ5秒」
「あー……1年前と変わらないですね」
やはりシュレイドには敵わない。クラス1の優等生だったシュレイドは、たとえ軽視されている瞬発力の面でさえ優等生だったから。
これであの生活ダメ人間でなければ、僕はあまりの劣等感に自殺でもしそうになっていたかもしれない。
「1秒を切った奴は、俺とアネモネ他数名しかいない。おめでと」
「あ、はい。ありがとうございます!」
他数名の部分が若干気になるところだ。
「魔法を使わずに此処まで速いとはね。いや、まったくもって優秀な人材としか思えないが」
「そんな事無いです。そんな、優秀だったら、僕は此処にいませんでしたよ」
はは、と笑って見せるが、その理由の部分は細かく考えないようにした。
もし僕が優秀だったら。
上手く逃げおおせて、生き延びて、そのまま帝国へ帰還しているか。
もしくは、あの敵国の兵に――
「次は何ですか?」
「ん、次は100mだ。あ、動かなくて良いぞ。俺が100m移動すれば良いだけだから」
そして、視界から消え失せるクロアさん。やはり、100m先の方で、平然とした様子でタイマーを握っている。
……どういう身体能力を持っているのだろうか。
「人の事は言えませんよ、エド君」
と、横から言ってきたのはチェリー。ぜぇぜぇと息を切らしながらのご登場だ。
音はしなかったけど、全力で走ってきたらしい。クロアさんの神速ぶりにちょっと目をそらしていたけども、そうだよね、50mって、女子では10秒とちょっとあればついちゃう距離だからね。
1秒切るのは、まぁシュレイドがいるから別に珍しくはないのだろう。
「さてと、普通に考えれば、50mで0,5秒なら100mでは1秒ほどで着く事になりますけど、実際に測ると全然違う結果になる方が多いですからね。実際に測ると!」
鉛筆片手に木で出来たパネルを凝視しつつ、かわいらしい顔には不似合いなシワを眉間に寄せながら、チェリーは記録を書き込んでいく。
その文字は少々見覚えのあるような、無いような。でも明らかに綺麗だと思える文字。知らない言語のようだが、きっと読みやすいように書かれているのだなと思える程度の書き込みがされていた。異様に小さい文字で書かれている事が唯一の欠点だ。
僕と同じ言語で話し、それに僕が違和感を覚えない辺り。彼女はどうも帝国で使われている言語に関してはベテラン。もしくはそもそも帝国で育った者なのかもしれないが、物書きに関しては帝国の言語を用いない辺り、帝国生まれですらないのかもしれない。
というか、FLCは国でも何でも無いのだから、もしかすると捨て子? 孤児? そうだったら僕と同じで、親近感は沸くけど。
でも、もしそうだったら「あ、私も孤児ですよー」とか何とか、僕が孤児院の話題を出した時点で言ってくる可能性があったはず。という事は、彼女は孤児ではない?
そもそも何故彼女はこの団体に参加しているのだろうか。その辺りは孤児であれば説明がつくけど、この感じだとチェリーは孤児ではなさそうだよね。でも、こういう場所って大抵そういうプライバシーの問題に関しては厳しく制限されているだろうから、聞かない方が良いだろうか。
そもそも突然「君は孤児ですか?」なんて聞く奴は不謹慎というか何というか。僕は聞かれ慣れているけれども、彼女がそうであるかは全く知らないわけであって!
……あれ。そもそも何でこんな事を考えていたのだろうか。
あー、頭がグルグルしてきた・・・・。
「あ、あの。100m、いけますか?」
「あー、うん。大丈夫。色々考えていただけだから」
「(この10秒で何が起こったんでしょうか)……顔が真っ赤ですよ?」
そうだろうか、と、手の甲を頬にくっ付ける。
あ、確かに熱いかも。
「大丈夫。結構ある事だから」
「け、結構ある事ですか?! だ、大丈夫かなぁ……?」
あからさまに不安げな表情にさせてしまったが、大丈夫な事に変わりは無いのは事実。
僕は構わず、スタート地点で身構える。
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