5 帝国の機密
「……うん。本題に戻ろう。これは、エドの体内、正しくはエドの脳内にあった異物だ」
「……! これが」
ぐしぐしと涙を拭い、チェリーはそれを見るために顔を上げる。
「これがおそらく元あった部分から何らかの方法で移動し、彼に激痛を与えていた。彼は頭にもケガを負っているようだったから、おそらくその所為だろう。ともかく、分解でもして調べないと、詳しい事は分からない。が、これの正体についてはおおよその見当は付いている」
「見当、ですか?」
「ああ。おそらくではあるが、Global Positioning System。つまりGPSだ」
「???」
妙に発音の良い言語を放つクロアを見つめつつ、チェリーは苦笑を浮かべ小首をかしげる。
魔法を使う少女には、科学系の用語はペンチやスパナでさえ聞き覚えの無い異国の言語と同意である。やや専門用語寄りのGPSなどという単語は、当然知らない。
「科学知識を全く持たない君でも分かる単語を使うと、要するに発信機。それを持っている人の位置を誰かが知るために作られた物だ」
「! そ、それがエド君の中に?! あ、でも、そのケガの所為で入り込んだ可能性も」
「それは無い」
クロアは首を横に振る。
「彼の負った傷そのものは全体的に浅く、頭蓋骨にはヒビも入っていなかった。その路線はほぼゼロだ。だとすると、これは『帝国軍の誰か』が、彼の中へ『意図的に』仕込んだ可能性が高い」
「……酷い」
チェリーは口を押さえてそう言った。
GPSの事はよく分からないチェリーだが、それがどのような意図で使われるかは大体想像がつく。ただその創造の殆どはペットの首輪に仕込んだり、子供が身に付ける装飾品などに紛れ込ませたり……。
つまり、どう考えても人間の身体の中に入れるなんて事は考えられない。
あったとしても、脳などという超重要な部分に入れるだろうか?
「何でそんな事を……!」
「そこまで分かっていたら、とっくに話しているさ。それともう1つ。これは別の面を拡大した映像だよ。これが何を意味するのかは……言わずとも分かるだろうね」
未だ点いたままのモニターの画像は、黒い見た目こそ変わらないが、確かに帝国旗が彫られた面とは違う面のようだった。中央に、何か模様のような物があるのだ。
「これを横から見てみたら」
……突起だ。木の枝を折った時のような断面。しかし人肌では感じ取れないような、小さな突起。
此処で問題となるのは、いかにも『枝を折ったような断面』の部分だ。意図的にこのような断面が生まれるわけがない。必ず、その先に何かがあるはずだ。
「……っ、つまり、同じような物がまだ」
「残っている可能性は、十分にある」
「そんな!」
一呼吸置いて、クロアはキーボードの設置された台に寄りかかる。
「ただ、そちらは、おそらくGPSではないだろうね」
「? 理由は……?」
みたびチェリーは首を傾げる。
クロアは少々考える素振りを見せると、1回小さく頷いた。そして、チェリーでも分かる単語を選びながら口を開く。
「君は、心臓が2つあってもどうしようもないと思うだろう?」
「そ、それはそれで便利そうですけど。要するに、1つで充分だから2つめは特に必要ない、と」
「ああ。それに、どうせ2個用意するなら同じ場所ではなく、別の場所に隠すだろうしね。でも、だったらこの切断面はありえない」
同じ場所に2個も同じ物を用意して、同じ理由で2つとも使えなくなってしまっては意味が無い。
それでは本末転倒だ。
帝国は魔法が衰退し、科学が発展した国。人の労力をそれほど使わないようにするために非効率的な事は非常に嫌う。ならば、1箇所に同じ物を2つ用意する事は、確かに帝国らしくない。
可能性の話だが、この黒く小さな立方体の機械と同じ形、もしくは違う形の機械が、エドの中にまだ残っている。
クロアがチェリーを呼んだのは、それの確認の為でもあった。
「昨日の朝。あの強大な魔法を使ったのはエド。そう聞いている。間違いないな?」
「は、はい。本当に大きな魔法でした。魔法そのものは、初期に習う治療魔法でしたけど」
ブルリ、と、チェリーは肩を震わせる。
どう考えても、基本魔法だけで重体患者までもが通常以上に元気になれるわけが無いのだ。
その、ありえない事を、あのエドという少年はやってのけてしまったのである。
しかもそれを、直径200mを越える円の面積の床に敷き詰められるように存在していた全ての患者にかけ、その全てを治したのだから、更にありえなかった。
たとえば、小さな笹舟しか作れない子供が、金属製の巨大で強大な、町1つ分はある大きさの戦闘用潜水艦を作れと言われても無理な話だろう。
自分には無い力量、知識、技術。それを覆せるほどの『何か』は、普通の人間には無い。
「そして魔法を使った後、糸が切れたかのように倒れた、と」
「はい。本当にその。唐突過ぎたといいますか。急激に魔力を失って引き起こされる『急性魔力欠乏症』に症状が似ていましたけど、微妙に違う、というか」
「違う、ね」
チェリーはそのかわいらしい顔の眉間にシワを寄せるほどに目を伏せて、考え込むポーズをとる。
そしてチェリーの発言に対し、クロアは1回、頷いた。
「急性魔力欠乏症の場合、一時的な筋力低下に伴う呼吸困難、共に発熱。個人差で意識障害も伴うが……。それらの症状の中で合ったのは、一時的な呼吸困難一点だけだった」
「は、はい。状況ではその線が高いにも拘わらず」
魔力、というのは、一般的に人が持つ精神力という言葉に置き換えられる。小さい魔法なら小さい魔法なりに。大きな魔法ならそれ相応に。その魔法を使う度に集中力が段々減っていくからそう言われている。
もっとも、正確には違うのだが。
その魔力に限らず、帝国が開発した『小さなものを見るための道具』を使っても見る事の出来ないほど、とてつもなく小さな物質によってこの世界は構築されている。
それは『精霊』と呼ばれる、物質とも、生命体とも違う非物質、非生命体。空気中を漂い、あるいは物質を形作る根本的な資源でもある。そもそも資源と言っても良いのか、それすらも様々な議会で話し合っても、未だに解答の出ない問題だ。
精霊は生命力の源にも変換され、生命の源は、人の中に魔力という形で根付いている。逆に言えば、魔力とはイコール生命力ということだ。
拳法の達人の、体力が無くても気力で動いている例があるように。身体と精神にバランス良く魔力が供給されていなければ、どちらか片方がもう片方と感覚を切断した状態で動かす事となる。
同時に、それらの行動がほぼ無意識で行われる時は、どちらかの魔力が一方の損害を補おうとして、最も魔力や糖分などを必要とする脳が、あまりよく働かない為だ。つまり常に意識が朦朧として記憶力や思考力を捨てているが、身体だけは動くという状態である。
まぁつまり、魔力が無くなると人は気絶もしくは呆然としてしまう。鍛錬を積んだ者は魔力と精神力を別の物として隔離出来るが、逆に言えばそんな鍛錬を行っていない者はそんな芸当が出来ないのだ。
そもそも、魔力を精神力という言葉に置き換えるといっても、元は別の物である事は判明している。ただ魔法を使うには頭を使って精神力を削るため、そうだと信じられているだけだ。
そうでなければ、気弱な人間が潜在的な魔力を大量に持っている場合や、精神力の強い者でも、持っている魔力の量が少なかった場合に対しての説明が出来ない為である。
そもそも魔力欠乏症とは、何らかの理由で、生きていくのに必要な魔力が足りなくなる状態の事で、主に呪いなどで魔力が奪われることで発症する。土地的な問題という例もあり、遺伝的な問題の場合もあるが、症状は極めてゆっくり進行するため身体がそれに慣れてしまうケースが多い。
対して急性魔力欠乏症とは、魔法の使いすぎや、魔法を使うためのアイテムの使用方法を間違えるなどの事故で魔力を大量に、かつ急速に失う事で、生きていくのに必要な魔力さえ残らない状態。
魔法初心者に多いのが後者で、自分の力量を見誤って大きな魔法を使うと、すぐに自分の中にある魔力を使い切ってしまう。前者と違うのは、急速に魔力、つまりは生命力を失う事で、身体がその状態に慣れていないためにショック症状を引き起こす点にある。
また、魔法初心者は魔力と精神力がほぼ同一の物である場合が多く、大きな魔法を使うと気絶してしまう事もある。しかも、ある程度の魔力が回復しないと起きない状態でもあるため、誰も傍にいなかった場合、処置が遅れてそのまま死亡、なんて事もある。
この辺りは魔法の危険視されている部分でもある。が、注意すれば特に問題の無い部分でもあり、学校や書物にはその旨を伝えるべく必ず最初に習わせる一般常識だ。
また、前記のとおり生命力を失う為に呼吸が上手く出来なくなったり身体から熱を逃がす器官がほぼ停止状態になるため発熱するなどの症状が出たりする。人によっては全身から汗が出て水分補給が必要になったり、何か食べれば大丈夫、ちょっとでも寝れば完全回復する、というような軽度な症状だったり。要するに個人差が出やすい病気でもある。
であれば、エドの症状もその一部だと考えられるだろう。
しかし、これには必ずある条件が当てはまらなければならない。
……あえて言おう。
これは、急性魔力欠乏症の説明である。
「しかしエド君の中には―― まだ大量の魔力が残っていました」
「だから、急性魔力欠乏症ではない、か」
エドの中には、まだ使われていない魔力が大量に存在していた。
そう、今の説明は、対象者が『そのままでは生きていられないほどに魔力を失った場合』のもの。
では、何故エドは倒れたのか?
「……まさかとは思いますが、もう1つの『黒い物質』が、関係していると?」
再び、チェリーは身体を小刻みに震わせる。
此処まで来て、もうお手洗いに行きたいから震えている、なんて冗談は使えない。
純粋に……恐怖と、憤怒によるものだ。
「これも仮定だが、そのもう1つの黒い物体が彼の行動を制限している。昨日の場合は『一定以上の魔力が急速に奪われた時点で意識を奪い全体的に筋肉を弛緩させる』というものだ、と俺は考える」
「っ、それで、身体検査、ですか」
「体力測定も含めて、ね。俺の仮定が正しければ、運動によってもそれは当てはまる。彼が意識を失う一定ラインがどのくらいにせよ、運動にも魔力というのは消費される。何せ、魔力は人が動く為のエネルギー。魔法より消費量が少ないとはいえ、使われはするからな」
歩く、走る、ジャンプするなど、とにかくその場から離れる行為は、そのまま魔力の消費に繋がる。ちなみに、寝ている間はその消費は無い上に精神力を使わないため、魔力が多く回復する事が出来る。
クロアがそこまで言った辺りで、チェリーはハッとなった。
「……軍内、最弱」
チェリーが小さく呟いた。
「? 軍内最弱?」
「え、あ、いえ」
それは、少し前、食事の少しだけ前に、エドから自然と出てきた単語。
一瞬、ひどく暗い顔をして、エドが小さな声で呟いていた事だ。
それだけでも分かりそうなものだが、クロアはどうやら察してくれていない。チェリーは言葉を選びながら、目を泳がせながら口を開いた。
「先程クロアさんが食堂に来る前、エド君が自分の事を『帝国軍の中で最も弱い人間だ』というような自己表現をしていました」
「……それはまた、帝国軍らしくないことだな」
あの巨大な魔力を持っているだけで、軍内最弱というのはあまりにもおかしな通り名だ。あのような魔力を持っていれば、いくら魔法が衰退した軍内でも、重宝される事はまず間違いないだろう。何なら軍学校には通わせず、ただただ有り余る魔力を吸われ続ける道具として扱われてもおかしくは無い。
帝国はそんな事をやりかねない。
平気に、冷酷に。
……しかし、それはされていない。
「つまり、何らかの理由により、他の帝国民と同じ状況下で監視するしかなかった。普通に見せかけるために、あえて周囲の人々と同等に扱い、そして――」
クロアはそこまで言って、チェリーへと言葉のバトンを渡す。
「―― その結果、あろう事か今回戦場へ出て、アネモネさんに拾われた、と」
その先は、エドと最も長く共にいたチェリーなら知っている。施設の案内、そしてその先で起こった事。だからこそクロアは、彼女にだけは話したのだ。誰がどう見ても、エドと最も長く接しているのはチェリーなのだから。
「これはおそらく、帝国の重要機密、その中でもランクS+相当の情報だ」
「えっ。ランクS+って、最高ランクじゃないですか!」
「おそらくだが、まぁ、間違い無いだろうな」
情報に限らず、下からC、B、A、Sと、それぞれ+と-のランクが付いている。S相当の情報は最高のランクだ。そのSランクの中でも上位の機密情報にのみ、+が付けられる。
「何故、S+なのですか?」
「魔法が発展した国でも、人間の脳の部分はとても重要な場所とされている。そこに、無論脳が需要である事を知っている科学の発展した帝国が、こんな物を、本当の軍内最弱の人間に付けると思うか?」
「……たしかに、そう、ですね」
運が悪ければ、今回のように部屋中を転げまわるほどの激痛に襲われる事だってあるはずなのだ。いや、それどころか、死に至る危険性だってある。リスクを冒してまで守るべき『最重要機密』である可能性は、たしかに否定できない。
「むしろ、理に敵った理由だと思います」
「わざわざ一般人扱い、しかもこんなGPSまで埋め込んでの監視なんて、軍の協力というか、政治を行う者の協力無くして出来はしないだろう。帝国は戦争中だ。有望な若人をわざわざ弱く見せかけて守るような余裕は無い。しかしこんな専門的な処置、隠れてコソコソやるには技術レベルが高すぎる」
「な、なるほど。少なくともランクA相当の機密以上でなければ、このような待遇は無い、と」
「というか、Sでなければおかしいだろうな。Cはまだ知られてもいい情報、Bはできるなら隠したい情報として、Aは絶対に隠す情報。Sは死んでも隠し通すものだ」
「エド君は死んだ事になっている。そっか、
「当然、帝国にエドの事を知らせてやる義務も無いし教えるつもりは毛頭無い。しかしこれから更に得ていく情報の所為で、長らく比較的平穏だったFLCにも波乱が巻き起こるだろうな」
「……っ」
チェリーの表情が翳る。
服の一部を強く握り締め、そして、明らかに不安げな様子で、口を開いた。
「つまり」
「―― 『あの時』のようになりかねないと」
「……」
眠そうな瞳が、歯を食いしばるチェリーをただ眺め見る。
睨み付けるでもなく、かといってただ見つめるだけではない。
その瞳には、確かな意志が映りこんでいる。
クロアの沈黙は、そのまま、肯定の意を示していた。
「……確率の上では、まだ何ともいえない状況ではある。だが用心するに越した事はないし、それは今現在考えうる最悪のシナリオで、実際、最も確率の高い部分だ」
「嫌な結果ですね」
「仕方ない、とだけ言っておこう。パーセンテージを調査するだけなら、誰も文句は言えない。問題なのはその後。確率は所詮確率だ。何が起こるか。それは誰にも分からないからな」
「……分からない、ですか」
バツが悪そうに、今度はチェリーがクロアを見つめ返す。
「残念ながら、今回は『見えなかった』よ」
クロアはその、どういう訳か若干の期待が入り混じった視線には、手の平を振って返した。
「だが、確定した未来以上に変革が難しい事は無いと思う。運命の女神アフロディーテは、変な所で公平だからな。チャンスもバッドエンドも、どのような人間も等しい数渡されている」
「女神とはまた。見た事の無いものを信じない、クロアさんらしくない発言ですね」
ようやく、チェリーは小さな笑みを浮かべる。
しかしそんなチェリーの表情や言葉を、クロアは無視した。クロアはキーボードの台から立ち上がって、チェリーの言葉をただ右の耳から左の耳へと受け流し、そのままチェリーの横を通り過ぎる。
「ともかく、これから起こる事起こらない事を話し合うだけでは埒が明かないな」
「それは、そうですけど。では、何故そのような可能性の話を私に?」
「可能性の話だから、だよ」
クロアは一呼吸置いて、頭を掻いた。
「僅かだろうが大半だろうが、その可能性は含まれている。であれば、真っ先に君が関わる事案だと思う。だから話しておいた」
「なるほどです」
チェリーは一度、深く深呼吸をしてみる。
まだ、これらは可能性の話。
エドが帝国にとって重要な何かであるかもしれない事も。
そのエドをめぐって、帝国と何か諍いが起こるかもしれない事も。
ひいては、FLCが戦争に参加するなどという、行動理念に反する行動をするかもしれない事も。
全て。そう、全て可能性の話なのだ。
―― ……『まだ』
「これが杞憂で終われば、何も文句は無いのだが」
「杞憂で終わって欲しい時に限って最悪のシチュエーションになる、なんて事はざらにありますけどねー」
「……君はむしろそうなってほしいのか?」
クロアが心配するほどに、少女の顔には満面の笑みが広がっていた。
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