4 隠れて隠して
―― それは、エドが広場に来る少し前。
少し、と言っても40分前の事だ。
エドの中から『異物』を取り出したクロア。彼がいるのは、薄暗い部屋の中だった。
「一体、何だと思う?」
薄暗い部屋は、モニターの青白い光のみで照らされていた。
しかし、床に無数に走るコードの全てが見えるほどに、数多くのモニターは強い光を放っていた。部屋そのものは結構な広さである。コードがあるとはいえ『床』と呼べる部分だけで6畳ほどの広さ、そして機材が置かれている部分も6畳ほど。
別名、クロアの城とも呼ばれる場所。クロア以外が入っても、それらの機器を扱えはしない。またクロア以外では、それらが何のためにある機器なのかが理解出来ない。
その数々のモニターの光に照らされたクロアは、1つのテーブルを指差していた。
「……小さな丸テーブルですね」
そう答えたのはチェリーだ。彼女は見たままを答えた。しかしクロアはその回答に満足が行かなかったのか、テーブルの中央を、再び指差した。
「……テーブルしか、無いですよね?」
チェリーも再び、小さなテーブルの中央を凝視するが、やはりそれ以外の回答はないと判断した。
「えぇと、クロアさん。置き忘れた、とかじゃないですよね?」
「そんなはずは無い。現に此処には……」
と、クロアは自身の目でテーブルを見てみる。しかし。
「―― 訂正する。これはただのテーブルだ」
と、変わらぬ表情で謝罪した。
「間違えた。こっちのテーブルだった」
と、改めて、形は同じだが別のテーブルを指した。今度は、四角い白のプレートの上に、何か、限り無く小さな黒い物体が乗っているのが目に取れる。
「これは、石、ですか? 塵的なゴミにしか見えませんけど」
「いや。元を辿ればそうだけど、おそらく違う。確かに黒い塊なのは間違いない。一見すれば石だ。けど、中身は全然違う。これは帝国製の機械だ」
「! 帝国製?!」
チェリーが驚くのも無理は無い。帝国製の機械というのは、戦場ばかり見てきたチェリーにとって、大きくてごつくてかわいくない危険な物質のイメージがある。クロアに指された、1mmも無い大きさの黒い物質が『帝国製の機械』と言われても、イマイチピンと来ないのだ。
そして何より驚いたのは、クロアがそれを帝国製であると確信を持っていた事。単純にこの物質に帝国製である事を示す何かがあるのは間違いないが、一見するとそのようなものは見当たらない。名前を書くにしろ彫るにしろ、小さすぎて見えるわけが無いのだ。
「ちゃんと帝国製と書いてある。いや、彫られている。肉眼では見えないけど、省略形の帝国旗が」
クロアは、彼女が最も驚いたであろう部分に触れてきた。
クロアは青白い光で構成されたキーボードに触れ、モニターの1つを操作する。タンッ、と触れた瞬間に青緑に光るキーボードを叩く軽快な音と共に、音も無くモニターに何かの映像が映る。
そこは真っ黒な画面が広がっていた。しかし電源が切れたとかではなく、テーブルの上にある黒い物体を拡大投射しているのだ。その証拠に、モニターからは未だに光が漏れている。
「カメラをギリギリまで近付けたけど、何も映らない。けど、これを更に、違う機器で拡大すると……」
ピッ、という、心音計のような音を1回発して、モニターが切り替わる。そこは確かに黒い物体の一部が広がっていて、モニターは全部黒で埋め尽くされていた。
が。
「……っ!! こ、これは・・・・っ」
そこには小さく、本来超が付くほど細かい帝国の国旗を一部省略してはいるが、帝国で一般的に使われている国旗だった。
長方形の枠の中に、確かにそれは彫られている。
チェス盤のような背景の前に、白く縁取りされた黒いライオンが描かれたデザイン。その細かい部分が全て省略された国旗が彫られていたのだ。
「俺じゃなかったら、こんなところまで調べられなかっただろうな。魔法でもここまで小さな物質を拡大して見る、なんて芸当が出来るやつはそういない」
と、モニターと同じく、青白く光っているキーボード部分を軽く撫でる。
ピピピッ、と、再び機械音が鳴り響いた。
「まぁ、こういうのは俺の性分だ。科学的にこの世のあらゆる物を解析しようとする、生粋の科学者としての本能とも言える」
そして、と、クロアはそこで少し間を空けた。
「―― 君が最も嫌っている、帝国の人間の、ね」
……その、完全に開かれてはいない、常に伏せられた目。
吸い込まれそうなほどに綺麗な漆黒の瞳が、チェリーを見つめた。
横顔で、単眼にしか見えなかったが、それでもチェリーは異様な威圧感を覚える。
「……その話は、しないでください。それに、その思考はこの場所では無意味です。この場所では、誰もが誰もを平等に見なくてはならない。個人の好き嫌いは……」
「俺はその、個人的な好き嫌いを聞いている」
「……っ」
「そうだろう? 君が『そう』なるキッカケとなった好青年を殺したのは、帝国の――」
「―― だから! その話はするな! これ以上話したらどうなんのかは予想がつくだろうが!!」
バヂリ、と、チェリーの周りにあった機械から不穏な音が聞こえ、青白い電光がほとばしる。モニターが幾つも消え、紅い非常灯が点く。
少女の幼い顔が歪む。大きな目を更に大きく見開き、その鋭い目線の全てがクロアに注がれた。
威圧感。
チェリーという150cmちょっとの人物から放たれるそれは、熱を伴って辺りに撒き散らされる。
床や壁、彼女の周りにあったあらゆる金属が、発された異常な温度の熱によって真っ赤に燃えた。
「……」
その見えない重力と熱に、クロアは思わず手に汗をにじませる。
しかしそれでも、クロアはやはり変わらない顔で、尚チェリーを見つめていた。
チェリーは歯を強く噛み締め、わなわなと震える手足を力強く握り締め、不意に視線を横へとずらす。
「……私は」
そして、チェリーは震える声で、しかし強く言い放つ。
「私は、クロアさんが好きです。個人的には。貴方は、人の命を何とも思っていない帝国の人間なんかじゃない。貴方が『帝国を追われた』からじゃない。貴方が『FLCの人間』だからでもない。貴方は、私の事をまっすぐ、見て、くれた、から」
そう、クロアから目をそらしながら、それでも力強い言葉で。
チェリーは大きな目に涙を溜めながら、言い放った。
「……俺は、それほど出来た人間じゃない」
「いいえ。それは違います。クロアさんは『あの時』の事を悔やみ、だからこそ本来適性の無かった治療魔法を……ひいては医療班であるための勉強をしていました。誰よりも真摯に、誰よりも冷静に、そして誰よりも無理をしながら」
人は、個別に魔法適正という物がある。
個人の資質や心のありようによって、自身の持つ魔力は属性を持ち、その魔力に応じた魔法が適正の高い物となる。
ただし、人が持つ魔力の属性は一種類だけではない。特例を除いて、世界を構築しているあらゆる属性が全て混在し、誰もが基本魔法程度であれば使用できる。
適性があるというのは、持っている魔力の中で、最も純粋で最も多く持つ属性の魔力と同じ属性の魔法の事を指す。その反対に、適性の無い魔法という物も存在してしまうのだ。
クロアの場合、それは光と水だった。回復魔法の多くは光属性であり、次点が水属性である。更にその次が風や木属性であったが、これも得意ではなかった。クロアの魔法適正は、闇と炎。俗に言う幻覚魔法と、攻撃魔法の代名詞ともいえる属性だったのだ。
そしてもう1つ。
クロアには10歳以前の記憶が無く、10歳の時FLCに来た当初は、時々息の仕方も忘れてしまうという異常な状態にあった。
魔法の知識も、忘れる前はあったかもしれないが、ともかくその時は息の仕方から食べ物の食べ方から、歩き方に声の出し方まで。生きるための知識すら無い状態から、ようやく自我を持てる状態に回復するまでかなりの時間を費やした。
幸い大事には至らなかったのだが、薬の副作用のように、しばらくは突然襲ってくる呼吸困難に対応するため、常時誰かが監視している状態だった。
そして―― そんなクロアを、人一倍面倒見た者が、いた。
彼をこの施設へつれてきた者と、もう1人。
彼の最も古い記憶の中に存在する、言い方は悪いが、精神年齢が幼かったクロアの、精神安定剤、とでも言うべき人物達だった。
もっとも、もう、その2人と話す事は叶わないが。
今言えるのは、その2人がチェリーにとっても大切だったという事。そして、彼等が今この場にいない事こそ、クロアがどんな無理をしてでも医療班の最前線に立ちたいと、強く願うキッカケ。
たとえ血反吐を吐いても。
たとえ身体中の骨が軋んでも。
たとえ幾度も強い雷に撃ち抜かれても……。
魔法の適正が無い事を感じさせないほど、彼は修練し、そして、適正のある属性で新たに回復魔法を創り出すという常人には真似の出来ない高みまで到達してしまった。
もっとも、その過程で失ってしまった物もあるのだが……。
それはまだ、話すべきではないだろう。
「……」
チェリーの言葉が終わってから、しばらく沈黙が続いた。重苦しい空気が流れ、2人の下げられた頭は、重く、上げる事を許さない。
しかしそんな中、クロアは小さく溜め息をつき、ぐい、と頭を上げた。
その溜め息を、1つの話の区切りにするために。
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