魔法
目が覚めると、気分がやけにスッキリとしていた。こんなにも目覚めの良い朝は、軍に入る前、僕がまだ孤児院にいた頃以来だ。
とても久々の感覚である。
― コンコンコン ―
「はい」
「おはようございます! 声の感じからして、目覚めは良かったみたいですね♪」
横開きのドアを開けて入ってきたのは、チェリアンだった。
昨日は余裕が無くて気が付かなかったけど、何処と無く甘い果物みたいな香りがする。石鹸に何かそういう香りを付けているのだろうか?
だとすれば、まだ帝国には無い技術。女性に人気が出そうだなぁ。
何着か同じ服を用意してあるのだろう。僕があのクロアという青年の『手術』を受けた昨日と、全く同じデザイン、全く同じ色、全く同じサイズの服を身に付けている。しかし、昨日から着ていたにしてはシワが少なく、おそらく石鹸のものであろう香りが漂ってくる。
僕はといえば、昨日と同じ服なので少し汗臭いかもしれない。ぼんやりとしか覚えていないが、僕は昨日も青と白の細いストライプ模様が付いた、簡易の寝巻きだった気がするのだ。
「昨日クロアさんが、怖がらせたお詫びと言って傷を全部治してくれましたよ。その時点でもう必要はありませんが、一応検診はさせてくださいね?」
そう言って、彼女は白くて細い検温器具を取り出す。魔力で動く、機械の一種だ。
これを、魔力を使わずに動かせるようにした帝国の技術者を知っている。機械の主なエネルギーである電気を風や川の流れで作り出し、それを蓄える電池を作り、それを組み込む事で魔法では出来ないような長時間持続型の行動を機械にやらせる事に成功した人だ。
この利点は、人の作業効率が上がる事。人の負担が減る事。危険な作業を人がやらなくて済む事。つまり人が楽をするための技術である。ある意味人間の思考力を奪う技術だな。
そう考えると、魔力を使い人にも仕事をさせるこの技術は、ある意味帝国より優れている。よく考えれば電気と違って人が延々と作り出す魔力は、有限の自然からエネルギーを取り出すよりよほど効率的だ。
その一方で、人の魔力には『魔力生産量』や『魔力保有可能量』や『魔力維持可能量』などの問題点がある。まぁそこは、機械のように1日中働く事の無い人間の性質という事で横に置いておく。
魔力生産量(以降生産量)とは、文字通り魔力を生産する量である。人の中には常に魔力が存在し、その魔力は特殊な例を除いて延々と、ほぼ一定量ずつ補充されている。
例えば、1つの魔法を使うとする。この魔法に使う魔力が、A君の持つ魔力全体の10分の1だったとしよう。その失った魔力を補充する際、1秒辺りどの程度魔力の量が回復するのか。その量が『魔力生産量』の事なのである。
魔力保有可能量(以降保有量)とは、要するに一瞬でも持っていられる事の出来る魔力の量である。自分で生産した魔力だけでなく、他の魔力が入って来た時それを受け入れても何の問題も無い量。魔力は持ちすぎると溢れてしまう。その、溢れる直前の限界値の事。
最後に魔力維持可能量(以降維持量)について。これは保有量に対して、自身が常に持っている事の出来る魔力の量を指す。魔力を水に例えた場合の、タライの中に配置したビーカーのような物だ。
さて、この3つの何が問題かといえば、つまり人の魔力は延々と沸き続ける代わりに、その失われた部分が一瞬で戻るわけではないということ。機械を半永久的に動かしたいと思うなら、代わる代わる魔力を補給する者を変えて行く必要があるという事だ。
この体温計測器のように、一定時間だけしか使わない、また使う人間が1回1回違うとなれば、その心配は無くなるわけだが。
結局のところ、機械も魔法も優劣は付けられないという事だろうか。小さな事象であれば魔法で出来るし人に出来ないような事は機械に任せればいい、と。
それが出来たら、とっくの昔に帝国はもう少し魔法を学ばせているだろうし。
「計り終わりましたか? ・・・・はい、オッケーです。大丈夫ですね。さて、と。とりあえず傷も治りましたから、外に出てみますかー」
「え、外・・・・とは?」
部屋の外か屋外という意味の外なのかはさておき。外という単語が出てきた事に驚いた。
魔法のおかげで超が付くほど調子が良いとはいえ、僕は病み上がりなのだ。
「この部屋の外、という意味です。病人でも無いのに、こんな暗い部屋の中は気が滅入るでしょうし。いくら数日とはいえ、ずっとベッドの上だったのですから、身体を動かさないと」
要するにリハビリという事だ。傷は治っているわけだから、確かにこんな暗い場所だとちょっと気が滅入りそうになるかも。
・・・・少し、慣れかけてしまって名残惜しい気がするな。
「でも、この施設は日々テントや何やら増えたり減ったり・・・・つまりは迷いやすいので、案内役が必要ですよね! 私、今日は巡回がメインで、問題が無かったら貴方の案内もしろと言われていますから。案内しちゃいますよ?」
見るからにワクワクしているチェリアン。目を爛々と輝かせ、握った手を胸の前に寄せて、ベッドに座っている僕に前のめりで見上げてくる。
寝転がっていた時は若干小柄に見えていたが、座っていたり立って見たりすると、彼女はどうも小柄とは言えない身長ではあった。
大柄とは言えない華奢さと身長をしているが、小柄と言うにはふっくらしていて、大人ではないがそれほど子供でも無いような。つまり、背丈が僕と大差無いのだ。おそらく3cmも無いだろうくらいに。
最初に思ったとおり、彼女は僕と同年代なのかも。実は今まで疑っていたのだが、本気でそう思う。
「チェリアンって、何歳?」
「チェリーで良いですよ。それと、まだ成人していないとはいえ、レディに年齢を聞くのは失礼極まりないですねー・・・・まぁ、良いですけど!」
失礼だ、と言っておきながら、チェリーは笑っている。気にしてはいるが、僕が思っているほどでは無いのだろう。・・・・ほっ。
「14歳ですよ。今年で15です」
「僕は13。今年で14だから・・・・へぇ、年上だったんだ」
「ふふっ、此処では年上とか、それほど関係無いです。能力重視! 私はそれなりに実力を認められているのです。ふふん」
チェリーは自慢げに胸を張った。
「只今医療従事者大歓迎中です。えぇと、一応聞いておきますけど、貴方は医療関係に詳しい方ですか?」
そして、おずおずと聞いてきた。これは暗に、僕が軍に帰らず此処で働いてくれないかなぁ、と思っていて、聞いてきているのだろう。
・・・・。
「止血程度なら出来るけど、医療に詳しいわけじゃないよ」
「そ、そうですよね。見るからに学生さんくらいですし! 実際学生さんですよね? アネモネさんがそれっぽいと言っていましたし!」
「・・・・アネモネ?」
花の名前が出てきた。
一瞬、草花と話でも出来るのかな、と考えてしまったが、そんな訳はないと自分で否定。
いや、誰もそんな芸当は出来ないだろう。
・・・・亜人でも、草花を人型に寄せ集めたような姿をした者達でなければ出来ないと聞く。彼女は見るからにヒューマンで、到底花の声を聞けるような種族の人間では無さそうだ。
「それは、誰?」
「誰って、アネモネ=ストラツォさんですよ? えぇと、貴方を殺しかけて此処に連れて来た」
あの桃色の髪の人かー!!!
「とりあえず、外に行きましょうか。あ、感染症患者の人もいるので、これ!」
ぐい、と、僕の胸に黒い塊が押し付けられた。
「クロアさんのゴーグルと、支給品のマスクです。サイズは合うと思いますよー」
自分用のゴーグルとマスクをつけて、準備万端、といった体のチェリアン。クロアさんって昨日僕を手術した人、だよね。逆光でよく見えなかったけど、ゴーグル、着けていたのかな?
とりあえず、言われるまま僕はゴーグルとマスクを身に付ける。
・・・・黒いゴーグルと黒いマスクって変質者っぽいけど、大丈夫だろうか?
ま、まぁ、とにかく、それしかないので、それを着けて部屋を後にした。
そうして歩くこと5分。地面が剥き出しで辺りが騒がしくなった所で、チェリーは止まった。
「此処が要治療者スペースです」
マスクをしても、消毒液のにおいに鉄臭さと腐臭が混ざった何とも言えない香りが漂う。
舗装されていない地面に張られた黄色い三角錐のテントがずらりと並び、その中から呻き声が聞こえてくる。そのテントとエリアを区切るように白の四角いテントが並んでいるのが見えた。
黄色い方は不規則に、乱雑に、敷き詰められるように配置されているが、白いテントは規律正しく、隙間を置いて配置されている。言われなくとも、それがどういう意味を持っているのかは予想できた。黄色いテントの方が圧倒的に多いし、少し考えれば分かる事だろう。
そして、それをチェリーが代弁する。
「治療をするためのテントが白で、治療待ちの人が利用する居住スペースが黄色です。ただ・・・・最近治療班が疲労でどんどん倒れてしまっていて、黄色いテントだけじゃ抱え込めないくらい、患者さんが増えていますね。白いテントにも、人がいっぱいです」
白いテント同士の隙間は、おそらく行動を円滑に進める為だ。魔法による治療は、物理的に治療を行うよりも気力の消耗が激しい。その代わり、傷跡が残りにくいというメリットや、失った気力は遅くとも3日以内に完治するから連続して治療が可能。
しかしこれだけ大量にいる患者に対して、そのメリットは働かない。より迅速に、より正確に治療を施す為に、少なくなった人員も気を張ってしまって、また疲労で倒れてしまう、か。
悪循環だな。
「チェリーちゃん! ごめん、こっちに急患! 手伝って!」
大声で、チェリーを呼ぶ声が聞こえた。女性、かな。
「あ、は、はい! ごめんなさい、少し待っていてくださいね」
「・・・・ああ」
白いテントへ走り去るチェリーを見送り、再び、僕は辺りを見渡す。
重体、重傷の患者も多いが、それ以上に軽傷の者もたくさんいる。
おそらく、重傷患者を先に治療している為に、そちらの治療が間に合わないのだろう。
しかしこの軽傷というのが、実に油断大敵である。応急処置はされているものの、傷口にバイ菌が入ったらとても面倒なのだ。
・・・・。
「あの!」
と、途端に声をかけられる。
声のした方を見ると、服の一部に血が跳んでいる少女、チェリーがいた。
「・・・・チェリー?」
無論、それは返り血で、僕は何も聞かない事にする。
「あ、その。今ちょっと1人終わったので。でも、すみません、ちょっと、時間がかかりそうで。えぇと、案内はまた今度で良いでしょうか」
チラチラ奥の方を見やりながら、チェリーはバツが悪そうに、小さな声で呟いた。肘まである白くて長い手袋をはめた指を絡ませながら。ちなみに、手袋は薄いゴムのような素材っぽい。
「それは構わないけど。・・・・」
魔法による治療のメリットのひとつ、治療がすぐに終わること。
そして、治療の正確さはともかく、魔法に込める魔力の量によっては、一瞬で、かつ全体的に治療が出来る。コントロールを無視して、とりあえず此処らへんの傷を治療する、というような漠然としたイメージのもと放たれた魔法が、その空間ごと魔法をかける。
すると、余計な部分や物(例えば草や虫など)も治療してしまうが、要するに、一部を集中して回復させるよりも多くの傷を治療する事が可能だ。
まぁ要するに、何が言いたいのかと言うと。
「チェリー、此処にいるのって、全員軽傷で、後回しにされている人達、で良い?」
「え? あ、はい。腐食止め系の魔法などもかけられているので、殆どがただ待っているだけですね」
「・・・・ふぅん」
杖、というのは、いわゆる魔法具(マジックアイテム)だ。魔法を使う際、魔法を発動させる呪文を直接紙や空中に書いたり、魔法を発動させる時に場所の指定を行う為の標準となったりする。
ただ、魔法の呪文は口で唱える事も出来るし、指でも書ける。標準なんてものは自分からどのくらい離れているか、というのを漠然と、もしくは正確に把握すればいいだけのこと。
杖そのものに魔法の威力を上げる機能がある物もあるが、あいにくその類は使った事が無い。
つまり。
「じゃ、此処らへんの人達は、僕が治しておくよ」
「・・・・へ?」
ぽかん、とチェリーは口を開けて、それだけで「何を言っているの?」と言っているようだった。
―― 当然だ。
確かに、魔法に込める魔力の量を多くすれば広範囲に魔法をかけることが出来る。
しかし逆に言えば、範囲を広げれば広げるほどに魔力の消費量は多くなる。
チェリーが驚くのも無理は無かった。
此処らへん、というのは、少なくとも半径100mほどの範囲だし、その中に敷き詰めるようにして存在する人物の数は、1m四方辺りに1人とか、そういう生易しいものじゃあないだろう。
そもそも僕は、彼女に「止血程度なら出来る」と言ってあるのだ。
軍学校で習ったのは、物理的な止血方法。ある部分から血が出たら、ある部分を布や紐などで締め付けるといったもの。こういうのは、ちゃんと習っていないと実践できない。それに加えて、基本的な知識だけでは出来ない事も多々ある。
しかし、魔法はちょっと違う。基本的な魔法でも、魔力を通常より多く込めれば、上級魔法並みの威力が出てしまう。魔力を持て余す初心者魔道士が、基本魔法だけで威力やコントロールも達人レベルの上級魔道士を倒してしまった例があるほどだ。
―― 僕は『魔力を持て余した、基本魔法しか知らず、コントロールも出来ないタイプ』である。
「その、あの」
「治療しちゃダメな人とかいる? 元気になったら暴れて手に付けられないような人とか」
「い、いえ。いませんけど・・・・」
「なら、多分大丈夫」
コントロールは雑だらけ。端々で治療できない人が現れる可能性は高い。
でも、まぁ、大丈夫だと思う。
「此処、何m四方?」
「へ? あ、えぇと、確か235m×223mだったかと」
「・・・・思ったより広いね」
まぁ、とりあえずやるのみだ。
「えぇと・・・・『我、汝ヲ癒ス者。我ニ従イ我ニ属セ、我ノ手カラ汝ノ手ヘ』」
基本魔法は、小さい頃最初に習う魔法。故に威力は弱いしコントロールはあまり無くても良い。
呪文は、省略できる人もいるらしいけど、僕はあいにくそんな事の出来ない人間だ。
「基本治療魔法 Care Real《ケアリアル》」
魔法。それはこの世で最も小さな、生物でも非生物でも無いもの・・・・『精霊』により行使される力。
摩訶不思議で、それでいて現実的。
優しい使い方もあれば、とてつもなく残酷な使い方もある。
癒しの魔法は、優しい気持ちで使わなければ失敗する。
魔法は、何も考えていない時には失敗する。
魔力は、気力。
気力とは、精神力。
精神力とは、心。
心が描く複雑な感情は、そのまま魔法に表れる。魔法はいつだって心に正直で、不安がっていれば魔法の効果は薄くなるし、自信に溢れていれば効果が高まる。
癒したいと、願う。
優しい思い出を、心の奥から引っ張り出す。
そのまま、魔力と一緒に魔法へ変える。
・・・・ふわり、と。
魔法発動の瞬間と同時に、足元が暖かくなる。
足元から光る薄緑色の波紋が広がった。何回も、何回も、定期的に、連続して。フワフワと、小さな光の欠片を空へと舞い上げながら、波紋はどんどん広がって、施設を包み込んでいく。
球体を半分にしたような。そんな形の光のドームは、空へ舞い上がった光の欠片を、光で出来たドームの外側へ通さないよう包み込んだ。そうして、欠片は波紋となって再び広がっていく。
シュゥ、と、空気が抜けるような音がした。それは魔法が発動して、傷を治していく音。
薄緑色の光の中にいる、全ての人間、命。それらが負った傷の全てが、消えていく。
そしてやがて、その音が聞こえなくなる。
隣に立っているチェリーは、ただ辺りを見渡す事しか出来ていないようだ。
やがて光のドームも消えると、周りにいた人達は少しずつ状況を把握し始めて、ざわめき始める。
足に傷を負って動けなかった人が立ち上がり、ジャンプして感覚を確かめた。
目に傷を負って何も見えなくなっていた人が、包帯を取り、両目をまたたかせた。
腹に傷を負って声を出せなかった人が、座り直し、腹を触って歓喜の声を上げる。
その声に合わせて、多くの人間がその喜びに、声も、体も震わせる。
「な、な」
ついでにチェリーも震えている。
その目線の先には、ゾロゾロと出てきた、チェリーとほぼほぼ同じ格好をした少女やご老体。
あ、何かご老体に睨まれた?
「あ、あわわ、体力回復もしたのですか?」
「へ? いや、基本回復魔法を広範囲にかけただけだけど」
「きほ・・・・っ?! それはかすり傷を治す程度の威力じゃないですかぁ?!」
めいっぱい見開いた目と、精一杯開いた口と、一生懸命出された声。
うん、心底驚いた事は伝わった。
「な、何でそれで平気なの? 何で?!」
「何でと言われても、僕、人より魔力の量が多いみたいで」
「多いどころの話じゃないでしょ?! 何、今の何?!」
よほど混乱しているのか、チェリーは自身の口調を失っている。目はグルグルと渦を描いているし、さっきから震えたままだし・・・・って。
「ちょ、大丈夫?!」
「台詞はこっちの大丈夫で、貴方の大丈夫は魔法で、魔力の心が消費量で・・・・」
ダメだ、完全に混乱しきっている。
「僕は大丈夫だよ。まだ魔力はあるし。だから、だ、ぃ・・・・」
プツン。
あれ? 今、糸の切れるような音が聞こえた?
テレビの電源を切った時みたいに、視界が急に黒くなる。
あれ? あれ? 何だろう。
魔力が完全に無くなったらなる症状に、こういうものがあった気がする。
でも、僕はまだ魔力が残っているし。
何で? 何で?
なん・・・・。
で・・・・・・・・。
ぁ・・・・・・・・・・・・。
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