拾った。
ハッキリ言って暇だ。
アネモネはゆっくりとそんな事を考えながら、空を眺める。
背の高すぎる太い幹と枝。うっそうと茂っている葉に遮られて、地面から3mも離れると、既に太陽光は消えていた。昼間でも夜のような暗闇なのだ。
そのため、こういった森では、太陽光によって育つ植物は少ない。
この世界には『魔力』やら『精霊』と呼ばれる自然のエネルギーが存在している。それらは空中、地面、水などにも含まれている。
普通なら、植物は太陽光や地面の栄養分だけで生きて行ける。しかし、太陽光を浴びられなかった植物達は、太陽光の分まで別のエネルギーを摂取する必要に迫られた。
長い時間をかけて、大きな木の陰に生息していた植物達は、地面、水、空気中に含まれる魔力を大量に吸収して、それらを自らの糧とするように進化した。
結果。魔力が一定量以上集まると僅かに発光する習性が植物達にも移り、特に、本当に光の無くなる夜こそ足元が元も見えやすい状況を作り出した。
昼間に訪れるより、一見危険そうなイメージの強い夜に来た方が、凶暴かどうかはさて置き、動物の姿がよく分かるので便利である。
というのも、彼女― アネモネ=ストラツォ ―はとある団体に所属しているのだが、その団体は常に大勢の人が集まるのだ。食材が少なくて困っても、多くて困るという事が無い状態である。
肉でも野草でも、乾燥させてしまえば保存が利く。アネモネは食べられる物があれば持ち帰るのだが、それは昼間。というか、まだ昼前だった。ただでさえ暗く、強い草の匂いで獣の匂いも掻き消える。どんなに嗅覚が優れていようと、夜行性で昼間は寝ている動物を探そうなんて、無謀も良い所なのだ。
アネモネは嗅覚も視覚も、ついでに味覚や聴覚まで鋭敏ではあるが、いかんせん、面倒臭がりだった。彼女があえて、寝こみを襲うという事はしなかったのである。
そもそも、それはついでの仕事。彼女の本業は、別の物だった。
遠くの空が僅かに光り、アネモネの桃色の瞳に緊張が走る。薄桃色の肩まで伸ばした髪はポニーテールに結われ、結う為に使った赤いリボンの先端が揺れる。
リボンと言っても、丁寧に蝶結びにされているわけではない。動きやすさだけを求めているため、かわいらしさに何の関心も無く、選んだのは固結びだった。
取る時の苦労は何も考えずにやっている。
服は、色もデザインも質素なスポーツブラの上に、迷彩柄のタンクトップ。それに袖がボロボロの、デニムで出来たホットパンツ。茶色い革で出来たロングブーツはかなり使い込まれていて、所々継ぎ接ぎの跡が残っている。
いつでも何処でも動けるようにするための、彼女なりの工夫だった。
何故なら、彼女は仕事の都合上、動きやすい服で無ければならなかった。
その仕事だが・・・・。
ちょうど、相手が森に入ってきた所である。
暇を持て余していた彼女にとって、それは何よりも喜ばしい知らせだった。普段、誰も入ってくる事の無い不気味な森に入ってくる人間は限られるし、何せ複数人入ってきたその人間からは、刺すような殺気が放たれていた。
明らかな敵対心。
彼女は団体の都合上、長くその場所に留まっていた。さすがに1日中仕事をしているわけではないが、森の奥を拠点としたその団体が、ひとつ所に3ヶ月も留まったことは無いので、人が集まってしょうがない。それもこれも、戦争のせいであった。
そもそもその団体というのが、戦争で傷付いたり帰る場所の無くなったりした者達に対し、治療や食事を与える、いわゆる支援団体である。そのため、人が来れば迎え入れる。
今はその、来る人間が大量に押し寄せている。とはいえそちらは、多少殺気はあれど、怯えていたり不安になっていたり、と。殺気と言っても追い詰められた凶暴な動物やモンスターに対するおびえから来るものであり、決して鋭くは無い。
対して、アネモネが感じ取った殺気というのは、そういった怯えから来るものではない。統率された動きと、迷う事無く森の奥へ奥へと進む一定の速さ。
アネモネの、恰好の餌である証拠の1つだった。
アネモネは殺気の正体を慎重に調べるべく、殺気のある方へと向かって足を蹴った。
この森に生えている木の太い幹は、1本が大人4人でやっと囲い込める太さ。当然、枝も相当太く、1人や2人、10人乗ってようやくしなるような物で、アネモネが背負った武器を含めても、その枝葉びくともしない。
先程まで暇すぎてうたたねしていた枝から、近くの枝へ。一番近い物でも5mは離れていたのだが、地上10mの枝の上を、少女は軽やかに駆け抜ける。
そして、鋭い殺気が、痛いくらいに感じ始めて、アネモネは1本の枝の上で、静止した。
・・・・。
黒い、見覚えのある制服。ツバのある帽子まで揃いで、違いがあるのは体格と髪型。しかも、体格だけで見分ける事は少々難しい。
揃いの軍服を着込んだ5人ほどの兵隊が、獣道も通らず、草木の生い茂る林を掻き分けながら進んでいたのだ。その目に生気は無く、ただ周囲を警戒して鋭く光っている。
訓練を積んだのだろう。文字通り低木を掻き分けて進んでいるにもかかわらず、驚くほど気配が無い。おそらくそういった魔法か何かを使っているのだろう。
アネモネはそこまで分析して、なお観察を続けた。
すると。
「―― こちら、調査隊。定時報告。異常なし。かなり奥まで進みましたが、敵影はありません。現在、森の調査を妨げているという者達の拠点は発見できておりません。調査を続行します」
一番後ろにいた兵が、小さな手の平サイズの箱にしか見えない何かを取り出してそう話す。
通話機、というものだ。魔法ではなく、科学の力で遠くの誰かと話すための機械。
口調からして、上司に対して行ったらしい。
『―― こちら本部。了解。人間の拠点は、発見次第占拠せよ。敵の拠点で無ければ捕虜は必要ない』
「了解」
会話の内容が、箱の向こうから漏れ出た。
そして、その通信が切れた瞬間、アネモネは動き出す。
太い枝の先端にあった、細い枝。それをむしり取り、丁寧にしまわれる直前の通話機を狙って投げる。
「ぎぅ?!」
丈夫な枝は、弓矢に劣らぬ鋭さを以って通話機ごと兵の手を打ち抜いた。
「っ、戦闘態勢。陣形Dだ!」
冷静だった瞳に、焦りが見えたのも束の間。手から血を垂れ流していた兵は、すかさず布を取り出して、手に巻きつけてきつく縛る。そして、腰に提げた剣を素早く抜いて、陣形Dの位置へ移動した。
アネモネはというと、枝を投げた場所とは別の枝の上で観察していた。
こいつらは少なくとも、敵と呼べる。
そう確信して。
―― かくして、彼女の蹂躙は始まった。
まるで重力が無いかのごとく静かに降り立つと、兵士達はアネモネのいる方へと身体の向きを変える。そんな彼等の目に最初に映ったのは。
彼女が持っていた、武器だった。
程よい筋肉のついた、しかし細い腕。その腕でどうやって持ち上げているのか、肉厚で持ち手も太い、まるで鬼が持っていてもおかしくないような、大剣。
少女は軽々と持ち上げ、あげく片手でクルクルと回してみせる。
兵士達は、戦闘体勢を作ったものの、戦う前から一瞬にして知る事となる。
この件に、関わってはならない、と。
否、関わってはいけなかったのだ、と。
「ひぃ・・・・っ」
戦闘準備を喚起した青年が、ノーモーションで放たれた彼女の攻撃によって、縦に真っ二つにされていたのだ。まるで何事も無かったかのように、アネモネは元の位置にいる。
なのに。
本人すら気付かない内に、上から下まで、構えていた剣でさえ、綺麗に。
「うん」
そう満足げに頷いたアネモネの持つ剣には、僅かに赤黒い液体が付いていた。
それを見た兵士達は、初めて焦りとは違う、恐怖をその目に浮かべる。
気が付くと、先程通話機を持っていた青年だけが、立っていた。
最初の彼と同じように、他の3人は倒れていた。
「あは、いいねぇ」
「・・・・化け物め」
最後に残った『少年』は、冷や汗を垂らしながら呟いた。
「はっ、アタシを見て喋ったのは、アンタが初めてだ」
「見逃す気は・・・・無いようだな。愚問か」
「そぉいう事。アタシ等の事を誰かに話されるわけには行かないのよ。ま、アタシじゃなかったら、記憶を消すなり脅すなりして返してくれただろうけど」
「なるほど、合点がいった。どうりで帰ってきた者はまともな情報を得ていなかったわけだ」
兵士は帽子を投げ捨てると、上着も脱ぎ捨てた。
「? あぁ、アンタ、学生かぁ」
「ええ、僕に支給されたのは正式な調査隊の上着のみ。正式な軍人ではないのでね」
見れば、彼の黒いパンツに入った線は、他の軍人の金色とは違い、銀色だった。縦に刺繍された銀色の線が、彼の身分の低さを物語る。
何より、上着の下の白いワイシャツには胸ポケットがあるのだが、軍人であればそこには国を表す国旗のマークが刺繍されているはず。しかし、彼のシャツには別のマークが刺繍されていた。アネモネは興味本位でそれを見ると、何とかスクール、と書かれている事は分かった。
彼は、学生。軍人として出陣しているが、軍人になる前段階という事なのだろう。顔立ちも幾分か幼く、成長しきっていない。
「きっと、逃げても追いついてくるでしょうね」
「そうだな」
「なら、出来うる限り抵抗するのみです。僕も、逃げるわけには行きませんから」
不敵な笑みを浮かべると、少年は剣を構え直した。
「良いぜ、久々に面白い事が起こりそうだ。手加減してやるよ!」
強大な剣を構え、アネモネは裂けそうなほど口の端を持ち上げる。
ガサリ。
小動物か何かだろう。茂みが僅かに揺れる音がした。
その音が聞こえた瞬間、2人は同時に踏み込んだ。
・・・・30分後。
アネモネは、森に入ってきた『脅威』を『殲滅』した後、辺りを見回す。
彼女の元に敵が来るというのは結構珍しい事で、ついつい戦闘を長引かせようと考えてしまったのだが、気が付けば最初の場所からは結構離れていた。
帰る途中で雨が降ってきたようだ。最初は木の葉に留まっていたのだろうが、隙間の無い木々の隙間から湧き水のように雨水が流れている事から、森の外では滝のような雨が降っているに違いない。
いずれ土砂降り程度に空から降ってくる。
その前に、もう一仕事終える必要があった。
自分が殺めた者達の遺体を、まとめて森の入口付近まで持っていくのだ。いつまでも放置しておくと同じ場所に人が来て、遺体の検分やら土地の調査やら、無駄に長く敵を留まらせる事になる。
遺体を現場とは別の場所に捨てる事で、戦力の分担を図っているのである。
この労力の消費が無駄に終わるかそうでないかは、完全に運任せ。この辺りが危険だと判断して、少しでも来訪者が減れば御の字だ。
そう考えながらアネモネが戻ってくると、雨が降っている事以外は何ら変わらない景色の中で、違和感が1つ。元から敵影は5だが、1つは今しがた遠くで片付けてきた。
しかし、そこにある人影が5つ。どう考えても、1つ多いのである。
「・・・・あ?」
アネモネは、目の前の少年に話しかけていた。
話しかけた、と言うにはあまりにも短く、話しかける単語にすらなっていないが。
不覚にも返り血をたっぷり浴び、その上雨が大量に降ってきたせいで、鼻も目もいつもより機能性が落ちている。
とはいえ、つい30分ほど前までいなかった少年が現れたのだ。へたりこんで、木の太い幹にもたれかかった少年が。
アネモネは興奮状態で襲い掛かったものの、どうやら少年は、アネモネが殲滅した部隊の人間ではないようだという事に気付いた。
雨のおかげで機能性は落ちていたが、だからこそ嗅覚も視覚も異常に鋭くしていた為、気付けた。
転がっている連中は、全員大人で笛を持っていたのに、こいつは笛を持っていない上に子供。
黒い軍服に銀色の装飾。装飾の色が先程見た少年の物と同じ色だが、胸に縫い付けられた帝国旗の紋章はこいつが帝国軍の人間であるという事を決定付ける証拠だ。
やはりこいつは、この小隊の人間ではない。とりあえず『におい』が違うから。
もっとも、アネモネの仕事は帝国の奴だろうが何だろうが、とにかく『此処』を襲う奴等を殲滅する事。その少年もおそらくは例外ではない、の、だが・・・・。
何故か、アネモネは彼を前にして、体全体の動きが鈍った。
何せ初めて感じる感覚で、とにかく「殺してはいけない」と、ムリヤリまともな思考を取り戻す。
「・・・・」
アネモネの持つ武器を見れば、大抵の奴は慌てふためいて背中を見せる。
酷い時には親の名前か何かを叫んで、そのまま気絶する。
ところが、少年はどうだ?
思考を放棄して呆然と見つめるならまだしも、狂気を孕んだ笑みを浮かべているアネモネの事をしっかりと睨みつけ、あげくその瞳には一点の邪気も無い。恨みを孕んだ睨みを返される事はままあるのだが、こうも興味深げに見られたのは初めての事だったのだ。
「―― お前、何で怖がってねぇンだ?」
彼の目は、アネモネを怖がっていない。その瞳に何かしらの強い意志を宿している。それが何なのかは、アネモネの知る由ではない。
だが、ガクン。と、目の前の少年は崩れる。
あまりにも唐突に少年の身体の力が抜けて、アネモネは咄嗟にその身体を支えてしまっていた。
・・・・よくよく見ると、あちこちに傷が付いている。しかも、迷いながら切ったのか、致命傷ではない箇所ばかりから血が出ている。これでは変に寿命が伸びてしまう上、自分の身体が死んでいく感覚を延々と与えられてしまう。
(慈悲の欠片もねぇ切り方だな、こりゃ)
事情を知らない者から見れば、こういった意見が出る。
帝国の人間は、魔法を嫌う。と、アネモネは知っていた。嫌っているというよりも、科学を優先して発展させているだけなのだが、同じ事だ。
大きな魔法は使えない。基本魔法でも覚えていれば珍しいほど。
しかし、アネモネが感じ取れる範囲で言えば、その少年は持っている魔力の量が異常に多い。生死の境をさまようと自分の力が高まるらしいが、魔力も例外ではない。しかし、それにしては魔力の量が異常に高すぎなのだ。
普段の魔力が粉雪だとして、イキナリ雪崩を起こすほどの雪が集まるわけが無い。
何が言いたいのかというと、これだけ魔力を持っているのなら、回復魔法の1つでも覚えていて、勝手に使って回復できるはずだ、という事である。
それを思いつかなかったのか何なのか、少年はボロボロだった。
「・・・・敵じゃ、なさそうだよなぁ・・・・」
むしろ子供のくせに戦争に放り込まれたのだ。どちらかというと被害者である。
この傷じゃ放っておいても死ぬだろうし、此処で死なせた方が案外慈悲深いかもしれない、と、思わなくも無い状況なのだ。
―― でもなぁ。
『此処』は『此処』だからなぁ・・・・。
死んでいない、生きられる可能性がある。
そういう奴は「連れて来い」と言われているし。
・・・・。
うん。
よし。
・・・・連れて行くか。
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