ユメの外

 突然ですが、質問します。


 問1.

  貴方は、走馬灯を見た事はありますか?


 僕はありませんでした。というか、あった人なんてそうそういませんよね。


 問2.

  貴方は、死にかけた事がありますか?


 僕はありませんでした。というか、これ、以下同文的な質問ですね、はい。

 回答と言えるかどうか分かりませんが、僕の場合、命が危険にさらされる事なんて、生まれてからの13年・・・・これまで1度たりともありませんでしたとも!

 このところ(厳密に言えば3年ほど前からですが)僕の住む国、ベルリーズ帝国は戦争が続いています。だから、一応命の危険は感じていましたよ?

 しかしですよ?

 実際に戦地へ行く軍人と、自分達を守ってくれる背の高い外壁がある町の人間じゃひどく差があります。当然の事ですが、僕は今までそういう命の危険を、本当の意味で感じた事が無かったのです。


『今日はいよいよ実習だな!』


 脳裏をよぎるのは、やけに楽しそうな僕の親友の声。それは、僕が此処に来る30分ほど前の事。


『初実習が本当の戦地というのもどうかとは思うけど』


 そしてこれは僕の声。弱々しく、自信なさげで、小さい声。

 それはベルリーズ帝国軍付属学校での会話。僕はいわゆる入学から二年目の準新人で、何故かエリートクラスに振り分けられた落ちこぼれの学生だった。しかしそんな僕の成績なんて考慮されるわけも無く、中等部の普通科の生徒はともかく、エリートクラスの生徒は戦地へ出撃せよと命令されたのだ。

 普通科の生徒は、今頃のん気にお勉強でもしているのだろう。エリートクラス、正式名称特攻科は、勉強か戦力のどちらかで秀でていれば入れる学科だ。しかし、人数合わせのために普通科希望の生徒が多々放り込まれるのである。

 僕は放り込まれた側の生徒。勉強は出来ない、戦力にもならない人間だ。有効活用できるとすれば、僕を肉壁として使うぐらいだろう。・・・・僕の入った部隊は、それをする前に殲滅されてしまったが。

 特攻科の生徒は、中等部生でも並の軍人よりは強いとされている。僕みたいな元普通科希望生徒との割合は3対1。その4分の1の生徒は、後方から前衛まで、様々な部隊に配属されている。

 僕は『運良く』後方支援部隊に配属され、そして『運悪く』敵の精鋭部隊と鉢合わせてしまった。

 ・・・・。

 現れた敵は男性5名。全員が剣を持っていた。こちらも同じく男性5名編成だったが、敵と違うのは武器が銃だったという事。そして、敵の1人が重そうな鉄の鎧を着こんで、美しいとさえ思える白い毛並みの馬に乗っていたことだろう。

 敵を目の前にして見とれてしまうほどの美しさだ。帝国では見た事の無い白い毛並み、更に軍でただ強く鍛えられるだけの馬と違ってよく手入れされ、僅かな明かりにキラキラと反射している。

 もう一度言おう。僕は、仲間である4名の軍人が敵に突進する瞬間、あろう事か敵の乗っている馬に見とれてしまっていた。

 気が付くと、目の前から温かな何かが僕の頬や首にかかった。

「う・・・・?」

 バチャリ。突進したはずの4つの人影が、一瞬にして力無く雨で濡れた泥に埋もれた。

「あ、ぁ・・・・」

 あれ。泥ってこんなに紅いものだっけ。先日の雨で泥と化して冷たいはずなのに、何でこんなに温かいのだろうか。

 頬を素手で触り、首にかけて指を落としていく。ヌルリとした感触と、僅かに口に入った鉄の味が、ツバと共に喉の奥へと入り込む。

「ふむ。敵影はもう無いな!」

 馬に乗った、敵の中でも最も身なりの良さそうな奴がそう叫ぶ。

「まだおりますよ。小さいのが」

 横にいた誰かが、奴に言う。

「むむ? おぉ、すまない。我は女と子供が目に入らぬのだ。とびきり小さい奴とかなぁ。がぁっはっはっはっはっは!!!」

 下品な笑い声が響く。

 編成された隊の中、1人剣を抜いていなかった僕は、未だ仲間の『血』に驚いて、呆然としていた。

 こいつは危険だ。人間としての本能はそう叫ぶ。

 けど、心も身体もそんな声とはちぐはぐに、逃げなければならないという思考はそっちのけ。身体は動きそうも無い。

「ふむぅ。まぁ」

 そしてやっと目を動かす事が出来た時、もう逃げていなければおかしな瞬間だった。

「これで敵影はもう無いな!」

 瞬間。体中が冷たくなった気がした。

 体中が、一気に凍りついたような感覚。

 一瞬思考が完全に止まり、身体がゴトリと崩れ落ちる。

「む?」

 そのまま、僕はその場に座り込む。いや、偶然にも座り込んだような姿勢で、身体に力が入った。そのまま倒れこんでいれば、あるいは、危険は少なかったかもしれないのに。

 音も無く、剣で斬られた。抜く瞬間から斬られる瞬間まで何も見えなかったけど、体中に走る鋭い痛みと流れ出る血が、剣で斬られたのだと言わんばかりに主張する。

 額、頬、腕、手、胸、腹、背、足・・・・。微妙に急所を外した攻撃。服と皮膚よりも内側数ミリを切り裂いた無数の切り傷から、僕の血が滲み出る。

 漆黒の制服が、紅く染まっていく。

 ゆっくりと、じんわりと。

 僕は、痛みを感じる暇も無く、痛みを感じ取れないほどのダメージを負ったらしい。あまり動いていないはずなのに、酸素の足りなくなった老人みたいな、空気のかすれるような音が、僕自身の口の辺りから聞こえてくる。

「隊長?」

 先程の攻撃。僕よりもずっと高い実力者である軍人を一蹴したにもかかわらず、何故僕はまだ生きているのか。

 さっきから隊長らしき人物の横で喋っている人も、疑問を抱いたらしい。

「戦意を失った上に、そもそも争い事に不向きな子供、だな」

「・・・・は?」

 僕は力を振りぼって見上げる。そこには僕を、そこら中にある石同様に見下ろす、白馬の騎士がいた。

「ちょっと隊長、トドメ」

「うむぅ。しかし、このような子供を手にかけるのは、やはり気が引ける」

「はぁ?」

 先程もこの騎士の横にいた兵士が、信じられないと言うかのような表情をした。

 その顔になる理由、よく分かる。

 子供だから殺したくない、なんて。戦争中に何を言っているのだろうか、この人は。僕と会う前に、散々色々殺してきただろうに。

 目の前で、たった今、子供には違いないような、若者を殺したくせに。

 何で、今更―― ?

「言ったであろう。戦意を失った上にそもそも争い事に不向きな子供は、手にかけたくないのだ」

 かなりピンポイントな善意じゃないですかそれ?!

「はぁ・・・・後でどうなっても知りませんよ。というか、放っておけば死ぬケガですし。いずれにせよ、時間が経てばここでし」

「さぁ行くぞぉー。憎き帝国のゴミ共をぶった切れー」

「・・・・言葉を遮らないでもらえますか」

 いやに冷静に、兵士は僕を見下ろした。しかし睨むでもなく、哀れむでもない視線に、僕はたじろいだ。ただ身体が上手く動かなくて、実際には若干後ろに体重をかけただけ。

 本当に、それで敵は僕の横を過ぎ去った。

 僕にはそれを、止める事はできなかった。

 だから、僕だけが生き残ってしまった。

 だけど、そのままじゃ僕は、血の出過ぎで死んでしまう。

 別に、死ぬ事に対して未練は無かった。だって僕、軍内最弱の落ち零れだもん。

 そして、僕はどうやってか、僅かに戦地から見えていた森に辿り着く。

 うっそうとした森。隠れるには最適だ。もしかすると、同じ帝国軍がいるかもしれないし、敵がいたらそれまでだ。本当なら、さっき・・・・。

「・・・・っ!」

 そして・・・・悪い意味で、僕の予想は裏切られた。

 そこにはたしかに、帝国軍の仲間らしき人の影があった。

 けど。


 ―― そこには、僕のいた部隊と同じような目に会わされたであろう者達が転がっていた。


「ひぅ・・・・っ」

 時は夕暮れ。木々の陰も重なって視界が悪い中、数歩後ずさりして木に当たり、ズルズルと座り込む。

 ポツリ。冷たい何かが頬を伝った。涙なら温かいはずだから、これは空の上から零れ落ちた物。

 出撃時から既に曇天に『恵まれていた』天候は、今になって雨天へと切り替わる。

 太陽が出ていれば視界は光によって遮られる。そして、その光が強ければ強いほど影は濃くなり、影の中にまぎれた敵兵は見つけるのが困難だ。大胆な攻撃を多々含む作戦を立てる事の多い帝国は、それで晴天を望まない。

 更に、他国が魔法と呼ばれる力を多く使うのに対し、帝国は魔法をあまり必要とせず戦える機械を使う。機械は水に弱く、銃等の火薬を使う武器を扱う帝国からすれば、雨天は極力避けたいのだ。

 ポツ、ポツリ、パタッ。服にしみこんではすぐに乾くような弱い雨。それはすぐ大きな音を立てて、雷と共にザァザァと降り始めた。

 多少の雨なら閃光弾や銃なんかも使えるだろうが、ここまで降ると発火も難しいだろう。視界が悪くて敵も遠距離攻撃しづらいから、動けない今の僕にとっては恵みの雨か。

 ・・・・。

 人生を振り返る地点というのは、案外多い。しかし、人生を振り返ってみる行為は、案外少ない。

 今僕は、2回目の走馬灯を見ている。


『またな』


 僕の親友は爽やかな笑顔が実に印象的で、エリートクラスは勿論、一般クラスの生徒や、学年どころか、軍内で最弱と言われた僕に話しかけてくれた。他の誰も、内申点に響くかも、なんていう不確実な理由で、僕なんかと話そうとも、近寄ろうともしなかったのに。

 弱さは、罪である。

 強さは、正義である。

 最弱は、罪人と同等の最悪の汚名であり、僕はその罪人と同等の価値である。

 会話する必要は無い。会話する事は罪である。目を合わせるな。目を合わせてはいけない。

 彼等は、強気帝国に不要の存在なのだ。


 ―― 弱き者に情けはいらない。


『そんなの関係無いって!』


 そう、彼だけは、そう言ってくれた。

 しかし、彼は今此処にいない。僕は1人で、この局面を乗り切らなければならない。

 突如として僕の目前に現れた『少女』は、信じられない事に『彼』と全く同じ武器を得意としているようだった。

 身の丈ほど、もしくはそれよりも大きな、大剣。

 銀色の金属で綺麗に装飾された柄よりも、その幅の広い刃に目が行く。

 よく手入れのされた、光沢のある剣。

 それを軽く担いで、少女はにんまりと笑う。

「みぃーつぅーけたぁっ♪」

 楽しそうに、その少女は言った。

 桃色の髪を持ち、この大剣をどうやって振るうのか想像出来ないほど細い体躯。雨で冷えてしまわないか思わず心配してしまう、ヘソ周りに布の無いオレンジ色のキャミソール。デニムのホットパンツ。茶色いブーツには焦げ茶色のシミがついている。

 おそらく。いや明らかに、この惨状を生み出したのは彼女なのだろう。

「まぁだ獲物が残っていたのかぁ。戻ってきて正解だったなぁあ?」

 剣を担いでご登場の少女は、その顔に狂気を含んだ笑みを見せる。楽しそうな、それでいて愉しそうな。確か異常に虫好きな化学の先生が、時々こういう顔をして語ってきたような。

 あぁ、僕は、彼女に殺されてしまうのだろうか?

 見れば見るほど、その剣は大きい。ただし、僕の唯一の親友が持っていた剣よりも若干短いかも? 普段だったら避けられたかもしれないね。

 今は。そう、今は、この森まで来るのに体力を使い切ってしまっていた。

 その上、ここまで来られたのが奇跡的なくらい、僕は傷を負っていた。

 満身創痍。

 今は正にその状態。滲んだ血の色がその証。

 ただ、敵が僕みたいな『戦意を失った上にそもそも争い事に不向きな子供』を手にかけたくないというあまりにピンポイントな善意を持っていたために、何故か生き延びたに過ぎない。

 絶体絶命。

 こういう時の事をそう言うのだろう。

 偶然生き延びた。

 だから今度は、必然的に殺される。

 文章は繋がっていないけれども、偶然生き延びられたのであれば、本当なら死んでいた事になる。

 ほんの少し、寿命が延びただけなのだ。時間にして3時間と23分ほど。

 2回も走馬灯を見たのだ。もう、コレきりにしてほしいと願わなくも無い。

「・・・・あ?」

 少女が笑顔を取り下げて、イラついたような、何か訳の分からない物を見たような声を出した。

「・・・・」

 じぃ、とこちらを睨んでくる。

 あぁ、やはり殺されてしまうのだろうか。此処で死んでしまうのだろうか。

 そもそも、僕は孤児院の出だし、軍でも最弱なのだから、弔いたいと思う人はいないだろう。

 此処で死んでも、悲しむ人なんていない。それはそれで悲しい事で、でも、誰かの事を思わずに済む分、少し軽い。

 ・・・・けど。

 そうだ、彼なら。

 僕の、唯一の親友だけは・・・・。

 前言撤回だ。僕が死んだら、悲しんでくれる人はいる。

 彼、だけは・・・・。

 ・・・・。

 ・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

 そして僕は、悪夢の中へと引きずり込まれる。

 僕と、僕を僕として見てくれた、唯一の親友との夢。

 あんな夢を見るくらいなら・・・・僕は、自ら死を選ぶだろう。

 でも。

 そんな絶望的な夢は、僕がまだ、生きていられるかも知れないと。

 そんな希望をも、僕に持たせた。


 皮肉な事に、あの夢が現実にならなかった事など、ただの一度も無かったのだから。

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