8-03

 昼の暑さはすっかり収まり、一転穏やかな春の夕暮れとなっていた。


 駅前商店街は、人でごった返していた。下車した乗客が狭い出口から溢れ出て、不自然なリズムで混雑の度合いが変わる。


 ずっと買い物はゆきのとめぐみまかせで、あたしはこの商店街をよく知らない。行きがけに、ゆきのに安い肉屋を聞いてきたが、ガラスケースの中に並ぶ赤いカタマリのうち、どれがよくてどれが悪いんだか、よくわからなかった。店の親父に勧められるまま、値段が高いのを一キロ買った。女四人で、一キロも食べるかな? いいや、余ったら明日のオカズになるだけさ。


 豆腐。春菊。ねぎ。白菜。えーっと、しらたきは譲歩しよう。しいたけとえのきは両方買った。キノコは種類が多い方がいいだろ。それからもちろん麩。しみこんだ麩がなくてすき焼きが語れるものか。


 いろいろ買い込んだ後に、こっそり缶ビールを仕込んだ。後でさおりだけ誘って飲もう。


 しこたまポリ袋をぶら下げて、商店街を抜けていく。近所だからって、トレーナーとつっかけ履きで来るんじゃなかった。これじゃどこから見ても主婦だよ。ヤンママってやつ?


 大通りと、商店街との交差点。細い抜け道も合流している場所で、歩行者信号が青になるまで、待ち時間が長い。買い物帰りのヤンママ姿のまま、立ち尽くした。


 ごうごうと音を立てて四トントラックが行き来する。


 右に知らない主婦が、左に知らないサラリーマンが、前に知らない学生風の男が、それぞれ立ち尽くして信号が変わるのを待っている。みなあたしより、背が高い。


 不意に、深い孤独感に襲われた。


 右隣と、左隣と、そして目の前に立ちはだかる背中から、急に影が迫ってくるような気がした。あたしはうつむいた。それは、今までに感じてきた孤独感とは少し異なるものだった。


 今までと同じなら、もうあたしは気に病まない。クリスタルと雑踏の中で会話したときのような、不特定多数の群集のプレッシャーを感じることはない。


 今あるのは、周囲にいるあなたと、あなたと、あなたとに、何もつながっていない事実への哀切だった。あたしと彼らをつなぎうる、あるいは切り離しているものは、何だろう。


 そっと、問いかけの視線を投げた。


 あなたは生きていますか。


 あなたは、ほんとうに、自分が生きていると言い切れますか。


 あなたは、ほんとうは、ローズフォースではないのですか。


 あたしとは別のロウシールドに包まれ、あたしとは別の敵と戦うローズフォースではないのですか。あたしがつながりを信じたものとつながる可能性を知らず、クリスタルのような誰かの誘いの言葉を延々待ち続けているのではないですか。心や価値観を彼に預けたままで、いつ終わるとも知れない戦いを繰り返しているのではないのですか。


 息をして、血潮が流れ、友と語らい、毎日が過不足なく過ぎたとしても、それは生きていることの証明ではない。ブルーローズの言葉を思い返す───あなたは、それが生きている証明だと、ほんとうに思っているの?


 事故る前のあたしのような人間はもっとたくさんいるはずだ。どんなふうに生まれ育ったなら、彼女のその問いに胸を張って答えることができるだろう?


 この世はそんな、まず可答性を探さなければならない問いに満ちている。答えられるカギがどれなのかすらわからず、いつまでも白いままのクロスワードだ。


 クリスタルのような誰かは、可答性の存在を知らない。あらゆる問いは人によって答えが変わりうることを知らない。問いには必ず普遍の答えがあると思っている。彼はすべての対象に等しい問いかけをし、最も望ましい回答を引き出そうとする。


 人間ですらない者が、普遍的な人間を目指すなんて、どだい無理な話だ。


 ブルーローズは、冷たい口調で難しい問いかけをするけれど、その問いに答えられない者がいることを、とてもよく知っているような気がした。彼女と出会い、戦う理由と力と仲間を与えられたあたしたちは、幸運だったに違いない。


 けれど不運なる別のローズフォースたちは、ロウシールドの破壊を求めて永遠にさまよい続ける。それは、深い深い孤独感をもって接する事態に違いなかった。


 信号が青に変わって、世界は動き出した。人の流れが行き交う向こうの東の空に、赤みがかった月が浮かんでいる。ローズムーンだ。その名を思い出して、苦笑する。あたしは横断歩道の流れに逆らって数瞬立ち止まり、その妖艶な十六夜の月を見つめた。


 地球に永劫寄り添い続けると思われている衛星は、すでにこの星を見限って、異星人の手によって善意の武装要塞に変わっている。その事実を、誰も知らない。知っているのかもしれないけれど、誰も口にしない。


 あたしは、今の立場をありがたく受け入れるべきなのだろう。これから迎えるささやかな宴、そしてその先に心安らぐ時間があることを無邪気に喜ぶべきなのだろう。


 その感覚を永遠に味わうことがない死者たちの嘆きに、気づかないふりをして、何もかも忘れて。

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