8-02
夕暮れ時、あたしが部屋に戻った後に、ゆきのとめぐみが帰ってきた。
「祝勝会を、しましょう」扉を開けて開口一番、ゆきのはそう切り出した。「今日だけはちょっと奮発して、夕飯はごちそうで」
道すがらめぐみといっしょになって、ふたりで話して決めたことらしかった。
「祝うモノか? あれが?」
「祝うというよりは……その、私にとっては、区切りをつけるための儀式です」
「儀式?」
「もえぎのお葬式」なるほど。「彼女のこと、私は忘れたりしませんけど、この星にとってはあの四つの存在はもう忘れ去られるだけでしょう。せめて私たちが別れの儀式をしてあげないとあんまりに寂しい気がして。
……あぁ、ごめんなさい、湿っぽくするつもりは全然ないんです。私たちは勝ちました。お祝いです、お祝い。賑やかにやりましょう」
「やろうよ、みずきお姉ちゃん!」
自分の部屋にランドセルを投げ込んで、心構えを準備万端お手伝いモードに突入させているめぐみ。にこやかな表情を見ながら、あたしはそっと彼女の葬式を思い出した。別段ゆきのに限った話じゃ、ないか。
「そうだな。……区切りってもんが、必要かな」
やったぁ、とめぐみとゆきのが手を叩き合わせる。
「さおりの意見はどうだろうな?」
「あの人がタノシーこと嫌いなわけないでしょう」ゆきのが決めつける。それは間違いない、うん。「寄り道しないで帰ってくるようにメール打っときます」
「で、ごちそうって何にすんだよ?」
「お祝いだったら、ケーキでしょうか?」ゆきのが言うと同時に、「すきやきー!」めぐみが元気よく叫んだ。
「……ケーキにすき焼きはねぇだろう」と、あたし。
「じゃ、みずきお姉ちゃんは、何がいい?」
「そりゃあおまえ、」めぐみに訊かれて、あたしは少し考えてから、言った。「きゅーっと冷えたビールを……」
「……ダメです」ゆきのが渋い顔をした。
「祝いの席なんだろ、正月のおとそといっしょじゃんかさ」
「おとそだってダメなんですよ?」
「飲んだことねぇくせして……」そう言いかけてあたしはふっと気づいた。「だいたいさ、ゆきのって、すき焼きだのケーキだの食ったことあんのか?」
ゆきのは考え込んでしまった。しばらくして、恥ずかしそうに、言った。「……病院じゃずっと食事制限されてたから……」
「誕生日とかは?」
「小さいケーキを、一個だけ」
なるほどね。ゆきのはそもそも、祝いの席で盛り上がったことがないんだ。そういうので楽しんだことがないんだな。……盛り上がりを優先するなら、やっぱ鍋だろう。
「なら、すき焼き、食わす! ビールも飲ます!」あたしは宣言した。「うまいものが何か教える! いい機会だ、いいかげんマイしょうゆなしにメシが食いたい」
「決まりー!」めぐみがバンザイした。
「でも、ビールはダメです」……つれないなぁ。
すき焼き初体験となるゆきのに、具の決定権を委ねるわけにはいかない。
ところが、あたしとめぐみの交渉が完全に決裂した。肉。シメはうどん。メインの部分は問題なかった。しかし、「ねぎ」「うん」「白菜」「うん」「とうふ」「うん」「えのき」「うち、しいたけだったよ?」「まぁいいじゃん。次、くずきり」「なにそれ?」「しらたきの親戚みたいなん、あるだろ」「知らない知らない! ふつうにしらたきにしようよ」「そうか?」「後は春菊くらいかな?」「麩、忘れんなよ」「麩?」「麩」「麩って麩?」「麩!」
あたしたちは、はじめのうち何が噛み合わないか理解していなかったが、やがてあたしのこのひとことではっきりした。
「ワリシタ? なに、それ?」
「……知らないの?」めぐみはしばらく凍り付いていた。「……あのさ、お姉ちゃん、別の料理の話してない?」
「すき焼きはすき焼きだろ」あたしは答えた。「油を敷く」「うん」「肉を焼く」「ちょっとたんま。そこで割り下」「だから何、それ?」「割り下っていうつゆを入れて、肉は煮るの」「ちょい待ち。それじゃすき『焼き』にならんだろうが」
見かねたゆきのが口を挟んだ。「すき焼きは関東と関西で違うと聞きますけど」
「……お姉ちゃん、もしかして関西人?」
「いぃや?」
「お母さんは?」
「確か、神戸」
……あたしもめぐみもすき焼きとはどこでも同じものだと思っていたのだが、実際には家庭差・地域差が雑煮並みに極端な料理らしい。で、あたしがすき焼きだと思っていたものは関西に多いタイプのようだった。めぐみがはぁっとため息をついた。
だが、あたしはすき焼きといえばこれしか知らない。───こういうときのためにリーダー特権はあるのだ。あたしは高らかに宣言した。「あたしが仕切る!」
「鍋奉行だぁ……」めぐみが頭を抱えたが、かまうこっちゃねぇ。
その代わり、食材の買い出しはすべてあたしがやることになった。
めぐみに、近くのディスカウントストアでカセットコンロと燃料を買ってくるよう頼んで、あたしは駅前商店街へと向かった。
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