8-04

 あたしは、鍋料理というモノは肉を争奪する戦いの場と心得ている。しかしながら、その得心をこのメンツに振りかざして肉をがめるのは、地球上で肉体を持たない精神体と同じくらい、許されざる罪悪に違いない。


 もっとも、鍋の周りは食べる前から別の意味で戦争になっていた。なに、鍋は賑やかがいちばんさ。


 「なんでそんなにどさどさ砂糖入れるんですかぁっ! ゼッタイ体に悪いです!」


 「やかましい! 体にいい悪い関係ねぇ! 白菜から水が出るからいいんだよ、味付けはあたしにまかせろって!」


 「それでも甘過ぎるよコレ……なんとかなんないの?」


 「だったら醤油をもっと入れるのっ! うぉりゃーーっ!」


 「ああああああーーーっ!」


 「どーでもいーじゃん味なんてテキトーで。まだぁ?」さおりがつんつくつんつく溶き卵の小皿を箸で叩くところへ、


 「……なんの騒ぎですか、これ?」部屋の隅にワープアウトしてきたのは、サンフラワーだった。


 「よぅ、ヒマワ……」菜箸を振り回してちゃぶ台に迎え入れようとしたところへ、思いがけずもうひとつのワープエフェクトが生じた。もうひとり誰か来る?


 ……現れたのは、襟の立った紺のブラウスに白衣、黒のタイトスカートが均整取れた体のラインをぴしっと浮き上がらせてどことなくエロティックな───そしてストレートの長い黒髪。


 「ブルーローズ!」


 あたしたちが通信スクリーンを介して呼んだのは、サンフラワーだけのはずだった。


 「サンフラワーがどうしてもと言うから来てみれば、これはまた大げさなことね」


 ゆきのとめぐみが思わぬ来客に手を止めた。あたしはすかさず砂糖と醤油と調理酒をだばだば放り込んでさらに濃い口に仕上げた。


 「あ、あの、えっとその、はじめまして!」めぐみが緊張した面持ちで立ち上がって、びしり気をつけをし、深々と頭を下げた。そっか、めぐみは初対面のとき我を失っていたから覚えてないんだ。長い黒髪のオトナっぽさに圧倒されていた。


 ゆきのはというと、うろたえていた。「ローズサイコパスで……死んだはずじゃ……って、精神体は死なないと思いますけど、その……」


 「時間が経てば、麻痺は解けますよ。精神体とて消えない苦痛はありません。クリスタルはその前に束縛しましたけどね」サンフラワーが答えた。


 「だって、肉体も消えて、その、すぐには元に戻らないのではなかったですか?」


 サンフラワーはあっさりと答えた。「そこに抜かりはありません。今回は最初から予備も作りました」予備の肉体ってのもゾッとしないな。「ただ、この予備の体も完璧じゃないんで戦闘はできませんがね、こちらに連れ出す分には全然問題ナシ」


 「にんずう増えたら肉の分け前がへるー!」さおりが箸を振り回した。


 「心配しなくても我々にはみなさんと違って食欲はありませんよ。見てるだけです」


 「やぁん、食べてんのジロジロ見られるのもヤぁ」


 「じゃあ箸と皿と卵を……少しだけいただきますか、ブルーローズ様。……ブルーローズ様?」


 すとんとちゃぶ台際に腰を下ろしたサンフラワーとは対照に、ブルーローズは立ったままで額に手を当てて何やら難しげに考え込んでいた。「あきれたものね。───サンフラワー、あなたは彼女らに自由を与えすぎです」


 「地球の人間といいますものは、自由とか権利とかいう以前に往々にしてこんなもんですよ。特に日本は、権利意識薄いですから」サンフラワーは、ゆきのから差し出された箸と皿と卵をいそいそ受け取りながら笑った。「人がなんとなく生きていけてなんとなく生かしてしまうファジーさ、僕は嫌いじゃありません」


 「関係ありません。私に実務遂行能力がある以上は私が彼女らの管理責任者です。私の名において宣言します。彼女らに食事の自由は認めません」ブルーローズがびしりと言った。


 あたしの耳がその言葉にぴくりと反応した。「おいおい。じゃ、この鍋、食べちゃいけないのかよ」ゆきのとめぐみが挨拶している間にちゃっちゃと鍋を整え、いざ最後に春菊をトッピングしてパーフェクト、というところだったのだ。


 「ここまでやったのにー?!」めぐみも憤慨する。


 「おなかすいたぁー!」さおりが叫ぶ。


 「でも、じゃ、このすき焼き、どうするんですか?」と、ゆきの。


 沈黙。ぐつぐつと鍋の煮える音。


 ブルーローズは、ふ、とひとつ小さく笑うと、一転とても穏やかな満面の笑みを浮かべた。それから、ちゃぶ台の脇に腰を下ろし、鍋の上に顔を突き出すとすぅっと匂いをかいでから、……こう言った。


 「とてもよくできています。私とサンフラワーでおいしくいただくことにします」


 「えーーーっ?!」「えーーーっ?!」「えーーーっ?!」「ちょっと待てやオッラァ!」当然、全員からブーイングが飛んだが、ブルーローズの笑みは揺るがない。


 「あなたたちは私の管理物だと言っているでしょう、わかりますね、よぉくわきまえなさい」ブルーローズはここであたしたちをじろりねめ回し、それから、声を潜めて言った。「どうしても食べたいですか?」


 あたしたちは、語調から伝わってくる緊迫感と、漂ってくる煮汁の香りに、ごくりと生唾を飲み込みながら、それぞれに大きくうなずいた。


 「では」次の瞬間、ブルーローズは、背筋を駆け上がる快感に耐え切れなくなったかのように身をよじると、恍惚とした笑みを浮かべて───ハジけた。「私の慈悲にすがりなさい。おーほほほほ!」

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