2-11

 恭子をはじめとする人の流れがあって、葬儀場の場所の見当はついた。大通り沿いに、それらしい建物があり、身なりを整えた人たちが次々とその中に入っていく。


 友人にさえ気づいてもらえないことにまたひとつショックを受けているめぐみをもう一度抱き上げて、あたしたちはいったんその場所から離れ近くの公園に向かった。平日の昼間、しかも読経が聞こえそうな場所に、さすがに人気はない。腐ったエロ本が転がる遊具の陰に降り立ち、四人で向かい合った。


 「Falling down, Rose Force」


 今度は発声できた。光の繭が形成され、全員の姿が元に戻った。同時に景色の色合いも急激に元に戻って、さおりがまた目を拭う。つまり、誰かに気づかれる可能性があると変身が制限されるのだから、これからも変身するときにはこうして、他の誰にも気づかれない場所を探さなくちゃいけないってわけだ。スーパーマンの電話ボックスだな。ロウシールドのしくみがまたひとつわかった気がする。


 姿が元に戻ったということは、出がけに着てきた、黒い服装の状態だということだ。……今さらだが、黒は黒だが、それぞれ葬式に出るというにはいささか不釣り合いな格好をしている。革ジャンのあたし。カーディガンにパジャマのめぐみ。ゆきのは黒のセーターで、下はジーンズのまま。さおりは黒の襟付きのシャツを着ているが、着替え途中でものごとの優先順位を忘れたらしく、シャレた金色の幅広のベルトを巻いている。


 と、元の姿に戻っためぐみが、突然走り出した。


 「めぐみちゃん!」


 ゆきのの制止も聞かず、パジャマ姿はあっという間に公園を飛び出していく。


 慌てて追いかけたが、土地勘の有無は大きい。めぐみを追って細い路地に入ったとき、あたしたちはもう彼女を見失っていた。無人の路地を見つめて思わず立ち止まってしまう。


 ゆきのが言った。「変身しましょう、飛んで行ければ……」


 なるほど、策だな。あたしは納得して、「Blooming up, Ro...」くっと何かが喉に詰まる感覚があった。声が出ない。まただ、変身が制限されている。路地の両側は厚い石塀になっていて誰かに見つかりそうな気配はない、でも、ダメなのか。めぐみがいないからか?


 「何してんのよぅ、見失っちゃうじゃん!」さおりが駆け足を続けて先に進みながら言う。少し先の十字路まで出て、角の先の方をくるくる見て、それからひとつの方向を指差す。「あっち車走ってるし、あっちじゃない?」どういう理屈でそう思ったのかよくわからない。直感的に人の多そうな方向を指差しただけのようだ。


 するとゆきのがひとつうなずいた。「めぐみちゃんがいないからじゃなくて、めぐみちゃんが変身不可能な場所にいるんじゃないでしょうか。人通りのある場所に……」


 「じゃあ、一人ピンなら大丈夫なのか?」あたしはちっと舌を打った。一瞬躊躇したが、もたもたしていたくなかった。あたしは躊躇を振り払って叫んだ。「Blooming up, Red Rose!」


 大正解───自分だけなら変身が可能だ。あたしは光の繭に包まれた。変身も三度目となれば多少は慣れてきたか、完了までにかかる時間が短く感じた。住宅地の路地なんていささか似合わない場所で、あたしだけがレッドローズとなって宙に浮く。


 変身が完了したとき、周囲の色彩は既に変わっていた。ロウシールドの中だ。それはそうだろう、こんな狭い路地で全方向に光を放つのだから、周囲に気づかれない方がおかしい。ヘリが近づいてくるまでロウシールドが発生しなかった屋上のペントハウスの方が例外なんだろう。通常は、変身したらロウシールドが発生するものと理解しておいた方がよさそうだ。……おや、変身前の状態のゆきのとさおりもロウシールドの中にいる。


 「やぁんなんで? あたし、ヘンシンしてないじゃん」さおりが言った。


 「そうですよね、この姿でなぜロウシールドの中にいるのか……」ゆきのが顎に手を当てて少し考えている。「これはバルコニーでのサンフラワーさんと同じ状態ですね、あの人は地球人の姿をしていたのですから。とすると、みずきさんがそばにいることが問題なんでしょう……たぶん、私たちがみずきさんを認識できなくて、かつ他の人に気づかれない場所まで離れれば、私たちはこのシールドから出られると思います」


 ゆきのは上空のあたしに向かって言った。


 「それも確かめたいし、私とさおりさんは地上からめぐみちゃんを探します。みずきさんは空からお願いします」


 「OK!」あたしは高度を上げて、めぐみが走り去っていった方角を見やった。


 さおりの見つけた「車走ってる」道路は坂になっていた。大型車はすれ違えないくらいに幅が狭く、わずかな路側帯があるがそのラインを踏みつけるように車がびゅんびゅん飛ばしていく。どうやら大通り同士の交差点渋滞を回避するための抜け道らしく、路面には「通学路スピード落とせ」とペイントされているが、知った話ではないらしい。この坂を下っていくとさっきの斎場がある大通りに出る。大通りと坂との交差点に小学校があるのも見て取れた。───もしかすると、彼女が撥ねられたっていうのは、この道ではあるまいか。


 そして坂を上る方向へ、走っていくめぐみが見えた。さおりの勘もあながち間違いじゃなかったようだ。


 空から彼女を追った。彼女はやがて坂の途中で別の細い路地に入っていく。どうやらどこか目的地があって走っているようだ。さらに十字路をひとつ折れる。そこまでくると彼女の進行方向にはY字路がひとつあるきりで、先はどちらに分かれても行き止まりになっていた。あたしは高度を下げて先回りし、より家の多い片側の分岐路に入って一軒一軒表札を確かめた。


 あった。門扉に手作りのローマ字の表札がかかっている、南向きの洋風の家。「ONODA / KENJI SACHIKO YUTA MEGUMI」。その上に重なるように、喪中の貼り紙。間違いない、めぐみは自分の家に帰ろうとしているんだ。


 「Falling down, Red Rose」あたしは変身を解いて門扉の前に降り立った。じきにめぐみはこの路地に入ってくるはずだ。───そうしたら、どうしよう。あたしは何と言ってやるべきだろう?


 この家は門扉に直に鍵が取りつけられていて、今、その鍵はしっかりと下りていた。あたしはその鍵穴をなでた。彼女はこの扉を開けることができるのだろうか。あたしがひとしきり思い悩んでいると、向かいの家の扉が開いて、ご近所のおばさんというところか、喪服を着た年輩の女性が姿を現した。革ジャンなんてなりのあたしを見て不審そうな顔をする。


 「小野田さんはお留守です、あなたは───」


 「あ、えっと───小野田めぐみちゃんが亡くなったって聞いて───」怪しまれるといけない。口からでまかせを言った。「冬休みに、課外活動で知り合って───信じられなくて、とにかく来てみたんですけど───」


 「そう……スキー合宿に行ったものね、あのときはあんなに楽しそうだったのにね……」おばさんは洟をすすり上げた。「お葬式は坂の下のホールですよ。あなたも焼香なさっていったら……」


 ハンカチを目尻に当てながらY字の交差点の方へ歩いていく。その背中を見送りながら、あたしは慄然とした。めぐみはこっちに向かって走ってきているはずだ。あのおばさんはめぐみを知っている。ふたりが出会うと、……どうなる?


 おばさんが角を曲がる。あたしの視界から消える。ふたりを会わせちゃいけない、直感的にそう思って、後を追いかけかかった。


 だが、その瞬間だった。


 あたしの真横に、突然めぐみが現れた。


 めぐみを包んでいたロウシールドが解けたのだ。めぐみはあのおばさんと出会う直前にロウシールドに入り、離れていってロウシールドから抜け出た。


 こんなかたちでもロウシールドは発生するのだ。めぐみが人間の姿をしていても発生するのだ。戦闘形態かどうかなど、いっさい関係ない。接触コンタクトによって発生しうるあらゆる影響、あらゆる混乱を排除する。


 めぐみは、泣いていた。顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。友人に続いて、家族同然につきあってきた人にも見向きもされず立ち去られたのだろう。


 でも、まだその先があった。最後の砦はロウシールドに関わりなく存在し、そして堅牢だった。


 めぐみは泣きながら、門扉のノブをひねった。鍵がかかっている。間髪入れずめぐみは表札の隣に並んでいた鳩時計の形をした郵便受けを開ける。中を手でまさぐる。しかしそこには何もなかった。「この裏にね、この裏に、いつも鍵が、テープで貼ってあんの……」めぐみは嗚咽を繰り返しながら言った。「玄関の鍵は三番目のプランターの下なの……」何度も、中を確かめようと覗き込む。けれど鍵はそこになかった。あるはずがない。それはロウシールドの影響じゃない。めぐみのために鍵を用意しておく必要は、もうないのだ。もう、誰も、彼女の帰りを予期していない。


 ひどいよ。


 純粋にそう思った。くしゃくしゃの泣き顔に、耐えられなかった。


 死という現象は、切り離すのだ。何もかもを。あたしたちは切り離されたのだ。何もかもから。


 泣きじゃくるめぐみを、あたしは抱きしめた。


 何か言ってやりたかったけれど、言葉が出なかった。ただ、今あたしたちは人間の姿、死ぬ前と同じ姿をしていて、体温があった。ひっそりとぬくもりがお互いに伝わっていくのだけを感じていた。

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