2-10

 小野田めぐみの住所は、東京郊外のとある丘陵地帯に造成された団地を示していた。方角を定めてスラスタに身を任せると、軽い前傾姿勢───ゆきのに言わすと「気を緩めるとタケコプターの姿勢になりますから気をつけてください」何に気をつければいいんだろう───を保って飛んでいける。


 「けっこー楽しいね、コレ!」さおりは飛ぶことにすっかり慣れたようだ。あたしとゆきのが一直線に飛ぶ真横を、くるくるとアクロバチックに、あるいはほんとうに目にも留まらぬ速度で飛び回る。スピード型だとブルーローズが言ってたし、これくらいはお手のもの、というところか。「……楽しいんだったら!」あたしの腕の中のめぐみに見せたかったようだが、無反応なのでさおりはまたしゅんとなって前傾姿勢に戻った。


 速度は無制限だという話だったが、そのせいか、スピードメーターなんてわかりやすいものはゴーグルの中に表示されない。音速を超えるなんて体が受けつけそうになく、眼下の幹線道路を飛ばす自動車の倍程度の速さであたしたちは飛んだ。


 それでも相当な高速だ。風を切り空を裂く、というのだろうか、自分の体の表面を気体が滑り細かく渦を巻く感覚があった。しかし、目を開けていられないような風圧は感じなかったし、寒くもなかった。何しろ機械の体だから、人間でいう感覚器官は後付けで、ほどほどに自動調節が利くようになっているらしかった。こないだ不自然に思った痛覚も、そんな感じなんだろう。


 一方で、視界はずっと色がおかしいままだった。つまり、あたしたちはずっとロウシールドで隔てられたままだ。変身中は、常にロウシールドが発生しているのだ。


 ただ、丘陵地を過ぎるときなどに、ふっと色が元通りになることがあった。


 要は誰かがあたしたちに気づくかどうかが問題なのだった。後から聞いた話では、あらゆる手段あらゆる技術をもってしても存在を気取られることがなく、そして痕跡も残さない場所であれば、たとえ変身していてもロウシールドは現れないそうだ。つまり山岳地帯や海上だ。しかし、衛星写真や航空レーダーに不審な飛行物体として引っかかってもロウシールドは発生するというから、話はあまり単純ではない。


 川を越え丘を越えて、めぐみの住んでいた町の上空へたどり着くまでに、一〇分かからなかったと思う。緑を保っている最後の丘が視界から消えると、俯瞰の光景は、だらだらと家並みが続く赤茶けたものに変わった。


 いわゆるニュータウン。ただただ家並みが広がる無表情な人工の大地。灰色のアスファルトがわかりやすく格子状に刻まれ、ほんとうにシムシティをやってるみたいな味気なさが視界いっぱいに広がっていた。ひとたびその碁盤目の秩序を外れると、アスファルトの根は無秩序な放射となって丘を浸食していく。


 都心からだいぶ離れているせいか、一戸建ての敷地はやけに広い。庭も広い。あっちこっちに犬がいる。山を破壊して建てられた幸せのマイホーム、こういうトコの主婦がエコロジーやガーデニングにご執心だったりするのもたぶん似たり寄ったりなんだろう。


 おかげでどこに何があるのかが今ひとつわからない。「この辺りのはずなんですが……」ゆきのがいくら首を振っても、屋根に番地が書いてあるわけじゃない。あたしたちは高度を下げ、何か目印になりそうなものはないかと顔を巡らせたが、見当たらなかった。かくなる上は、電柱で番地を、表札で名前を一軒一軒確かめていかなくちゃならないのかと、いささかげんなりしたとき。


 突然、脇に抱えていためぐみが暴れ出した。「きょうこちゃん!」


 完全に沈黙していたイエローローズのスラスタから、突然蒼い炎が吹き出した。自分の意識で動こうとしているのだ。あたしが彼女を解放すると、めぐみは一目散に地上へすっ飛んでいく。あたしたちは後を追った。


 彼女の向かう先には、大通り脇の歩道を手をつないで歩いていく親子がいた。親子ともに、白い襟周りの黒いワンピースを着ている───喪服だ。親はつないでいない側の手でハンカチを目元に当てていた。


 めぐみは女の子にすがりつこうとした。「恭子ちゃん! 恭子ちゃ……!」めぐみは弾き飛ばされた。めぐみが恭子と呼んだ女の子は、呼んでも気づかないどころか、変身しているめぐみに触れたことすら感じていないようで、うつむいて押し黙ったまま歩き続けた。


 どうやらロウシールドで隔てられている状態では、隔てられた向こう側にあるものの動きを阻害できないらしい。車に触れたりしたら……どうなるんだ? 考えたくもない。


 「……これも、ロウシールド……」ゆきのが呆然と言った。


 「ひっどぉい」さおりが舌を打った。「つまりナニ、あたしがトモダチに会っても、これと同じことが起こるってコト?」


 もし、ローズフォースでなければ……と思って、あたしは変身解除のキーワード「Falling down」を口にしようとしたが、何かが喉に詰まるような感覚があって、どうしても声にならなかった。これも、か……! さっき教えられたうちの、行動の制限、に該当する、ロウシールドメソッドによる干渉、に当てはまるに違いない。


 サンフラワーが、ローズフォースには変身時間の制限はないが変身場所の制限があるといっていたのを思い出した。今わかった。ロウシールドによって制限されるのだ。地球人に見られる、気づいてしまう可能性のある場所では、あたしたちは変身を封じられる。


 「おそらく、変身前の姿でも、彼女がめぐみちゃんを見ることはできないでしょうね」ゆきのが言った。「死者と生者が出会える道理はありませんもの」


 「道理はそうだろうさ」あたしは言った。「もう少し、抗っちゃダメか?」

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