2-07

 しばらくお互い黙りこくった後で、サンフラワーがまたしてもにっこり笑って言った。


 「さて、今度はみなさんが自己紹介をする番です。名前と死亡年齢と趣味と特技と今後の抱負、楽しくやりましょう」


 この雰囲気でか。無茶をぬかす、この男。悪意があるとしか思えない。


 あたしたちは一瞬顔を見合わせた。さおりとゆきのの顔に、エンリョ、とか、サイショハチョット、とか書いてあった。あたしはちっと舌を打った。確かにやりにくい状況だが、お互いが目配せしあうこういう空間はもっと気に入らない。自己紹介の順番でもめる寄り合い所帯ってのは、たいてい後々までまとまりが悪いまま終わる。


 しかたない。あたしは五〇〇のペットボトルをひっつかんで立ち上がった。


 「別に立たなくても……」


 ゆきのが言いかけたが、あたしは無視して、ペットボトルをマイクに見立ててまくしたてた。


 「綾瀬みずき。予備校生。早生まれで、四日に一九になったばっかだ。趣味はバイク転がすこと、でもそのバイクで逆にすっ転んでこのザマ。今の状況、正直まだよくわかってないけど、何もしないよりは何かした方がましだと思ってる。以上!」


 言い終えて、一拍間を置くと、どすんと座り直した。へたに不機嫌そうな顔が、かえって和ませたようで、幸いだった。


 「じゃあ、次、私……」ゆきのが立ち上がった。「高岡ゆきのと申します。いま一六、九月に一七になりますけど高校には行っていません。子供の頃からずぅっと病気を患ってまして、こないだ、ようやく鬼籍に入ることとなりました。そんななので趣味や特技は特にありませんが、本やネットで詰め込んだいらぬ知識はたくさんあります」


 「えーと、あたし?」ペットボトルはさおりに渡された。さおりはおずおずと立ち上がったが、やがてあっけらかんと話し出した。「水沢さおりでーす。一一月二〇日生まれでトシは二二、さそり座B型ー。趣味特技は特にありませぇん。とりあえずおミズやってましたぁ。そんで、刺されて死んだみたいです。痛かったのは覚えてる、うん。貢いでくれるいい人だったんだけどなー……」こっちが返答に窮する内容になったのを察したのか、さおりはぺろりと舌を出した。「以上でーす」


 ペットボトルを持ったままぽんと座って、当然だが、後が続かない。さおりはペットボトルをテーブルの上に戻しかかって、そこで思いついたように、めぐみが背を向ける場所まで四つん這いで這っていった。その体勢で、めぐみの顔より低い位置から、そっとペットボトルを胸元に押しつけた。「あんたの番」


 めぐみは表情と姿勢を崩さないまま、ペットボトルを受け取った。蓋に印刷されている小さな文字を、わけもなく見つめて、唇を堅く引き結んで、それから、口を開けたり閉じたり何度かためらった後、喉の奥底から声を出した。


 「小野田めぐみ、一一歳……です。トラックに……はねられました。あの、」

 めぐみは、ペットボトルに噛みつかんばかりにして、喉に絡みつく言葉を振り絞った。


 「あの、……いつになったら、おうちに帰してもらえるんですか……?」


 「え……?」


 「帰りたい……おうちに、帰りたい……です……」


 めぐみはペットボトルを握りしめた。壊れそうなくらい、強く。




 あたしたちはまた黙り込んだ。


 この子にはまだ、自分が死んだことが理解できていないのだ。


 あたしの「死んでいないんじゃないか」という感覚、つまりは生命の有無・自分がしゃべっているという事実への問答とは、根本的に違う。


 あたしはバイクで無茶をした。ゆきのはもともと病身で、さおりにいたっては自業自得だ。死に臨んで、納得とかあきらめとか、親しい他人たちからはるかに引き離されたこの状態を、腑に落ち着けるだけの理解は持ち合わせていた。


 それに、あたしはいちおう親元にいたが、反抗期がずっと続いていたようなもんで、家族とは顔すらほとんど合わせない生活をしていた。バイトで客や店長と顔を合わせている時間の方が長かった。さおりは、ワンルームかなんかだろうし、しかも水商売だ。ゆきのは入院生活で、個室といっても看護師や他の患者の出入りがなかったはずはない。


 つまり、三人とももともと独りに慣れていて、かつ、こうやってお互いを知らない環境に放り込まれたとき、挨拶して何か会話を始めていくだけの自立心を持ち合わせていた。


 でも、まだ一一歳のめぐみはそうではないのだ。生死の問題じゃない。温かい家庭や友人から引き離されたまま目まぐるしく起きるこの異変に、対応できないんだ。


 たとえ現状が、まだ生きていて強制入院で面会謝絶、だったとしても、彼女は同じことを言ったろう。医者がまず体を治そうねと諭しても、だだをこねたに違いないのだ。


 「……どうしよう」あたしはぼそりと言った。


 ゆきのが小さく首を横に振った。


 さおりがあたしの耳に口を寄せてささやいた。「大きな声で言っていい? あんた死んだんだって」


 「ほんのちょっと前まであんたがいちばん理解してなかったろーが。でかい口叩くな」


 さおりにささやき返して言葉をぶつけてみても、めぐみの気持ちが遠いところにあることに変わりはない。彼女は完全に理解の扉を閉ざしている。悲劇的なショックを受けたとき、人間はまず拒絶してしまうのだと、後からゆきのが教えてくれた。感情が動くのはその後だという。めぐみはずっと拒絶を続けていて、感情すら取り戻せないでいるのだろう。


 仮に感情を取り戻そうと試みていても、彼女にまず湧き上がるのはきっと、命の危険にさらされている根元的な恐怖だ。だから彼女はまた拒絶の中へ戻ってしまう。いつまでも終わらない拒絶と恐怖の繰り返し……むしろ発狂しないのが不思議なくらいだ。


 けれど、自分への死の宣告に驚き抗ったことは、あたしだって変わりない。ブルーローズに食ってかかって跳ね返され、さらにはレッドローズになって、シトリンと戦って、自分の体の違和感を少しずつ知っていった。あたしは死んでいるのだ、と。


 あたしが今のうのうとしていられるのは、そういう過程、あるいは試練を、なんだかんだいって乗り越えてきたからだろう。乗り越えるきっかけは───いちばんのきっかけは、めぐみの悲鳴だったのは確かだけれど。


 彼女に届く声の持ち主は、もう声が届く場所にいない。あたしたちの言葉で届かないのなら、彼女は彼女自身で指針を見つけ出すしかない。


 あたしに手助けができるだろうか。彼女をまっすぐ死に直面させ、そして死の事実そのものを間違うことなく伝える、いい方法はないだろうか。


 あたしはしばらく考えて、ひとつ、ある方法を思いついた。思いついた瞬間に、自分はなんと残酷なのだろうとうつむいた。けれど、一度まろび出た思いつきはたちまち根を張り、あたしを支配した。それしかないと思った。


 「サンフラワー」


 「なんでしょうか」


 「この子の葬式ってのは、もう済んだのか」


 サンフラワーは涼しい顔で答えた。


 「みなさん、それぞれ、今日執り行われます」


 「連れていく」


 あたしはそう言って立ち上がった。思い詰めた、棘のある声になっていた。

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