Procedure 2 ジプシーガール
2-01
目が覚めると、窓の外で雀が鳴いていた。
見たこともない部屋だった。……白い部屋、じゃなかった。どこかマンションの一室らしい。外は薄明るく、朝なのは確かだが、日光は直接入ってこない。西向きの部屋とみえる。
変身は解けていた。パジャマも着ていた。でも、あたしがかつて―――つまり、生きていた頃に―――着ていたパジャマじゃない。まだ糊の利いた新しいものだ。
身を起こして、髪をかき上げた。少し頭痛がする。ここがどこかわからないけれど、ほんとうなら、見も知らぬベッドの上にいることに驚くべきだった。地球、機械の体、宇宙空間での戦い、そういったものはやけにリアルな夢として振り捨てて、まずは悪い男に薬を飲まされて連れ込まれたというシチュエーションを警戒すべきだった。……でも、夢なんかじゃない。そんなふうに振り捨てるには、記憶が強烈すぎた。シトリンと名乗った女との殴り合いの感触が、手の中に残っていた。これが夢ならそんな感触はすぐに消えていく。でも残っていた。
手のひらを見つめた。やっぱりふつうの肌をしている。これが金属の肌、機械の指に変わってしまうなんて、まだ納得がいかない。納得がいかないけれど、心も体もそれを事実ととらえていた。否定や抵抗を続けるのは、常識とか知識とかそのレベルの表層意識だけで、深層意識、無意識、自律神経、肉体と密接につながるあたしの見えない部分は、すべてサイボーグ戦闘員レッドローズである自分に納得し満足していた。
……サイボーグだってさ。
あたしはやはり、今までとは違う、ふつうでない世界にいる。それなのに、朝にはいつもの通り雀が鳴くのだ。
ふつうでない世界、非日常の世界、そういったものに漠然と憧れていた。その憧れは、無邪気なユートピア願望に過ぎなかったわけだ。結局非日常とは日常との比較でしかなく、そして生活というヤツを続ける限り、日常は必ず足下にある。
顔を触ってみた。唇を触ってみた。布団の中は、まだ体温で暖かい。あたしはここにいる。雀が鳴いている。新聞屋のバイクの音がする。
くそっ。
あのときと同じように、頬を両手でぱぁんとやってみた。なんだってんだ、いったい。
ベッドを下りた。八畳くらいの部屋に、花柄の布団のベッド。天井には換気と空調のダクトがある。今も空調は行われているらしく静かな音を立てている。暑くもなく寒くもなく蒸すでもなく、快適だ。空っぽの作りつけの戸棚と、作りつけの勉強机がある他は、調度は用意されていない。ペンションの一室か、あるいは引っ越してきたばかりというところだ。
今度の部屋はちゃんとクローゼットがあって、開けると服が用意されていた。下段は引き出しになっていて、こちらには下着が入っていた。ふっと気がついて胸元に手を這わす。ちゃんと下着も身に着けている。……トップもアンダーもオーダーメイドしたんじゃないかってくらい完璧にフィットしていた。気分は良かったが……誰がフィッティングしたかが問題だ。
機械の体になっちまってることを考えれば些細かもしれないが、あたしをいじり回した奴がいるのは確かだ。気分のいい話じゃない。
とりあえず服をあさる。やはりサイズはすべてあたしに合わされている。ありがたいことに趣味も一致していた。ヒラヒラフリルつきなんて一着もなくて、地味ですらりとしたのがそろっている。あたしは小柄だけれど「カワイイ」とは絶対見られたくないクチなので、ちっこく見えて上等、できるだけ体がタテ長に見えるようなタイトな服が似合うと思っている。……あ、こっちの黒の薄手の革ジャン、いい感じ。
とりあえずあたしは、部屋着ってことで、胸にロゴの入ったどこぞのスポーツ用具メーカーのTシャツと、ショートパンツを身につけて、引き戸を開けて部屋を出た。
出てみると、フローリングのLDKになっていた。何平米あるだろう、北側にキッチン、南側にリビング。キッチンとダイニングの間に配膳カウンターがある他は間に戸も段差もなく、完全につながっている。カーテンをつけるレールだけが天井にあって、間仕切りとなっている。
LDKを中心にして四隅に部屋がある構造で、あたしのいたのが北西の角の部屋だった。起きたのはあたしが最初らしく、音を立てないように引き戸をそっと開けて覗いてみると、北東の部屋に高岡ゆきのが、南東の部屋に小野田めぐみが、南西の部屋に水沢さおりが、それぞれ静かな寝息を立てていた。
居心地のいいリビング。ふかふかしたじゅうたん。フロアの中央に丸いローテーブル(つーか、脚がたためるし、白いちゃぶ台って呼ぶのが正しかろう)があって、その周りに座椅子が……五つ。
じゅうたんは柔らかく思わず寝転がってしまいそうで、横になってもう一度眠ったら、そのまま過去へ、死ぬ前の時間へ戻れそうな気がした。……試す気には、なぜだかなれなかった。
ゴシック調の模様の白い壁紙が貼られた壁―――空調の操作用だろうか、液晶パネルがひとつ埋め込まれていて、それが現在の日付と時刻を表示していた。三月一二日。午前七時一八分。室温二十度。
LDKの南側は掃き出し窓で、外に出られるようになっていた。どうやらここはマンションの最上階ペントハウスらしい。道理で贅沢な部屋だ。窓の外はバルコニー、というのも大げさか、屋上の一部分を区切ったウッドデッキ。人を呼んでバーベキューパーティができそうなくらい広かった。事実、白塗りのテーブルと椅子がいくつか並んでいて、ティータイムはすぐにでもしゃれこめる。あたしは、その椅子のひとつに腰を下ろして、背もたれに体重をかけた。木製の椅子は、ギィ、ときしんだ。
もうすぐ春分なのだから、太陽が昇る方角が真東だ。空は薄曇りで、昇った太陽がうっすらと映っていた。その左側、つまり北東方向に突き立っている細長い陰は、あれは東京タワーだ。とするとここは東京か。見渡す限り、地上をずぅっと屋根、屋根、屋根がびっしり覆っていることからも、ここが東京だとわかる。南東には、離陸していく飛行機が見えた。羽田空港だろうな、こんな時間から動いているのか。
朝の空気はまだ寒いかと思ったら、吹き抜ける風は空調の排気混じりで生ぬるかった。生ぬるいのに、快かった。……風を感じることが、なぜだかいとおしかった。毎日バイクで風を切っていたはずなのに、そのありがたみを初めて感じた気がした。
……遠い未来知らない世界の物語じゃない、これは間違いなく、あたしが死んで、ほんの四日後の日本の朝だ。
───とはいえ、かえりみすれば。
ごくノーマルな判断をすれば、いよいよあたしらは拉致監禁事件の被害者ってところだ。助けてって叫ぶのがいちばん正しい在り方のはずだが、その気になれなかった。
誰かを殴った感触。手の中に、変わらずある。軽く手首を振ってみる―――消えるわけはない。他人と暴力で激しく争ったことへの、後ろめたさ。
今さらそんなことありえないのに、親が学校に呼び出されるのかな、なんてことを思って、そのときようやく、あたしの脳裏に家族や友達のことがふぅっと浮かび上がってきた。自分の心の整理をつけるだけで精一杯で、奴らのことを思い出す余裕なんてなかったんだ。───あたしが首の骨を折って死んだことを、彼らは知っているのだろうか。泣いて……いるのだろうか。うまく、想像できない。
彼らがあたしの死を悼んでいるかどうかも想像できないけれど、あたしが彼らの生を認識したり喜んだりしているかどうかといわれるとそれも疑問符がつく。あたしは生きていた……と思う。だったら彼らも生きているはずだ。いま、あたしは死んでいる。じゃあ、彼らも死んでいるんじゃないのか。あれ? なんでそういうことになるんだろう。
死というものに対しては、
あやふやな物思いにふける自分がそこにいた。あたしが死んだのであって、他の誰かの関わる問題じゃないと思った。そんなことを考えるなんて、あたしってなんて自分勝手な人間なんだろう、と思った。自分をさらなるあやふやに導くラリーが、心の内で往復していた。
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