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 「そして―――」サンフラワーが語りを終えたと思ったそのとき、サンフラワーのもたれる机の上に何か気配が生まれた。目には何も見えないけれど、はっきりとわかる存在感だった。ブルーローズだ。戻ってきたのだ。声が、実際には音になっていないのに、その存在感の中から伝わってくる。これがつまり、精神体? 「わりと早かったですね」サンフラワーがつぶやいた。ブルーローズは答えずに、あたしたちに向かって言葉を続けた。


 「残念ながら、クリスタルは、その警察組織において裏切りを図ったのです。彼は、私とともに宇宙法に遵い、地球を保護することを任ぜられたいわば同僚。しかし彼が組織に志願したのは、もとより採掘可能な資源惑星の存在を探すためだったのです―――いかなる場所に身を置ける我々精神体も、広漠たる宇宙のすべてを把握することは不可能ですから。


 私とクリスタルの両名は月という衛星を物理的な拠点、いわば基地として利用していました。しかしクリスタルは突然翻意し、幾度かの戦闘の後、月を独占して地球資源獲得の準備を開始しました。敗れた私たちはこのフライングローズにていったん逃れました。


 そして今日、クリスタルは準備を終え、本格的に資源の採集を行うために、地球に活動拠点を移したのです。私たちはクリスタルの行動を阻止しようとしましたが間に合わず、再び敗れました。それがたった今起きたことです。


 私はなんとしても彼の横暴を阻止しなければなりません。地球に降りて、彼の行動を把握し彼と戦わなければなりません。しかし先ほどの戦闘で私は肉体を失ってしまい、宇宙法上、地球に降下することができません。


 同時に、本来の任務である、他の異星人による干渉の監視を怠るわけにもいかないのです。クリスタルが思うままに造り替えてしまった月の基地を修復して、広域の監視体制を取り戻さなければなりません。


 私はクリスタルの翻意を知って以降、この状況を想定していました。しかるに、サンフラワーに、地球上における別働隊の作成を命じました。それがあなたたち―――ローズフォースです。私の命ずるまま意のままに動く四輪の輝ける花となり、法を犯す罪人に立ち向かうのです」


 すこぶる勝手な話だ。あたしたちの意志など、関係なしだ。


 だが、「やってくださいと頼んでいるのではありません」ブルーローズはきっぱりと言った。「これは命令コマンドです。定められたプログラムです。あなたたちには、スイッチに反応するように動くことが義務づけられます。サンフラワーの指揮のもと、迅速的確に行動するように。よいですね。───では、各機のポジションを説明します」


 ブルーローズの気配が、すぅっとあたしの目の前に移動してきた。指揮官の威厳ということなのか、姿がなくとも圧迫感があった。


 「レッドローズ」ブルーローズの声は、あたしをそう呼んだ。赤い髪、赤い機体、そして赤い薔薇の装飾。「あなたは標準的な機体です。いずれの機能も突出していませんが、すべての機能が他の三体より少しずつ優れ、また、拡張性において最も融通の利く機体です。この四体の中でリーダーシップを取っていただくべくそのように設計しました。あなたがリーダーです、精進なさい」


 あたしの耳に、言葉はあまり届かなかった。この状況を受け入れてしまった自分が、ぽつんとそこに在るのを、遠くから見ている感じだった。初めて点呼されたときの緊張感はもうない。兵器である自分。彼女のために戦うこと。そうか。あたしはレッドローズっていう機械になったのか。


 「ピンクローズ」水沢さおりが呼ばれた。ピンクの髪、ピンクの機体、そしてピンクの薔薇の装飾。「あなたの機体はスピードに優れています。無駄にスピードがありますから気をつけなさい」


 彼女がシトリンに追いつけたのは、スピード型だったからだ。ブルーローズの説明はそれだけだったが、さおりはまだよくわかっていないらしく、首を傾げている。彼女は、彼女にわかるイージーな言葉で誰かが説明してくれるのを待っているのだ。待っているだけで、自分からは働きかけない。


 「イエローローズ」小野田めぐみが呼ばれた。黄色い髪、黄色い機体、そして黄色い薔薇の装飾。「あなたの機体はパワーに優れています。無駄にパワーがありますからあなたの体にはそれがちょうどいいでしょう」


 いちばん小柄な彼女がパワー型というのは、よくわからない。それ以前に、彼女はまだ身を固くしたままだ。どうにか立っているきりだ。声が届いているかどうか、そもそも今起きたことが彼女の記憶に残ったかどうか定かでない。彼女は、そのイエローローズって名前を受け入れることができるんだろうか。


 「ホワイトローズ」高岡ゆきのが呼ばれた。銀白色の髪、銀白色の機体、そして白い薔薇の装飾。めぐみの肩に手を置いて、無反応なのを承知で励ましらしき言葉をかけていたが、呼ばれて顔を上げ、自分の前に移動してきたブルーローズの気配を真剣なまなざしで見つめた。「あなたの機体はインテリジェンスに優れています。索敵や状況判断はあなたの仕事です。レッドローズをよくサポートすることです」シトリンの接近に最初に気づいたのは彼女だった。なるほど、インテリジェンス、そういうことか。


 ブルーローズの言葉に、ゆきのが何か反問しようとしたが、言葉にならなかった。逆に、「今は、お戻りなさい」区切りとなる言葉を残して、ブルーローズの気配がすっと遠ざかっていく。


 ふっと振り返ると、あたしたちが目覚めた小さな白い部屋への扉が、それぞれの後方に現れていた。


 「明日目が覚めたときには、あなたたちは地球にいます。サンフラワーの指示に従い、ローズフォースとして、戦うのです」


 戦う。けだるさを増幅させるキーワードだった。あまりにいろいろなことが一度に起こってしまって、ひどく疲れを感じていた。何もしないで、脳みそを空っぽにできる時間が欲しいと思った。そう思ってから、あぁ、いま自分は休息を与えられたのだと気づいた。今日は、もうこれで、帰っていいんだ。……どこに?


 「───行きましょう」ゆきのに促されて、あたしたちは、おぼつかない足取りで、ゆっくりとその白い部屋へ入っていった。


 その途中で、ひとつ思い出して、あたしはサンフラワーに尋ねた。


 「サンフラワー、ひとつだけ答えてくれないか」


 「なんでしょう」


 他の三人は、部屋の中へ消えていった。あたしとサンフラワーだけが、最後にその場に残った。


 「なんで、この体に痛みを残したんだ?」


 「なるほど、おもしろい質問ですね」サンフラワーは肩をすくめた。「それはね、僕の設計が完璧だからですよ。シトリンはさっぱりわかっていないようでしたけど」


 「……答えになってねぇよ」


 「こっちに答える義務もありません。……さぁ、今は戻って、お休みなさい」





 戻りなさいと言われるままに、あたしはさっきの小さな白い部屋に戻って、またあの白いベッドに横たわった。


 ベッドの感触が、違う。それはベッドが変わっているのではなくて、あたしの体が戦闘形態に変わったままだから。今のあたしは―――ローズフォースの一員、レッドローズ。


 まだ、ひどく混乱していた。


 あたしは死んで。


 宇宙人に脳味噌だけ残して改造されて。


 戦う機械、になってしまったらしい。


 これからずっと、モノ、として扱われていくことになるらしい。


 いや、「らしい」も何も事実がその通りだ。あたしはその事実を受け入れ、理解したはずだ。けれど、その現実感に欠けた事実以上に、あたしにはあたし自身の心と体が信用ならなかった。目が見たものも、耳で聞いたものも、自分が自分でしゃべっている言葉さえ、それが実際にあるものだと、信じられなかった。起きたすべてのことを、経験したのはあたしじゃなくって、あたし以外のふわふわぼやぼやした何かでしかなくって、そいつが遠回しにぼんやりと伝えてくれる甘ったれたものだけを享受しようとしている自分がいる。


 でも、そうじゃないんだ。あたしは、そいつじゃなくってあたし自身に、すべての感覚を取り戻さなきゃダメだ。このワケわからない世界にこのまま入っていっちゃいけない。


 それは―――それは、あたしの中にずっと巣食っていた違和感。そう、ずっと。死ぬ前から、ずっと。バイクを駆り、人を殴り、目的もないまま生きるだけで時間が過ぎていったあの頃から、ずっと……。


 あたしは、あたし自身を信用していない。


 「あたしは、あたしだ」なんて気取ったって、心の奥底では何も信用してはいない。信用に値する自分ってものがないから、ほかとの距離がつかめない。ほかの何も好きになれない。いらいらして、苦しい。


 今日の苦痛は、そのことをカラダが初めて知らしめてくれた、反逆だったのかもしれない。


 ちっ、とあたしは舌を打った……バカは死ななきゃ直らないってのは、文字通りこのことだ。


 あたしは、もしかしたら、モノですらないのかもしれない。自分のなかみがどうなったのか、どうなっていくのか、さっぱり見当がつかない。否応なく、とんでもない立場に立たされたってことだけ、漠然と理解していた。自分というものが、がらんどうでぶよぶよで、いつだったか教わった国生み神話の最初の状態にいるみたいだった。


 あたしは、その中から生まれ直していかなければならないんだろうか。

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