1-12
気がつくとまたあの白い部屋に戻っていた。
バンカーみたいな事務机。今度は椅子は……無人。
椅子の傍らに、ひとりの男が白衣を着て立っていた。サンフラワーだ。
「いきなり無理をさせて、すみませんでした」サンフラワーは、柔らかな物腰で言った。ようやくこの男の顔をまじまじと見ることができた。切れ長、というよりは単純に細い目をした、わりといい男だが、震いつきたくなるような魅力は感じられない。だいたい、あたしにとってヤツはまだ覗き野郎だ。
「ブルーローズ様が戻ってこられるまでに、いくつか我々とあなた方についてのレクチャーをしましょう」
「戻ってこられるって、……あの人……」あたしの顔は、まだ青ざめてたんじゃないかと思う。あたしは、ブルーローズがあたしたちを守り自らを盾にして広漠の宇宙に散っていったのだと思っていた。
が、「誰が死んだなんて言いました?」サンフラワーはあっけらかんと言った。「自己犠牲なんてかっこいいこと、ブルーローズ様はしませんよ。想定済みのことです、いちばんありがたくないシナリオなんですけどね」
「はぁ?」あたしは唖然とした。
「少し長くてややこしい話をいたしますから、それでは、黙って聞いてください」
サンフラワーは、机にもたれて、腕を組みながら、話し始めた。それはあたしの理解の範疇をはるかに超えていて、講義とか授業とかいうよりは、遠い昔のおとぎ話のようだった。
「見てわかったと思いますが、ここは宇宙空間です。宇宙船『フライングローズ』の内部です。
そして我々は、いわゆる宇宙人です。正確には『人』ではありません。この大宇宙にあまねく遊離して存在している精神体の一部です。精神のみの存在であり、あなた方のいう生命を持ち合わせませんから、死もまた別の意味の現象です。爆発しようがブラックホールに飛び込もうが、精神自体は生き続けます。クリスタルの砲に体を焼かれたブルーローズ様も、しばらくは不自由な状態に置かれていますが、じきにこの場所に戻ってこられます。
我々にとっての死とは、社会的権利の喪失を指します。肉体がなくても権利があれば我々は生きています。逆に、あなた方の脳はまだ生命活動を続けていますが、あなた方の存在する社会において死亡届が受理され、社会における公的な身上登録簿(日本では戸籍)にてその存在がないものとされていれば、肉体がいかなる状態にあろうと我々にとってそれは死です。わかりましたか、あなた方は死んでいます。
さて我々精神体は無限の数の精神の集合体です。わかりやすくいえば、多重人格者のようなものです。それぞれの人格は別々に活動し、自在に宇宙を移動することができます。光速とか亜空間とかそういう物理的な問題ではなく、自分の意識を宇宙のどの一点に置いてもかまわないのです。個々の人格が、自分の意志で自分の存在する座標を決めます。
そしてどこにどのようなかたちで存在していたとしても、我々の社会すなわちその多重人格の器の中で我々の法に則っている限り、肉体などなくとも我々は
むろん、宇宙には物質というものが存在します。物質を扱う必要のあるときは、いかに我々でも、物理的な現象になる必要があります、つまり肉体を持たねばなりません。今の僕はそういう状態ですし、フライングローズもその状態の我々の作業用拠点に過ぎません。
しかし、物理的な束縛は、あまり大きな問題ではないのです。
我々が肉体を持つのはむしろ、法律が理由です。精神体にとって、法の束縛は人間の持つ理性よりも峻厳な桎梏なのです。細かい条文を説明するときりがないので、我々の法律を総称して『宇宙法』、地球上で各国が定めている法律を総称して『地球法』と呼称します。
大気圏内で活動するときは、必ず物理構造すなわち肉体を保持していなければならない。なぜそのような法があるかは、肉体の束縛によって生きてきたあなた方にはわからないことですから気にしなくてよろしい。しかし、これは最も重要度の高い宇宙法の一条項なのです。破ろうと思えばたやすく破れる法律ですが、その愚を行う者はおりません。ナイフで誰かを刺すのも、核ミサイルの発射スイッチを押すのも、物理的には簡単なことです、それと同じです。
我々はそれ以外にも多くの法に
そうですね、法についてあなた方に伝えておかなければならないことが他にあるとすれば───クリスタルが、一部の法に従わず行動している犯罪者であるということでしょうか。
クリスタルは、地球の物質を欲しています。地球は大気圏を持ち、有機生命体が存在しうる、化学反応のバラエティに富んだ豊かな星です。あなた方の知る原子や分子より細かいレベルにおいても、さまざまな物性を持つ貴重な物質を生み出しており、それら多様な物質系は全宇宙の科学者や文明人の垂涎の的なのです。クリスタルはそれらの物質を、すべての生命すべての人格に自由に分配すべきだと主張しています。
しかし、宇宙法は現在、地球に対して厳しく規制をしており、地表への降下を禁じています。なぜならまだ我々の存在を知らない知的有機生命体、すなわち人類が存在するからです。彼らに干渉してはならない。彼らが築き上げてきた文明と社会を最大限尊重しなければならない。この大原則に違反すると厳しい罰則が下ります。
地球人の一員としてならば、例外的に降下および居住が許可されます。ただし、地球人と同じ物質構成の肉体を持ち、地球法の束縛下で生活することを第一に、いくつもの条件を満たす必要があります。いずれおわかりになることでしょうが、惑星圏内での行動に対する制限は厳しく、容易に降下できないようになっています。
地球人類は、実はそれらの宇宙法によって保護されているに過ぎません。地球という一個の惑星は今、多数の地球外生命によって十重二十重に取り囲まれ、規制の解除がなされる日を待っています。あるいは───クリスタルが実力行使によって規制に抜け穴を穿つ日を。地球人類の文明には、まだそれが観測できないだけです。
長々とわかりにくい説明だったと思います。簡単に言ってしまえば、地球は地球以外の知的生命にとって資源惑星であるということです。しかし、現在は人類の文明を尊重して資源の採掘が禁止されているにもかかわらず、盗掘をもくろむ者がいるのです。我々はそれを阻止する警察官です」
「そして私たちは」ゆきのが言った。知的な印象の彼女には、いまの言葉がだいたい理解できたらしい。鋭い視線を、サンフラワーに投げている。「悪の異星人から地球を守るために作られた、いわば『警察犬ロボット』」
「うまいことを言いますね」サンフラワーが答えた。「そうですね、脳が生体なのでロボットではなくサイボーグという表現が正しいと思いますが、おおむねそのように解釈していただければ問題ありません」
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