1-06

 その異様な光景を、あたしは忘れない。


 ……なんかすごくカッコいい物言いだが、後から考えると、異様というよりは間抜けだった。もちろんそのときはそう思う余裕はなく、ただ歯を食いしばって見つめていただけだけれど。


 月を背にして現れた敵は、サングラスをかけた金髪の男だった。色素のない透けた白い肌からしても、外人ぽい。距離が遠く、細かな顔立ちはわからないが、若いようだ。


 黒い革のロングコートを前を開いて着込み、その下には値の張りそうな黒のスーツが見えている。そのサラサラした金髪をかき上げるポーズで、微かに笑みを浮かべながら斜に構えている。風が吹くわけもないのにコートの裾がざわざわ揺れるに至っては、ここが宇宙空間なのかただのユメの中なのかくらくらしてしまう。あれが、……敵?


 「よう、ブルーローズ」男は───クリスタルは、やおらサングラスをはずし、胸ポケットへそれを収めた。そして、ブルーローズに流し目をくれながら言った。「久しぶりだな。おとなしく引っ込んでおれば見逃してやってもよかったが、こうして相まみえたからには、もう一度きっちりあんたを排除させてもらう」


 ブルーローズは黙っていた。


 「悪いが俺には、決められた未来を黙って受け入れるなんてことはできなくてね。あんたが何度阻もうと、俺の行く道は俺自身が切り拓く」クリスタルはもったいぶって言った。キザだ。キザを通り越してバカだ。バカだが、絶対の自信に裏打ちされているからこそできる芸当だった。


 「ごたくはけっこうよ、クリスタル」ブルーローズがその演技じみた言葉を遮り、凛として言った。「あなたは今やお尋ね者です。法に基づき私はあなたを捕縛します」


 「誰のための法だ? 役立たずでくそ食らえな法に従うくらいなら、俺は俺自身を信じて俺自身の意志に従う」


 「そんな詭弁が法を犯す理由になるなどと、微塵でも思っている者がいる限り、私はいつまでも、何度でも」


 「戦うってか。俺があんたを叩きつぶして終わりだってのに、まったくしつこいな───」クリスタルは高々と手を差し上げて、叫んだ。「Brilliant Crystal Power!」


 クリスタルの体が、再び陽炎に包まれる。さっき忽然と現れたように、今度は消え失せるのか? 違う、何か別の形に替わっていく。……もしかして、あたしたちがしたのと同じ、変身?


 そのとき、ブルーローズが動いた。左肩の薔薇飾りに触れると、白く短い筒状のものが飛び出してきた。なんでそんなところから筒が出てくるのか、という疑問はそのときには全然出てこなかった。彼女はそれをつかんで手首のスナップでひと振りすると、筒の内側から青白い光がほとばしり、刃の形状へと変わる。


 さらに、光の剣を手に握ったまま、陸上のクラウチングスタートのように体を低くして、その前傾姿勢のまま変身を続けるクリスタルに向かって猛スピードで突っ込んでいった───かかとと背中の出っ張り(それがスラスタという名前だということは後で知った)から蒼い炎のようなもの、あるいは蒼白く光るガスを吹き出して。


 一方でクリスタルの変身が終わった。その姿は透明だった。突き抜けてくる太陽の光の、屈折の加減で、どうにかそれが中世騎士の飾り鎧の形状をしているのだとわかる。髪も透明らしく光と陰を映し込んで白く輝き、ぎらぎらとまぶしい。顔だけが色のあるまま残っていて、まるで、できそこないの奇妙な塗り絵。テクスチャを貼り損ねた3DCGだ。


 「消えなさい、生首!」


 なるほどいちばんわかりやすい表現を叫びながら、ブルーローズはスピードを緩めることなくクリスタルに突きを入れた。


 全スピードを乗せたその突きより速く、クリスタルも上方へと高く跳ね、そのまま宙に静止した。かわされたブルーローズはその動きを読んでいたのか、ほとんどスピードを緩めることなく、その姿を追いかけて突きの構えのままに直角に跳ね上がった。静止しているクリスタルの体を、ブルーローズの突きがまっすぐ貫くかと思ったそのとき。


 身構えて体に力を入れたクリスタル、その透明な体の内部、人間なら肺があるあたりに、教科書に載っている銀河系の図にも似た、渦を巻いて回転する光が現れていた。


 「甘いんだよ!」


 怒声とともに、それは外部に放たれた。銀河系が星の集合体であるようにそれは光の小球の集合体であり、放たれた瞬間に回転の半径と速度を急速に増しながら拡散した。ブルーローズの突進は渦を突破できずに跳ね返され、逆に床へと叩きつけられた。ブルーローズに当たらなかった光の小球は、さらに拡散を続け周囲に広がっていく。


 と、あたしのほおっぺたを、何かが猛スピードでかすめた。ぴしっと、軽い静電気のような刺激が走った。はっと触れたが、傷ついてはいなかった。じぃんと脳天に伝わった痛みだけ。なんだ、この痛み? 今までに味わったことのあるどんな痛みとも違う、鈍い、火花。


 何が起きたのかを判断するのに、とてつもなく長い時間がかかったような気がした、が、実際は一瞬だった。


 今の攻撃―――放たれた光の散弾が流れ弾となり、あたしに当たりかけたのだ。


 今のが、体に当たったら、どうなる?


 その問題に答えを出すために、あたしが記憶を引き出したのは現実の経験の中からではなかった。テレビとかマンガとかそういう、―――情報ソースをどうこう考えている場合ではなく、「当たったら死ぬ」という知識だけが、あたしの脳味噌のメモリーに引きずり出された。役に立つわけもない知識。数学とか英語とかと同じ比重の。「だったらどう行動すべきか」という解答はついてくるはずもなく、それが自分を傷つけうる武器と気づいてなお、あたしはしばし呆然としていた。


 そして行動の選択より先に、怖気おぞけがゆっくりと、体を這うように浮かび上がってきていた。それは、血管を引っ張られるかのような緊張を伴って、あたしの心の無知や未知の領域に疑念と恐怖をまとわりつかせた。……頬をかすった痛みは、その頬を叩いて気合いを入れることすら、忘れさせていた。


 戦う? あたしが? あんなふうに?


 けれども、不思議とあたしには、可能性の問題が浮かんでこなかった。「そんなのムリだ」という感覚は、麻痺して動かなかった。それは、あたしにまだ挑戦を試みるだけの気概がある証左だったかもしれないし、逆に、いつもいつも可能な何かから逃げていて、可能と不可能の境目を見つけていないことのあらわれだったかもしれない。

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