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そのとき、斜め後方の、陰の中にいる男が口を開いた。落ち着き払った声だった。抑揚がないとか機械的とかいうのではなく、ブルーローズ同様、あたしたちの置かれた立場がさも当然と認識している、事務的な声だった。……って、この声、さっきの覗き野郎だ。
「あんまり説教をしている時間もないようですよ、ブルーローズ様」
「あら。もう動くの」ブルーローズは渋い顔をした。「早い男は嫌われるのにね。彼らを止めることはできる?」
「僕はあまりお勧めしませんが、ブルーローズ様が出ていけばやっこさんの方から寄り道してくれると思いますよ、連中も邪魔は早く排除したいでしょうし? ……彼女たち、訓練もシミュレーションもまだですが、どうしますか?」
「実戦に勝るものはないわ」ブルーローズは机の上の資料をまとめ始めた。「サンフラワー、見学させといて」
「彼女らは地球圏仕様です。ここで使用するなら稼働限界は一五分」
「かまいません」
「わかりました」資料をブルーローズから受け取り、サンフラワーと呼ばれた男は、やはり落ち着いた声で答えた。「リモートで管理します」
「見学って、何をだよ」机に手を叩きつけた姿勢のままで、あたしは言ってやった。「体育座りでも、してりゃいいのか」少しでもこの居丈高な女に逆らいたかった。精一杯の皮肉のつもりだった。
だが、ブルーローズは、くすりと笑った。
「できるものなら、やってみなさい」
ブルーローズは立ち上がって、たん、と机を叩いた。するとふたつの机が床の下に消えた。機械的に床下に沈み込んだのではなく、まるでバターが溶けるみたいに消えてしまったのだ。机に体重をかけていたあたしは、危うく転ぶところだった。
後方の机にいたっては、サンフラワーもまとめて一緒に床下へと消えている。―――なんだ? これから何が起きようとしている?
同時に、壁と天井がまとめてふたつに割れて、音もなくゆっくりと開き始めた。開けゴマと言われたアリババの洞窟みたいに。割れ目から、さぁっと射し込んでくる強烈な光。その光に白く包まれる中で―――ブルーローズが、叫んだ。
「Blooming up! Rose Force!」
とたんにあたしたち全員の体もまた、燐光を放った。―――『変身』の、始まりだった。
ブルーローズの声に反応して、体内に激しい違和感が生じた。熱く、熱く、とどめようもない力が湧き上がった。炎を吹いて燃え始めたかのように。
その炎が体の隅々まで舐め尽くし、体中に熱が行き渡ると、続いて自分の体がバラバラになっていく感覚が―――それは腕とか頭とかじゃなく、肉体が粉々になって四散してしまう、そんな感覚が一瞬あって、直後にあたしの視覚はいったん途切れた。この後の感覚は、すべて、五感を超えた何かだ。
実際にどうなっているのか、あたしにはよくわからない。ただ、さかる熱い熱い火照りは、バラバラに弾けている肉体の粒子のひとつひとつ、髪の先の粒子から爪の先の粒子まで、すべてに及んでいた。意識が遠のいていきそうで、なぜかつなぎ止められている、奇妙な苦痛と浮遊感―――あぁ……インフルエンザで寝込んだときみたいだ。
その熱の高まりが、ピークに達したとき、もっと熱い電撃のような痛みが脳天を貫いた!
今度は、バラバラになったすべてが収束していく感覚。じゅうん、じゅうん、という振動がすべての粒子に伝わり、またひとつに戻ろうとしている。だが、その収束は、元に戻る方向へ進んでいなかった。違う、そっちじゃない、叫びたくても、声が出なかった。別の体ができている。自分じゃない、別の姿になっていく!
やがて視覚が戻って―――我に返って、あたしは自分の手を見た。
これは人間の手じゃない。五本の指はあるけど、関節の部分が明らかに人のものじゃない。体のあらゆる曲面が、曲げ伸ばししない部分は白っぽい金属で、曲げ伸ばしする部分つまり関節は赤色ゴム状の物質になっていて、白い金属をゴムがつなぎ合わせる構造になっている。体を動かしたり関節を曲げたりするたびにゴム状物質は伸び縮みして間隔が広がりまた狭まり、体を動かすことには不自由しない。だが、その内部、骨や筋肉があるべき場所は機械的な構造になっているらしく、わずかに金属がきしむ音がする。
爪はない。しわもない。しみも傷跡もない。肌はすべて金属の光沢につやめき、一本のうぶ毛も生えていない。なんだ……なんだ、これ?!
女であることを意味する線の細さと体のまるみはそのままで、曲線は再現されている。ぱっと見た目には、肌に直接金属板を貼りつけていったようでもある。
大きく違うのは、腕、足、そして胸部だ。肩や腕は動きが大きいせいか、ゴム状物質の部分の比率が大きい。前腕部の甲の側だけは、流線型の分厚い一枚板になっていた。
足も同様に動きやすく構成されている。膝や脛の周りは金属でぐるり覆われやや太くなっていて、大きなブーツのようだが、足首の部分は開いているので、スポーツ用のストッキングに例えるのが良いかもしれない。かかとはやけに高く、ピンヒール状になっている。それで少し背は高くなっているようだがあまり実感はない。
いちばん目立つのは、胸だ。
胸元は、胸部全体を覆う鎧のようなパーツで覆われており、そして、左肩の鎖骨の下、心臓の少し上に、薔薇を模した赤い花の飾りがあしらわれている。剣弁高芯の美しいフォルムに手を触れると、花弁の集積する中央部分がわずかに開いて光を放ち始めたので、あたしはびっくりして手を引っ込めた。
そうして体の各部を確かめる視野が、さっきよりわずかに赤みがかっていることに気づいて、今度は顔に手をやった。
赤い色のつけられた透き通るガラス板が、ゴーグルのように顔を覆っていて、目には触ることができなかった。太い輪っかが頭をぐるりと、ハチマキかイヤーウォーマーが目隠しをするように巻きついていて、目の部分だけが透明になっているのだ。代わりに手に触れたのは、跳ね上がっている前髪。引っ張って垂れ下げてみると、それは赤く透き通っていた……髪の色まで、燃え立つ深紅に変わっている。
次に鼻に触れた。やや高くなっているが、穴は飾りのように少しへこんでいるだけだ。……息を、していない。
はっと胸に手を当てた。薔薇飾りの、やや下方。その部分を覆う鎧に、女であることを示すふくらみの曲線はあるものの、柔らかさはない。赤子に乳を含ませる部分もない。そしてその深奥に、鼓動が……ない。今まで、心臓の鼓動の有無なんて意識したことなかったのに。鼻の穴を通り抜ける冷感、肩の上下動、確かにいままであったはずの呼吸と脈動を示す感覚が、すべて、消え失せている。
あたしは、ほんとうに、死んでいるんだ。
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