1-03
記憶は残っている。
……そう、あたしは、バイクですっころんで、ガードレールに直撃して、そして、首の骨が折れる音を聞いた。それっきり、激痛の中で何もかもが消えて。
死んだ……はず。
でもいま、あたしは目が見えてるし、声も聞こえるし、しゃべることだってできる。頸動脈に手を当てた。脈がある。その手で首の皮をつねり上げた。痛い。あたし以外の三人も、きょろきょろして、何と言うべきかを、探していた。
白衣の女は、そんなあたしたちをつまらなそうに見つめた。それから、机の前に散らばる資料の一枚を手に取った。
「綾瀬みずき・頸椎骨折。水沢さおり・出血多量。小野田めぐみ・全身強打によるショック死。高岡ゆきの・心不全。ふぅん、心不全ねぇ。……みんな、死体の時の写真は撮ってあるけど、見たいかしら?」
唖然としながらも、とんでもないと首を横に振った。……自分の、死体?
「あなたたちはそれぞれに、身体に死に至るダメージを受け医師より死を宣告されました。三月一〇日、それぞれの死亡届が定められた行政の窓口に提出されました。その際提出された医師の死亡診断書あるいは死体検案書のコピーもありますから、見たければ言いなさい。それを受けて、我々はあなたたちの死亡を判断しました。現在は、日本標準時で三月一一日深夜です。
我々は、我々の目的のために、人間の脳を必要としていました。あなたたちの死体は脳の損傷が少なく、我々としては都合のよいものでした。我々は、あなたたちの死体から
理解していただきたいのは、あなたたちはこの日本という法治国家から抹消されたということです。死亡届が受理された以上、生ける人間としてのあなたたちはもう存在しません。ですから、あなたたちに人権はありません。あなたたちはモノです。あなたたちは死体という物品です。そしてあなたたちはいま現在我々が我々の法に基づいて管轄する所有物であり、実験道具であり、武器であり、備品です。わかりましたか、わかりましたね、はいよろしい」
……黙ったままでいたのは、開いた口が塞がらなかったからだ。
はっと我に返り、いま何を言われたのか脳みその中にもう一度並べてみた。わかったのは、納得のいかない話を納得のいかない言葉で納得のいかないまま並べられたってことだけだった。なんかよくわからんヤツがわからんことを言っている、そういう状態で、黙っていたくなかった。あたしは、ブルーローズの机までずかずかと大股で歩いていって、ばん! と机に手のひらを叩きつけた。
「冗談じゃねぇっ! 人ぉバカにすんのもたいがいにしとけよコラぁ!」普通の人間はこれだけ怒鳴ればひるむ。「生きてるも死んでるもあるか! この状況がどういうことか説明しろ!」
「ものわかりが悪いことね」しかし、ブルーローズは動じるそぶりすら見せなかった。「あなたたちは、死んでいます。死者に権利はありません。何度も言わせないように」
「立派に生きてるだろうが! こうして話もしてるし息もしてる!」
食ってかかるあたしを、ブルーローズは哀れみの目で見つめた。いや、哀などという感情とは程遠い。
「あなたは、それが生きている証明になると、ほんとうに思っているの?」
何の感慨も乗せていない冷え切った声に、否定の砥石で粗く削られた言葉。あたしの背筋を、ぞくっと白いものが駆け上がった。間違いない、この女は、あたしのことを本気でモノだと思っている。
「あなたたちは備品です。私の道具として動けばそれでよい」
……あたしの勢いは一瞬で冷め、それ以上詰問できなかった。
動悸がある、息ができる、話ができる、目が見えて声が聞こえて、それでも、あたしは、生きていることにならない。いのちってそういうものじゃなかったのか。握りしめた手の中にあるぬくもり、にじみ出る汗、そのひとつひとつが、いのちの息吹じゃなかったのか。
それともこれが死後の世界ってヤツなのか。いや、今確かめた自分の中の生命の感覚は、何がなんでもそれを否定しようとする。あたしというひとつの個体は確実に生きている。なのにこれはどういうことだ。……あたしは今、いったいどんな存在になっているんだ?
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