0-05
三月一一日 零時零分(ただし、
どこかわからない。屋内であることは間違いない。一組の男女が、暗い通路を歩いていく。
窓や扉は見当たらない。それどころか、天井、壁、床すべてに何の凹凸も継ぎ目もない。本来なら光が入らず闇に包まれるはずの金属質の筒は、壁全体がぼんやりと発光して男女の影を浮かび上がらせ、こつ、こつと二種類の硬い靴音だけを狭い空間に伝播していた。
女が、突然甲高い笑い声を発した。
「ほーっほっほっほ! これで、
隣を歩く男は気弱そうに肩をすくめながら、度し難いその態度に苦り切っているようだった。背丈は男の方がはるかに高いのに、存在感は女の方がはるかに大きい。ひとしきりの笑い声がすんだ後に、男がぼそりと言った。「いきなりその笑い方は、いくらなんでもまずいんじゃないでしょうか、ブルーローズ様」
高笑いの反響が薄れていき、再び靴音が狭い空間を満たす。そのリズムに、ブルーローズと呼ばれた女が言葉を乗せた。「どういう意味かしら? サンフラワー?」
「ひとつは」サンフラワーと呼ばれた男は答えた。「我々が一度彼に敗れている事実があることです」
「だからもう負けないと言っているのよ、そうじゃなくて?」
「我々は出遅れました。『ローズフォース』は確かに完成のめどが立ちましたが、調整にはまだしばらく時間がかかりますし、我々が不利である状況になんら変わりはありません」
「何言ってんの」ぱん、と軽い音がした。ブルーローズが、サンフラワーの肩を叩いたのだ。「優秀な粒子プログラマーがいてくれて私は幸せよ。これだけの技術は彼らにはないわ。あなたの作り出した兵器は、不利を覆すだけの性能を十分に持っている」
「お誉めにあずかり光栄です、でも」
「心配性ねぇ」
ふたりは暗い通路を進んでいく。やがてある地点で止まると、彼女らの身長に合うサイズの、床に接する長方形が壁に浮かび上がった。それはつまり扉だった。発光がやみ、闇色になった矩形をふたりは通り抜けた。
室内には、竹のようにいくつかの節に分けられた四本の柱が並んで立っていた。一節だけが透明で内部がぼうっと光っており、それ以外に光を発するものはなかった。節の中は、薬剤らしき液体で満たされ、───かぐや姫でなく、脳組織が漂っていた。
ブルーローズとサンフラワーの姿が、節からの光に青白く照らし出された。光を映す瞳は、真剣だった。
「死んだ細胞の構造や配置をスキャンして、再生及び再構成するプロセスはもうすんでいます。後は───」
「製造とメンテナンスはあなたにまかせてあるはずよ。なんの心配もしていません。───あなたも何も心配せず、自分の能力を発揮することだけに心を割けばいいの。で、どうなの、私の探してきた素材は? 意外にそろえるのは難しいものね、状態がいいのを見繕うだけで手一杯よ。質はあまり期待できないから気にしてるんだけど」
「そんなことはありません、申し分ないですよ。各個体の固有性能値のバラツキが大きいのが気になりますが、僕の作ったライブラリで吸収できるはずです。共通オブジェクトとのリンケージも今のところエラーありません。一体だけ補正にやや手間がかかっていますが、なんとかなるでしょう。
「稼働できれば文句ないわ。上出来上出来」
ブルーローズは内に漂う脳組織を慈しむように、そっと柱に手を当てながら言った。
「優秀な素材、それを加工する優秀な部下、そして統括するのは優秀なこの私。完璧よ。うっふっふっふ」はじめは少し目を伏せながらの密やかな笑いが、やがて制限なしの甲高い声に変わる。「お~っほっほっほっほ!」
「ですからね、……高笑いをやめてほしいと言うのには、もうひとつの、もっと肝心な理由があってですね」サンフラワーは額に指を当て、渋い顔をして、苦言を呈した。「───この地球そしてこの日本という国が、死者の冒涜を嫌う文化だということ、ご存じありません?」
「『死者を冒涜する』? 生死を語るときにそんな言葉を使う必要がなぜあるの? よしんばあったとして、『
「でも、彼女らには、記憶と思考と感情が残るんです。それはお忘れなく」
サンフラワーは、ぼそぼそと言って、それから、四つの脳を前にそっと手を合わせた。
「……何してるの?」
「手を合わせてこう唱えれば、死んでも生まれ変われるそうですよ……南無阿弥陀仏」
「生まれ変わる? ばかばかしい。あなた、ちょっと感情移入しすぎ」ブルーローズは、そっけなく言った―――「この星、滅びるのよ。五〇年以内に」
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