第2話 神様は知っている


 それぞれの帰路を進む人々で溢れる十八時頃、私は葵と共に探偵事務所を目指し、東大路通を下がる市バスへと乗り込んだ。

 陽が傾き始めたこの時間は、京都駅を目指す観光客でバスはぎゅうぎゅう詰めになる。故に、大学生は京都駅直通の市バスを避ける者が多いという。

 あおいもその一人であり、普段は少し歩いた百万遍ひゃくまんべんの停留所より今出川いまでがわ駅を目指し、地下鉄で目的地まで乗り継いでいく。一方、私は北白川きたしらかわという所に住んでおり、大学までは自転車で通っている。

 いつもと違う道を進む新鮮さは、目的が何であれ少し楽しさを帯びるものだ。依頼を持ち込む、ただそれだけで、これから向かう場所が非日常的なもののように感じられた。

 私たちは暑苦しい車内の空気に取り巻かれたあと、東山三条ひがしやまさんじょうでバスを降りた。そこから三条通さんじょうどおりをゆっくりと歩き、神宮道じんぐうみちへと折れていく。そして人気のない小道に入るとすぐに目的の事務所へと辿り着いた。

 夕陽に照された事務所は、門の向こうに延びる入り口が影となり、何処か不気味な雰囲気を見せていた。

 私は一呼吸置いて、鍵の掛かっていない扉をゆっくりと開く。その瞬間、室内の柔らかい空気が身体を包み込むように溢れだした。そして、目の前に広がる明るい白色の部屋を見ると、先ほど迄の不気味さは吹き飛んでいった。

壱弥いちやさん、お客さん連れてきたで」

 私は大声で壱弥さんを呼ぶ。

「今行くで、ちょっと待っとり」

 普段なら静かすぎる居間から、落ち着いた彼の低い声が響いた。いつもならば返事すらもしないことが多いというのに、客人にはきっちりとしている。

 葵を応接間のソファーへと案内したあと、隅の棚からグラスを取りだし、来客用のディスプレイクーラーに入っていた麦茶を注ぐ。それを葵に差し出した時、漸く壱弥さんが姿を現した。

 彼は皺のない白いシャツに黒のスキニーパンツという出で立ちで、大人の男性を印象付ける落ち着いた雰囲気を纏っている。すらりと伸びた足が無駄に美しく、不覚にも壱弥さんのまともな姿に少しの間見入ってしまっていた。

「……イケメンや」

 傍らの葵もぽかんと口を開け、壱弥さんを見上げながら小声を漏らす。

「初めまして、探偵の春瀬壱弥はるせいちやです」

 壱弥さんは滑らかな動作で一礼をし、葵に名刺を差し出した。

安立あだち葵と言います。ナラの高校からの同級生です。宜しくお願いします」

「よろしく。誉めてくれてありがとうね」

 そう、壱弥さんはふんわりと口元を緩ませる。先程の独り言を聞かれていたと気づいた葵は、少し顔を赤らめながらぺこりと頭を下げた。

「で、今日はどのようなご用件で」

「人探しのご相談を少し」

「なるほど。そしたら早速伺いましょうか」

 壱弥さんは向かいのソファーに座り、手にしていた黒い革の手帳を開く。そして葵の警戒心を解くように、にっこりと柔らかく微笑んだ。

 葵は私にちらりと視線を向ける。私が頷くと、彼女は意を決したように、膝の上に置いていた手を握りしめ、話しを始めていった。

「二週間程前から大学の友人と連絡が取れへんくなって、ずっと探してるんです。電話には出やへんし、メッセージに既読は付くけど返信はなくて、先週の月曜日からは大学にも来てへんみたいなんです……。心当たりが無さすぎて、事件かどうかも判断出来んくて相談させて頂こうと思った次第です」

 葵は目の前にあるお茶の入ったグラスをじっと見つめている。

「それで、その友人はどんな子?」

花田二葉はなだふたばといいます、大学は法学部です。年もあたし達と同じ二十一歳です」

「あの大学の法学部って、出席点がないテスト全ての学部やろ? 大学に来てない法学部生なんて全然珍しくもないんとちゃうの」

「いえ、二葉は凄く真面目な子なんです。講義だって毎回ちゃんと出席してます。何も言わずに大学に来やへんくなるなんておかしいんです」

「なるほど、理由もなく連絡が取れなくなった友人の安否確認、ってところやな」

 事情を汲んだ壱弥さんは頷きながら、葵の発言をさらりと手帳に記している様子だった。おそらくは、受けられる依頼かどうかを見極めているのだろう。

 世には所謂「探偵業法」という法律があり、行ってはいけない調査事項が定められている。また、探偵は特別な権利を有さず、一般庶民と同等であるとされている。そのため、法律を犯す依頼ではないことを確認する必要があるのだ。

「最後に会ったのはいつ?」

 壱弥さんは筆を走らせながら葵に問う。

「二週間前の日曜日に大学で会ったのが最後です」

「ってことは今日が金曜日やで、十二日前か」

「そうです。偶々会って一緒にお昼ご飯を食べました。その時、『明日は用事があるから大学に来られへん』って言ってたんですけど、火曜日も来てへんし、それ以降は連絡がつかへんくなりました」

「じゃあ、彼女の自宅には行ってみた?」

「三回くらい下宿先には行ったんですけど、一回も会えませんでした」

「その時、家に帰ってる形跡はあったか」

「会ってへんから、それはわかりません……すみません」

「謝らんでもいいよ」

 申し訳さなそうに小さくなる葵に、壱弥さんは優しく声をかけた。彼の口調は相手の緊張感を解きほぐすようにふんわりとしている。

「まぁ、家に帰ってるかどうかは事件性を判断するために必要やからね。調べるべきやとは思うよ」

 刺のない言葉で壱弥さんは告げる。

「成る程……流石探偵さんや」

「ほんまや……」

 葵と共に隣にいた私も驚くと、壱弥さんは「阿呆やな」と言いたげに私のことを白い目で見る。そして、僅かに眉をひそめながらメモを続けた。

「帰ってきてへんのやったら、実家も調べる必要があるかもしれへんな」

「でもあたし、実家は知りません。二葉は京都出身とちゃうし」

「そうやとは思ってるから大丈夫。そこは探偵の仕事やからね」

 そう告げると、壱弥さんは立ち上がり、奥の仕事机から紙を一枚取り出した。その紙を葵に見えるよう机上に置き、手に携えていた万年筆で該当箇所にさっと線を引く。葵はその紙をまじまじと見つめながら愕然とした。

 彼が示した紙には一般的な人探し調査の依頼金額が記載されていた。その金額はただの学生には支払える様な金額ではなく、甘くみていただけに血の気が引いた。

「人探しの料金はかなり幅があるんやけど、今回のケースやとこれくらいが相場やろ。まぁ、今日は相談しにきただけやろ? 勿論ちゃんと契約書にサイン貰うまでは料金は発生せんから安心して」

 壱弥さんはさらりと述べるが、葵はプルプルと子犬の様に頭を何度も振りながら、私に向かって「無理、こんなん払えへん……」と呟いている。私は壱弥さんを睨む。

「私が紹介したら安くなるキャンペーンはどうしたんですか」

「あぁ、そうやったな」

 そう言うと彼は万年筆を握り直し、提示した金額を二重線で消して隣に新たに金額を書き込んだ。それは半額以下の金額であり、私は驚いて壱弥さんの顔を見る。すると彼はニヤリと悪戯に笑った。

「自分で探すんやったらタダやけど、困ってるんやろ? 契約書かわさな調査も出来ん、探偵業法に縛られた俺に出来るんはこれくらいや」

 そこに示された金額をみて、私ははっと思い付く。

「なぁ、この支払いって家賃二ヶ月から差し引くんでもいける? 父に相談してみるし」

「なるほど、支払い方法に制限はないから可能ではあるな」

 そう、壱弥さんは涼しい顔で告げる。そして、混乱している葵の頭を優しく撫でた。

「つまりお金は要らんってことや。一応、ナラには感謝しときや」

「一応ってなんなんですか」

 私のツッコミに、壱弥さんはくすりと笑った。

 葵は撫でられた頭を両手で押さえながら、呆然と壱弥さんを見上げながら頬を染める。しかし、壱弥さんは葵のそれに気づいていないのか、お構い無く話を進めていく。

「契約書と調査の説明用紙はちゃんと準備しとくから、明日改めて説明をさせて欲しい。大学は休みやろ? 朝の十時にここに来て貰ってもええかな」

「はい、宜しくお願いします!」

 葵は立ち上がって深く頭を下げた。


 すっかり暗くなった空を見上げると、澄んだ虫の声が響き、夏の夜の匂いを感じさせた。門前まで見送りに出てきた壱弥さんに手を振り、私達は元来た道を引き返す。神宮道を北に向かっていくと、明かりが灯された平安神宮の大鳥居は私達を見下ろすように聳え立っていた。歩くにつれ、どんどんと近づいてくる大鳥居を目印に進んでいく。

「なんかずっと見られてるみたいやね」

 葵は真っ直ぐと大鳥居を見据えながらそう呟いたあと、「でも綺麗やねぇ」と笑う。

「そうかなぁ、どちらかと言うと神様に見守られてる気持ちになるよ」

「言われてみると、確かにそうかもしれん」

 私が首を傾げると、葵はまた小さく笑った。

 ほんの僅かな時間を歩き、三条通りを横断すると、地下鉄東山駅の入り口へ辿り着いた。別れの言葉を交わし、手を振り合ったあと、葵はどこか晴れた顔で階段を下っていく。やがて暗闇へと吸い込まれるように消えていった。

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