第十九話 父さん
なにが起きたのかわからなかった。
オズの目の前で、バルダが背を向け仁王立ちしている。その背から飛び出しているのは、
なんだあれは? どうして、バルダの背にあんなものがあるんだ――?
オズの脳は視界に映った情報を処理しきれない。
判然としない視界の中、ゆっくりとバルダは崩れ落ちていく。
「バルダ――!」
わけのわからない切迫感に突き動かされ、Gブレードを手放しバルダの元へ駆け寄る。
地に身を横たえたバルダは、荒い息を吐き、肩を上下させていた。
オズは状況を把握できないまま、バルダの体へ触れる。
――?
手に広がる、べっとりとした液体の感覚。視線を落とすと、ぬらぬらと光る赤い液体が目に入った。
――血だ。
唐突に、オズは理解する。
バルダは
俺を守るために。
「――オズくんあぶないっ! 《セイン・ラシルド! 光の楯!》」
オズの前方に、光のマナで形成された直径二メートルほどの楯が現れる。直後、金属が弾かれる衝撃音が響き、楯は消滅する。顔を上げると、目に映るのはまがまがしい
ここは戦場である。少しでも気を抜けば、命が容易に吹き飛ぶ場所。
だが、オズは動くことができなかった。あまりのショックに力が入らない。
バルダの体から漏れ出た血が、オズの手を、足を、濡らしていった。
オズの目の前で、バルダを貫く鉄杭が崩れ、消えていく。マナで形作られた現象は、時間がたてば崩壊する場合がある。
ぶしゅっ――
栓を失ったバルダの背中から、胸から、血が大量に流れ出す。オズの顔にまで血が噴き散った。
背中が急速に冷えていく。オズの脳は回路がショートしたように、正常な思考をもたらさなかった。
「――《アル・グラド・イグナトス! 大炎槍!!》」
突如、響き渡る
「GUAOOOOOOOON!?」
漂う煙の中、
上級バスターの一団が、ついに到着した。
「オズッ! バルダを治療班まで運べ! 絶対に死なすんじゃねえぞ!」
ガロンの叫びに、オズはハッと我に返る。荒い息を繰り返すバルダを見る。
彼はまだ生きていた。レベル50の強靭な生命力が、心の臓をえぐられたにも関わらず、彼をまだ生き永らえさせていた。
そうだ。まだバルダは死んでない! 癒しの
オズはそっと、しかしすばやくバルダを背追い上げた。大量の血がだらりと流れ落ち、オズの背を濡らす。
「バルダ、しっかりしろ――! 今、治療班のところへ運ぶからな!」
オズはGスーツにマナをこめ走り出す。そのあとを三人の予備生が続く。セナが近づき、隣を走りながら
「《シルマ・ヒューマ! 光輪の癒し!》」
光のマナが奔流する。セナが行使した癒しの
「オ……オズ……? 無事だったの、か……」
「――あ、ああ! バルダのおかげで、俺はピンピンしてるぜ!」
走りながら、オズは笑みを貼りつける。バルダの苦しげな息がオズの耳にかかる。
「……わりぃな……オズ……。俺としたことが……油断してた……みたい……だ……」
「――大丈夫だから、もうしゃべるな! 治療班のところまで、もうすぐだからッ!」
あふれそうになる不安を抑えつけ、オズは走った。城壁内部、治療班の持ち場を目指して予備生は戦場を駆ける。セナが
オズはひたすら足を動かした。胸を埋めつくす悪い予感から、目を背けながら。
西門、城壁内部。治療班の元には怪我人が次々と運ばれ、戦場と同様に混沌と化していた。
バルダの治療は数人がかりで行われた。その中には孤児院の院長の姿もあった。すべての治療班員が一様に険しい表情を浮かべていた。バルダは意識が
オズは一歩下がって治療の様子を見守っていた。
癒しの
「バルダ!」
それを見とどけ、バルダへ駆け寄る。
だが、バルダの胸からは依然として血が流れ出ていた。治療台には彼の血がしたたっている。
苦しげな呼吸は治療前よりひどくなり、いまや虫の息だ。
「ど……どういうことですか……」
震える声で治療班員の一人、孤児院の院長へ顔を向ける。
院長は静かに首を振った。そしてつぶやく。ごめんなさい、と。
「――い、意味わかんねえよッ! アンタらの仕事は怪我人を治療することだろ!? バルダはまだ治ってない! はやく治せよ! 手ぇ休めてんじゃねえよッ!」
オズは院長の肩をつかみ、激しく揺さぶる。院長は顔をふせ「ごめんなさい」と繰り返した。
「――セナ! お前が治療してくれ! セナなら治せるだろ!?」
今度はセナにすがりつく。セナは今にも泣きそうな表情で。
「オ……オズくん……わ、わたしは……」
「――どうしてだよッ! ふざけんなっ! セナ! はやく治せよ!!」
オズはセナに詰め寄る。焦燥感に胸がはちきれそうだった。
その時――
「男が……女を……怒鳴りつけるもんじゃねえぞ……オズ……」
「――バルダ!」
バルダの意識が戻った。オズは駆け寄り、その手をつかむ。
「オズ……俺は……もうだめだ……わかるんだ……自分自身で、よ……」
かすれ声を吐き出すバルダ。オズは激しく首を振った。その言葉の意味を、理解したくなかった。
「おい、バルダ……冗談はよせよ……」
「はは……なに泣いてんだ……。男、だろ……?」
バルダは苦笑し、片方の手を震わせながら持ち上げた。オズの頬に触れ、流れる涙をぬぐう。遠くを見るような目で、彼は口を開いた。
「カミさんが、死んだのは……十五年前だった。……流行り病、だった……」
「……?」
突然の話にオズは戸惑う。バルダの顔をじっと見つめた。
「身ごもって、いたんだ……。お腹の中には……俺の、子どもが、いた……。でも、カミさんと一緒に……死んじまった……」
「…………」
オズは静かにバルダの話に耳を傾けた。絶対に聞き逃してはいけない話だと思ったから。
「……オズ、お前を、初めて見たとき……驚いたぜ……。吸い込まれるような、紫の瞳。……俺のカミさんも……紫色の瞳だった……」
バルダがオズの頬を撫でる。オズは息を飲んだ。その紫黒の瞳を潤ませて。
「俺の子どもが、生まれてたら……ちょうど、お前ぐらいの年ごろだ……。俺は……お前が……オズが…………息子の生まれ変わりじゃ、ねえかと………………がはっ」
バルダが咳き込み、口から血が噴き出る。
「――バルダ! わかったから! もう無理をするなッ!」
懇願するように叫ぶ。バルダの手が冷たくなっていく。熱を逃がすまいと、オズは彼の手をぎゅっと握りしめた。頬を流れ落ちる涙が、止まらなかった。
「……オズ。最後に、俺のことを……“父さん”って、呼んでくれや……」
か細くなった声でバルダがつぶやく。オズは彼を見つめ、震える口をなんとか開いた。
「最後、とか言うなよっ…………父さん……ッ」
オズの言葉に、バルダはうすく笑みを浮かべた。
そして――
「……はは…………オズ、お前に会えて、よかっ…………」
かすれる言葉から、音が消えていく。
バルダのまぶたがゆっくり閉じる。
それきり、身動きひとつしなくなった。
「――――バルダ?」
返事はない。
バルダの冷たくなった手を離し、オズは肩を揺さぶった。
「おい……うそだろ……バルダ、起きろよ、なあ。……これから、“父さん”なんて、いくらでも呼んでやるからっ、返事をしてくれよ! なあ! ――父さん! 父さん! 父さんッ!」
オズは何度も呼びかけた。
「父さん、父さん」と。
その声が、枯れつきるまで――。
一人の偉大なバスターが、この世を去った。
息子と信じた少年を、命をかけて守り抜いて。
オズの脳裏を、バルダとの思い出が駆けめぐっていた。
酒を飲み明かしたこと。おはよう、おやすみ、と声をかけ合ったこと。湯屋で心行くまで温まったこと。
バルダは安らかな寝顔で横たわっていた。
もう、バルダが目覚めることはない。あの優しい笑顔を、もう見ることはできないんだ。
涙を流しつくしたオズは考えた。
バルダは俺を守って死んだ。俺が、弱いから。バルダを殺したのは俺なのか? それとも、人間を襲うガイムがわるいのか?
オズにはわからなかった。いくら考えても答えはでない。ただ、「バルダが死んだ」という事実があるだけだった。
ドオォン――
衝撃音とともに、城壁が揺れる。
「まずい、ガイムの群れが迫っている。そろそろここから逃げないと」
「逃げるって、どこへですか……?」
「あの大群が城壁を喰い破るのも時間の問題だぞ……」
「ああ、この街はもう終わりだ……」
絶望の嘆き声が聞こえてくる。オズは顔を上げた。
周囲には、バルダと同じように、
手足を負傷して、戦うことが望めなくなったバスターが、暗い目で顔をふせていた。
非戦闘員である治療班員が、どうすればよいのかわからず、切迫した様子で右往左往していた。
ふと、オズの目にとまるものがあった。
「このGブレードは……?」
壁に、使い古されたGブレードが立てかけられていた。
「バルダさん、のだよ。わたしが、ひろってきたの……」
隣からかかるのは、セナの上ずった声。バルダの亡骸を見つめ、真っ赤に目をはらしている。
――男はな、守ってなんぼだと思うからだ。
セナの泣き顔を見て、バルダの言葉を思い出す。オズがバスターを目指すきっかけとなった言葉だ。
オズはセナの横顔を見つめた。
なんのために俺は生かされたのか。ここでガイムの脅威に屈するためじゃない。俺は、セナを守ると決めたんじゃないのか――
黒紫色の瞳に焔が宿る。立ち上がり、バルダのGブレードを手に取った。
「父さん、借りるよ」
眠るバルダへ声をかける。自分のGブレードは戦場へ置いてきてしまった。
チームのメンバー、三人の予備生を見渡す。
「俺は戦いに行く。城壁を破られ、ガイムがなだれ込めば、この街は終わりだ。どのみち、戦わなかったら俺たちは死ぬだけなんだ。……なら、俺は戦う。最後まで、怪物どもにあらがってやる」
セナが立ち上がった。
「わたしも行く」
「――だめだ! セナは安全な場所へ避難するんだ!」
反射的に口走る。しかし、セナは憤慨したようにオズを見返した。
「安全な場所なんて、もうどこにもないよ! わたしだけ逃げるなんてできない! どうしてそんなこと言うの?」
オズは一瞬、口ごもるが。
「……守りたいからだ。もう大切な人を失いたくない。だから……セナ、たのむ。俺の言うことを聞いてくれ」
セナは泣きそうな顔で。
「――わたしだって、オズくんのことを守りたい! オズくんが行くなら、わたしも絶対に行く!」
セナの決意に満ちた目を見て、オズは戸惑う。
ルークが立ち上がった。
「一人でなんて行かせないよ。ボクも行く。オズだけ行くなんて水くさいじゃないか。それに、バルダがやられて黙ってるなんて、ボクにはできそうにないね」
「ルーク……!」
黒縁メガネをクイッと上げるルーク。その姿を見てオズの胸は震えた。
二人には来てほしくない。なのに、胸を揺さぶるこの気持ちはなんだろう。
「……わかった」
オズはうなずいた。
「最後まで、一緒に戦おう。――ありがとな、二人とも」
オズは心の底から思った。セナとルークに出会えて、本当によかったと。
オズの言葉に、姉弟は微笑む。
「――くそッ! 勝手にしやがれ! オレは行かねぇからな!」
予備生最後の一人、アルスはGブレードを床に叩きつけた。乱暴な言葉とは裏腹に、握りしめた拳がぶるぶると震えていた。赤い獣耳はおびえたようにふせられている。
オズは彼の思いを推しはかる。アルスの過去をオズは知っていた。
唯一の肉親、兄をガイムに殺されたのだ。幼いアルスが兄の元へ駆けつけた時、すでに彼は息を引きとっていたという。
バルダが死んだ姿を見て、兄のむごたらしい死にざまを思い出してしまったのかもしれない。
「――行こう」
オズは姉弟に声をかける。震えるアルスへなんと言えばいいか、オズにはわからなかった。
「バルダをよろしくお願いします」
バルダの亡骸を置いていくのがオズには辛かった。声をかけられた院長はうなずいて。
「私たちも、最後までバスターを治療し続けるわ」
オズは振り返り、もう一度バルダを見る。
――いってくるよ、父さん。
心の中でつぶやく。前を向き、足を踏み出した。
戦場はガイムで埋めつくされていた。オズたちを見向きもせず、怪物どもは城壁に喰らいつく。街へ侵入することしか考えていないかのように。
下級バスターたちが、城壁に貼りつくガイムを引きはがそうと奮闘していた。
バスターの数がだいぶ少なくなったように思う。あれから幾人ものバスターが犠牲になったのだろう。
予備生も、下級バスターを援護するべく駆け出す。
しかし、オズは走りながら奇妙な感覚を覚えていた。
バルダのGブレードは、不思議なほどオズの手になじんだ。言葉では表せない熱のようなものがオズの体に流れ込み、煌々と満ちていた。
あふれる熱に突き動かされるまま、オズは言う。
「ちょっと、やってみたいことがある」
直後、オズは近くのゴドラへ突っ込んだ。
「――オズくん!?」
何事かとセナが悲鳴を上げる。ルークもオズの行動に目をむいた。
当然だろう。予備生が強化されたガイムに突っ込むなど、狂気の沙汰としか思えない。
だが、オズには確信があった。
沸騰しそうなほど熱くなったマナを、Gブレードに、Gスーツに、流し込んでいく。
「――シッ!」
オズはGブレードを振り上げた。
腕が、剣筋の最適解を叩き出す。
ガイムの装甲を斬り裂くたしかな手ごたえが伝わってくる。
――ズパッ!
コンマ数秒ほど遅れて、ゴドラが真っ二つに割れる。
砕片が飛び散り、怪物が消滅していく。
「――えっ!?」
「マジ!?」
姉弟が驚愕に目を見開く。だが、真に彼らを驚かせたのはその後に起こった光景だった。
ガイムの砕けた装甲。その欠片が、オズの元へ引き寄せられるように集まっていく。オズがガイストーンを分解吸収するさまを二人は見たことがあった。目の前の光景はその現象によく似ていた。だが、違ったのはオズのGスーツが輝きを増したことだった。
怪物の砕け散った体を吸いつくし、オズは実感する。自分に目覚め始めた、新たな力の幼芽を。
オズは
Gブレードを脳の指令のまま滑らす。それは、何十年と振り続けた剣技を体現するような感覚だった。
強化されたガイムをオズは一太刀の元に叩きふせる。ガイムの体が欠片となってオズへ吸い込まれていく。上昇する熱に、体が歓喜の喝采を上げる。オズはさらに加速し、次の獲物を斬りつける。
怪物を斬り殺し、その砕けた体を吸収するたび、オズは加速した。
スピードだけではない。パワーまでもが指数関数的に上がっていくのを感じた。感覚が研ぎ澄まされていく。Gスーツから湧き出る黒光の輝きが、みるみる増していく。
視線の先、まがまがしい威圧感を放つ化け物の姿が見えた。ガロンを含めた上級バスターたちが、苦戦している様子がうかがえた。
不思議と、恐怖はなかった。静かな激情がオズの胸を渦巻いていた。
オズは駆け出した。
因縁の相手と、決着をつけるために。
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