第十一話 不良少年の過去

その墓・・・の前で、なにしてやがる」


 アルスはもう一度、静かに口を開いた。その目には隠しようのない憤怒の色が塗りたくられている。なぜ彼が怒っているのか、オズにはわからなかった。


「いや、気になって見てただけだ」

「気になった……だと?」

「ああ、気になっただけだ。なにか問題あるのか?」

「――――」


 アルスは黙りこみ、肩を震わせる。その憤怒の表情はいつものチンピラのようなものでなく、年相応の少年のもののように思えた。


「――調子にのってんじゃねぇぇ!」


 アルスは吠えた。次の瞬間、彼は眼前に迫っていた。


「くッ!」


 オズはとっさに体をひねり、パンチをかわす。どうやらアルスは言霊無しノン・スペル身体活性ブーストしたらしい。


「《バイキル・オーラ!》」


 ならばとオズも輝術オーラを行使する。遅滞した世界で、アルスが放った二発目の拳が目に入った。

 オズは自分のリーチがアルスに比べて短いことを自覚していた。今から殴り返してもとどかない。オズは歯を食いしばり、迫りくる拳に合わせて額を突き出した。――頭突きである。

 オズの頭と、アルスの拳がぶつかった。


「ぐおッ!?」


 アルスはひるんだ。自分の手に走る予想外の痛みに顔をゆがめる。オズはすかさず彼の懐に入り込み、アッパーを繰り出した。「クソがッ!」と叫び、アルスが膝蹴りを放つ。


「がはっ!」

「ぐぼぁっ!」


 二人の攻撃が当たったのは同時だった。オズの拳がアルスの顔にヒットし、アルスの蹴りはオズの腹をとらえた。お互い吹き飛ばされ、地面を転がっていく。しかし、ここでレベルの差が如実に表れた。先に立ち上がったのはアルスだった。


「てめぇ……許さねぇ! ずけずけとこの墓に近づきやがったあげく、オレにたてつくとはッ! ――ぶっ殺してやるッ!」


 いまだ膝をついていたオズへ、アルスが飛びかかる。

 その時。


「――アルス!? なにをしているの!? やめなさい!!」


 院長の叫び声。庭の方向から、院長が飛ぶように走ってくる。


「ちっ、ババアか……くそっ」


 アルスと院長は知り合いらしい。彼は裏の門へ逃げるように駆けていった。

 オズは見た。去り際、院長へ向けるアルスの表情を。そこには自責の念にも似た感情が見え隠れしていた。素行不良の少年からは、とても想像できない表情だった。


「オズさん、大丈夫ですか!?」


 息を切らしながら駆け寄った院長は、心配そうにオズの肩を支えた。


「このくらい、なんてことないですよ」


 オズは無理に笑い、立ち上がろうとする。しかし、院長はそれを制した。


「動いてはだめです。少し、じっとしていてくださいね」


 院長はそう言って、オズの腹部に手をかざすと。


「《プリマ・ヒューマ! 浸潤の癒し!》」


 言霊スペルとともに、青い輝きを放つマナの奔流があふれ出す。その流れはみるみるうちにオズの体内へ染み込んでいった。オズが驚きに目を見開いているうちに、やがて光は収まった。


「――癒しの輝術オーラ?」


 オズが驚いたのも無理のない話だった。治癒効果をもつ輝術オーラには光属性と水属性があるが、どちらも低レベルでは使いこなせないと聞いたからだ。


「そうよ。これは水属性の輝術オーラ。私、これでも昔はガイムバスターだったのよ。……それより本当にごめんなさい。あの子が迷惑かけてしまって」


 院長は、沈痛な面持ちで頭を下げた。

 彼女がかつてガイムバスターだったとは思わなかった。戦いのイメージからかけ離れた人なだけに、オズは素直に驚いていた。

 気がつけば、アルスに殴られた痛みはもう感じなくなっていた。輝術オーラの腕もたしからしい。


「痛みが引きました。ありがとうございます、治療して下さって。……それにしても、アルスとはいったいどういう関係なんですか?」


 お礼を言いつつも、オズが気になったのはアルスと院長の関係だった。そして、この墓のことも。


「……あの子は昔、この孤児院の子どもだったのよ」


 やはりそうか、とオズは思った。アルスからすれば、院長は育ての親のようなものなのだろう。オズは、去り際のアルスの表情を思い出していた。

 院長は物憂げな表情を浮かべ、立ち上がると、墓のそばまで歩み寄った。


「ここにはね、あの子のお兄さんが眠っているの」

「――アルスの、お兄さん?」

「そう。アルスの兄――クルスも、この孤児院の子どもだったわ。クルスはとても面倒見のいい子だった。そんなクルスにアルスは懐いていて……。本当に、仲のいい兄弟だったわ。アルスもあの頃は素直な子だったのだけれど……」

「……二人に、いったい何があったんですか?」


 不躾ぶしつけだとは思いつつも、オズは尋ねた。あの赤髪の少年の過去が、オズにはどうしてか気になったのだった。


「クルスは、バスター予備生だったわ。――けれど、ガイムに殺されてしまったのよ」


 急に風がやんだように感じた。ガイムは人間を襲い、捕食する―― 知ってはいたことだが、今までオズはガイムの被害を目の当たりにしたことはなかった。


「あの日、ここボストの街へ向かって〈ライン〉を移動中の人々が、ガイムに襲われたわ。ガイム討伐の任務で〈ゾーン〉の外に出ていたクルスが、たまたまその場面に遭遇したの」


 この世界の街々は〈ゾーン〉によって守られている。そして都市と都市――ゾーンとゾーンの間は〈ライン〉と呼ばれる道で繋がれている。このゾーンとラインには、ガイムの意識をそらし、遠ざける効果がある。――しかし、それは完全ではない。時に、ガイムはゾーンで守られた街に攻め入り、ラインを移動中の人間に襲いかかる。


「人々をガイムから守るため、クルスは戦ったわ。数人の死傷者をだしつつも、クルスはガイムを倒しきった。けれど、大勢の人間を守りながら戦うのはとっても難しいことなのよ。――ガイムから人々を守った代償は大きかった。クルスは街に運び込まれた時、すでに虫の息だったわ」

「――――」


 オズは口を開くことができなかった。この世界の残酷な現実を知らなかった自分自身に気がついたからだ。


「けれど、私たちはクルスの死に目に会うことはできなかった。急いで駆けつけた時には、もうクルスは帰らぬ人となっていたわ。死に際、クルスは、自分をこの孤児院のそばに埋めてくれ、と言ったそうよ。きっと、残されるアルスやほかの子どもたちのことが心配だったに違いないわ。――けれどそれから、クルスがいなくなってから、アルスは変わってしまったわ。行き場のない怒りをもてあますように、周囲の人に当たり散らすようになって……。そしてなにより、心から笑わなくなってしまった。そして、二年前に孤児院を飛び出し、気がつけば、あの子は兄のあとを追うようにバスター予備生になっていたわ」


 オズは暗澹あんたんとした思いでうつむいた。アルスにこんなにも悲しい過去があったとは、想像もしていなかった。


「ガイムとの死闘によって変わりはてた兄の姿に、あの子はこの世界の残酷さを見たのかもしれないわ。それに、ふつうラインを移動する際は、バスターを護衛につけるものなのよ。でもその時、移動中の人たちはバスターを雇っていなかった。バスターを雇うのはお金がかかることだし、ラインを移動中にガイムに襲われるなんて、夢にも思わなかったそうよ。――でも、もしそこにほかのバスターがいれば、クルスはきっと死ななかったと思うわ。だからなおさら、あの子は兄が死んだことを受け入れられなかったかもしれない……」


 アルスの兄が死んだ理由――それはガイムのせいだけではなく、人間のせいでもあったのだ。だからアルスは、兄が死んだ今になっても、世の中に――人間に、牙を向けているのかもしれなかった。


「クルスがいなくなって、アルスは一人になってしまった。――あの子に両親はいないわ。アルスにとって、クルスは唯一の肉親だったのよ。……そして、私では、あの子の兄の代わりになることはできなかった――」


 院長は顔に影を落としながら、そう吐き出した。そこには、アルスに対する自分へのやりきれない負い目があるようだった。


「ガイムに家族や友人を殺された人は、そうめずらしくはないわ。私はそういう人たちを幾人も見てきた。そして私も、仲間を――大切な人を、多く失ってきたわ。たしかに、時には人間の慢心や不注意が、ガイムの被害を大きくすることもある。でも、バスターを経験した私はわかるわ。わるいのはすべてガイムなのよ。――ガイムは人の人生を変えてしまうの」


 バスターとして、様々な人の死を見てきた院長の言葉は重かった。オズはなんと言えばいいのかわからなかった。

 日は落ち始めていた。物言わぬ墓石を、夕陽が赤く照らしていた。



 * * *



 孤児院を出たオズは、ぼんやりしながら来た道を戻っていた。遅くなってしまってバルダが心配してるかな、などと考えながら足を動かす。

 途中でバスタージムの前を通りかかると、なにやら騒がしいことに気づいた。不審に思ったオズはジムに足を踏み入れた。

 中ではGスーツを装備した戦闘態勢のバスターが何人も待機していて、オズは驚く。ウサミミを目印にしてホールを見回すと、書類を手に忙しそうな様子のミオを見つけた。


「ミオさん、なにかあったんですか?」

「――あ! オズ君! それがですね、ガイムの群れが〈ゾーン〉を抜けて街の城壁に喰らいついたんです!」

「えっ!? 大変じゃないですか!」


 しかし、ミオは慌てて。


「あ、でも大丈夫ですよ。ついさっき連絡が入ったんですけど、群れといっても数体だそうです。もうジムマスターたちが討伐し終えたみたいですから」

「そうですか。びっくりした……」

「ただ、肝心の突然変異体ミュータントはそこにはいなかったみたいで……。今後もこういうことが起こるかもしれないので、警戒を強めてるとこなんです」


 単独で行動する習性をもつガイムが群れた――それは、ガイムたちが突然変異体ミュータントの支配統制を受けていることを意味する。


「予定どおり、明日は大規模調査に向かいますが……なにが起こるかわかりません。オズ君、気をつけてくださいね」


 ミオは心配そうに告げた。

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