第五話 俺、強くなるから。

 ボストの街に朝が訪れていた。朝独特の匂いが店内にあふれている。

 オズは目を覚ました。しかし食堂のテーブルに座ったままであることに気づく。昨夜はそのままテーブルに突っ伏し、寝てしまったらしい。


「あぁ……キミのその耳、艶やかな毛。素晴らしい……。アンジェリカたん、最高だよぉ……ぐふ」


 床の上で寝ていたルークがなにやら寝言をつぶやいた。夢でも見ているのだろうか。鼻提灯はなちょうちんを膨らませ幸せそうに寝ている。

 きのう聞いたところ、彼は十四歳であるらしい。一方、オズは自分の年齢がよくわからなかった。元の世界でいくつだったのか思い出せないからだ。この肉体アバターの年齢はルークと同じくらいだろうか。ならばひとまず自分も十四歳ということにしておこう……


「――よう、起きたか」


 振り返るとバルダがいた。椅子に腰かけ、新聞を片手にコーヒーを飲んでいる。バルダの垢抜けた雰囲気も相まって、なかなかさまになる光景だった。


「おはようバルダ。いつ起きたの?」

「ああ、ついさっきだ。ミダに叩き起こされた」


 バルダは肩をすくめた。噂をすればとばかりにエプロン姿のミダが厨房から姿を現す。


「ルーク、いい加減そろそろ起きな。もうすぐ開店時間なんだ。いつまでもここで寝てられちゃ困るんだよ」


 ミダが寝ているルークを揺する。これも昨夜聞いた話だが、ミダには巨人タイタンという種族の血が流れているらしい。高身長なのも納得である。


「うー……もう朝か……。ていうか、頭がめちゃくちゃ痛い……」


 ルークは頭を押さえながらのそりと起き上がった。二日酔いのようだ。


「ははは。まだまだだなルーク。見ろ、オズはピンピンしてるぞ!」

「うぅ……今日はバスタージムで訓練の日なのに……飲むんじゃなかった……。部屋に戻って支度してくる……」

「ルーク、部屋に戻ってそのまま寝るんじゃないよ」


 ミダが心配そうに声をかける。は〜い、と気だるげに返事をし、ルークは階段へ向かった。


「さて、ちょっと早いけどオズにも朝食を用意するからね」


 そう言って、ミダは忙しそうな足取りで厨房へ戻っていった。


「オズ、飯を食い終わったらさっそく花屋に向かうぞ。意外に思うかもしれねえが、花屋の朝は早いんだ」


 バルダに言われ思い出す。そうだ、花屋で働くことになったんだっけ。

 オズはバルダにせかされながら朝食をとった。朝から元気なオジサマである。

 しばらくすると支度を終えたセナとルークが降りてくる。彼らより先に朝食をとり終えたオズは、バルダに花屋へ連れられるところだった。


「オズくん、お仕事がんばってね」

「あ、ああ……。セナも訓練がんばれよ」


 セナの様子はきのうと同じくやはりおかしい。どこかしっくりしないものを感じながら、オズは花屋へ向かった。



 * * *



 花屋〈サン・ラトリ〉。店長のバルダが一人で営む小さな店だ。外観は落ち着いていてシャレた雰囲気がある。

 バルダはシャッターをがらがらと開け、店内へ入っていった。


「そうだな、オズにはまず花の水替え作業をやってもらおう」


 店内に並ぶ花々。バルダから仕事の手順を教えてもらい、オズはさっそく取りかかった。

 オズはもやもやとした気持ちを抑えられなかった。自分は花屋の仕事をしていていいのだろうか。バスターになるべきではないのか? しかしバスターは危険な仕事だ。ガイムは人間を捕食するという。それと戦うのだから、いつ命を落としてもおかしくない。なにより、これはゲームではない。死んだらそこで終わりなのだ。


「――あ、いたっ」


 いろいろ考えながら作業をしていたせいか、花のトゲを指に引っかけてしまう。徐々に血がにじみ出る。


「どうした? ……おっと、指を切ったのか。ちょっと待ってろ、手当てしてやるから」


 バルダはカウンターのそばまで行き、救急箱と思われる箱を持って戻ってきた。


「ほら、そこに座って手を出せ」


 バルダは近くにあった椅子を引き、オズに座るようにうながす。オズが椅子に座ると、バルダはオズの手をそっと持ち上げた。そして箱から薬を取り出し、オズの指を消毒していく。指にぴりっとした痛みが走った。


「ん、しみるけど我慢しろよ。……その花は〈リュコエ〉っていう花でな、トゲが鋭いんだ。気をつけろよ」


 真剣な表情でオズの手当てをするバルダ。慎重に、そして優しく処置を施していく。手を通して伝わるバルダの熱は、オズにはなんだかむずがゆかった。――もし自分に父親がいたらこんな感じなのかな。オズはふと思った。


「花屋の仕事に慣れないうちは、よくケガをするもんだ。俺もそうだったからな」

「へぇ……バルダはいつ花屋を始めたんだ?」

「この花屋は元々カミさんが経営してたんだ。けどよ、カミさんが死んじまって。……まぁずいぶん昔のことだけどな。それからだ、花屋の仕事を始めたのは。カミさんが愛したこの店を、俺は終わらせたくなかったんだ」


 最後は噛みしめるように。バルダは店内をいつくしむように眺めた。そんな彼にオズは思わず見入ってしまう。


「バスターの仕事、気になるんだろ?」

「えっ」


 いきなり核心を突かれ、オズは面食らう。バルダはかすかに笑みを浮かべると、オズが手入れしていた花、リュコエを一輪つかんだ。


「この花はな、俺にとって特別な花なんだ」

「特別な花?」

「そうだ。この花にはな、いくつか花言葉があるんだが、その中でもひときわ素敵な言葉がある。それはな……“君を守る”だ。俺はな、カミさんにプロポーズする時、この花を渡したのさ。俺は誓ったんだ、この花に。いつまでも守りぬくってな。カミさんは死んじまったが、それでも、この花屋にカミさんの心は今でも息づいてると思ってる。だから、俺はこの店を守ってるんだ。守ると約束したからな。……オズ、なんで俺がこんな話をしたかわかるか?」


 バルダに問われ、その理由を考える。素敵な話だった。彼が何を想ってこの花屋を営んでいるかよくわかった。そんな一途なバルダの生き様をかっこいいと思うし、尊敬もする。しかし、なぜ彼が自分にこんな話をするのかはわからない。


「……どうしてだ?」

「男はな、守ってなんぼだと思うからだ」


 “守る”――その言葉が、オズの胸を妙に揺さぶった。


「オズ、よく考えてみろ。お前はガイムに襲われていたセナちゃんを助けた。けどよ、もしそこにお前がいなかったら、セナちゃんはどうなってた?」

「俺がその場にいなかったら……セナはガイムに喰われてた」


 その場面を想像してしまって、オズの背中に嫌な汗がつたう。


「もし、オズがバスターにならなくて――このまま花屋の従業員を続けて、それでオズが知らないうちにセナちゃんの身に危険が迫ったら、どうする?」

「――いやだ」


 考える間もなく、口から言葉がこぼれ出た。


「そんなことになったら、俺はきっとバスターにならなかったことを後悔する。自分が知らないところでセナが死ぬなんて耐えられない。俺がバスターになっていて、その場にいたらセナが助かっていたのだとしたら、なおさら耐えられないよ」


 オズは、自分がバスターにならないことで失われる命があることが、怖かったのだ。


「守りたいものがあるなら、男は命をかけてそれを守りぬかなきゃいけないと思うぞ。オズはどうしたい?」

「俺は……」


 オズは顔を上げ、バルダの目を見た。自分の、決意にも似た思いを伝えるために。


「――俺は、ガイムバスターになりたい。それで、少しでも多くの命を救えるなら」


 バルダは微笑んだ。


「よし、だったらはやくセナちゃんたちのところへ行ってこい。この時間なら、まだ蜂蜜荘にいるはずだ」

「わかった! ――あ、バルダごめん、せっかく従業員として雇ってくれたのに……」

「はは、若いやつがそんなこと気にするな。ただ、これだけは約束だ。毎日元気な姿で帰ってくること。バスターは危険な仕事だから、無茶はするなよ」

「――ああ、ありがとうバルダ。じゃあ、いってくる!」

「おう、いってこい」


 オズは花屋を飛び出した。走って数分、蜂蜜荘にたどり着く。ちょうどセナとルークが入り口から出てきたところだった。


「――セナ!」


 セナは驚いたように振り向いた。彼女の前まで走り、オズは膝に手をつき息を吐く。


「セナ。話があるんだ」

「――え? な、なに?」


 ぐいっと顔を近づけると、セナは身を強ばらせた。ルークは何も言わず、しかし興味深そうにオズとセナを見る。


「俺、決めたよ。……俺は、ガイムバスターになる」


 セナは動揺した様子を見せ。


「お、オズくん……急にどうしたの? バスターはとっても危険な仕事なんだよ? それに、花屋で雇ってもらえたのに、やめるのはもったいないよ」

「でも、セナは前に誘ってくれたじゃないか、バスターにならないかって。……俺、強くなるから。バスターになってセナを守れるくらい、 強くなるから」


 セナは頬を染めるが、やがてうつむいた。


「でも……でもわたしはミュウ族なんだよ? いっしょにいたら、わたしはいつかオズくんに迷惑・・をかけることになる。だから、オズくんはわたしと関わらない方がいいの!」


 肩を震わせるセナ。オズはやっと気づいた。セナの様子が変だったのはこのせいだったのかと。オズはセナの肩をつかんだ。


「迷惑かどうかなんて、決めるのは俺自身だ。迷惑だなんて、死んでも思ってやらないからな! ミュウ族だからなんだ! ミュウ族なんて俺からしてみればプラスでしかないぞ! なんたって俺は――セナの耳が、けっこう好きだからな!」


「すすすすすすすすすき!!??」


 セナは目を見開き、肩を縮こまらせる。潤んだ瞳でオズを見つめた。


「それに、俺はガイムに襲われているセナを助けただろ? けど、もし俺がバスターにならなくて、また同じような状況でセナが危険に陥ったら……って考えたら、いてもたってもいられなくなったんだ。もしそうなったら、俺は後悔するなって」


 セナの目から一筋の涙がつたい落ちた。その筋はみるみるうちに増えていき、セナの美しい頬を濡らしていった。


「――セ、セナ? どうして泣くんだよ」

「わ、わかんない。どうしてだろ」


 自分でも不思議そうに、セナはその小さな手で涙をぬぐう。


「本当に、わたしなんかが一緒にいていいの?」

「なんか、じゃないよ。セナだから一緒にいたいんだ」

「――ありがとう、オズくん」


 セナは目に涙を溜めながら微笑んだ。優しさと温かさが溶け合った、美しい笑顔だった。


「……グスリ。ボク感動したよ……二人とも末長くお幸せにね……」


 気づけば、弟のルークまで泣いていた。


「はは、なに言ってんだよルーク、お前もずっと一緒だぞ!」

「――あれ? オズ、それはちょっとちがくない?」


 ルークがずっこける。それを見て、オズとセナは笑い合ったのだった。

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