第四話 蜂蜜荘の蜂蜜食堂
アパート〈蜂蜜荘〉。薄茶色の外観。七階建て。セナとルークはここに住んでいる。
一階は飲食店になっている。味のある筆跡で書かれた「蜂蜜食堂」という看板が目に入った。ちょうど夕食時だからだろうか、オズの目の前で次から次へと客が店内へ入っていく。この時間からすでに客たちは酒を飲んでいるようで、店内からは酔っ払いたちの大きな笑い声が響いていた。
にぎやかな場所だった。ここら一帯は蜂蜜食堂のほかにも多数の飲食店や酒場が営業されていて、人が多く行き交っていた。夜だというのに周りの建物から漏れ出す光で明るい。飲食店や酒場の上階は、蜂蜜荘と同じくマンション型の集合住宅になっている所が多かった。まるで歓楽街と住宅街が融合したような不思議な場所である。
「ミダおばさん、心配してるかな……」
「そりゃ心配してるさ。早く姉さんの元気な姿を見せてあげないとね」
姉弟たちは言葉を交わし、食堂の中へ入っていく。オズもそれに続いた。
「ミダおばさんって?」
「このアパートの大家さんだよ。蜂蜜食堂の女将さんもやってるんだ。昔からお世話になってる人で、わたしたちにとてもよくしてくれるの」
店内は客であふれんばかり。とても騒がしかった。所せましとテーブルが並べられていて、客たちの熱気も相まってオズには少しせせこましく感じられた。だが俗っぽいたたずまいではなく、西部劇の酒場をモダンにアレンジしたような雰囲気で、どこか品があった。
「あ、ミダおばさん! ただいま!」
「――セナ!? 無事だったのかい!?」
身長180センチはありそうな長身の女が走り寄ってくる。エプロン姿のその女は驚きで目を見開いていて。おそらく彼女が“ミダおばさん”なのだろう。しかし、彼女の外見はおばさんのイメージからかけ離れていた。顔は二十代前半くらいに見える。モデル系美女といった風だ。ミダは突撃するような勢いでセナに抱きついた。
「ああ、よかった……! 心配したんだからねえ! 怪我はないのかい!?」
「む……ぷはっ。ミダおばさん、苦しいよ」
「おっと、ごめんねえ。思いっきり抱きしめちまったよ。でもその調子だと元気そうだねえ。アタイ安心したよ」
ミダはセナが無事なのを確認すると安堵の息を吐いた。セナの方も、そこまで心配されてどこかこそばゆそうだ。
「あのね、この人がわたしのこと助けてくれたんだ。オズくんっていうの」
ミダはオズに視線を向けるとおもむろに手を伸ばし、肩をばしばしと叩き始めた。
「あんたがこの子を助けてくれたのかい! ありがとうねえ」
「い、いえ、どうも……っ!」
すごい力だ。叩かれるごとに肩が沈む。見た目に反して豪快なお方である。姉御という感じ。
「ミダおばさん、あとね、じつは報告しなきゃいけないことがあるんだ」
「なんだいルーク。あんたがそんな真剣な顔するなんてめずらしい」
「……不本意な評価だけど、それはひとまず置いておこうか。ミダおばさん、驚かないで聞いてほしいんだけどね。なんと、ついに姉さんにも“春”が来たらしいんだ!」
「――ほ、本当かい!?」
ミダが叫んだ。セナとオズを交互に見る。そして再びルークへ視線を戻した。こくりとうなずくルーク。
「なあセナ、二人ともいったいなんの話をしてんだ?」
「わかんない。春ってなんだろ。もうそろそろ夏なんだけどな……」
オズとセナが頭上に疑問符を浮かべる中、ミダとルークは笑みを交わし合っていた。ほがらかな笑みを浮かべるミダ。にやつくルーク。
「へえ……あんたも女の子だったんだねえ。アタイ安心したよ。――セナ、惚れた男は絶対に逃がすんじゃないよ!」
セナの肩に手を置き、ミダは目を光らせた。一瞬きょとんとしたセナだったが、しばらくすると顔が赤くなっていく。
「…………え、ええぇえ!? ほほほほほれたというか!? わ、わわわわわたしはたすけてもらっておずくんがあのそのくぁwせdrftgyふじこlp」
あたふたと狼狽するセナ。ルークは黒縁メガネをくいっと押し上げた。
「こ、これは……! おもしろすぎる…………っ!」
* * *
酔っ払いたちの笑い声が響く中、隅の方にある丸テーブル――姉弟にとっての定位置らしい――で三人は夕食をとっていた。
異世界の料理はとびきり美味しかった。オズが注文したのはステーキ定食。〈ブノ〉という動物の肉で、話を聞くとどうやら牛に似た動物のようだ。セナは〈アクタ・スパゲティ〉という料理を音を立てず器用に食べていた。はむはむと頬張る彼女の様子はどこか小動物を連想させ、オズはなごむ。ルークは〈キャタロー・ソテー〉という虫料理をおいしそうに食していた。彼の前には魔境が広がっている。モザイク処理を施すべきだ。
「どうしたんだいオズ。そんな苦い顔をして。――あ。もしかして虫料理を見るのは初めてかい?」
オズの挙動を不審に思ったのか、ルークが問いかけた。
「あ、ああ。初めて見たけど、俺にはちょっと無理そうだ……。その、なんだ、虫料理を食べるのは普通なのか?」
ルークは目を細めて思案顔をつくる。
「なるほどね。オズはこの国の出身じゃないのかもしれないよ。この国だと虫料理は一般的だけど、他国ではそうでもないからね」
「そ、そうなのか」
オズはぎこちなく答えた。はたして、自分が異世界人であることを言った方がいいのだろうか……
「オズくんの記憶、どうすれば戻るのかな……」
「そうだねぇ……。とりあえず、診療所に行ってみてもらうのはどうだろう?」
姉弟は心配げな表情で顔を見合わせた。
「――い、いや、そこまでしなくても大丈夫だ。ふつうに生活して様子を見ようと思う」
オズは慌てて手を振る。おそらく、自分の記憶はもう戻らない。根拠はないがオズはそう感じていた。自分が異世界人であることも含め、いつか打ち明けよう。オズは心に決めた。
やがて、仕事に一区切りついたのかミダがやってくる。四人で食事をするうち、バスタージムでのいざこざについて話が及んだ。
「……そんなことがあったのかい。大変だったねえ」
つい先ほど起こった騒動の顛末を聞き、ミダはいたわりの表情を見せた。そんな中、オズは遠慮がちに口を開く。
「なぁ、“
「……
セナが沈痛な面持ちで、ゆっくり言葉を吐き出した。それにルークが続く。
「この言葉の由来を知るためには、ミュウ族の歴史を話す必要があるね」
「ミュウ族の歴史?」
「うん。ボクたちミュウ族の故郷はね、今はもうないんだ。百年前、ガイムの〈波〉に呑み込まれて滅びたんだよ。……でもね、滅びたのはある意味自業自得だったんだ。ミュウ族はバスター連盟に加盟しなかった唯一の種族だからね」
「バスター連盟に加盟しないと、なにかまずいのか?」
「そうだね。まずいどころの話じゃないかもしれないね。ほかの国から援助はまったく受けられないし、それになにより、ミュウ族の国には〈ゾーン〉を設置してもらえなかったんだ」
「――!? そんな危険をおかしてまで、どうしてミュウ族はバスター連盟に加盟しなかったんだ!?」
オズは思わず息を飲んだ。ゾーンにはガイムの意識をそらす効果がある。つまりゾーンがなければその国は常にガイムの脅威にさらされることになるのだ。
「ミュウ族はね、元々排他的な種族だったらしいんだよ。プライドが高かったんだね。ボクたちにはその気持ちはよくわからないけどさ。まあ、だからそんなミュウ族はバスター連盟に加盟しなかった。“人族の助けなど借りなくとも、自分らの力でガイムの脅威に立ち向かえる”って言ってね。……それで、案の定ミュウ族の国は滅びた。ゾーンがないのに〈波〉に抵抗するなんて、いくらなんでも無理がありすぎたんだ」
「……それで、ミュウ族の国が滅びたあとはどうなったんだ?」
「〈波〉の被害を受けて故郷を追われたミュウ族は人族の国へ逃げ込んだ。けど、人族はそんなミュウ族に対していい顔はしなかった。当然だよね。今までほかの種族を見下して、でかい顔をしていたんだから」
ルークはそこまで言うと、一息ついた。
「それが、ミュウ族への差別に繋がったのか……」
オズは苦々しい思いとともにそう吐き出した。セナは料理を口に運ぶ手を止め、ふし目がちに手元を見つめている。ルークは続ける。
「そうだね。プライドの高いミュウ族は、もはや人族の助けがなければ生きていけなかった。そんな地の底まで落ちたミュウ族を、特徴でもある長い耳を揶揄して“
ルークが言い終えると、周囲には重苦しい雰囲気がたち込めた。オズは考えた。自分はセナとルークのために何ができるだろう。ミダはため息をついた。
「けど、それは百年前の話さ。今の世代は昔ほどミュウ族のことを差別してないはずだよ。そもそも、ミュウ族の存在自体がめずらしくなっちまったからねえ。アタイも、セナとルーク以外のミュウ族には会ったことがないよ。――けど、やっぱり差別は簡単には消えなくてね。いまだに、ミュウというだけで蔑む人も中にはいるんだ。ひどい話だよまったく。セナとルークは、こんなにもいい子たちなのに……」
ミダは姉弟へ目を向けた。そこに浮かぶのは心からの親愛の情と、憂いだった。ミダにとって、姉弟は自らの子ども同然の存在なのかもしれない。
「あのアルスってやつ、許せないな。今度会ったらぶん殴ってやる」
「まあオズ、気持ちはわかるけどね、あの子もあの子でいろいろあるんだろうさ。抑えてやんな。あの子の不幸な身の上は街中が知ってるくらいだからねぇ」
オズはいぶかしみ、問いただそうとする。ふらりと来客が現れたのはそんな時だった。
「――よう、取り込み中わるいな。席あいてるか?」
オズたちが座るテーブルへ、渋い男の声がかかる。四十代ほどの男が立っていた。スラリとした長身はミダと同じくらい、180センチほどであろうか。無造作に散らされた茶髪に無精髭、どこか“ダンディーなおじさん”という雰囲気が漂う男だった。しかしその容貌とは対照的に、どこか人懐っこそうな笑みを浮かべていた。
「ああ、バルダじゃないか。今椅子を持ってくるから待ってな」
ミダは立ち上がり隣のテーブルから椅子を引き寄せる。わるいな、と言いながらバルダは腰かけた。
「こんばんはバルダさん」
「おー、バルダ」
「セナちゃん無事だったか。よかったよかった」
セナとルークが声をかけ、バルダが手を上げる。どうやら知り合いらしい。
「ん? きみは……」
バルダはオズを見てしばしの間、目を見開いた。数秒ほどオズの顔をまじまじと見つめる。
「オズといいます。えっと……俺の顔になにか?」
「――い、いや、なんでもねえ。じろじろ見てわるかったな」
「オズくんはね、わたしを助けてくれた人なんだよ」
「ほお! そうか、若いのにたいしたもんだ。俺はバルダっていうんだ。よろしくな。俺は蜂蜜食堂の常連でな。ここの近くで花屋をやってる」
「花屋、ですか?」
「おうよ。――あ、ついこの間、店の宣伝のためにカードを作ったんだ」
バルダはジャケットのポケットから一枚のカードを取り出した。やるよ、と言ってオズに渡す。
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花屋 サン・ラトリ
あなたに幸せ咲かせます
店主 バルダ・リトヘンデ
場所 ○△□……
ご連絡はこちらまで ○△□……
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かわいらしいピンク色のカード。ダンディーな雰囲気のバルダから渡されるとギャップを感じてしまう。
バルダが料理を頼んだため、ミダが厨房へ下がっていく。その時、セナが思いついたように。
「そうだオズくん、行くあてがないならバルダさんの花屋で雇ってもらうのはどう? バルダさん、この前『そろそろ従業員でも雇おうかな』って言ってたよね?」
オズは首をひねる。「一緒にバスターやろうよ」という話はどうなったのだろう。疑問に思う中、セナは口早に事情を話していく。バルダはオズが記憶喪失で帰る場所がないことを知ると。
「じゃあうちに来るか? 部屋もあまってるしな」
「うん、それがいいよ!」
セナの焦ったような様子は釈然としなかったが、あれよという間にバルダの家でやっかいになることが決まった。花屋の従業員としても雇ってくれるらしい。
「えーと、バルダさん、明日からよろしくお願いします」
オズは頭を下げた。しかし、そんなオズの態度にバルダは嫌がる素振りを見せ。
「敬語なんていらねえよ。堅苦しいのは嫌いなんだ。あと、さんづけもいらねえ。バルダでいい」
「……わかった。これからよろしく、バルダ」
「そう、それでいい。俺の方こそよろしくな、オズ」
満足気にうなずくと、バルダは人のよさそうな笑みを向けた。
「――さ、そうと決まれば酒だ! 今日は俺がおごるから好きなだけ飲め! ミダ、酒だ! 酒を持ってこい!」
バルダに呼ばれ、厨房からミダが戻ってくる。
「ツマミは〈マシューマン〉だからな! 三皿頼む!」
「はぁー、わかったよ。けどほどほどにしときなよ。酔っ払いの面倒は見たくないからね」
「あ、ミダおばさん! ボクは〈ハニービール〉ね!」
「わたしも! オズくんも飲むといいよ。とってもおいしいから!」
ミダは「はいはい」と言い、再び店の奥へ引っ込んでいった。
しばらくして、酒とツマミが運ばれてくる。
「ぷはーっ。食後のハニービールは最高だねえ」
「お、いい飲みっぷりじゃねえかルーク!」
「ほら、オズくんも飲んでみて。これ、すっごくおいしいんだよ。蜂蜜食堂の看板メニューなんだから」
「そうなのか。だから
夜はふけていく。オズとルークも酒を飲ませられ、ミダが店を閉めても酒盛りは続いた。途中、バルダが「男だけで飲むぞ!」と叫び、セナが苦笑しながら上階の自分の部屋へ帰っていく。ミダも同じくだ。ルークが早々にダウンしたので、オズはふらふらとしながら、上機嫌なバルダの酒に付き合ったのだった。
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