Episodi 6 緑と撫子

 赤煉瓦の道を二人で歩いていく。

 木の柵だけが、小麦畑と人の道を遮っている。時々家畜の間の抜けるような鳴き声が響く。虫の羽音。鳥の声。

「あ、燕――」

 不意にジゼルは空を仰いで立ち止まった。それにつられてヘロも立ち止まり、眉根を寄せて、同じように空を見上げた。

「もうすぐ秋だから、飛んでいっちゃうね」

 はあ、とヘロは嘆息した。随分と暢気なことだ。

『そなたの恋人のところにはよらなくていいのか?』

 シクルがその体で、通り過ぎた視界の端にある水色の木の家を透かした。

「……独りになりたい時だって、あるだろ」

『そうかのう……』

 どこか納得していないような声でシクルは言った。

『そなた、あの娘を手放したくないのだろう? ならば安心させてやるほうがよいと思うぞ。同じ旅には出られないのだから』

「こっちが先」

 ヘロはぼそりと呟いた。再びジゼルの手を引いて歩く。

『やれやれ、相も変わらず気が短いな』

 シクルは心底呆れたような声で言った。

 ジゼルは不思議そうな顔でヘロを見た。独り言を言っている変なやつだと思われたかもしれない。まあ、どう思われたところで特に悪いわけでもないし。ヘロはぎり、と歯噛みした。

「食べ物とお金は支給されるから。特に宿に困ることもないだろ。こっちは巡礼者で、むしろもてなされる側だしな。俺の場合は後は着替えと歯を磨くものと……あとシクルさえあれば特に何もなくてもいいけど、女はそういうわけにも行かないんだろ。ジャクリーヌだって随分と前から色々用意してたしな。ジャクリーヌに連絡とってやるから、後で聞いておけよ、今日一日しかもうないんだし」

「ヘロ」

 不意に、ジゼルが硬い声でそう呟いて、また立ち止まった。ヘロは眉をひそめて振り返る。

「何。早く歩いてよ」

「ヘロ。あまりにもそれは、無神経だよ」

 ジゼルは、眉根を寄せて小さく呟いた。

「あまりにも、無神経だと思う」

「煩いな、なんだよ、いきなり」

「ねえ、わたしは……別に、一人で大丈夫……だから今は、あなたはジャクリーヌの側に……」

 ジゼルはどこか苦しそうにそう呟く。

 ――大丈夫じゃねえんじゃん。そんな顔して。

 ヘロは嘆息した。

「何を心配しているのか知らないけど、ジャクリーヌは別にそんなことを嫌がるような人間じゃねえよ。心の狭いくだらないやつらと一緒にしないでくれる?」

「そう」

 ジゼルはまだ顔をしかめていた。

「でももし……わたしがジャクリーヌだったら、嫌だと思うよ」

「……ほら、早く歩けって」

 ジゼルは黙ってついてきた。ヘロは悶々と考えていた。ジゼルの言っていることが、よく理解できなかった。そりゃ、ジャクリーヌのことは大事だ。傷ついているだろうとも思う。本当は心配だし、顔を見に行ってやりたい。けれど独りでいたいかもしれない。本当にヘロが必要なときは、ジャクリーヌはちゃんと言える娘だった。だから、何も連絡がないということは、そういうことなのだ。それよりも、いきなり巡礼者に選ばれたこの魔道士をどうにかしてやらなければならない。町の人たちがあんな様子では、揃えなければいけないものもうまく揃えることは難しいだろう。だったらジャクリーヌに意見を聞くのが最善だとヘロは考えていた。明日には出発しなければいけない。巡礼者に選ばれるということは、この星の人間ではなくなるということだ。連合星全てのために生きなければいけない――それだけを、求められるから。

 やがて、ヘロの足は斑に塗られた金色の柵の前で止まった。その奥にある、緑のテロルペンキで塗りたくられた木の扉。それは陰る赤い陽射しに照らされて、凹凸の影がくっきりと見えていた。ヘロは深く息を吸って、吐いた。ジゼルの手を引いて階段を上り、扉を押し開ける。ガチャリ、という音が白い壁に反響するほど響いた。

「ただいま」

 ヘロの掠れた声に、母さんが台所から顔を覗かせた。その顔は笑顔で輝いている。

「ヘロ! 話は聞いているわよ、もうまったく、帰りが遅いんだから! 早くあなたの口から聞きた――あら?」

 母さんは眉をひそめた。ヘロの後ろで、少しだけ背を丸めるようにして立つ少女を見て、次に彼女と繋いでいるヘロの手を見る。

 どういうこと?、と訝しげな目で訴えてくる。ヘロは、何の感情も持たないように努めながら、なんでもないことのようにさらりと言った。

「魔道士。連れてきた。泊めていいだろ? トゥーレだってよく泊まってるんだしさ」

「そ、んなことを急に言われてもねえ……その子の親御さんにはちゃんと伝えているの? それに、トゥーレは男の子でしょう。女の子とはまた別よ――」

「何か問題でもあるの? どうせ俺、明日からはずっとこいつと寝泊りして旅するんだぜ。今更恥ずかしいも何もないだろ。それに、色々とこいつと話もしとかなきゃいけないんだ……時間がないんだよ。ジャクリーヌとはずっと話してたけど、こいつはまさか選ばれるなんて思ってなかったから、何も知らないし何の準備もしてないのに、出発は明日なんだ」

「それはそうかもしれないけれど、…………そうね、ジャクリーヌのことは……かわいそうだったわ」

 母さんがその表情を翳らせる。ヘロは母さんが目を伏せた瞬間、その顔をにらみつけた。勢いで、ジゼルの手も強く握り締めてしまった。ジゼルの指がぴくりと揺れた。

「母さん、選ばれても選ばれなくても可哀相ではないしそういう問題じゃない。神器が選んだことなんだよ。そこに可哀相なんて人間が言える権利なんてある? まだそんなこと言ってんの? ていうか、母さんまでそんなこと言う? 俺の、母さんが」

 ヘロは、【俺の】に力をこめて、母さんをじっと見つめた。

 母さんは目を見開いた。しばらくヘロをじっと見つめていた――やがて、目元をふっと優しく細める。

「そうね……そう、そうだわね。母さんちょっと、あの子にやっぱり情があったから……でも、そうね、その通りだわ。じゃあ、夕食は、多めに、作りましょうね」

 母さんもまた、【多めに】を強調したようにヘロには思えた。

「あ、あの……」

 ジゼルが蚊の鳴くような声で言った。 

「す、すみません……あの、あまり食べないので、おかまいなく……」

「あら、そういうわけには行かないわ。魔道士用のお料理を作ってあげるわよ。この星の女達はね、自分の子供が勇者か魔道士になったときのために、出発前に食べておくべき料理のペステレシピをちゃあんと身に着けてから嫁入りするんだから。腕が鳴るわね。本当はジャクリーヌに作ってあげようと思って材料も用意していたの。あの子はほら、実のお母さんを早くに亡くしているでしょう? だからと思っていたのだけど……とにかく、無駄にならなくてかえって助かるのよ。どうぞ、食べていって」

 母さんは笑った。

 そんなこと、言わなくていいのに。言う必要ないはずなのに。ヘロはなんだか無性に心が苦しくなって、目を伏せた。母さんは、ジゼルに気を使わせないために言ったのかもしれない。だけど……だけど、そんなこと、本当に言う必要があっただろうか? 母さんの笑顔はどことなく硬かった。それでも――と、ヘロは頭を振った。少なくとも、母さんはジゼルにあの人たちほどの嫌な目を向けないでいてくれた。それだけでも十分だと思わなければいけない。何を期待していたって言うんだ……ヘロは、微かに深く息を吐いた。

「じゃあ、部屋に行ってる」

 ヘロは静かに呟いて、ジゼルの手を引いた。母さんは溌剌とした声で追いかけてきた。

「はいはい。父さんも急いで仕事を終わらせるって張り切っていたわ。今日は夕焼けの頃にお食事できそうね」

 その声にヘロは振り向いて、しばらく動くことができなかった。

「ヘロ……?」

 ジゼルが心配そうに顔を覗き込む。なんでもない、と言うように、ヘロは首を振って、小さく嘆息した。

 本当に、親というものは、よくわからない。



     *



 ヘロの部屋は緑と紺色、そして白木の色で満たされている。

 天井には淡い緑の星座絵の壁紙が張られ、紺色のルーデルカーテンにも白い小さな四芒星の模様が散らばっていた。

 部屋には二段の寝台が安置されていた。その縁は全て濃い緑色だ。ジゼルが知る限り、ヘロは一人っ子のはずだった。なのにどうして二段もあるのか、図りかねる。ヘロが使っているのは上段のようで、布団が綺麗に敷いてあった。対して下段には色鮮やかな撫子色ショッキングピンクの、寄木造りの箱がいくつも積み重ねられていた。結局、下段は物置に使われているのかもしれない。

 白木の床を満たす真っ白な絨毯の上で、ヘロは胡坐をかいた。ジゼルも恐る恐る、パースドレスの裾を押さえてその場に座った。

 ヘロは腕を伸ばし、宙に浮いたシクルの表面を指でくるくると撫でた。まるでノルレラオーロラのような光の膜がシクルの中心から放射状に伸びる。その光の膜上に映る、たくさんの水色の四角の輪郭を、ヘロは器用になぞっていった。静かな時間が流れる。ジゼルは手持ち無沙汰で、ヘルメスの杖を撫でながら天井を見上げた。天井から吊り下げられた四芒星形のエルリーモニュメントが微かに揺れている。窓から吹く風が当たっているのだろう。

 ――女の子の部屋みたい。

 そんなことを思った。ジゼルはヘロの顔を見つめる。……真剣な顔で、まだノルレラオーロラの表面をなぞっている。ジゼルは視線をヘロの前髪に移した。彼の前髪の左側には、箱と同じ鮮やかな撫子色ショッキングピンクの二本のレルピンがいつものように刺されている。

「ヘロは……撫子色ピンクが好きなの?」

 ジゼルは小さな声で尋ねた。ヘロがようやく、少しだけ視線を上げた。

「あ? ああ、まあ」

 ヘロは短くそう答える。

「変って思ってるだろ」

「そんなこと、ないよ」

「よく言われる、変って」

「でも……」

 ジゼルは寝台の縁をそっと撫でた。

「それなら、わたしだって変……だよ。わたしは、緑色が好きなの……あとね、蛙とか……変でしょう?」

「蛙?」

 ヘロは眉をひそめた。

「うん」

「へえ……変ではないけど、珍しくはあるかもな」

 ヘロはなんでもないことのようにそう言った。

「ジャクリーヌに手紙を送っておいた」

「シクルで?」

「そう。誰にも言うなよ、これほんとはやっちゃいけねえんだから」

「言わないよ」

 ジゼルは小さく笑った。

 文字を伝えるのは本来、魔術師の勉強をしたものだけが使える魔術だ。

 魔術師の蛹たちが学校で最初に学ぶことは、魔術と魔法は厳密には違うと言うことだ。

 シクルを用いたそれは魔法と呼ばれ、

 シクルではなく文字や音を使うのならばそれは魔術と言う。――実際には混同されていることのほうが多いのだが。

 そして魔術の基本は、【座標】を定めると言うことだった。

 シクルの魔法は座標を必要としない。魔法の質も正確さも、すべては勇者の蛹自身の能力と、シクルとの共鳴力に左右される。対して魔術師には、座標を正確に設定する能力が求められる。正しく計算をし、美しく陣を描くこと。対象の図形的な美を正しく把握すること。

 魔術で手紙を送るというのは、文字を離れた場所へと送ることだ。つまり、ある座標から別の座標へとそれらの図形を移動させるということなのだった。それは魔術師だけが使える、特権的な術とされていた。だから勇者の蛹はその術を本来知らないし、知ってはいけない――けれど抜け道もある。もしも、魔術師の持つ固有の記号を――座標をシクルに記憶させれば、勇者の蛹でも容易に使えるようになるのだ。

 本来、勇者の蛹がその記号を魔術師から託されるのは、彼が【勇者】として選ばれた時に限る、とされている。けれど、それは原則であって、絶対ではない。実際に、恐らくは殆どの人々が暗黙のうちにそれらを利用しているだろう――特に、家族の間でなら。

「そうだ、あんたがこれからは俺の魔道士なんだから、あんたの座標を教えてよ。何かと不便だろ」

 ヘロはそう言ってジゼルを見つめる。

 ジゼルはぎこちなく笑って、目を伏せた。

「わたしには、使えないの」

「は?」

「わたしは……ばかだから、計算もうまくできないし、上手に絵を描くこともできない。だからわたしは、ほとんど魔法を使えないの。だから、わたしは確かにおちこぼれなの。どうして選ばれてしまったのか……わからないけれど、わたしには、何にもできない。あなたの役には、立てない」

 本当は、ジゼルにも選ばれた理由というものに一つだけ心当たりはあった。

 ジゼルは幼い頃から【声】を聞くことができた。

 それが誰の声なのか、最初はなかなかわからなかった。やがて学校へ通うようになって知ったのだ。それが、シクルたちの声だということに。

 それとほとんど同時に、他の誰も、その声に気づいていないのだということも知った。ジゼルが最初に気味悪がられたのは、ジゼルがシクルの声を他の子供に伝えようとしてしまったからだ。シクルを雑に磨く少年に、その子が痛がっていると告げた。それからジゼルは変わり者扱いされた。気持ち悪い子だと、陰口を叩かれた。教師からでさえ目をつけられた。ばぁばの対応も悪かったのだ。ばぁばはへらへらと笑って、何が悪いんだと平気で言うような人だった。ジゼルはよけいに、学校で身の置き場に困るようになった。こんな声は聞こえてはいけないんだ、聞こえないのが普通なんだと、そこでようやく気づいたのだ。

 そして、ひたすらにシクルたちの声に耳を塞いできた。けれどジゼルはヘルメスの杖に触れることになってしまった。そして、彼の声を聞いた。彼と言葉を交わしてしまった。出来損ないの自分が選ばれた理由なんて、他に思いつきようもない。

 けれど、この人なら――ジゼルはヘロの夕焼け色の瞳を見つめた――この人は、気持ち悪いだなんて思わないでいてくれるかもしれない。なら、言ってよいのだろうか。話して、怖がられないだろうか。受け入れてもらえるだろうか。

 隠そうとしていたようだけれど、ヘロは確かにヘロのシクルと言葉を交わしていた。そしてヘロのシクルもまた、他のシクルとは異なる音で彼に話しかけていた。言うなれば、今までジゼルが聞いていたのはシクル達の心の音だった。そして、アポロの縄やヘルメスの杖、ヘロのシクルのそれは、紛れもない【声】なのだった。人の話す言葉そのものだ。

「はぁ……、なるほどね。何であんたがあんなに周りにおちこぼれって言われてたのかわかったよ。じゃあ、連絡手段に魔法は使えないって訳だ」

「ごめん……なさい」

「別に。ならずっと一緒にいればいいだけじゃん」

「えっ?」

「何?」

 ジゼルの頬が赤く染まっていく。嫌だ、わたしったら、はしたない。何を考えているの。他意なんてないのよ。この人には大事な恋人がいるじゃない。

「なん、でも、ないよ」

「そう?」

 ヘロは少し納得しかねるような顔で眉をひそめた。

「あの、わたし」

「何?」

 ヘロはノルレラオーロラを蝋燭の火を吹き消すように息で消した。そのまま深いため息をついて、膝を伸ばし、後ろ手をつく。ヘロは静かな眼差しでジゼルを見つめ返した。ジゼルは、喉の奥でじゅくじゅくと膿んだ言葉を、やっとの思いで吐き出した。

「わたし……多分、なんだけど」

「うん」

「あのね、わたし……シクルの声が聞こえるの」

 ヘロは黙っていた。その目はわずかに見開かれた。ジゼルはひゅう、と細く息を吸った。

「それから、ね、わたし……この杖や、アポロの縄の声もわかったの……他の子には、聞こえないみたい……だから、きっと、それだけの理由で選ばれてしまったの……何もできないのに……」

 ジゼルは杖を胸にぎゅっと抱えた。

「ごめん、なさい」

「はぁ? だから、何でいつも謝るわけ」

 ヘロは素っ頓狂な声を出して、深く息を吐き出した。

「じゃあ、こいつの声も当然聞こえるんだな?」

 ヘロはシクルを指ではじく。

『痛いぞ』

 シクルが不機嫌そうな声を出した。

「うん……」

 ジゼルは、困ったように笑った。

「ずっとね、あなたたちが話していたの、本当は聞こえていたの。最初は、わたしの気のせいかとも思ったんだけど……やっぱり、あなたにも聞こえているのね」

「俺はさすがに神器の声までは聞こえねえよ。現に鏡とは会話も何もあったもんじゃなかったし」

 ヘロは肩をすくめる。

「俺のシクルが言ってたんだけど、神器とシクルは本来似たようなものだってさ。同じ材質でできているんだって」

「それって……」

 ジゼルは宙でふわふわと浮かぶシクルを見つめた。

「神器の魔力の源は、玻璃だということ……?」

『そうだよ』

 シクルは穏やかな声で答える。

『すなわち、娘、ジゼルと言ったか。そなたは玻璃の鼓動を聞くことができる類稀な才を備えているのだ。魔術が使えない? そのようなこと、瑣末な問題だよ。魔法など、この魔力馬鹿に任せて置けばよいのだ』

「ちょっとさあ、」

 ヘロはむっとしたような声を漏らした。

「魔力馬鹿って随分な言い方じゃねえの? そもそもその魔力も元はあなたの力だろ」

『ふむ。しかしそなたに力がなければたいした火力も出せない』

 ジゼルは目を伏せた。

「よかった……気持ち悪いとか、言われなかった」

「は?」

 ヘロは首をかしげて、しばらくして何かを察したようだった。

「別に何も思わねえよ。ていうか、むしろこっちこそ、隠し事しなくてすんで助かってるし」

「そう、ね……やっぱり、こういうの、言いづらいよね」

「うん」

「よかった」

 ジゼルは笑った。

「よかった」

 ジゼルはもう一度呟いた。ヘロはそんなジゼルの様子を、不思議そうに見つめていた。

「でさ、結局俺達――まあ、あんたはもっとだろうけど、勇者や魔道士になったはいいし、旅に出るって事だけは知らされてるけど、具体的に何のために巡礼するのかよく知らないんだよな?」

「うん」

 ジゼルは素直にうなずいた。ヘロは息を口の端から一気に吐いた。

「明日、皇太子様から教えてもらえたりするのかなあ」

「そう……なんじゃないかな……」

 ジゼルは、少しだけ口ごもった。

 これを話していいのかどうか、わからなかったのだ。

「どうした?」

 視線を泳がせていると、ヘロが覗き込むようにしてジゼルを見つめた。

「あ、えっと……」

 ジゼルは少しだけ震える声で答えた。

「多分……ばぁば……わたしの養母も、何か知っているような気がするの……」

「あの変わり者で有名なゲルダ=フェルフォーネ、だっけ?」

「う……」

 ジゼルは俯く。ヘロは肩をすくめた。

「悪かったよ。そうじゃなくて、何でそう思うの?」

「なんとなく……あの人、本当は昔巡礼者だったんじゃないかなって……そんな気がして……色々知っているから」

「へえ……例えば?」

 ヘロは純粋な眼差しで見つめてくる。けれどジゼルはそれ以上を伝えることができなかった。それは、誰にも言うなと口止めされてきたことだったから。

 ――これを話したらお前、嫌われるからね。気をおつけ。

『自分で直接聞けばよい。又聞きなど信用ならん。自分の言葉で覚えるのが筋だろう』

 ジゼルの心を察したのか、シクルが涼やかな声で言った。

「まあ、それもそうだな」

 ヘロはあっさり引き下がった。ジゼルは視線を逸らす。シクルが助け舟を入れてくれてほっとしていた。

「でも、巡礼者だった……ねえ」

「あ、あの、もしかしたら、ってだけで……」

「いや、わかってるよ、もちろん。でもさ、もしそうだとしたらさ、あの吟遊詩人のばあさんと同じ時に星を巡ったはずだよな?」

「う、うん……」

「あのばあさんは、あんたのことを嫌ってるみたいだった」

『乙女に対して随分と心ないことを言う。そなたは本当にだめなやつだ』

 シクルが釘をさすように言った。ジゼルは苦笑した。

「ばぁばが言ってた……わたしがつけているこのペルフィアペンダントがいけないんだって……これをつけている限り、わたしは嫌われてしまうんだって」

「はあ? じゃあなんでつけてんだよ? 外せばいいじゃねえの」

「うん……でも、これは、わたしが生まれたときから持っていたんだって……わたし、捨て子なの。畑の中で泣いていたのを、ばぁばが拾って、育てたんですって……この星では、捨て子を拾うのも疎まれるでしょう? ばぁばは力の強い魔術師だから……だから誰もばぁばに文句は言えなくて、変わりにやっぱりわたしにそういうのは向かってしまった……のかなって……」

「はあ」

 ヘロはどこか投げやりに言葉を吐き出した。

「そんなの、おかしいじゃんか。何で我慢する必要あるんだよ。あんた馬鹿じゃねえの」

『自分も似たり寄ったりなくせによく言うわ』

 シクルがヘロの言葉に被せるように、鼻で嗤ったような声を出した。

「うっせえよ。とにかく……そのゲルダがあのばあさんと同じ巡礼者だったとして、あのばあさんはそのペルフィアペンダントを持つあんたを嫌ってんのに、ゲルダはそれでもあんたを育ててくれたって訳だ。変な話だな」

「うん……でも、多分、あのひとはわたしを愛してくれているわけじゃないから」

「なんで?」

 ヘロは眉根を寄せていた。

「なんでそう思うわけ?」

「それは……なんとなく、だよ」

『どこの家庭も様々だの……この星の子供は哀れなものだ』

「さっきから煩いなあ……なんであなたはそんなに感情移入しちゃってんの」

『この娘、気に入ったのだぞ』

「はぁ?」

「え?」

 ヘロとジゼルは殆ど同時に声を漏らした。

「はあ? それは、あんたの声を聞けるからとかそういうやつ?」

『それもあるが、それとはまた違った理由だよ。恐らくは……娘、そなたの養母と似たような理由かもしれない。会うのが楽しみだ』

「言ってることがずれてるんですけど」

 ヘロは嘆息した。それを見つめながら、ジゼルは眉尻を下げながらも微笑を浮かべていた。

「ヘロー?」

 階下でヘロの母親の声がする。

「ジャクリーヌが来てるわよー?」

 ジゼルはびくり、と肩を震わせた。――どういうことなの? 今、顔を合わせるなんて……そんなの、気まずいのに……。

「はあ、やっときた」

 ヘロはため息をついて、膝に手を置き立ち上がった。

「あ、あなたが呼んだの?」

「うん?」

 ヘロはきょとん、とする。

「そうだけど……どうかした?」

 ――この人……!

 唖然としてしまう。今すぐに、しかもこの家で、ヘロの部屋の中で会えと言うの? 一体どういう神経をしているのだろう。鈍感すぎやしないだろうか、とジゼルは小さな憤りを感じた。気が短いにもほどがある。ヘロは部屋の扉を開けて階下のジャクリーヌに声をかけた。軽やかな彼女の声が伝わって、やがてこつこつ、と靴のかかとが階段を鳴らす音が近づいてくる。ジゼルは震える声で零した。

「信じられない……」

『百年の恋も冷めるのう』

 ぼそりとシクルが呟いたので、ジゼルはひゃっ、と小さな悲鳴を上げた。

『あやつ、どうもこういうことに関しては初心すぎでな、どうも配慮が足りないのだ。困ったものだ。なかなか直らない』

 シクルはやれやれ、と声を漏らす、ふわふわとヘロの首筋の側に漂っていった。

 ジゼルはそれを呆然として眺めることしかできない。

 やがて、ジャクリーヌの華やかな笑顔が、ぱっと扉の隙間から覗いた。



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