第19話 アサヒ市 あさピー

 今、トウガネ市内では胃腸炎とインフルエンザが猛威を奮っている。とはいえ、まだオレの通っているトウガネ中学校で学級閉鎖は起きていない。

 そんな中、中2男子のオレはふつーの「風邪」をひいて熱を出し、学校を休んでいる。で、38.7度の高熱のぼーっとした頭で、病院の待合室で待たされているわけだ。熱以外、咳も、鼻水も、腹痛も、なんにもない。多分、風邪で確定だろう。なんだか流行に乗り遅れたような、妙なキモチがするのは、きっと熱のせいだ。


 トウガネバイパスにあるニキゴルフ裏の「リュウクリニック」の院内は、南国風にインテリアを統一している。というか、トウガネなのに、沖縄だ。室内にシーサーがいて、受付窓口の上には沖縄赤瓦が葺いてあって、いくつもある水槽にはカラフルな熱帯魚が泳いでいる。診察室の壁紙は水色の海で、イルカ達が泳いでいる。熱のあるオレはさっきから、水槽にいる黒い突起のついたヒトデがチマチマ移動しているのをぼーっと見続けていた。待合室は12時近くなって、やっと人数が落ち着いてきた、という感じだ。


「困った人がたくさんいるねぇ」

オレの熱い頭の中に、憑いていると言ってもいいトウガネ市非公認キャラやっさくんが、暢気に声をかけてくる。コイツ、なぜかオレをゆるキャラに変身させて人助けをさせようとする。で、なぜか左手の手首に小ちゃな鉛筆の芯を埋めやがった。理由はわからないし、コイツに聞きたくもない。今日は、まさか変身させたりしないよな?高熱出してるぞ、オレ。

「こんなに、たくさんは助けられないねぇ。医師免許も持ってないしねぇ」

体調は、無視かい!

「そういえば、ブラックジャックは、具合の悪い自分を自分で手術してたよねー」

あ、あったなー、そんな話。って、だから、オレ病人なんだってば。

「ブラックジャックと、『私、失敗しないので』の大門未知子が競演するドラマ、やらないかなー。あ、ピノコちゃん役は、女装した子役の心くんで」

思わず頭を抱えるオレの顔を、隣りに座る母が心配そうに覗き込んでくる。

「…なんだか、頭痛くなってきた…」

オレは、正直に今の病状を、母に伝えた。


 入り口近くから、急に女の子の激しい泣き声が聞こえた。幼稚園生だろうか。って、今日、平日じゃん。違うか。いや、具合悪けりゃ、休むだろう。うー、考えるの、だるい。

「おちゅうしゃ、いやーーーー!うそつきーーーーー!」

あ、インフルエンザの予防接種か何かなのかな。全力でなだめる母親を、全力で拒絶する。置いてあるスリッパを蹴飛ばし、ぶんぶん頭をふる顔から涙が吹っ飛んでいる。

「びょういんきらいいいいいいい!いやーいやーいやーーーーーーーーー!」

 手を貸そうとしたのか、一瞬、座っている母の腰が上がりかけたが、受付窓口のおねーさんが向かう姿を見て、安心したように座り直す。

「ちょっとトイレ」

女の子のお母さん、大変そうだな。あまり入り口を見ないようにして、オレはトイレに向かう。

 小用を足し、トイレから出て、大きな鏡のついた洗面台で手を洗おうとする。が、自動水洗にかざそうとする自分の手が、緑色になっているのに気付く。って、手じゃねえし!コレ、羽根だし!

 まさか、と思いつつ顔を上げると、どうみてもヒヨコにしか見えないゆるキャラに、オレは変身していた。

「ほんとに具合悪いんだねぇ。さっき、変身の合図の声もかけたし、トイレの個室で着ぐるみパーツ装着してたのに気付かなかったの?」

マジか。頭の中のやっさくんの声を、はり倒したくなった。っていうか、ここって、病院の中だよな。再度確認するために、オレは振り向いて見る。

 待合室にいる全員が、無言で、ゆるキャラであるオレを見ていた。なんだ、この悪夢は。


 やっぱり38.7度のカラダっていうのはキツいんだよ。で、この着ぐるみの中っていうのが、ますます体温を上げていく。しかも、今回のゆるキャラ、重いよ。頭の中でやっさくんが説明を始める。

「このキャラは、アサヒ市の『あさピー』。特産品のトマトの帽子に野菜の緑色の羽根、イワシの尾びれのシッポの、ヒヨコキャラだ」

正直、もう頭の中で何を言われてるか理解できない。熱すぎるし、重すぎる。嫌な汗が、出始める。

 ガクン、と自分のカラダが落ちる感覚があった。が、気合いで、ぶっ倒れないように、立て膝ポーズで、踏ん張る。頭のパーツが落ちたら、このシチュエーションだったらホラーに近い。

「ヒヨコちゃん、大丈夫っ?」

必死に目の焦点を合わせて見てみると、服の色から見て、さっき入り口で凄まじい勢いで泣いていた女の子が、オレことあさピーの頭を必死に押さえている。よっぽどグラグラしてるのか?オレ。子ども達の声が聞こえてくる。

「たいへん。ヒヨコちゃんが、たいへん!」

「がんばって!ヒヨコちゃん!」

 受付窓口のおねーさんは大人だから、一瞬、何が起きたのか理解する為にワンアクション遅れたのだろう。こういう時は、かえって子ども達の方が反応は早い。気が付くと、具合の悪い子や、予防接種に来たらしい子ども達数人に、オレは取り囲まれていた。その後ろで、おねーさんが、「あのー、えーとー」とか声を掛けてきていて、取り囲む子ども達の親は「具合いの悪そうなゆるキャラ」をどうしたらいいのかオロオロぎみで見ている。

「おかーさん、ヒヨコちゃんかわいそう!」

まだ涙の乾かない顔で、女の子がオレことあさピーの頭を撫でながら、言う。

ほかの子どもが、大発見したように、声を上げる。

「このヒヨコ、サカナのしっぽがある〜」

「きっと、この、すいそうのなかから、でてきちゃったんだ!」

「どうする?もちあげて、すいそうに、かえしてあげる?」

ちょ、ちょっと待てーーーーーーーーーーー。

オレことあさピーは、子ども達に声を掛ける。

「あ、ありがとピー。だ、だいじょうぶだピー」

必死でフラフラと立ち上がる、あさピー。

「ぜんぜん、だいじょうぶじゃないー」

「ヒヨコちゃん、たおれそうだよーーーーー」

「せんせいに、みてもらおう?ね?」

「そうだよ。それがいいよ!」

こういう時の、子ども達のチカラって強い。数人がかりで、引っ張ったり、押したりして、オレを診察室まで動かしていく。

ふと、オレことあさピーは、言ってみる。

「こんなことになるなら、痛いおちゅうしゃ、しておけば、よかったピー…」

何人かの子ども達の、ビク、とした反応があったが、変わらず、あさピーを動かすチカラを緩めない。

 診察室のドアを勝手に開けて、子ども達は、あさピーを中に押し込んだ。

「あれ?せんせいがいないよ?」

「せんせいどこー?」

「せんせい、はやくー」

子ども達が、先生を探しに診察室から全員出ていくのを確認して、オレはドアを内側から閉めて、開けられないようにしっかりドアノブを握った。と、握れるじゃん!と手を見ると、オレの手が人間の手に戻っている。いつ、元に戻った?

「ほんっとに、大丈夫?さっき、装着解除言ったよ?ぼくの声、聞こえてる?」

頭の中で、やっさくんの声が聞こえる。お前より、よっぽど、絶対、さっきの子ども達の方が、やさしいから。


 なんとかうまい具合に診察室から抜け出し、待合室の元いた椅子に戻るオレ。とにかく、熱い。これ、確実に悪化してるだろ?

「大丈夫?トイレ長かったけど、お腹痛い?」

心配そうな母の声にかぶせるように、看護士さんがオレの名前を呼ぶ。さっきまで泣いていた女の子の脇を抜けて、診察室に向かう。待合室の子ども達はみんな、水槽を見つめながら、何か特別な秘密を話すような小さな声で囁いている。

「このなかに、かえっちゃったんだね、ヒヨコちゃん」

「きっと、この、あかいのだよ」

「しっ!ないしょにしないと!」

どうして内緒にしないといけないのか、もう思春期まで育ちきってしまったオレにはわからない。ちょっとだけ、そんな考え方ができる子ども達を羨ましく思う。


 で、やっぱり風邪だったオレの体温は、診察室での検温で、39度を超えていた。ふざけんな。怒る気力も出ず、ただただ、うちの布団の中に戻ることを切望するオレだった。


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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