第4話
一番近くにいた猫が尻もちをついて叫んだ。
「出た!炎獣だ!!!」
白銀に輝く獅子のようなたてがみに、ふさりと長い尾。
蒼い瞳をまっすぐに向け、威風堂々と立っているのが、声を掛けてきた一頭だ。
連れてきた炎獣と同じ毛色だが、その余りの大きさと威圧感に、さすがのフィリップも声が出ない。
黄金色の瞳をしたもう一頭は、面倒臭そうにあくびをしながら寝転んでいる。
くわっくわと大きな口を開けてあくびをする度に鋭く尖った牙がむき出しになって、一同は震え上がった。
「くわわわぁ~。おい蒼蓮。さっさと帰ろうぜ。」
蒼蓮と呼ばれた炎獣は、呆れたように振り返る。
「なんですか、さっきからだらしない。そんなことで神の護りが勤まると思うのですか。黄蓮、我ら神獣なのですよ。」
あくびの方は黄蓮というらしい。
しかし余程眠いのか、身内の叱責にも黄蓮はあくびで答えた。
「ふわぁ~うぅ。護るったってジャニックのやつ、昼間っからいねぇじゃねぇか。」
「それはそうですが・・・。」
ジャニックは留守のようだ。
お付きの神獣ですら居場所を知らないらしい。
へへんと笑った黄蓮はまたあくびを噛み殺すと、ゆったりと首をめぐらせた。
「で?この罠を張ったのはどいつだ?」
ぎろりと見渡す眼光が鋭い。
電気ショックを受けたかのように、猫の一団が震え上がった。
「そこな人の子よ。」
蒼蓮に声を掛けられたイライザは、いつのまにかぎゅうっと火の鳥を抱きしめていたことに気付いて、慌てて手を離した。
「ごめん!思いっきり掴んじゃってた。痛かったわよね。」
火の鳥はイライザを見つめ、クルクルと鳴いている。
その様子を見た蒼蓮は、
「心優しき人の子よ。火の鳥は、己を護ろうとする者、護ってやりたいと思う者には熱を向けません。炎に包まれても火傷一つ負っていないことから見て、少なくとも罠を仕掛けたのは貴方ではないのでしょう。そこで一つ頼みがあります。
その罠を外してやってはくれませんか。我らではその罠、脚もろとも噛み砕くことしか出来ぬのです。」
「え、えぇ!父さん、手伝って。」
「分かった。そのまま抱いていなさい。」
ガシャン
ようやく罠が外され、フィリップが脚の状態を見る。火の鳥はされるままにおとなしい。
「大丈夫。折れてはいないみたいだ。オリビア梨の軟膏を塗ってもいいかい?」
首を傾げる火の鳥に胡桃の殻に入れた軟膏を見せると、フィリップは手早く傷口に塗りこんで、着ていたシャツを破って巻いてやった。
「これでもうだいじょうぶ。すぐによくなるよ。」
火の鳥は珍しそうに、脚に巻かれた布を眺めたりつついたりしていたが、やがて二人の手にそっと顔を寄せたあと、炎獣に向きなおり、丁寧にお辞儀をして飛び去った。
「さて。俺の質問に答えてもらおうか。このチンケな罠でうちのを捕らえようとしたのは、おまえら猫どもか?」
黄蓮の声に、太った猫が前へ進み出た。
「滅相もありません!私どもはほれこの通り!レッドフォレストの通行手形を持っております。」
「ちょっと待ちなさいよ!それは夏太郎の弟が!」
イライザが声をあげたとき、
「それはおいらが無くした通行手形だ!!!」
突然、茶トラの仔猫が飛び出してきた。
やっぱりそうだ。ブルーフォレストの泉を自転車で進んでいた、あのチビ猫である。
「おや、春さん。それは初耳ですぞ?」
仔猫に続いて、杖をついたキジトラ猫が出てきた。
ちょっと太めの猫は、二頭の炎獣へにこやかに笑いかける。
「相変わらず図体ばかりでかいのぅ。蒼蓮、黄蓮。」
炎獣たちは目を丸くした。
「これは吉右衛門どの。お久しぶりです。」
「なんだよ、乾物屋のじじいじゃねぇか。ん?そういや、お前もそうか?みんなチビだから全然気付かなかったぜ。」
事情がのみ込めてきた黄蓮の瞳が苛烈な光を帯びる。
「で、どっちが本物の吉右衛門なんだ?」
二頭の神獣を前に両者は対峙した。
蒼蓮側には十五匹の集団。
黄蓮側はたったの二匹。イライザ達はこちらについている。
茶トラの仔猫が掲げる旗を指差して、蒼蓮側の吉右衛門が主張する。
「確認するまでもない!この手形が証でございます!」
黄蓮は頷いた。
「確かに。ジャニックが発行した手形に間違いない。ということはこっちが本物か?」
すると、黄蓮の側にいた茶トラの仔猫が大声で否定した。
「違う!本物の吉右衛門様はこっちだ!」
「お前ら、手形は持っているのか?」
黄蓮の前にいた吉右衛門は、好々爺然と答えた。
「かっかっか。旗は持っておらんわい。」
「だからっ、旗はおいらがなくしたんだ!」
目に涙を溜めた春之進を、蒼蓮がたしなめた。
「泣いても許されませんよ。例え貴方たちが本物であったとしても、神より授けられた手形をなくすなど言語道断です。」
旗を掲げた集団から喝采が起こった。
「偽者だ!あいつらが偽者なんだ!」
「神を欺くとは、なんたる無礼な!」
「裁きを!不届きものには裁きを!」
その声に反応したのか、炎の鞭を持った火霊が降りてきた。
火霊たちはギラギラと瞳を燃やし、ゆらゆら飛びながら二匹の猫たちを取り囲んでいく。
ピシリ。
放たれた鞭に絡め取られ、イライザが転倒した。
「イライザ!」
フィリップが駆け寄ろうとするが、
ピシリ、ピシリ!
四方八方から火の付いた鞭は放たれる。
地面に放たれた鞭の跡は即座に燃えあがり、またたく間に孤立したイライザは、炎の中に閉じ込められてしまった。
「父さん!」
叫ぼうとするが、熱風を吸い込んだ喉はすぐに焼ける。
げほげほむせながら、何とか立ち上がって飛ぼうとした頬に新たな鞭が入れられ、イライザは再び倒れこんだ。
炎の輪が狭まっていき、次第に薄くなった空気のせいで意識が朦朧とする。
あぁ、あたしはフォレストでむせたり死にかけてばっかりだ。
横向きになった頬から血が流れているのが解る。
あぁ、今度は顔に傷まで付けてしまった。もうお嫁に行けないわ。頬に当たる空気も熱い。ここで独りむなしく焼け死んでいくんだわ・・・。
・・・イ・・ザ!
あぁ、こんなときに誰かがあたしを呼んでいる。
・・・ライ・・ザ!
あの声は・・・あの声は。
「イライザ!!!」
薄れ行く意識の中、イライザの瞳が最後に捉えたのは、燃え盛る炎の中に飛び込んできた、大きな白銀の狼だった。
その少し前。
心臓が突如、どくん。と跳ね、ジノは顔を上げた。
何だろう・・・。何かものすごく嫌な予感がする。
「ジノ?どうした?」
心配そうに見つめる夏太郎にジノは怒鳴った。
「夏太郎乗って!早く!僕の背中に乗るんだ!」
言われるまま飛び乗った夏太郎を背に、ジノは訳も解らず全速力で疾走した。
どくん、どくんと心臓が跳ね続けている。
木々がジノのスピードに合わせて、流れるように道を開く。
そのことに気付いたジノは、夏太郎を背中に乗せていることも忘れ、更にスピードを上げた。
ばしんっ!
茂みが開くのももどかしく体当りをしたジノは飛び出した。
急に開けた場所に出たかと思うと弟の姿が目に入り、夏太郎は迷わず背から飛び降りる。
夏太郎を降ろしたことにも気付いていないように、ジノは一直線に炎の中へ飛び込んでゆく。
「おい、ジノ!大丈夫か!?」
叫ぶ夏太郎に、目を腫らした弟が飛びついてきた。
「兄ちゃん!」
「春!!? それにじじい!」
訳が解らないまま辺りを見渡した瞳が見慣れた紅い旗を捉えたとき、夏太郎は全てを理解した。
吉右衛門が頷く。
「ちいと来るのが遅かったが、まぁよろしい。夏さん、春さん。やっておしまいなさい。」
「はい!」
ごしごしと涙を拭いた春之進が向き直って、自分とよく似た茶トラ猫を指す。
「ちょっと気に入らなかったのです。僕はそんな雑な模様ではありませんよ?」
その声音を聞いた夏太郎は、唇の端を上げた。
「お前ら残念だったな。俺の弟は見ての通り泣き虫だが、国じゃ一番の使い手なんだぜ。」
「イライザ!!!」
火の粉が降りかかるのも構わず炎の中に飛び込んだジノは、倒れこむイライザの頬から血が流れているのを見て激昂した。
「許さない・・・お前ら許さない!!!」
少しの間意識を失っていたようだ。
うっすら開いた目に、見慣れた大きな背中が飛び込んでくる。ふかふかできれいな白銀の毛並み。ふさふさの大きな尻尾。
夢じゃない、あれはジノだ・・・。炎に照らされて毛並みがきらきらしてる。とってもきれいだわ・・・。
ジノは四方八方から放たれる鞭からイライザを護りながら、自慢の毛並みがチリチリ焦げるのも構わず、飛んだり跳ねたりして火霊に噛み付いていた。
しかし牙が届く前に、ピシリピシリと新たな鞭に打たれる。
一つまた一つ。ジノの身体に火傷と裂傷が増えてゆく。
自在に飛び回る火霊と狼のジノは、戦いの相性が悪かった。
次第に流れる血の量が増えて行き、動きも鈍くなってゆく。
「だいじょ・・・ぶ。・・・くが・・僕が必ず護るから!」
ふらつく脚で再び地面を蹴ったジノの身体が、ついにぐらりと傾いた。
「ジノ!しっかりしなさい!」
ふわりと身体が浮き上がった気がしてジノが目を開けると、自分を抱えたイライザが懸命に飛ぼうとしていた。
「イライザ・・・。良かっ・・・。無事だった・・・だね。」
にっこり微笑んで、ジノは意識を失った。
ジノを抱えたイライザは、更に高く飛び上がって炎を抜けようとするが、重くて思うようにいかない。
繰り出される鞭が、ピシリピシリと絶え間なく自分たちを打っているが、そんなことはもう気にならなくなっていた。
こんなところで死んでなるものですか!
しっかりとジノの身体を抱えなおして、イライザが今一度地面を蹴ると、さっきより少しだけ身体が高く浮き上がる。
やった!
そう思ったのもつかの間、ピシリと放たれた鞭が手を打って、バランスを崩したイライザはジノごと落ちそうになった。
危ない!けど重い!!!
次の瞬間。大きな腕がイライザの身体をしっかりと支えた。
「父さん!」
「やぁ!遅くなってすまない!中々飛べなくてね!もう大丈夫だ。行くぞ!」
フィリップに手を引かれたイライザは、ぶわりと高く飛び上がって炎の中から飛び出した。
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