第3話
「・・・という訳なんだ。」
イライザたちは顔を見合わせた。
彼の弟がなくした通行手形は、未だ見つかっていないらしい。
灰色の縞模様をした若い猫の身体には、あちこちに小さな枝葉が付いていた。美しい毛並みは乱れ、白い手足は土に汚れ、どれだけ彼が懸命に探し回っていたか容易に知れる。
皆が心配そうに夏太郎を取り囲む中、フォレストに住むという若者だけが、全く興味なさそうに炎獣をあやしていた。
「ちょっと!あんたここの住人でしょ!?ドラゴンに再発行頼んでよ!」
「俺には関係ない。」
「なんですって!?それってあんまりじゃないのよ!」
大声に驚いて、炎獣がピクリと耳を震わせる。
「わめくな貧乳。」
ため息を付き炎獣をそっと膝に下ろすと、若者は初めて夏太郎に目を向けた。
「その猫は、ことの重大さを十分理解している。」
「・・・それって、どういうこと?」
よく解っていないジノは心配そうだ。
イライザは、やはり突き放したような物言いが気に食わない。
「貧乳貧乳言う前に、ちゃんと説明しなさいよ!」
まだ理解できないのかと彼は首を振る。
拳を握りしめたままうつむいていた夏太郎が顔を上げた。
「いいんだ・・・。その人の言うとおりなんだ。」
考えこんでいたフィリップが口を開く。
「手形が見つからないということは、他の誰かの手に渡った可能性がある。万が一、フォレストの外の者の手に渡ってしまったら、それは神を危険にさらすことにも繋がる。だから手形は易々と発行されるものではないし、無くしてしまったからといって、はい再発行といくはずもない。そもそも、夏太郎のお店に手形が発行されたこと自体、きっととてもまれなんだよ。神から信用を得たことになるからね。そういうことだろう?」
冷たい表情を崩そうともせず、若者は夏太郎を見ている。
「その通りだ。貴様、手形の力を知っているな。手形を持つ者は、容易に神の喉元に手が届く。その罪どうやって償う。」
涙をにじませた夏太郎は、まっすぐ視線を受け止めた。
「もしも・・・もしも見つからなかったら、俺の命を差し出してもいい。」
「そんな!」
イライザとジノは同時に声をあげるが、夏太郎は首を振る。
「じじい、いや店主に罪はないんだ。あいつはまだこのことを知らない。だから、俺の命で足りるか判らないけど、弟だけは・・・春之進だけは見逃して欲しいんだ。」
「できぬ相談だな。配下の失態は主の責。弟とやらは手形をなくした張本人だろう。お前たちの店もろとも屠ったとしても足りまいよ。」
「そんな!どうすれば、どうすれば神に会える?!せめて直接会って話をさせてください!」
ジノは夏太郎の店で食べた美味しいごはんを思い出していた。藍色の暖簾が風に揺らめく温かな店先で、ざるに並べられたたくさんの果物やきのこ。その横で腹を天に向け、気持ち良さそうに昼寝をしていた猫が主だと夏太郎は笑っていた。
たまたま行き会っただけの自分に、夏太郎は食事をご馳走してくれたのだ。
手際よく作られた玉子焼き、つやつやのごはんに出汁の効いたお味噌汁。
初めて食べたあの魚はなんて言うんだっけ・・・そうだ、ししゃも。木のテーブルに置いた七輪で焼きながら、柳の葉の魚と書いて、ししゃもと読むのだと教えてもらった。
そして、少し落ち込んでいた自分に夏太郎は言ってくれたのだ。人見知りで構わないと。
他人と話すことが苦手で構わないのだと。
あの温かな空間が、なくなってしまうかも知れない。
ジノはフィリップとイライザへ向き直った。
「僕、夏太郎と一緒に手形を探すよ。僕の鼻なら何とかなるかもしれない!」
「鼻ってあんた、まだ風邪が治ってないでしょう?効かないわよ。父さん、あたしたちも探してあげましょうよ。」
「それは構わないけど。」
「いや、イライザたちは先へ進んで。きっと見つけてすぐに追いかけるから。夏太郎のお店の匂いなら覚えてる。昨日ちゃんとお薬飲んだから、鼻だって大丈夫さ!」
珍しく真剣なジノの表情を見て取ったフィリップは頷いた。
「解った。じゃあ僕たちは先へ進んでおくよ。しかし、ここはフォレストだ。ただの森ではないことを十分頭に入れておくように。決して無理はしないこと。森を傷つけるような行いもご法度だ。もし何か起こったら、私たちのことを強く念じなさい、きっと伝わるから。すぐに駆けつけよう。いいね?」
ジノが頷くのを確認したフィリップが、改めてジャニックの居場所について尋ねようと振り返ると、若者の姿はいつの間にか消えていて、そこには不思議そうな表情の炎獣が、うろうろと岩の上を歩き回っているだけだった。
「春さん。これ春さんや。起きなさい。」
呼ぶ声に目を覚ますと、吉右衛門の姿があった。
手形を探し回り疲れ果てていた春之進は、食事の後どうやら眠ってしまったらしい。
「はい・・・。吉右衛門様。」
のろのろと身体を起こすと、吉右衛門は脚半を履いて杖を持ち、珍しく出掛ける支度をしている。
「・・・?どこかへゆかれるのですか?」
「さぁ早く用意なさい、そなたも共をするのです。」
「え?待ってください、一体どこへ・・・?」
「レッドフォレストへゆくのです。案内なさい。」
戸惑う春之進をまっすぐ見つめ、吉右衛門はきっぱり告げた。「・・・え!?」
春之進は、ぎゅうっと布団を握りしめた。
手形を無くしたことは、兄の言いつけでまだ吉右衛門には話していない。
そうだ・・・兄ちゃんは。兄ちゃんはいないのだろうか?
視界に入らなくても常に感じるはずの気配が、何故か今は全く感じないことに気付いた春之進の顔から血の気が引いていく。
まさか兄ちゃん、おいらの代わりにレッドフォレストに!?
「早くなさい!ぐずぐずしてると置いてゆきますよ!!!」
がばりと跳ね起きた春之進は、自慢の毛並みが乱れているのも直さず吉右衛門の後を追った。
乾物屋吉右衛門の軒先では、今日も暖簾が風に揺れている。
その頃、春之進から手形を奪った狸の一団は、レッドフォレストの前までやってきていた。
「よいか!我らは今からレッドフォレストに入り、ドラゴンを目指して突き進む。手形であるこの旗があれば、決して姿を現さない神の元へ、最短距離で確実にたどり着く。必ずやドラゴンを討ち取り、このフォレストを狸の楽園にするのだ!!!」
「うおおおぉう!!!」
長老の鼓舞に合わせて雄たけびを上げた狸たちは、取り出した木の葉を一斉に頭に乗せ、どろんどろんと煙を上げて変化した。それは様々な色形をした猫の姿だった。
あの仔狸は春之進に化けている。
まだ修行が足りないのか、目の周りが少し黒く毛並みも雑だが、春之進に見えないことはない。かたや太った長老は年の功か完璧な変化を見せ、声まで吉右衛門にそっくりだった。
偽吉右衛門の一行は紅い通行手形を掲げ、レッドフォレストへ入っていった。
一方、フィリップたちもレッドフォレストを進んでいた。
「ジノのやつ、大丈夫かしら・・・。」
ぼそりとイライザがつぶやく。
ジョジョと炎獣を肩に乗せたフィリップが微笑んだ。
「やっぱり心配かい?」
「そ、そんなことないけど!あいつまだ風邪引いてるし、どんくさいし・・・。」
「ふふ。そんなにむきにならなくても。ジノはあれで頼りになると思うよ。それより。今回も上手くドラゴンのところに案内してもらえると有難いんだけど・・・。」
遠ざけようとしているのか、案内してくれているのか。
簡単に通してくれないのはフォレスト共通だ。
進もうとする方向に森が開けるのか、開く方へ進まされるのか、歩いているうちによく判らなくなってくる。
不安に思って引き返そうとしても、振り返れば来た道は閉ざされている。
「うーん。火を吹く魔物とか火山とかって聞いたんだけど、出くわさないな・・・。」
「出くわさなくていいわよ!」
イライザはポケットに手を入れ、天女の加護があるという羽をそっと触った。
天女様、どうかお願いします。怖い魔物や鬼が出てきませんように。無事にドラゴンの元にたどり着きますように。・・・できればもう少し胸が大きくなりますように。
「待つんだイライザ、何かいる。」
熱心に祈っていたイライザは、声に驚いて足を止めた。
がちゃんがちゃんと何かがぶつかる音と、がやがや話す声が聞こえてくる。
本性である狼の姿に戻ったジノは、くんくん鼻先を動かして、フォレストの中を嗅ぎ回っていた。
草むらをかき分けながら、夏太郎も真剣な表情で手形を探している。
そんな二人をせせら笑うかのように、フォレストは景色を変えていく。
「だめだ・・・やっぱり見つからない。」
「夏太郎、僕は見つけるまで諦めないよ。絶対に見つけてみせる。」
ジノは地面を嗅ぎ回ったまま、顔を上げようともしない。
そうだ、弱音なんか吐いてる場合じゃない。弟を、春之進を護るんだ。
夏太郎は、再び黙々と探し始めた。
フィリップとイライザが用心深く進んでいくと、そこには罠にかかった幼い火の鳥がいた。
ギザギザした鉄の歯が脚に食い込んで、動けなくなっている。
ギャアギャアと鳴きながら暴れる幼鳥を、石や棒を持った猫の群れが遠巻きにしていた。この猫たちが罠を仕掛けたらしい。
「うかつに近づくな、火を貰うぞ!」
「もう少し弱るのを待て!」
「石を投げろ!気絶させるんだ!」
思わず飛び出そうとしたイライザをフィリップが引きとめた。
「何故?!早く助けなきゃ!」
幼い火の鳥はパニックに陥っている。
罠を外そうと滅茶苦茶に暴れる度に、脚から血がにじむ。
激しい羽ばたきに合わせて渦を巻いた火炎が、火の粉を散らしながら紅い舌を伸ばすので、猫たちもうかつに近づけない。
しかしこのままでは、火の鳥が息絶えるのも時間の問題だ。
やはり制止を振り切って助けに行こうとすると、フィリップが言った。
「イライザ、あれを見て。」
それどころじゃないと言いかけたイライザは、フィリップの視線の先を見て息を呑んだ。
「あれは・・・通行手形!?」
取り巻きの一番後ろで、一匹の猫が紅い旗を掲げている。
「多分間違いない。それにほら、あの一番前の小さな仔猫。どこかで見たことないかい?」
イライザは茶トラ模様の仔猫を見つめ、あっ。と小さく声をあげた。
「ブルーフォレストにいた仔猫!?」
フィリップは確信を得て頷いた。
「毛並みがちょっと違うような気がして自信なかったけど、やっぱりそうだよ。あの時の自転車に乗った仔猫だ。」
「ということは、あの子が夏太郎の・・・?」
その時一際大きな鳴き声がして振り返ると、更に暴れて鎖が絡まった火の鳥がもがいていて、イライザはたまらず木陰から飛び出した。
フィリップが止める間もなく、無我夢中で火の鳥に抱きついたイライザの身体は、あっという間に炎に包まれる。
「イライザ!」
フィリップが悲鳴を上げた。
髪や服が燃えるのも構わず、イライザは火の鳥を抱きしめて叫んだ。
「お願い、もう暴れないで!脚がちぎれちゃうわ!だいじょうぶよ!きっとあたしが助けてあげる!だから落ち着いて!」
火の鳥はイライザを振りほどこうとさらに暴れたが、何度左右に振り回されても、地面から足が宙に浮いても、イライザは決してその身体から手を離そうとしなかった。
息を呑むフィリップの後ろで、猫たちが騒ぎ始める。
「何だ!?あの炎は熱くないのか?!」
「本当だ!少しも熱がってないぞ!」
そうなのだ。今や全身に炎が回っているが、イライザは少しも熱がる様子がない。
ならばと一匹の猫が火の鳥へ近づいた。
一瞬で猫の身体に炎が移る。
「あちちちち!!!」
飛び上がって転げ周り、駆け寄った仲間が火消しにかかる。
「何だ!?どういうことだ!」
「あの娘も魔物か何かか!?」
自分を包んだ炎だけが、少しも熱くないことに気付いたイライザは驚いた。いつの間にか火の鳥は暴れるのを止め、イライザの腕の中でじっとしている。
「父さん、あたし・・・。」
その時、落ち着いた声が辺りに響いた。
「火の鳥の炎は、仲間には熱を持ちません。」
振り返るとそこには、巨大な白い獣が二頭、じっとこちらを見下ろしていた。
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