第2話

 オリビア王国の東に位置するフォレストは、レッドフォレストと呼ばれ、赤い瞳のレッドドラゴン、ジャニックが支配する広大な森である。

この森に自生する植物は、みな赤い葉や花を付ける。

黒に近いものからオレンジに近いものまで、木々は競うように様々な赤を見せ続けるが、これはひとえにジャニックがこよなく赤を愛するからである。

そしてもう一つ、ジャニックが愛するのは炎だ。

レッドフォレストでは粉雪の代わりに火の粉が舞い、泉の代わりに温泉が沸く。紅に染まり、緋色に燃える森。

ジャニックは炎を自在に操り、命を激しく燃やす力があるとされ、パワー溢れる赤の森を支配していた。

火の鳥、炎の精、炎獣。炎の加護を受ける様々な者が、このフォレストにはたくさん住んでいると言われている。


 フィリップはこの日、イライザと炎獣を連れてレッドフォレストにやってきていた。

レッドドラゴンから、炎獣と暮らす許可を得るためである。

紅い炎獣なら問題はなかったのだが、彼らがブルーフォレストで行き会ったのは、白銀の毛並みを持つ白い神獣だったのだ。

ブルーフォレストのビーバー、ステイサムによると、白い炎獣は極めて珍しく、通常は神の護り手としてレッドフォレストで暮らすのだという。

しかし、オリビアの王族で片翼の騎士、かぶとむしのノーランを探す過程で出会うことになった彼ら、特にカメレオンのジョジョは、すっかりこの炎獣と打ち解けて、これからも共に暮らしたいと強く願っているのである。

そんな家族の願いを叶えるべく、フィリップとイライザはジャニックへ許可を取りにやってきたのだった。


「何であんたも付いてきてるのよ。病み上がりでしょうが。」

置いていこうと思っていたジノが、くっついてきている。

「何でって、一緒がいいんだもん。ねぇ?」

ジノは頭に乗せた炎獣に同意を求めた。

頭にちょこんと乗った炎獣がくるりと回ると、その背にそら豆くらいのカメレオンが見える。ジョジョだ。

双葉のような手で、炎獣の毛をしっかりと掴んでいる。

この三人、いや三匹は昨日が初対面のはずだが、何故か炎獣がジノを気に入ったらしく、今朝イライザがリビングに行くと枕元で丸くなっていて、長い尾に巻かれる形で、芋づる式にジョジョも眠っていた。

「はいはい。さぁ、レッドフォレストに入るぞ。」

炎獣とジョジョを取られたような気がして、ちょっと寂しいんだな。いや、炎獣たちにジノを取られたというべきか。

フィリップはそんなことを考えていたが、声に出すと色んな意味で大騒ぎになるので、先頭に立って小枝を拾い、プスンと地面に刺して膝を折った。

フォレストに入る際の約束事、ちょっとした儀式だ。

イライザも慌てて膝を折る。

ジョジョが小枝を抱え、手本を見せるように地面に刺すと、炎獣も枝をくわえて器用に刺し、お座りの姿勢で頭を垂れた。

ちょっと曲がった炎獣の枝をジョジョの小枝が支えている。

一同はフォレストの神に祈りを捧げ、立ち上がった。


 レッドフォレストは、文字通り赤い色彩で溢れていた。

木の葉の一枚すら微妙に色が違う。

緑から紅に染まる途中のもの。深い赤、淡い赤。茜に朱色。

命を終えた葉や花びらが、ひらひらと舞い落ちては赤い絨毯を敷いていく。

「きれい・・・。」

「赤い色って、たくさんあるんだねぇ。」

「しまった、図書館から赤の図鑑を持ってくるべきだった!」

また始まった!取りに戻るとか言い出しかねないわよ!

「父さん、レッドドラゴンを探さなきゃ。」

「おっと、そうだった。目的を忘れるところだった!」

フィリップがぽんと手を打った時、頭上から声が降ってきた。


「お前たち、誰を探すって?」

樹上から一人の若者が見下ろしている。

さらりと羽織った着物にあしらわれているのは、淡い白地に真紅の牡丹や花弁の長い菊の花。

短めの髪と整った眉が、意志の強そうな眼差しによく似合う。

オリビアでは見ることのない雰囲気を持った、きりりとした美男子である。

男ということで、分かりやすく警戒心を露わにしたジノだったが、ひらりと枝から飛び下りた若者は片手でこれを制した。

「案ずるな。貧乳に興味はない。」

一瞬何のことか解らずぽかんとしたものの、それが自分を指していると気づいたイライザは赤面した。

しかも。

「あ、そう。ならいいや。」

ジノがこう答えたものだから、怒り増幅。

「ちょっと!失礼しちゃうわね、誰が貧乳よ!」

着物の男は、こいつ何を言っているんだ?という表情でイライザを見返した。

「ここに女はお前しかおらん。」

「そういうこと言ってんじゃないわよ!ばっかじゃないの?」

早口でまくし立てるが全く動じず、若者は更にじろじろとイライザを眺めると、形の良い眉をくいっと上げた。

「無理するな。そのナリじゃごまかせんぞ。」

「ぐっ・・・。」

失礼極まりない。

怒りが解消されないイライザは、既に興味を失ったのか地面に落ちた紅い実をニコニコと触っているジノに矛先を向けた。

「ちょっと!あんたもよ!ジノ!」

ひねりながら力任せに耳を引っ張られたジノは、泣きっ面を見せる。

「いたたたたた!イライザ!ちぎれる、ちぎれるってば!!」

「貧乳とか言われて納得してんじゃないわよ!」

「うえぇ?!だって僕、気にしないよ?」

これでは認めたようなものである。

「ちょっとそれ、どういうことよ!!」

ジノは耳をさすりながら笑顔を見せた。

「それに、イライザのこと取らないならいいもーん。」

わぁわぁと二人、いやイライザが一人で怒っているのを物珍しそうに眺めている若者に、フィリップが微笑んだ。

「僕はフィリップ。あの子は娘のイライザ。お年頃だから余りいじめないでくれよ。隣にいるのは狼のジノだ。今は人型だけどね。君はここに住んでるの?」

若者はひらりと岩に飛び上がると片膝を立て、頬杖をついて一同を見下ろした。上から物を言うぞといわんばかりだ。

「そうだ。まぁ名乗るほどの者でもないが、ここで暮らしている。散歩の途中でお前たちを見かけた。見慣れない顔だったので声をかけてみただけだ。」

挙動と共に、彼を包んだ空気が熱を持ってふわりとはらむ。

しかしその視線は氷のように冷たい。

彼が動くたびに揺れる、羽織の牡丹や菊花が目に染みる。

「そうか。騒がしくしてすまないね。僕たちは訳あってレッドドラゴンに会いにきたんだ。どこに行けばジャニックに会えるか教えてもらえないかな?」

一瞬目を見張った若者は薄く笑った。

「守護者にか?神に何の用だ。命でも取りに来たか。」

射抜くような鋭い眼差し。

「いや違うよ。この子、この炎獣のことでお願いがあって。」厳しい眼差しに驚いたフィリップはすぐさま否定すると、足元で遊んでいた炎獣をすくい上げた。

「ほう。白い炎獣か。珍しいな。」

表情が一転し、若者は花のようにほころばせる。手をかざすと、フィリップの腕から炎獣が浮き上がり、ふよふよと空中を進み始めた。

「この無神経男!その子に手を出したら承知しないわよ!」

「黙れ、貧乳。」

にべもない。

炎獣は、何が起こったのか解らない様子で前掻きしている。

そのまま宙を進んで、若者の目の前まで来た。

「よしよし。お前、いい毛並みをしているな。」

ほめられた事が解ったのか、顔の前まで抱き上げられた炎獣は、ぺろぺろと鼻をなめ始める。

「こらこら。くすぐったいぞ。」

くすくす微笑む顔は、胸に灯りをともすように温かい。

さっきまでの人でなし具合が嘘のようだ。

陽だまりのようなオーラを放つその姿に、散々失礼な態度を取られたことも忘れ、イライザは話しかけた。

「ねぇ、レッドドラゴンはどこにいるの?」

「神に見まえるなどと叶うはずもなかろう。せめて美乳になってから出直してこい。」

ピシャリと返された。

「ちょっとあんた!マジでいい加減にしなさいよ!」

すると、ついと若者が天を指した。

「見ろ。あれが女というものだ。」

長い尾をなびかせた火の鳥が、羽を広げて空を飛んでいる。

その身体は炎に包まれ、羽ばたくごとに舞い踊る火焔が、花びらのように空に散る。

そして。火の鳥に護られるように、淡い夕焼け色の薄衣をまとった天女がいた。天女はこちらに気付くとにっこりと会釈し、たゆたうように空を渡ってゆく。

火の鳥の羽ばたきにあわせて、大きい炎がひらひらと舞い落ちてきた。

「天女の火の鳥だ。彼女の祝福を受けた者に、火の鳥は炎の羽を落とす。天女の加護を与える守り羽だ。」

それを聞いたジノは、狼の脚力を活かしてひょいっと飛び上がると、一番最初に落ちてきた羽を掴み取った。

ちろちろと羽を包んで揺れていた炎は、ジノの手に収まると自然に消え、茜色のふわふわした羽が残る。

ぱっと顔を輝かせたジノはイライザへ向き直ったが、イライザもちょうど自分の羽を手にしたところだったので残念そうにうつむくと、尻尾を前に手繰り寄せ、そっと中に羽を納めた。

「持つ者には幸せが訪れるということで、守り羽を大切な相手に贈ることも多いがな。何の気まぐれか、天女が貴様らに情けをかけたのであろう。」

地面まで届いた羽を、大事そうにジョジョが抱えている。

めいめいが羽を手にした時、がさごそと茂みが音を立てた。


「夏太郎?夏太郎じゃないか。どうしたの?こんなところで。」

夏太郎と呼ばれた猫は、急に目の前に人が現れ驚いたようだったが、その中に見知った顔を見つけると、ひょんっと長い尾を振った。

「ジノ!?お前こそ何でこんなところにいるんだよ。」

「僕?僕はイライザについてきたんだ。ドラゴンに会いに行くんだよ。」

ジノはイライザを指すと自慢げに宣言した。

「僕の嫁。」

「ちょっと待った、勝手なこと言わないで!」

「だって、もう決めてるもーん。」

いつもの調子で受け流していたジノが真顔に戻った。

「ねぇ、夏太郎。ほんとにどうしたの?何かあったの?」

夏太郎は握りしめた手を額に当てたまま、へなへなとその場に座りこんだ。

「ジノ・・・俺どうしよう。どうしたらいいんだろう。」





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