レッドドラゴンと猫の王
野々宮くり
第1話
乾物屋吉右衛門の茶トラ猫、春之進は大層落ち込んでいた。
大事な通行手形をなくしてしまったのだ。
いつものようにフォレストへ納品に行った帰り道、自転車に付けていた手形がなくなっていることに気付いた春之進は、慌てて来た道を戻って必死に探し回ったものの、どこにも見つけられなかったのである。
フォレストへ納品に行く仔猫の春之進にとって、通行手形は絶対に必要なものだ。
小さな旗の手形を持っているからこそ、魔の森と呼ばれるフォレストに入っても襲われることはないし、目的地までの道もスムーズに開け、安全に行き来することが出来る。
それぞれのフォレストを統べる神の名で発行される通行手形は、もちろん易々と手に入るものではなく、それを失うことは店の信用失墜を意味する。
どうしよう・・・・困ったな・・・。
春之進は力なく自転車をこぎながら、店まで帰ってきたところだった。
兄ちゃん怒るだろうな。吉右衛門様になんてお詫びしよう。
出掛ける時は元気いっぱい振っていた明るい縞模様の尻尾は、力なく垂れ下がったままだ。
しょんぼりと自転車をこぎ続ける春之進の前方に、乾物屋吉右衛門の看板が見えてきた。
乾物屋吉右衛門はオリビア王国の外れに位置し、緑豊かな森が丸く開けたところに店を構えている。
表に面した軒先では、丸に吉と屋号を染め抜いた、藍色の長い暖簾が揺れていた。
庇の上には「乾物屋吉右衛門」と書かれた一枚看板。
店先を竹箒で掃いていた鯖トラの猫夏太郎は、弟が帰ってきたことに気付いて笑顔を見せた。
「おう、おかえり春。えらく遅かったな。」
ザルに干されたサンマの横で腹を天に向け、今日もピスピス気持ち良さそうに寝ているこの店の主、キジトラのじじい猫吉右衛門を横目に見ながら、
「まったく。じじいにだけは働けとか言われたくねぇよ。」
いつものようにぶつぶつ文句を言っていた夏太郎は、自転車を止めて立ちすくむ春之進に目を止めた。
・・・何かあったな?
ひょんっと尾を振って瞬きすると、優しい兄の顔になって、今一度声をかける。
「どうした、春之進。」
屋号を抜いた前掛けをぎゅうっと握り締めていた春之進の手が、のろのろと開かれる。
上げた瞳が夏太郎を捉えて大きく揺れたかと思うと、春之進はぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
「・・・い・・ちゃん・・・! おい・・・ら・・・おいら!」
まんまるの瞳から溢れだした涙は、夏太郎が大好きな茶トラ模様の上を雨粒のように滑り落ちてゆき、木綿の前掛けに吸い込まれてゆく。
夏太郎は、立ちすくんだまま動かない春之進の側まで歩いていくと、ぽんぽんと背中を叩いて小さな身体を抱き寄せた。
張り詰めた糸が切れたように大きな声で泣き始めた春之進の背を撫でながら振り返ると、吉右衛門はまだ耳をピコピコさせて眠っていた。
レッドフォレストに程近い森の中で、輪になって騒いでいる者達がいる。焦げ茶色の体躯、目の周りが少し濃い。狸だ。
15匹ほどの狸が1匹の仔狸を取り囲んで、喝采をあげていた。
「よくやった!フォレストの通行手形を手に入れてくるなんて!」
「これで我らの勝利は決まったも同然だ!」
鼻高々の仔狸は、小さな紅い旗を恭しく長老に差し出した。
仔猫がこぐ自転車の荷台で揺れる手形を見つけた仔狸は猿に化け、長い尾を枝に絡ませて宙ぶらりんになると、自転車がほんの少し止まった隙に、そっと旗を抜き取ってきたのだ。
一際大きな身体の長老狸は、長いひげを震わせながら叫んだ。
「ドラゴンを討ち取って、フォレストを貰うぞ!」
ちりん。
オリビア王国に暮らすイライザの元へは、さきほどからひっきりなしに手紙が届いていた。
木の葉や実にメッセージをしたため、魔法で運ばれてきた魔法郵便だ。
送り主は固有の魔法鈴を付け、手紙の到着と送り主を知らせるのだが、この音は誰かと考える必要もない。
「もう~!ジノったらしつこい!!!」
頭から毛布をかぶったまま、イライザはいらいらと叫んだ。
ブルーフォレストからノーランや炎獣を連れ帰ってしばらく。未だノーランは眠ったままだが、イライザたちは普段どおりの生活に戻ってのんびり暮らしていた。今も気持ちよく昼寝をしていたところだったので、イライザはすこぶる機嫌が悪い。
ちりん。
「え~となになに?風邪を引きました。頭が痛いです。なんだこりゃ。」
また一通、窓から入ってきた黄色い葉を拾い上げたのは、父のフィリップだ。母マーガレットは笑っている。
「イライザにお見舞いに来て欲しいのよ。」
あまりに魔法鈴が鳴るので、二人して見に来たらしい。
「行かないわよ!絶対行かないんだから!あのお子ちゃま駄犬め!」
ちりん。
また入ってきた。心なしか鈴の音も大きくなってる。
「また来たぞ。ちょっと音も大きくなってるし。」
気のせいじゃなかったか・・・。
「気付いてないと思ってるんだな。今度はなんだ?苦い薬は嫌です・・・だって。プッ。」
イライザは我慢出来なくなって、がばりと飛び起きた。
「もう!この寒いのにどうせテロテロのシャツでふらふらしてたのよ!自業自得でしょうが!本性に戻ってたら風邪なんか引かないのよ!」
狼であるジノが人型を取っているのは、将来を見据えて。つまり人間であるイライザに気に入られたい一心からなのだが。
フィリップもマーガレットも、とっくにそのことに気付いていたが、当のイライザは全く気付いてないし、人型の時にジノが厚着を嫌うのも風邪を引く一因なので、自業自得と言えなくもない。二人は目を見合わせて黙っていた。
ちりんちりん。
「ついにダブル音だぞ、イライザ。」
フィリップは爆笑した。
「もーう、あったまきた!」
イライザはベッドから飛び下りると、ピンクと青の縞模様のストローと、真っ赤な鬼灯の実を一つ取ってきた。鬼灯の実には、まほパック集荷用LLサイズと刻印されている。
「あ!そのストローは!」
「イライザ、いくらなんでもそれはちょっと。」
イライザはストローに小さく折りたたんだ鬼灯を詰め、大きく息を吸い込むやいなや、父と母が止めるのも聞かず郵便が飛んできた方角へと発射した。
「イライザ遅いなぁ・・・。まだ手紙読んでないのかなぁ・・・ぶぇっくしゅ!」
木の上でカタカタ震えながら次の手紙を書いていたジノは、剛速球で何か飛んできたことに気付いて顔を上げた。
「え?」
飛んできた紅い物体は、ジノの目の前でおもむろに、くわり。と口を開ける。
「え?・・・え?!」
鬼灯はあっけに取られたジノを一気に飲み込むと、ワーワー言いながら暴れるのをものともせずにぴったり口を閉じ、急いで来た方向へと戻って行った。
「あ。帰ってきた。」
「さすが速達。早いな。」
感心するイライザとフィリップの前に、巨大な鬼灯からペッとジノが吐き出される。
鬼灯は元の大きさにきちんと自分で身を折りたたむと、何もなかったようにどこかへ行ってしまった。
訳が解らぬまま、どしんっとリビングに落ちたジノは、
「は~いてて。なんだよもう~ひどいなぁ。どこだよここ。」
しこたま打った腰をさすりながら文句を言っていたが、イライザがいることに気付くと満面の笑みを見せる。
「イライザ!」
「ジノ!やっぱり薄着じゃない!だから風邪引いたのよ!」
何故かは解らなかったがイライザが怒っているようなので、思わず正座したジノは、
「だって、モコモコするの嫌いなんだもん。」
と、上目遣いに覗く。
「だったら、本性に戻ってればいいのよ!立派な毛皮を持ってるでしょうが、自前の!」
「えぇ~。」
もごもごとごねるが、やはりその意図は伝わらない。
「・・・あんた、熱あるんじゃないの?顔赤いわよ。」
「熱は~・・・らい!」
鼻声で元気よく答えたジノの尻から、ぴょこんと白銀の尾が飛び出した。ふりふり揺れている。
かまって貰って嬉しいらしい。
暖炉の様子を見るフリをして後ろを向いていたフィリップが、笑いを堪えている。
「イライザ。もうその辺にしなさい。ジノ鼻声じゃないの。ベッドが用意できたから早く入りなさい。」
母の声に振り返ると、いつの間にかベッドが出現していた。
もちろん魔法によってである。
「母さん!父さん!」
ジノが歓声を上げてベッドに潜り込む。
このベッドはジノ仕様で、イライザが赤ん坊の頃からの服で作ったパッチワークのカバーが掛けられている、彼の大のお気に入りである。
鼻をずるずる言わせながら、いとおしそうにパッチワークの一つ一つを撫でるジノを見ながらフィリップは微笑んだ。
「いや、僕はずっといたんだけどね。」
その日の夕食はリビングでとることになった。
イライザがジョジョと炎獣を肩に乗せリビングに入ると、食器を並べるフィリップの側で、ベッドに腰を掛けた祖父エドワードが、ジノに薬を飲ませているところだった。
うっ、あれは激苦の風邪薬だわ。ジノのやつ、飲まないわよ。
「はぁい。」
ジノは素直に手渡された薬を飲んでいる。
きちんと飲み終えたのを確認したエドワードに頭を撫でてもらうと、それはそれは満足そうにピコピコと耳を振って微笑んだ。今は尻尾だけでなく、耳まで出ている。
嘘でしょ!?信じられない、ジノがあの薬を飲んでる。私なんて寝たフリしてまで回避しようとするのに。
「じいさんの存在は絶対なのさ。それに、優しくされると素直になるんだよ~。」
「何それ。」
「イライザはよく寝たフリしとったのう。フィリップはベッドにおらんかったわい。」
エドワードは笑って立ち上がると、ジノにだけ解るよう、そっと目配せをした。
実は獣の本性を持つ彼のために、匂いや苦味を感じないよう、薬はエドワードの魔法が掛かかっていたのだ。
暖炉では、火の精ピット夫人がパチパチと爆ぜている。
リビングは暖かい空気に包まれていた。
ジノはベッドで身を起こし、マーガレットが作ったポトフを少しずつ口に運んでいる。
じゃがいも、にんじん、ブロッコリーといった数々の野菜と自家製のウインナーを、ローリエとコンソメでコトコト煮込んだポトフは、胃を刺激しないよう具材はいつもより小さめに、そして薄味に仕上げてある。
病人は一人で安静にさせるのが常だが、この家ではジノが寂しくないよう、あえて一緒に食事をとってくれる。
柔らかな灯りに包まれた幸せな風景は、天涯孤独だったジノにとって、とても眩しくて温かい。
いつかきっと。ジノはそう思わずにはいられないのだった。
熱にうかされた頭でジノがそんなことを考えていると、熊ほどもある真っ白な犬がベッドに顔を乗せた。
イライザの祖父、エドワードの親友ナナだ。
ナナの頭上には、鮮やかな黄緑色をしたそら豆サイズのカメレオンと、ニワトリの卵ほどの白狐に似た獣が乗っていて、じいっとジノを見つめている。
同じ白でも、ナナの毛色を雪に例えるなら、この獣は月白色に光る色合いだ。
見事な白銀の毛並みは、むしろ狼であるジノに近い。
ぴんと尖った大きめの耳に、ふさりとした長めの尾。夕焼けのように紅くて丸い瞳が、不思議そうにジノを見上げていた。
「カメレオンはジョジョっていうのよ。こっちは炎獣。どっちもまだ赤ちゃんなの。」
食器をさげに来たイライザが微笑む。
よちよちと、ジノは布団の上を歩きにくそうに進んで、ジノの前までやってきた。
「・・・にゅうにゅ。」
「え?」
ジョジョは最近少しずつ言葉を話し始めたのだが、いかんせんまだつたない。
「イライザ、お皿貰うわよ。」
マーガレットがやってきた。ジョジョは繰り返す。
「にゅうにゅう。・・・にゅうにゅう~。」
「え?あぁ、ジノに牛乳ね。はいはい、ちょっと待ってね。蜂蜜も入れましょうね。」
マーガレットはジョジョを連れて去っていく。
「やっぱり母さんはすごいなぁ。だてに子育てしてないね。」
「まっったく、解らなかったわ・・・。」
感心する二人の耳に、マーガレットの肩に乗ったジョジョが満足そうに繰り返すのが聞こえてきた。
「にゅうにゅう!」
泣きじゃくる春之進から話を聞いた夏太郎は、とりあえず食事をさせて寝かせると、床机に腰を掛け考え込んでいた。
まだ仔猫の春之進は気付いていないようだが、フォレストの通行手形をなくすことは、彼が思っているより遥かに大きな問題である。
このまま見つからなければ店の信用どころか、フォレストの神であるドラゴンに命を取られてもおかしくはない。
人間や動物を餌にするタチの悪い鬼や、息を呑むほど美しい妖魔が棲むフォレストに立ち入るのは、大変危険な行為だ。
そもそも、そのために通行手形が発行されているのである。
運良くそれらをかわし最奥までたどり着いたとしても、フォレストの神であるレッドドラゴンは、山のように大きな二頭の炎獣に護られているという。猫の一匹や二匹、一言も発することなく喰われてしまうだろう。
そしてもう一つ・・・。
夏太郎はため息をついた。
考えたくはないがフォレストの外、つまり部外者の手に手形が渡ってしまったとしたら致命的である。
手形を持つ者は、無傷の最短距離で神の元までたどり着く事が出来るのだ。
邪な考えを持つ者が手形を手にしたら、普段なら決して近づくことの出来ない神に手が届いてしまう。
もしも弟のせいで、フォレストに万一のことがあったなら。
夏太郎はピシリと尾を振ると立ち上がった。
とにかく、探しに行くしかない。
にゃう~ん。
吉右衛門が寝返りを打った。
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