佐藤くんのために
「はい。それじゃ、教科書の36ページ開いて~。ここのマイクとボブとエミコの会話。誰かに読んでもらおうか」
昨日のあれは、何だったんだろうか。
1時間目の授業が始まってから、教科書を読むフリをしつつ、数学のプリントをこっそり始末しながら、さらにさっきの事をずっと考えていた。英語の教科書を立てて、見られないようにプリントの問題を解いていく。
問題自体は難しいものじゃない。しかし、集中できず、いつもならすぐに解けるはずの問題に時間がかかって仕方が無かった。
「今日は5月17日だから……出席番号17番。にしようかと思ったけど、10引いて7番。ミスターキムラ。Stand up!」
真田愛美の死体がずっと頭にこびりついて離れない。目を閉じても、開いても。消えてくれないんだ。常に視界のどこかに現れては消える。
くそ、あれは一体なんだったんだ。
夢? 幻? 妄想?
違う。
確かに、感触がはっきりと残っている。この胸に倒れこんできた冷たい体の感触を。
でも、現実に死体は無い。消えてしまった。犯人が運んだと考えるのが筋なんだろうけど……。
「why?」
「whyじゃねーよ。読むんだよ。ほらほら立て、木村」
「ワタシ、日本語ワッカリマッセーン」
途端にどっと笑い声が巻き起こった。
うるせえな。人が真剣に考えてるってのに。いや、考えていても仕方が無いのか。
もっとも確実なのは……真田愛美に直接会いに行けばいいんだ。そうすればはっきりする。
でも。もし、いなかったら? それは、つまり……あれが本当に起こった事だということに……なる。
そして、僕は死体の第一発見者だ。きっと、警察に色々取調べをされて……最悪、僕が犯人にされて、しまう?
「それじゃ、次の英文、訳してもらおうか。出席番号8番。ミスターサトウ」
バカな。こんなことで僕の人生を壊されてたまるか。
いや、落ち着け。佐藤優。
「ミスターサトウ?」
これは被害妄想だ。まずは、現状の把握に努めること。
昼休みになって、給食を食べ終えたら真田愛美に会いに行く。その後の事はそれから考えればいい。
「こら、佐藤! 聞いてるのか、お前!」
「え」
気が付くと、英語の教師も、クラスの皆も、僕を見ていた。
まずい。どうしよう。まったく聞いてなかった。
どこだ? どこを訳せばいいんだ。このままだと……僕がこんな簡単な問題も答えられないクズ野郎だと思われてしまう。
塩山に聞くか? あり得ない。こいつに頭を下げるなら、首を吊ったほうが遥かにマシだ。
なら、どうする?
……そうだ。あれでいこう。
僕は、教師の目を見て言った。
「ワタシ、日本語ワッカリマッセーン」
教室は笑いに包まれる……はずだった。
「もういい。9番。ミスターセガワ」
教師は大きく息を吐くと、僕から視線をそらした。
クラスメイト達もあちこちで「そりゃねーよ」とか、「キャラじゃねーだろ」とか、「佐藤くん、どうしちゃったんだろ」とかヒソヒソ言ってやがる。
畜生。なんだっていうんだよ! 笑えよ、せっかくお前らのレベルに合わせてやったんだから!
これじゃまるで、僕がかわいそうな奴みたいじゃないか。
「佐藤くん、面白かったよ」
塩山が消えそうな声でそっと囁いた。
「ああ、ありがとう。君だけだよ。そう言ってくれるの」
「私、だけ。そっか。私だけなんだ。私だけ……えへへ」
何だよ、相変らずワケの解らない奴だな。
まあ、いい。とにかく昼休みだ。昼休みで全てがはっきりする。そうなれば……僕もいつも通り振舞えるだろう。
そして、なんとか4時間分の授業を耐え、昼休みがやってきた。
今日のメニューはカレー。給食のカレーは何故かうまい。しかし、今の僕には味なんか関係なくて……とにかく、食べ終えることしか頭になかった。
さっさと食べ終わると、僕はトレイを片付け、怜奈のクラスに向う。
1年の校舎は、2年とは逆方向にある。足早に歩いてたどり着くと、怜奈のクラスは食べている者がほとんどだった。
なんとなく、入りづらいな。
仕方がなく、僕は廊下に近い席の男子を捕まえて、怜奈を呼んでもらうことにした。
当の怜奈はというと、数名の女子と机をくっ付けて、楽しそうにお食事中だ。口の周りにルーが付いてるじゃないか。気付けよ、あのバカ。
さっきの男子が怜奈に何か伝えると、怜奈を取り囲んでいたクラスメイトが全員、僕を見た。
好奇の目。そして、今度は怜奈に振り向いて羨望の眼差し。
「佐藤さんのお兄さん、かっこいいー。ちょっと、なにあれ! 芸能人みたい!」
「えへへ。自慢のお兄ちゃんなの」
怜奈は周りの女子達からしわくちゃにされながら、席を立った。そして、相変らずの笑顔でこちらに向ってくる。
「お兄ちゃん、なあに?」
「ああ、実は」
「もしかして、怜奈に会いに来てくれたの?」
「違う。例の……真田愛美。いるか?」
とたんに怜奈は肩を落とし、しょんぼりとした。
「え、違うんだ。そう……。あ、えっと。真田さんなら、今日はお休みだよ」
「休み? どうして?」
「え、知らないよ?」
「そうか……わかった、じゃあな。……ああ、待て!」
引き返そうと体を翻したが、やはり気になって怜奈に近寄った。
「口。カレーが付いてる」
「え? なあに?」
「まったく、ホラ」
怜奈の顔を引き寄せ、ポケットティッシュで口周りをキレイにしてやる。
「身だしなみくらいキチンとしろ。お前は女の子なんだから。他人に付け入るスキを与えるな」
「は~い」
「まったく。……じゃあな」
僕はさっさと廊下に向って歩き出すと、途中にあったトイレに立ち寄った。
中には誰もいない。ここなら、考えをまとめられそうだ。余計な邪魔が入らないだろうし。
そして、個室にこもると頭を抱え、考える。
真田愛美が休みだった。ということは、どういうことだ?
「佐藤くん」
「え!?」
個室の外から、誰かが僕を呼んだ。それは女子の声。隣の席の、あいつの。
「塩山、さん?」
「うん」
「ちょっと!? ここ男子トイレだよ。早く出なきゃ!」
何を考えてるんだ、この女。
「う、うん。でも、佐藤くんの様子がおかしかったから……気になって……」
「僕のことは放っておいてくれ! 大丈夫だから!」
「そう? ねえ……佐藤くん」
「何?」
「放課後、屋上に来て。大事な話があるの……」
「大事な話って?」
壁の向こうから走り去る音が聞こえて、扉を開けて外に出てみれば、塩山の姿はどこにもなかった。
「何なんだよ、あいつ」
結局僕は考えをまとめきれずに教室に戻ると、5時間目の授業が始まった。
今日は5時間目までだ。塩山め、こんな時にどんな話があるっていうんだよ。まったく、空気を読め。こっちはそれどころじゃないんだ。
人が一人、死んでるかもしれないんだぞ。しかも、殺人犯はまだこの近くにいるかもしれない。
いっそ、大人に相談するか? いや、きっと信じてもらえないだろう。確たる証拠が無い。
僕の記憶だって、ところどころ曖昧だ。そもそも、真田愛美だと断定したのも、胸の名札だけ。ちゃんと身元を確認したってわけじゃないんだ。
極度のストレスが原因で見た幻かもしれない。あの時、夜の校舎を歩いた僕は、闇の向こうに何かいると思い込んでしまった。それが原因で、ホウキを見間違えたのかも……。
そしてその時、僕の頭の中には真田愛美への憎しみが色濃く渦巻いていた。殺してやろうかとも、思っていたくらいに……。
それらの要素が偶然重なって、僕は幻を見た。真田愛美の死というイメージが、死体となって具現化されたのかもしれない。
そう、偶然だ。そして、今日偶然真田愛美は休んだ。
そう考えるほうが現実的だ。
……何だ。バカバカしい。ビビって損をした。
そう、つまり全ては偶然。僕の思い違い。
まるで胸の中のつかえが下りたみたいに、爽やかな気分になった。
「今日はここまで。日直、号令」
「きりーつ」
気が付くと、5時間目が終わっていた。1日が終わる。そして、HRもあっと言う間に終わって教室は帰宅ムードに包まれた。
これから楽しい放課後だ。帰ったら、何をしようか? そうだ。WEB小説を読もう。
久々に更新されているかもしれない。新しい物語と出会えるかもしれない。
僕の胸は高鳴った。
「佐藤くん」
「ん? 何?」
「屋上で、待ってるね」
その一言で思い出す。そうだ。塩山は何か大切な話があるとか言っていたな。
無視するのは……さすがにマズイか。仕方が無い。少しばかり付き合ってやろう。
そして、僕は再び放課後の屋上にやって来た。
24時間ぶりだな。
あの時は屋上で待ちぼうけだったが、今度は違う。こちらが待たせているんだ。
さっさと終わらせてしまおう。
「やあ。それで、大事な話って何かな、塩山さん?」
2人きりの屋上で、僕と塩山は向き合った。しかし、塩山はずっとうつむいたままで、肩を震わせ緊張している。
「その、私……ずっと、ずっと、ずっと」
塩山はリンゴのように顔を真っ赤にして、僕を見た。
「何?」
「佐藤くんのこと……」
「うん?」
「好きでした!」
な、何? 今、こいつ何を言った?
「ごめん、よく、聞こえなかった……」
塩山はなおも頬を赤らめ、僕を見つめる。
「佐藤くんのこと、大好きです!!」
「へ?」
これって……告白、なのか? 僕は、塩山に……好かれている?
ふ。
ふふふふふふふふふふ。
面白い。面白いぞ。
塩山。
遊んでやるよ。
今日からお前は僕のおもちゃだ。
「だから、あの……私と……付き合って……ください!」
「嫌だね」
「――え?」
途端に塩山の顔からさっと血の気が引いた。
面白いなあ、これ。
「僕と君が付き合うだって? 何バカなこといってんの? そんなことできるわけ無いだろ。吊り合わないよ、君なんかとじゃ。身の程って言葉を知ってるかい?」
「え? え? でも、私! それでも――」
「なら、僕のいう事何でも聞いてくれるよね? 僕のこと好きなんだからさ」
「何でもする! 私、佐藤くんが望むことなら何だって――」
そういうと塩山は、唐突に制服を脱ぎ始めた。
「おい!?」
セーラー服を脱ぎ、白いブラウスを見せ、スカートのホックに手を掛けようとしている。
「やめろ、誰も脱げだなんて言ってないだろ!」
止めたときにはすでにスカートのジッパーが下ろされていて、白い下着があらわになっていた。こいつ……なんて奴だ。
「じゃあ、じゃあ……どうすれば、いいの?」
「そうだな」
塩山と付き合う……か。こいつとは、うまくやっていけるだろうか?
……無理だな。怜奈と同じが臭いがする。適当に遊んでやって、さっさと捨ててしまうのがいい。じゃあ、とりあえず……。
「木村って、ウチのクラスにいるよね」
「うん」
「そいつ、殺してきて」
「え?」
「あいつ、ウザいんだよ。僕のこと、親友だと思ってる。お笑いぐさじゃない? この僕の親友だなんて、低レベルな田舎者風情がさ。だからさあ。殺してよ。顔を見たくないんだ」
思ったとおり。塩山はきょとんとしたまま、動かなくなった。
あははは。からかいがいのある奴だ。
「ま、もちろんウソ――」
「そんな簡単なことでいいんだ」
「は?」
「わかった。佐藤くんのために、殺してくるね」
塩山は手を振りながら、笑顔で屋上を去って行った。
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