なかのいいきょうだい

 真田愛美が死んでいる。一体、どうして? これは、どうみても……他殺体だ。


 ということは?


 誰かに殺されたということ。


 待て。待てよ。


 帰宅する前、教室によった時は、カギがかかっていた。そして、今はカギがかけられていない。


 ということは。


 この死体を運んだヤツがカギを開けた。と考えるのが自然か。そして、運び終えて……それから?


 どういう理由があったのか知らないが、わざわざこんな所に隠したんだ。誰にも見られたくは無いはず。いや、見られたくないのなら、何でこんな所に隠す? すぐにばれてしまうじゃないか。実際、僕はすぐに見つけてしまった。


 ここに隠せざるをえなかった。それなら、合点がいく。


 では何故? ここに隠せざるをえなかった?


 例えば、例えば。


 偶然誰かが通りかかって……死体を運ぶ作業を中断され、仕方なく、ここに押し込んだと……したら?


 その場合、犯人はどうすると思う?


 その誰かを隠れてやり過ごすか、バレる前にそいつも殺してしまうか。


 僕ならば、後者だ。


 つまり。


 犯人は……まだ近くにいる?


 僕は、犯人に殺される? 目の前の真田愛美と同じ様に……顔を……。


 胸の中を不気味な黒い影が通り抜けた。


 怖い。


 嫌だ。


 死にたくない。


 僕は、まだ14歳なのに。


 まだ、童貞なのに。


 すると突然。目の前に黒い影が迫った。


 掃除用具入れの中から、死体が僕に向って倒れてきたのだ。


「う、や、やだあああ。来るな!」


 生前の彼女はどんな顔をしていたのかは解らない。今の彼女の顔がゆっくりと、ゆっくりと、僕に覆いかぶさってくる。


 そして――。


「ひ」


 僕の胸元にその顔を埋めてきた。


「あああああああああああああああぁぁぁ!? あ! あああ!! あああああああ」


 初めて触れた女の体。生きていれば、さぞや興奮したかもしれない。そう、生きていれば。


「うわあああああ!?」


 もうすでに理性は無かった。乱暴に死体をどけると、壁に頭をぶつけたのか、グキリと小気味のいい音が暗闇の中でこだまして、僕は……それを、それを見てしまった。


 奇妙な形をした……モノに成り下がった人間を。


 まるで壊れた人形だ。


 そういえば小さい頃、怜奈の人形を取り上げて、壊してしまったことがあったな。


 目の前にあるのは、まさにそれ。人の関節は、あんな風に曲がるものなのか。


 逃げなきゃ。逃げなきゃ。逃げなきゃ。


 殺される。殺される。殺される。


 助けて。助けて。助けて。


 頭の中をその三つの単語が代わる代わる渦巻く中、とにかく僕は走った。


 走って、走って走り抜いて。さらに走り続けた。


 意識が朦朧とする。走りすぎたせいか、極度の緊張によるせいか、解らない。頑張って意識を保ち、自宅を目指す。


 ここで倒れちゃダメだ。なんとか、家の中に入って、安全を、確保、しない、と……。


 さらに意識が不鮮明になる。どこをどう歩いていたのか解らない。転んだ気もするし、どこかに頭をぶつけたような気がした。


 そして、次に意識が鮮明になったのは、ベッドの中だった。


 窓からは日が差し込み、鳥のさえずりが聞こえてくる。


 一瞬、ここがどこなのか、何故ここにいるのか、混乱する。しかし、そこが自分の部屋だとわかると、途端に安心して大きく息を吐いた。


 だが、昨日のことが思い出せない。服装も、パジャマではなく制服のままだ。


 僕は、一体……何をしていたんだろうか。


 その時、部屋がノックされた。


『お兄ちゃん。起きてる? そろそろ支度しないと、遅刻しちゃうよ?』


 遅刻だと?


 首だけを動かして、部屋の壁に立てかけた時計を見ると、時刻は7時半を指していた。


 まずい。遅刻する!?


 僕は急いで時間割を確認してカバンに詰め込むと、階段を転げ落ちるように下りた。


「あら、おはよう優ちゃん。昨日はどうしたの? 帰るなり部屋に閉じこもっちゃって……晩ご飯も食べて無いでしょう? 早く食べなさい」


 リビングに顔を出すと、母が心配そうに僕の顔をのぞきこみ、頬を両手で触られた。


「おはよう、母さん。大丈夫だよ、ちょっと疲れただけ」


「そう? 無理はだめよ。そうだ。今日は学校をお休みしたら? 優ちゃん頑張りすぎなのよ」


「心配しないで。僕なら大丈夫。ごめんね、母さんにこんなに心配かけちゃって……ご飯は?」


 母さんをなんとか引き剥がすと、僕は怜奈の隣に座って、食事にとりかかった。


 ふと時計を見れば、もうすでに8時前。いつもならば、もう家を出る時間だ。


 まずい。こんなことで……皆勤を狙っているのに。


「怜奈。お前何やってんだ? ご飯食べたなら、さっさと行けよ。ただでさえもトロいんだから」


 僕の隣でのんびり紅茶をすすっていた怜奈を見て、口を尖らせた。


「ううん。待ってるよ」


「あ?」


「お兄ちゃんのこと、待ってる。一緒に行こうよ」


 怜奈はにっこりと、能天気に笑った。


「バカか。遅刻するだろ」


「遅刻してもいいじゃない。怜奈は、お兄ちゃんと一緒がいいな」


 本当に能天気ににっこりと。笑顔を絶やさない。昨日あれだけ手首を捻ってやったのに……。


 そんなこと、まるで初めからなかったかのように、僕にくっ付いてくる。


 バカな……バカな奴だ。


「……好きにしろ。その代わり、家を出たらダッシュだぞ。付いてこれるのか?」


「大丈夫。頑張るから」


「ふん。バカな奴」


 少しぐらいなら……速度を落としてやってもいいか。始業10分前は無理でも、遅刻ギリギリならなんとかなるだろう。


 こいつの評価は僕の評価に繋がる。妹の失敗は兄の失敗。


 これはあくまで僕のため。間違っても、怜奈を思ってのことじゃない。


「行くぞ、怜奈」


「うん」


 玄関を飛び出すと、僕と怜奈は走り出した。すぐに怜奈が息を切らせて速度を落とすが、見て見ぬフリをして進む。


 かなり速度を落としたんだが……これ以上は無理だ。


 遅い奴が悪い。じゃあな、怜奈。


 心の中でそう呟いて、走ろうとしたとき。


「お兄ちゃん、痛いよ~」


「大丈夫だよ、痛くないよ。泣かないで」


 目の前で小さな女の子が転んだ。小学校低学年くらいの子だ。


 その子に駆け寄ったのは高学年くらいの男の子。


「ほら、行こう。まゆ」


「うん、お兄ちゃん!」


 男の子は女の子の手を取り、仲良く歩いて行った。


 その後姿に、懐かしさを感じた。そして同時に、なんだか……あたたかい気持ちになった。


 あんな頃が、僕と怜奈にもあったんだ。あんな風に、仲良く一緒に歩いていた頃が。


 仲のいいフリじゃなくて……本当に仲のいい兄妹が、確かにいた。


「お兄ちゃん、待ってよお」


 とろとろと走ってくる怜奈。


 昔は昔だ。今は今。もう子供じゃない。僕は勝たなくちゃいけない。他の同年代の奴らは倒すべき敵。そいつらを踏み台にして、より高い所を目指さなければならない。それが、父の願いだから。


 だから……。


 ……だけど。


 僕は走り出した。さっきよりも一層力強く。速く。


「お兄ちゃん!?」


 怜奈と一緒に。その手を握って。


「走るぞ。遅刻なんかしたら、許さないからな」


 唇の端を歪ませて僕は笑った。それだけで十分伝わる。何年も兄妹をやっているのだから。


「うん!」


 僕と怜奈は風のように舞った。不思議と悪い感じはしない。怜奈も、まるで別人のような走りを見せている。


 これなら――遅刻なんかしない。


「いいぞ、怜奈!」


 そして、学校の昇降口になんとかたどり着くと、僕は怜奈の頭をなでてやった。


「やればできるじゃないか。予想よりも5分早い。よくやったな、怜奈」


「うん! 怜奈、もっと頑張るね。だから……怜奈のこと嫌いにならないで」


「ああ。兄妹だからな」


「だから、真田さんのことも、もう怒らないであげて。真田さん、本当にいい子だから……」


「真田?」


 真田……誰だ。どこかで……真田……さな、だ……愛美?


「真田愛美……」


 荒波のように昨日の記憶が蘇る。顔の無い少女。奇怪にねじまがった関節。


 真田愛美。


「あ、ぁあああああ」


「どうしたの、お兄ちゃん?」


「近寄るな!」


「え?」


 心配そうな顔で僕を介抱しようとした怜奈を突き飛ばし、僕は教室へ向った。


 きっと、今頃教室は大騒ぎになっているはずだ。警察が来ているかもしれない。


 教室の扉の前にたどり着くと、僕は深呼吸した。


 開けるぞ。


 いいか、開けるぞ?


 決心を固め、扉を開ける。すると。


「よ、佐藤っち~。おっはよお!」


「佐藤くんだ。おはよ~!」


「おっす、佐藤!」


「佐藤く~ん、こっち向いて~」


 クラスの皆が笑顔で僕を迎える。いつも通りの日常が、そこにあった。


「え?」


 どこにも異変は無い。何だ? どうなってる? 木村に聞いてみるか?


「木村くん、ね、ねえ? 掃除用具入れは? 死体は?」


「え? 死体? なにそれ?」


「え? だって……あったろ?」


「おお~い、みんな~佐藤っちが寝ぼけてるぞ~!」


「あははは。佐藤も寝ぼけたりするんだ~」


「佐藤くん、かわいい~」


 教室は明るい笑いに包まれた。


 確かめなければ。こんな奴らに聞いたのが間違いだった!


 足早に掃除用具入れへと向い、思い切り、思い切り、扉を引いた。すると、黒いカタマリが僕に覆いかぶさってきた。


「う、うわああああ!?」


「お、おい佐藤!?」


「どうした?」


 クラスメイトが僕の周りに集まってくる。非常に驚いた様子だ。


 やはり、ここにあったんだ! あの、顔の無い真田愛美の死体が!!


「な~んだ。ただのホウキじゃん? あ、もしかして、このギャグ東京ではやってんの!? やっべ、俺知らなかったよお」


「え?」


 木村が能天気な顔で僕に手を差し伸べてきた。


「ほら、佐藤っち。もうすぐ先生来ちゃうよ? こんなところでコントやってないで、席に着かなきゃ」


「え? だって、ここに死体……」


「ホウキがどうかしたー?」


 木村が少し呆れた様子で掃除用具入れを指差した。


「ない?」


 そこには死体なんか何も無く、ただホウキが数本並んでいただけだった。

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