ありがとう、そして、ふざけるな

 その日の4時間目は体育だった。隣のクラスの男子と合同で行われるらしい。


 着替えは男子は隣のクラスで、女子は僕のクラスで、と別れている。


「佐藤っち、いこーぜ」


「うん」


 自分の体操服を持って隣のクラスへ。するとどうだ。途端にむさくるしさ満点になって、吐き気すらこみ上げてきた。


 男の密集率が高すぎる。これが男子校の空気なのかな。


「俺、相良の席取ったー!」


「じゃあ俺、橋本のー!」


 そういって、僕のクラスの男子達が、次々と着替えを置くための席を確保していく。我先にと争っているところを見ると、かわいい女子の席を誰が取るかでもめているらしい。


 なるほど。実に醜い争いだ。


 僕は適当に近くの席を確保すると、そこに体操服を置いて、服を脱ぎ始めた。


「え。佐藤っち。そこ坪井の席だよ!? うわあ、勇者~」


「え?」


 木村が何故かあたふたと、僕を指差している。他の野郎どもも、どこか哀れむような目で僕を見た。


 何だって言うんだ。


 いぶかしむヒマもなく、着替えが終わるとみんなはしゃぎながらグラウンドへ。子供がわきあいあいと楽しそうにしているのは、微笑ましいものだ。


 ……ガキが。


 そして体育が終わり、昼休みがやってきた。


 給食を手早く済ませ、木村たちとグラウンドでたわむれていると、時間が過ぎるのもあっという間だ。


 そして、5時間目がやってくる。


「え?」


 机から教科書を引っ張り出そうとしたら、無かった。無いとは言っても、次の時間で使う教科書だけ。


 おかしいな。確かに朝、確認した。学校に着いてからも確認している。3時間目の時点では確かにあったはずなんだけど……見間違いか?


 くそ。僕としたことが……こんなくだらないミスを……。


「佐藤くん、どうしたの?」


「あ……塩山さんか」


 カバンの中身を漁っていると、塩山に声を掛けられた。いや、これだけ慌てた素振りを見せれば、誰だって疑問を持つか。


「実は……次の授業の教科書、忘れちゃったみたいなんだ、どうしよう」


「え。……そうなんだ」


「僕、ちょっと先生のところいってくるよ。謝ってくる」


「……待って!」


 立ち上がろうとしたら、思い切り手首をつかまれた。痛え。いきなりなんだ、こいつ。


「私の教科書……貸してあげる」


「は?」


「私が忘れたことにすれば……佐藤くんは怒られなくてすむから」


 いきなり何を言い出すかと思えば。


「次の授業、古典でしょう? あの先生、忘れ物したら家まで取りに帰らせるんだよ」


「え」


 さすが田舎。ムダに暑苦しい。でも、これって体罰なんじゃないの? しかし……。


 それを聞いたら、この申し出はありがたいな。塩山が犠牲になってくれるんだ。彼女もたまにはいいこと言うじゃないか。


「それを聞いたら、なおさら。塩山さんに迷惑はかけられないよ。忘れた僕が悪いんだし」


 断るなよ、塩山。


 これはあくまでフリだから。社交辞令だからな。頼むから空気読んでくれよな。


「ううん。気にしないで。授業が終わってから戻るから。終わったら、教科書返してくれればいいよ」


「そんな……」


 言いよどんでいるフリをしていると、塩山は教科書を誰にも見えないように、こっそり僕の膝の上に置いた。


 ……やった! これで恥をかかずに済む。


「困るよ、塩山さん!」


 早く行け。


「佐藤くん、いつも私に優しくしてくれるから、これくらい、いいよ」


 早く行け。


「でも……」


 早く行け。


「じゃあ、行ってきます!」


「あ……」


 塩山は満面の笑みで教室を去った。


「ありがとう、塩山さん」


 ありがとう、塩山さん。


 それはまぎれも無い本心。心の声と現実の声がクロスする。


 塩山の尊い犠牲のおかげで、僕は5時間目を乗り切ることが出来た。そして、あっという間に放課後がやってくる。


 HRが終わると、僕は静かに教室を出た。カバンには、塩山に借りた教科書がまだ入っている。


 返せなかったのだ。


 塩山が、5時間目が終わっても、6時間目が終わっても帰ってこなくて、結局戻ってきたのがHRが始まる前で、さらにHR終了後、塩山は先生と一緒に職員室へ行ってしまったから。


 当然か。


 先生からすれば授業をさぼって遊んでいたのと同じだ。さすがに少し罪悪感が沸いてきた……が。何だってあいつは6時間目までこなかったのだろうか?


 妙だ。まさか本当にさぼりたかったとか? いや……この一週間塩山を見てきたから解る。あいつは真面目なヤツだ。でも、何で……。


 いや、いいか。僕には関係ない。それに、このドアの向こうで、真田が待っている。


 ――行こう。


 僕は屋上のドアの前で深呼吸した。そして、ドアノブをひねり一気に踏み込む。途端に体に風が吹きつけ、5月だというのに肌寒さを感じた。


 頭上には、青とオレンジが交わり始めた空。遥か彼方には青々とした山がそびえたち、眼下には部活中の生徒が豆粒のようにちょこまかと動く。


 一瞬。世界が自分を中心に回っているかのような気分にとらわれた。


 悪くない気分だ。


 いや、いまはそれよりも。真田愛美だ。ゆっくり屋上を見渡してみると、端のほうに少女の背中があった。


 間違いない。彼女だ。


 さて、木村がいう1年で一番カワイイ子の顔、拝ませてもらおうか。


 僕はゆっくり彼女に近づいた。


 そして、3メートルほどの距離まで近づいた時、一瞬時間を忘れてしまった。遠目からではよくわからなかったが、近づいてみると……よく解る。


 ごつい肩。大根みたいな足。ぎゅうぎゅうにスカートに体を詰め込んだ、無理しすぎなウェスト。


 おまけに……何か、臭い。


 これが……真田愛美? これが……1年で一番カワイイ子?


 何の冗談だ。笑わせるな。


 話しかけようか迷っていたら、唐突に彼女が振り向いて目が合った。正面から見れば、これがまた100点満点だ。もちろん、悪い意味で。


 どう形容していいいかわからないが……そうだな。お化け屋敷にそのまま立たせたら、違和感無い感じ?


「ちょっと、あんた何よ、さっきからー。じろじろあたしの事見てさー。こんな人気の無い場所で……襲う気ね!?」


「は?」


 襲うわけねーだろ。お前のツラ見たら、クマすらビビッて逃げ出すよ。


「いや、その。人を待ってるんだけど……君、真田さん……だよね?」


「んま! ナンパ!? やだやだやだ! でも……なかなかいいセンいってるじゃない、あんた。つ、付き合ってあげても、いいわよ? 勘違いしないでよ!?」


 なんだよ、こりゃ。誰がこんなイベント望んだよ。誰得だ、これ。


 それにしても、会話が噛み合っていないな。これは、人違いか。


 何気に視線を下に逸らすと、筋肉だか授乳器官だかわからないムダにバカでかい胸部に、『坪井姫』という名札が張り付いていた。


 坪井? こいつが……なるほど。あの時のあいつらの反応がよく解った。


「ごめん、人違いみたいだね。他を当たるよ」


 逃げるように背を向け、再びあたりを見渡すが、他に人影は無い。


 まさか。


 だまされた……か? いや。そんなことは……。なんとか思考をその場に止まらせ、考え直してみる。


 そうだ。もしかしたら、ホームルームが長引いているのかも。それとも、先生に用事を押し付けられた、とか。


 あらゆる可能性を検討してみたが、どうにも要領を得ない。


 僕が1人思考している間に、坪井は屋上を去ったらしく、姿はどこにもない。屋上には僕1人しかいなかった。


 そう、僕1人。


 つまり?


 だまされたってことさ! 真田愛美っていうビッチに! もしかしたら、坪井が屋上にいたのは、ヤツの計画の内かもしれない。


 くそう。


 くそう。


 ふざけるな。


 ふざけるな。


 僕をバカにしやがって……! 思い知らせてやる! 僕をバカにしたら……僕を敵に回したら、どうなるか。


 二度消えない傷を心と体に刻み込んでやる。謝っても許さない。絶対に!

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