『リアル』PK
「どうなってんだよ、畜生……」
暗闇の中、一人悪態を付きながら、何度も何度もモニターのスイッチを付けたり消したりする。 本来そこに写るべきはずのゲーム画面は無く、ただただ暗黒を映し出している。
「勘弁してくれよ……」
旭は苛立ちのあまり机をガンと叩いた。その振動で、机の上のポテトチップスがパラパラと床にこぼれ落ち、床に新しい彩りを加えた。
モニターの故障。それは今日この時を待ち望んでいた旭にとって、最悪の事態だった。
――エッジ待望の、半年振りの大型アップデート。
午前中のメンテナンス終了と共にアップデートは完了し、新しいエリアや新しいクエスト。そして新しいスキルを堪能するはずであった……だが。
「モニター壊れるとか、マジでねえよ!」
唯一の光源だったモニターの光も今は無く、カーテンから差し込む僅かな陽の光が、狭く汚い室内を照らしていた。
旭は財布をひっくり返し、全財産を捻出する。だが、新しいモニターを買うほどの金は無く、次の仕送りまでの生活費を考えれば2、3千円くらいしか手元には残らない。
「ネカフェ……行くか、クソ」
正直、ネットカフェに行くのは気が引けたが、背に腹は変えられない。アップ初日にインできないのは悔しすぎる。
旭は手早く着替え、くたびれたスニーカーを履くと外に出た。季節は秋を迎えたが、旭の格好はTシャツ1枚とジーンズ姿のなんとも寒々しい格好であった。
若いホームレスと言えば、誰もが納得してしまうであろうそのいでたちに、皆振り向き心の中で笑った。無論、旭もそれが羨望の眼差しではない事くらい解っている。だが、そんな事はどうでもいいのだ。アップデートされたエッジをプレイできれば。
「いらっしゃいませ」
駅前のネットカフェに辿り着いた旭は、個室を借り早速ゲームに接続する。IDとパスワードを入力し、もう一つの現実(リアル)へ――。
目の前には見慣れたロアンの森の風景が広がっている。
「ん?」
ろなでログインしてすぐに異変に気が付いた。一通の未読メールが着ていたのだ。
差出人は聞いたことの無い名前のプレイヤーだった。早速、メールを開いてみる。
『殺してやる』
たった一言。殺してやる。シンプルだが、それだけに不気味だった。
「んだよ。イタズラか?」
旭はすぐにそのメールを削除し、アーセルにキャラクターチェンジした。PKされたプレイヤーからの嫌がらせメール。今までにも同じような事があったが、やはり慣れるものではない。
「た、たかがPKぐらいで熱くなりすぎだろ、バカな奴ら」
すっかり気分が冷めてしまった旭だったが、2時間くらいアップデートで起こった変化をじっくり楽しみ、個室を出ようとした。
「失礼します」
そこに入れ替わるように店員が入ってきて、掃除などを始める。
「あ」
店員と目が合った――。その目は何かを訴えかけるような、怒気を含んだ目に見えた。
「え、えっと……どうも……」
嫌な空気が旭を包みこむ。
「ありがとうございました、またお越しくださいませ!」
だが、すぐに笑顔になり、先ほどまでの怒気はどこにも無い。結局、勘違いだったのだろうと気を取り直し、帰路についた。
それから数日後。
旭はコンビニで仕送られた金を引きおろし、その足で電気屋に向かっていた。母親に無理を言って振り込んでもらったのだ。就職活動用にスーツを買うからと、嘘を付いて。
多少の罪悪感を胸に秘めてはいたが、新しいモニターを手にいれると、すぐに吹っ飛んでしまった。
(これでようやくまともにエッジができる……!)
早速家に帰り、箱からモニターを引きずり出した。肉食獣が獲物を喰らうが如く、ダンボールを引きちぎり、梱包材を屠る。
真新しいモニターを机の上にセットし、ケーブルを接続。PCを立ち上げ、待ちに待った瞬間がやってきた。
そして、ゲームに接続しログインする。
「何だこれ……」
異常事態が発生していた。一瞬、旭は我が目を疑った。ろなが、装備を剥ぎ取られ、所持金0の状態で、最高レベルの狩場『魔王の墓』のど真ん中で放置されていたのだ。
たちまちモンスターに囲まれ、ろなは一斉攻撃を受ける。最高レベルの装備と最高レベルのプレイヤーでも苦戦するこの狩場で、ましてや装備が何も無い真っ裸なこの状態では、ろなといえどもあっさりと戦闘不能になってしまった。
垢ハックされた――!
垢ハックとはアカウントを盗用される事で、他人が勝手にログインし装備やアイテムなどを根こそぎ奪ってしまう行為である。
だが、一体いつ? この前のネカフェの時にはまだ装備はあった。
「ネカフェのPCに何か仕込まれてたのか……?」
だとしたならば。あの時の店員が怪しい。
「俺のキャラを……よくも!」
頭に血が上り、正常な思考ができなくなっていたのだろう。旭はすぐに家を飛び出すと、先日のネットカフェに向かった。
途中で信号が赤になり、足を止め急停止する。
「まだか……まだかよ……!」
一分一秒が惜しい。足踏みをしていると、後ろに何か気配を感じた。
気が付けば旭は赤信号の中を一歩踏み出していた。背中には両手で押された感触が今もまだ、はっきりと残っている。
「誰だ、今押した奴!?」
振り向くが、誰もいない。
その時、鼓膜が破れるほどのクラクションが鳴り響いて、旭は我に返った。
「ひ」
猛スピードで迫るトラック。それも大型だ。
轢き殺される――!
旭は無我夢中で足を動かした。背中に巨大な風が横切った感触が残り、ぞくりとする。
「何だよ、今の……」
恐ろしくなって旭はネットカフェに行くのを一旦やめ、気分を落ち着かせるため、コンビニで飲み物でも買おうと思った。コンビニへ近道をする為、ビルでひしめき合う路地裏を進む。
背中を押されたショックなのか、挙動不審にさらに磨きがかかり、通報されてもおかしくないレベルにまで達していた。
「ん? 何の音だ」
ヒュー……っと、音がした。いや、している。
ヒゲのおじさんがキノコを取るとでかくなるゲームみたいに、高いところから落ちた時の音に似ている。いや、落ちている音か。
旭は頭上を見上げた。
包丁、金槌、ノコギリ、やかん、それらが空中で踊っていた。
当たれば
それ以上考える暇など無かった。避けきれるはずもなく、包丁が旭の背中をかすめる。
「あつ!?」
背中に火傷したような感覚。Tシャツが裂け、そこから赤い雫が一筋こぼれ出した。地味だった白いTシャツは、赤い龍がうごめく派手なTシャツへと様変わりする。
「ぎゃあ!?」
今度は金槌が左腕に当たり、骨が砕けた。
旭は吐き気と目眩でうずくまる。それが幸いし、ノコギリは直撃することなく目の前に突き刺さった。
「やかんは?」
突如目の前に暗闇が広がった。頭に引っかかったやかんを引き剥がし、よろよろと起き上がる。
背中と左腕に激痛を感じるが、それ以上に命を狙われた事実と恐怖から旭は思考停止し、呆然と立ち尽くした。
――殺される。殺される? 殺される!!
何かが弾けたように走り出す。死の危険が迫っている事を察知し、安全な場所を捜し求めて旭は走った。
途中、すれ違った人々が旭を指差し、悲鳴をあげたり叫んだり笑ったが旭の耳には何も聞こえていなかった。
血に染まったTシャツと、汗だらけで無精ひげの生えた顔。血走った眼と肩を上下するほど息を荒げる旭は、まさしく手負いの獣だった。
結局、自宅に戻ることにしたのだが、ドアを開けようとして異変に気付く。
「カギ空いてる……かけ忘れたか?」
その答えはすぐに出た。
無茶苦茶に荒らされた部屋。カーテンはボロ切れの様に切り刻まれ、パソコンはバラバラに分解されている。ゴミ箱をひっくり返され、元から汚かった部屋はゴミ捨て場が如く異臭を放っていた。
ぐちゃりとした嫌な感触が、足の裏に伝わった。足の裏には食べ残した焼き魚の頭がこびりつき、かぴかぴに乾燥したティッシュが旭の足を掴んだ。
唯一無事だったのが、先程購入したモニターだった。そのモニターには、一枚のメモ用紙が貼り付けてあった。
『ろな乙www』
「俺がPKした奴らがこんな事したっていうのか? なんで……俺の住所知ってんだよ……」
そこまで言って気付いた。
「垢ハックか……垢ハックした時に俺の個人情報を調べやがったのか。おいおいおい!! ゲームでした事だろうがよ!! バッカじゃねえの!?」
一人ゴミ捨て場で叫ぶと、旭はまた新しい事実に気付いた。
個人情報を調べられた以上、どこにも逃げ場がない――。しかし、その心配をする必要は無かった。
頭部に激痛が走り、景色が暗転する。
「弱すぎワロタ、乙」
背後からどこかで聞いた声がした。そう、ネットカフェで聞いたあの声が。
『GAME OVER!』
旭の暗転した視界に、派手なロゴが表示された。徐々に景色は色を取り戻し始め、やがてそれは病室のベッドの中を映し出した。
「ああ、またゲームオーバーだわ」
ベッドから身を起こしたのは、老婆だった。そして、ヘルメットの様な物を頭から取り外す。
「また初めからやり直しね。今度は、女の子にしようかしら。ううん、やっぱり、男の子がいいわ」
老婆は一人呟くと、もう一度ヘルメットをかぶった。
途端に視界は明るくなり、病室のベッドの上になる。そこは保育器の中で、老婆は男児になっていた。
『リアルライフ』、通称『リア』。21世紀初頭の日本を忠実に再現したゲームである。
キャラクタースロットには、先ほど保育機の中に入っていた男児と、橋本旭が表示されていた。
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