初めての味

 どうやって声をかけよう。


 私は病室の前でずっと悩んでいた。


 『二度とバスケができない』。おばさんと一緒にお医者さんの言葉を聞いたとき、私は目の前が真っ暗になった。


 りょうちゃんは、ずっとバスケ一筋のバスケ少年で、バスケバカ。


 高校の友達も知らないような、りょうちゃんの努力や苦労も、私が一番よく知っている。


 だからこそ、言えない。頑張れなんて。


 知っているからこそ、知りすぎているからこそ、どんな言葉を投げかけてもりょうちゃんが傷付いてしまうのは、簡単にシミュレートできてしまう。


 どうやって声をかけよう。


 また振り出しに戻る。


『沙希。そこにいるんだろ、もじもじしてないでさっさと入ってこいよ』


「りょうちゃん!?」


 病室の扉の向こうから、りょうちゃんの声がして、私は思わずその場で飛び跳ねた。


「お邪魔、します……」


「おう」


 扉を開けた途端、りょうちゃんの笑顔が私を迎えた。


「りょうちゃん、あの――」


「沙希。腹減った。何か持ってきてない?」


「あ、うん。アップルパイ……作ってきたから。食べる?」


「お! 食べる食べる」


 私は持ってきたアップルパイを取り出すと、用意しておいた紙皿に、コンビニでもらえるフォークを添えてりょうちゃんに差し出した。


「さんきゅ」


 すごい食欲。一緒に食べようと思っていたのに、私の分まであっという間に平らげてしまった。


「ごっそうさん! 沙希。ほんとお前、いい嫁さんになれるよ」


「うん、ありがとう。えへへ」


 嬉しい。私が作ってくれた物を素直においしいと笑ってくれて。


「きっと、こんなうまいもんを毎日食える男は幸せだろうなあ。俺は、そいつが羨ましいよ」


「え?」


「沙希。――俺達、別れよう」


「え、え?」


 りょうちゃんは、私から目を背けると、窓の外を見て一息ついた。


「聞いただろ、俺の足。無茶しすぎなんだとさ。夢見るバスケ少年は今日、死んだってワケだ」


「そ、そんなの! リハビリすれば、なんとか!」


「無理だよ。俺の体のことだもん。俺がよくわかる。たぶん……もう無理だ。だから、こんな俺を……バスケができなくなって、なんの取り得もなくなっちまったダセー奴に、お前は似合わない。きっとお前を……幸せにしてくれる男が、他にいるさ」


 言葉が出てこなかった。


 自然と涙がぽろぽろ零れ落ちてきて……私はうつむいて唇をぎゅっと噛んだ。


「たぶん、俺は……きっと変わる。悪いほうに。大学のスポーツ推薦だってきっと無理だ。俺は俺を許せなくなって、正直どうなっちまうかわかんねー。きっと、最低のクズ野郎になっちまう。そんな俺の近くにいたら、ダメだ」


「やだ」


「沙希」


「やだよ!!」


「沙希!!」


「一人だけ、かっこ付けないでよぉ……私は、私は……それでも、りょうちゃんが好きなの! 大好きなの!」


「沙希……」


「どんなダセー奴になっても、最低のクズ野郎になっても……私が大好きな須山涼は、この世界にたった一人なの! りょうちゃん以外の男の子となんて、やだ! 私は……須山涼の……彼女なんだから!」


「お、おい……俺は、お前のこと思って……幸せになってもらいたいと思って……言ってるんだぞ」


「りょうちゃんの足が動かないなら、私の足をあげる。ちっちゃくて、細いけど、りょうちゃんのためなら、りょうちゃんのためなら……私が変わりになってあげたい!!」


 私は立ち上がって、りょうちゃんに詰め寄った。


「私の幸せは、りょうちゃんが幸せになること、だから……」


「それでも――」


 私はりょうちゃんの言葉を遮った。


「いつも意地っ張りで、負けず嫌いで、その上、大食らい。たまに嫌がることを平気で私にしたりするし、次の瞬間悪ガキみたいに笑って私に謝ってくるの」


 少しづつ、りょうちゃんとの距離を詰める。


「あれは小2の頃。私が理科の教科書忘れちゃったとき、代わりに自分の貸して、先生に怒られたよね」


 もう少し。


「小3の頃。私が始めて作ったアップルパイ……黒コゲでぼろぼろだったのに……おいしいって言って、食べてくれた。あれ、私も後で食べてみたけどすっごいまずかったの」


 あと、ちょっと。


「いつも私のこと考えてくれて、私のことを守ってくれてる……だから、私。りょうちゃんがいるから笑えるんだ。もっと、聞きたい? 私、りょうちゃんの良い所なら、いっぱい知ってるよ?」


 0距離。唇と唇が触れ合う寸前で、最後を口にする。


「そんなりょうちゃんが、大好きなの」


 重なる。時間が止まる。


 唇と唇が触れ合った瞬間、私の意識はそこになかった。


 初めてのキスは、アップルパイと涙の味がした。

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