死『刑』
悪夢
気が付けば私は、そこに立っていた。
周囲の人々が、悲鳴を上げながら私の右手を見ている。
それもそうだ。私の右手には、血がべったり付いた包丁が握られているのだから。
でも、まだ足りない。
もっと。もっとだ。
次の獲物はどれにしようかな?
ああ、あれがいい。あの子にしよう。
「いや! 来ないで……助けて! 誰か、助けて!!」
獲物は高校生の少女。ロングヘアが魅力的な、可愛らしい女の子。だが、誰かに似ている。
それも、よく知っている顔だ。芸能人? いや、違う。
まあ、いい。
私は逃げようとする彼女の長い髪をつかみ、引き寄せた。
え?
どうして?
何で?
そこに鏡でもあるのかと、一瞬錯覚する。
ああ、そうか。どうりでよく知っている顔なワケだ。
そこにいたのは、紛れもない私、福本紗希(ふくもとさき)だったからだ。
「来ないでよお! あんたみたいな男、死んじゃえ!」
なおも暴れる私。私はそれに構わず――右手を首筋に向けて、振りかざした。
どうして。体が勝手に動く?
頭では嫌だと抵抗しているはずなのに、体は本能的に血を望んでいた。
「い、いやあああああああああ!」
私は私の悲鳴を聞くと、なぜか無性に楽しくなってきて、笑った。
そして、斬る。切る。きる。キル。英語で言うとCUT? ううん、もうすでにこれはKILL。
数回切りつけて、動けなくなったことに満足すると、私は溢れ出る笑みをこらえきれず、その場で笑い尽くした。
私は、私の手で私を殺した……殺してしまった。
『紗希ちゃーん! 朝よー。早く起きてきなさいー遅刻するわよー』
お母さんの声が聞こえた。
「何だ、夢か……よかった」
気が付けばそこは自分の部屋で、私はベッドから転がり落ちていた。
悪夢だ。自分で自分を殺す夢なんて。
でも、妙にリアルだった。今もまだ……自分の首を切ったときの生々しい感触がこびりついている。
『姉ちゃん! 早く起きろよ。母さんそろそろキレるぞ』
「あ、ごめんごめん、卓也! 今すぐ着替えて降りるから!」
弟が部屋のドアの向こうで、私を呼んでいる。
私は制服に着替えると、急いで一階に降りていった。
「おはよう、お母さん。私のごはんは?」
「もうできてるわよ。早く食べて、未来のダンナをお迎えしなきゃねー」
「ちょ! お母さん、やめてよ。りょうちゃんとは、そんなんじゃないんだから……」
お母さんは目玉焼きとトーストを持ってくると、イタズラっ子のように笑った。
「よかったなー、姉ちゃん。ちゃんと嫁の貰い手がみつかって、俺、おばさんになった自分の姉を養ってやる余裕はないぜ?」
弟はトーストをかじりながら、お母さんと同じようにイタズラっ子のように笑った。
「あんた朝から生意気!」
「いて。何もぐーで殴ることないだろ。優しくデコピンにしろよ」
「あんたにパワーセーブしてやる必要なし! もっと姉を敬いなさいよ」
「暴力ゴリラめ……いてててて!?」
優しくて可愛らしい姉を捕まえて、暴力ゴリラとは何事か。
私は弟の耳たぶを思いっきり引っ張ってやった。
『おはようございまーす!』
「あ、りょうちゃん……」
リビングのドアが開いて、そこから幼馴染の男の子……須山涼(すやまりょう)くんが、入ってくる。
「うぃす」
幼稚園からずっと一緒だった男の子。最近、ちょっと……気になっている。でも、それは内緒の話だ。
「りょう兄! 聞いてくれよ、姉ちゃんが朝から俺をグーで殴った挙句、耳たぶ思いっきり引っ張るんだぜ!?」
「たく。お前また紗希に余計なこと言ったろ? まったく、お前ら姉弟、毎日毎日飽きないねー」
りょうちゃんはため息をつくと、弟の頭を小突いた。
「いて。あ、そうだりょう兄! インターハイ出場おめでとう! 俺、ぜったいりょう兄なら行けると思ってたぜ!」
「おう。ありがとな」
りょうちゃんは、バスケ部に入っている。まだ一年生なのに、スタメンで試合に出ている、らしい。
私はバスケに興味がなかったから、スタメンってカップラーメンの親戚かって聞いたら、笑われてしまった。
「ほらほら、りょうちゃんも紗希も、そろそろ行かなきゃ。こら、卓也。あんたもさっさと中学行ってきなさい」
「へーい」
母の号令で、リビングは一斉に動き出した。
「それじゃ、行ってくるねお母さん」
「おばさん、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。あ、りょうちゃん! 紗希のこと、よろしくね」
「はは。俺に任せてください」
私たちは、いつものように駅へ向かって歩き出した。
いつもの風景、いつもの時間。そして、いつも一緒の幼馴染。
「あ」
「ん、どした紗希?」
「りょうちゃん、また背が伸びたね」
「あー、かもしれね。でも、どうでもいいけど」
りょうちゃんの背は高い。バスケのポジションでも、センターとかいうのをしているらしくて、190センチちょっとはある。
「あのさ」
「なーに、りょうちゃん?」
いつもの通学路で、唐突にりょうちゃんが立ち止まって真剣な顔になった。
「……お前、好きな奴とか、いるの?」
「え」
びっくりした。今までにないくらい、真剣で、かっこよくて……私を見ていた。
「りょうちゃんは?」
「俺か? いるぜ」
いるんだ。……好きな人。どんな人なんだろう……。
私は緊張のあまり、唇を噛んでうつむいた。
「どんな人、なの?」
「しっかりしているようで、おっちょこちょいでさ。隠し事が苦手で、緊張すると一生懸命唇を噛んでうつむくんだよ」
「え?」
「あれは、いつだったかなー。二人で冒険ごっこで山に入ってさ。はぐれちまって、夢中になってさがしたら山の入口で昼寝してやんの。すげー危なっかしいかっこうでさあ。寝顔が可愛かったの、今も覚えてる」
「え、え?」
「姉弟ゲンカ毎日してるクセに、ものすっげー仲がいいんだよな。一緒にいると、俺も笑顔でいられるんだ」
肩をつかまれた。今までにないくらい、真剣に。
「もっと、聞きたい? 俺、お前の良い所ならいくらでも知ってるよ。悪い所もいっぱい知ってるけど。例えば、小3の時おねしょしたこととか――」
「わー! やめてよー!」
「小5のとき、調理実習で使うマスクに手術用のマスク持ってきたり――」
「やめてー!」
私はそれ以上言わせないように、りょうちゃんの周りをぴょんぴょん飛び跳ねて、口を塞ごうとした。
「そんなお前が好きなんだよ」
その一言で、動きが止まる。
時間すらも停止したように、私とりょうちゃんは永遠とも言える時間の間、見つめ合った。
「付き合ってくれ、紗希」
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