殺人『クーポン』

 目の前が急に真っ暗になった。一体ここはどこなのか。


 五感をフル回転させて状況把握に努めるが、急激な状況変化に陽一の思考は付いていけなかった。


「さっきー!」


 突然、衝撃が陽一の全身を駆け巡る。


「うを!?」


 背中から強烈な打撃を受けたことを感じると、慌てて飛び上がった。目の前には、凪が元気よく手を挙げて立っている。


「おはよー。さっきー! お昼寝なんかしてたら、昼休み終わるよー?」


「ん、ああ。……なぎか? 俺は確か、さっきまで……街で田島の野郎を……」


 陽一は頭を抱えながら周りを見渡した。


 昼休み真っ只中の教室は、騒がしいを通り越して鬱陶しい。男子の腕相撲大会の歓声も、女子のコイバナの黄色い笑い声も、全てが騒音として陽一の耳を貫いた。


「あれ? 何で俺……教室に?」


「ちょっとー、まだ寝ぼけてるの? さっきーさ、さっきまですごいうなされてたよー? 何か、悪い夢でも見た?」


「夢? まさか……」


 陽一は、携帯を取り出して、メールをチェックしてみた。


 あれが夢なわけがない。あんなにリアルな夢は、今まで一度も見たことがないんだ、クソが。


 毒づきながら、携帯のメール画面に移行する。


「あ」


 そこには、未開封の着信メールがあった。


「あっ……た?」


 『祝! なぎちゃん新ケータイメール第一号! 新しいメアド、登録してね♪』、そんな能天気なタイトルが4.7インチの液晶画面に踊っている。


 クソが。毒づきつつも、どこかホッと胸をなでおろした陽一であった。


「夢オチかよ……笑えねー」


「へへん! なぎの新ケータイ! その目にしかと焼きつけよ!」


「あーうるさいうるさい。安心したら、腹減ったぜ。おい、なぎ。今日は俺がおごる。ついてこいよ」


「え、本当!? さっきー、LOVE!」


 凪は幸せいっぱいに笑うと、陽一の腕にしがみついた。まるで、小学校低学年の子供が遊具にぶらさがるように。


「離れろ、お子様! 俺は胸がでかい女が好みなんだよ」


「ぶーぶー! なぎの胸は、発展途上国なのですよーっだ! さっきーてば、本当にデリカシーがないよね!」


「バカ。それをいうならデモクラシーだろ。いや、デリバリーだっけか?」


「さっきー、デリカシーで合ってるよ~」


「う。そうだっけか? とにかくお前の胸は国じゃねーだろ、内閣貧乳大臣がっ!」


「じゃー、なぎは、内閣爆乳大臣になるっ!」


「バカか。真に受けるんじゃねー」


 二人は楽しげに学食に向うと、カツ丼セットの大盛りを注文して空いている席に着いた。


 そして、二人そろって『いただきます』を言って、昼飯に襲いかかる。


「さっきー。ねーねー。さっきーてばあ」


「うるせー。今食ってるんだよ! お前のも食うぞ!」


「ダメ! じゃー、食べてから話す!」


 むしゃむしゃ、がつがつ、と。二人は食事を終えると、真剣な空気に包まれた。


 凪は箸を丼の上に置き、手元に新しい携帯を置くと、上目遣いで陽一の目を見た。


「さっきー。なぎね。さっきーのことLOVEだよ?」


「ああ、そう。ありがと」


「どーいたしまして! いえい!」


 凪はほっぺたにごはんつぶを付けたまま、ピースサインをした。


「あー! そうじゅあなくてえ! さっきー。なぎの……彼氏に――」


「やなこった。ゆりあセンパイくらい、でかい乳揺らしてみやがれ。それか、三谷先生くらい、いいケツになりやがれ、このスーパー幼児体型がっ!」


「えーん。さっきーのいじわる! もう、いいよ! さっきーなんか、車に轢かれちゃえ!」


 へ。誰が――と言い掛けた。だが、それは言葉となって口から発せられるとことはなく……代りに口から出たのは――。


「わかりました」


 何故だかわからない。無意識に、体が動く。


「さっきー?」


 足が自分の物ではなくなったように、勝手に歩き出し、いつの間にか食堂を出ていた。


 クソが。何だよ、これ! 口にできない言葉の数々。必死に抗おうとするが、体はいう事を聞かず、校門まで歩いていた。


「さっきー!」


 後から走って追いついてくる凪。


「ダメ、さっきー! そっちは、道路だよー!」


 小さな体が必死に陽一の体にしがみ付き、道路に出るのを阻止しようとする。


 轟音。大きなトラック。それが、目の前に迫っていた。


 その時、陽一は見た。凪が手に握っていた携帯の画面を。


 そこには、『祝! あなたは選ばれました。いますぐ試してみましょう、あなたの願いは何でもかないます』、と書かれたうさんくさいタイトルがあった。


 ~終~

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