許せない

「おはようございます、みなさん。それではさっそくホームルームを始めましょう」


 新しい人生が始まって、一ヶ月が過ぎた。新しい学校。新しい担任。新しいクラスメイト達。新しい教科書。


 全てが新鮮で、全てが輝いて見える。


「点呼を取ります。相田雪奈さん」


「はい」


「飯塚沙耶さん」


「はい」


「小田原愛姫(おだわらあき)さん」


「はい」


 私は元気良く、愛想よく、返事をした。


 そう、今の私は小田原愛姫。愛される姫と書いて、愛姫。名は体を表す、とはまさに自分のことのように思える。それほど愛姫はお姫様のように可愛らしく、周囲の人間に愛されていた。


 祖母がフランス人のクオーターで、父は大企業の社長。母は引退した女優で、社会人の兄がいる。


 自宅は豪邸、とまではいかないけどかなり大きい。さすがにかっこいい執事はいなかったけど、概ね予想りの、上流家庭だった。


 葉山萌花が住んでいた庶民の集合団地とはワケが違う。ちゃんと自分の部屋があって、トイレが一階と二階の二つある。酔った父親が鍵を壊して中に入ってくることもなければ、弟がカギを掛けずに、中でナニをしている場面に遭遇することなどない。


 食べる物だって、スーパーの特売お肉なんかじゃなく、飛騨牛だか、神戸牛だかの特上品。デザートに出されるスイーツもまた、有名なパティシエのお店で買った物で、あまりのおいしさに一口食べただけで泣きそうになった。コンビニで買ったクリームパンに満足していた私は、なんと愚かだったのだろうか。


 そしてなにより……この体、である。


 周囲の視線が違う。男たちの私を見る目が熱い。女たちの私をひがむ視線が、たまらない。


 それほどまでに私は美しく、輝いているのだ。


「えー。それじゃあ、文化祭の出し物。皆さんの投票の結果、ロミオとジュリエットに決まりました。次に、配役を決めたいと思います。自薦他薦問わず、この人がいい! っていうのありますか?」


 点呼が終わり、次ぎの議題は文化際の出し物のようだ。そういえば……葉山萌花の通っていた高校は、公立男女共学の底辺校だった。バカな男子がメイド喫茶をやりたいなどと言い出して、女子が猛反発したのを覚えている。


 だがここは私立の女子校。それも、名だたるお嬢様学校だ。一体、どうなるんだろう。


「ジュリエットは、小田原さんしかいないよね!」


「そうよね。小田原さん、可愛いしー」


「小田原さんのジュリエット姿、早く見たいな」


 私が主役。なんだか、信じられない気持ちでいっぱいだ。葉山萌花の時は、『葉山のメイド姿とか、ちょー受ける』とか散々バカにされていたのに。


「そんな、私……主役なんて柄じゃないよ……」


 あくまで控えめに、自己主張せず周りを立てる。それが、彼女に聞いた小田原愛姫という人間のスタンスらしい。


「謙遜しなくてもいいのにー! 満場一致で決まり! じゃあ、私は木の役でもやろっかなー! アハハ」


 目の前の席に座る飯塚が振り向き、下品に歯を見せて笑った。


「飯塚さんだって、可愛いじゃない。私は、飯塚さんがジュリエットでもいいと思うけど」


「え? そ、そうかなー。小田原さんに言われると、なんだかやれそうな気がする! アハハ」


 まあ、ヨイショはこんなもんでいいだろう。あんたには木がお似合いよ。主役は私しかいないんだから。


「じゃあ、次は小道具や衣装について――」


 そして、授業がつつがなく終わり私は学校を出た。


「愛姫! 遅かったじゃないか!」


 校門を出た所で、スーツ姿の若い男性に呼び止められた。着ているスーツはブランド物だ。手にしている時計も、ウン十万するらしい高級品。


 何よりそれを身に着けている人間が、見事に着こなしている。爽やかな笑みを浮べ、高級車の前で私に手を振っていた。


「お兄ちゃん!」


 小田原正輝。愛姫の兄である。いや、今は私の兄。


「待ってたよ。あんまり遅いから、心配した」


「もう、時間より早いじゃない。そんな急ぐことなんか、ないのに」


「愛姫の為なら、いくらでも待つさ。ほら、乗った乗った」


 社会人二年目の24歳。彼女はいないのが不思議なくらい、かっこよくて優しい。


 生意気で不潔な弟なんかとは違う。私のことを一番に考えてくれて、いつも心配してくれる。優しくて、ちょっとおっちょこちょいなところがある可愛い人。


「さあ、どこに行こうか? 今日は愛姫が欲しい物、なんでも買ってあげるよ。もう17歳。大人だもんな」


「ありがとう、お兄ちゃん」


 こんな兄が欲しかった。ずっと、そう思っていた。


「ほら、こっちのはどうだ? 愛姫によく似合うと思う」


「え? そうかな」


 オシャレなお店に入って、色々と私に服を選んでくれた。どれもこれもが可愛らしくかつ、高そうだ。


「げ。これこんなにするの!?」


「どうかしたか、愛姫?」


「ううん、なんでもない!」


 値札を見た私は、0の多さに腰を抜かしそうになる。バカじゃないの? この値段。誰がこんなクソ高い服を買うのよ。


「店員さん。ここにあるの、全部ください」


「はあ!?」


 マヌケな声を上げたのは、店員ではなく、私だ。しかも……現金で全てを払ったのだから、もうオトコマエ以外の何者でもない。


「お待たせ、愛姫。さあ、次はどこへ行こうか?」


「う、ううん。もう、いいよ。帰ろう」


「いいのか? 誕生日は年に一回。愛姫が主役になれる日なんだから。遠慮することは無いんだぞ?」


 庶民な私が、これ以上この空気に耐えられる自信がない。と、いうか私はいつでも主役なのだ。今は、それで満足している。


 だが……知れば知るほど。小田原愛姫がいかに恵まれた環境で育ってきたかが解るほど。


 私の中で憎しみが増すばかりだった。


 あの女……こんなに恵まれているのに、どうして自殺なんか考えたのだろう。


「あ、お兄ちゃん、車止めて!」


「ん?」


 だが、そんなことは一瞬でどうでもよくなった。


 あいつがいたのだ。あの日私をフッた。あいつが。


「おい、愛姫?」


「ごめんね、ちょっと待ってて!」


 彼の姿を見つけると、私はお兄ちゃんに無理を言って車を止めてもらい、飛び出した。


 今度こそ、振り向かせてやる。今の私なら、どんな男でも手に入れられる。


「きゃ!?」


「わ!?」


 とりあえず、偶然を装ってぶつかってみた。少女マンガでよくあるパターンだし。


「ごめんなさい。急いでて……」


「いや、俺よりも君のほうこそ、大丈夫?」


「はい。大丈夫です」


 立ち上がった私と一瞬目が合うと、彼の視線は私に釘付けになる。――獲った、今度こそ。


 だが、そんないい感じの空気を切り裂いたのは、能天気な着メロだった。


「あ、ごめん。彼女からだ。もしもし――」


「え?」


 こいつ……付き合っている女、いたっけ?


「ごめんね。俺、行かなきゃ。これから彼女の家で、弟さんや両親とご飯食べる約束だから、それじゃ――」


「ちょ、ちょっと待って!?」


 私の声が聞こえないのか、彼は嬉しそうにスキップしながら颯爽と駆けて行った。


 なに?


 どういうこと?


 私以上に可愛いっていうの、その彼女さんとやらは。


 ……許せない。

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