新しい『自分』

 目の前の私がそう言った。まるで鏡を見ているようだ。しかし……改めて見ると、色々ひどい。


 泥だらけの制服に、乱れた髪。充血した瞳と血でよごれた頬。


 あの高さから落ちてこの程度で済んだ……というわりには、出来すぎている。


 いや、とにかく。何故私が二人もいるのか。これは目の錯覚なのか、それともこれがあの世というやつなのか。


 それとも、落下したショックで私が二つに分裂したとか? いやいや。ありえないだろ、そんなこと。


 だが、冷静に物事を考える間もなく、能天気な着メロが鳴って、私は我に返った。


 電話だ。この着メロに設定してるのは、親友の麻衣。


 夜中だというのに、無遠慮に電話してくるバカは麻衣しかいない。どうせくだらない用事のクセして、もったいぶってこんな時間にかけてくるアホはあの子だけだ。


 私は少し慌てると、電話に出ようとして胸ポケットをまさぐった。だが、そこにあるはずの携帯はどこにもない。


 それでも携帯はバカ正直に着メロを撒き散らしながら、私に電話に出るよう催促してくる。


 私の携帯、一体どこに消えたの?


 耳を澄ませてみれば、着信音は、目の前の私からだった。


 多少焦りつつ、痛みの走る体をムチ打ち、きょとんとしたまま突っ立っている、目の前のもう一人の私の胸ポケットに手を突っ込んだ。そして、携帯を取り出し慌てて着信ボタンを押す。


『ちーっす。モカー、起きてるー?』


 モカとは、私の名前だ。フルネームは葉山萌花(はやまもか)。友達にはよく、名前負けしていると言われる余計なお世話の名前だ。地味顔の私に、こんな可愛らしい名前を付けた両親を私は恨む。


「なによ麻衣。こんな時間に」


 いつもの調子でしゃべったはずだった。なのに、私の喉から出てきた声は、いつもの私の声じゃない。


 高くて、アイドルみたいで、可愛い女の子みたいな……キレイな声だった。私の声は、もっと低い……男みたいな声なのに。


『は? あんた、誰? モカは? それモカの携帯だよね』


「麻衣。モカだよ。私だってば。なんか、声が……ヘンなんだ」


『ばんごー間違えましたーすんまそん』


 そう答えただけで、プツンと通話は途切れてしまった。


 通話が終了した携帯は、画面が真っ黒になり待機状態になった。外灯の頼りない光が画面に反射し、一瞬そこに顔が写る。


 お姫様みたいに可愛らしく、色白で、目鼻のくっきりした女の子。


 それは、一緒に飛び下りたはずの、彼女の顔だった。


 まさか。まさか。まさか?


 携帯をカメラモードにして、自分を写してみる。するとやはりそこに写るのは、美少女。


 彼女だった。


「なに、これ……」


 気がつくと、私のすぐ真横にもう一人の私がいて……顔を醜く歪め、信じられないモノを見る目で携帯を覗き込んでいる。


 もしかすると、これは……?


 現実には考えられない。けれど、目の前に私がいて、私は彼女の顔、声を持っている。さらに、目の前の私が『私が二人いる』と口走った。


「ねえ……私たち、入れ替わっちゃったの?」


 先にその答えを口に出したのは、彼女だった。


「そう、みたい」


 まるでマンガの世界だ。信じられない。落下のショックで、私たちの魂は入れ替わったとでもいうのか。


「しんじ、られない……」


 ブルブルと体が震える。自分が自分でなくなってしまった恐怖が、体を覆い尽くした。


「どうし、よう……」


 彼女も同じ様に考えたのか、私たちは互いに見つめあったまま、動けなくなった。


「ねえ、どうしよう? もう一度一緒に飛び下りれば元に戻るの、かなあ?」


「わからない……今度こそ、本当に死んじゃうかもしれないし……それより、ねえ?」


 不安に怯える彼女に、私は提案した。


「私とあなたの人生、このまま入れ替えない?」


「え?」


「どうせ死ぬはずだったんだもん。互いに自分の人生に未練なんて、ないよね? それなら、私は新しい人生を歩みたい」


「それは……そうだけど」


「あなたにはずっと欲しかった自由があるわ。私には、恋愛に困らない……あなたの容姿がある。これって、運命じゃない? 私たち、このために出会ったのかも」


「……そう、なのかな?」


「そうだよ、絶対!」


 これはチャンスだと思った。新しい自分に、文字通り生まれ変わるチャンスなのだ。


「でも、バレたらどうするの?」


「心配ないって! 家のオヤジも母親も、ほとんど家に帰って来ないし、弟とはあんまり口も聞かないから」


 この女の持つ美貌なら、彼を振りむかせられるかもしれない。


「二人で、頑張るんでしょ? それにもしも……互いの『自分』が気に入らなかったら、今度こそ、あの屋上から一緒に飛び降りよう? 私が付いているから」


「うん……そうだね。そっか、私、自由になれるんだ。……自由、なんだ。なんだか、無性に走りたくなってきちゃった!」


「一緒に新しい『自分』を頑張ろう!」


 お前には、その醜い私をやるわ。今更返してやるもんですか。


「そうだよね。新しい自分を、頑張ろう!」


 私たちは互いに手を取り合い、誓い合った。


 そんな私たちを祝福するように、新しい朝がやってくる。

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