第三部 一話「河童」

一話『河童』




 風は底冷えするほどに冷たく、雲は灰色に太陽を覆う。見ているだけで重苦しい空が、そこにはあった。

 今年もあと一カ月を切ったが、まだまだ気の抜けない日が続きそうだ。

 ここは人と妖怪の橋渡しを仕事とする、川下という河童の一族の屋敷。俺は一人、縁側で空を眺めていた。

 しかし、寒い。上着を着て来るべきだったか。そんな事を思いながらかじかむ手に息を吐きかけていると、近くの襖が静かに開き、男が溜息をつきながら縁側に出てきた。

「はぁ、ったく……ん? 何だムラマサ、ここにいたのか」

 ここの屋敷の主である河童、川下童家だ。川下は俺の存在に気づくと、トントンと縁側を寒そうに走り寄ってきた。

「もう外は寒いだろ? 中、入れよ」

「息苦しい中よか、いくらかマシだろ」

 それに。と、俺は手を握ったり開いたりして、手の感触を確かめながら言う。

「俺がいても邪魔なだけだ。ああいうのはお偉方に任せといて、俺みたいなのは外で警護ぐらいがちょうど良い」

「中の面子を知った上で、この屋敷に殴り込める奴がいるとも思えねえけどな……やれたら一気に妖怪界隈のチャンプだぜ」

「それはそうとお前、抜けて大丈夫なのかよ?」

 うんにゃ。川下は首を振り、俺に背を向けて歩き出した。

「茶をもう一杯用意するって言って、抜け出してきたんだ。すぐ戻るよ」

 んじゃ、行ってくら。川下はそう言って手を振りながら縁側の角を曲がっていった。

 やはり、会談は上手くいってないようだ。俺も重い腰を上げ、立ち上がった。一つ、様子を見に行こう。

 襖を開け、会談を行っている客間に入った。

「おうムラマサ、何してた?」

 屏風や壺などから気品が感じられる和室。集められた面々は磨かれた長机で妖怪側、人間側と分かれ、それぞれ腰を落ち着かせている。入ってきた俺にそう声を掛けたのは、上座に腕を組んで座る鬼、この国の妖怪の長である如月鬼乾坊だ。

「ちょいと見廻り」

「必要ないでしょ」

 そう断言し、人間と妖怪の境、グレーゾーンに位置する立場の長将美は疲れたように首を回した。

「むしろ外の敵より、屋敷に上がってる人間の方を見張るべきなんじゃない?」

「何よりお前をな」

 お前、の部分を強調させ、刺々しくそう言い放つのは竹上蓮だ。人間の中でも妖怪殺しで名高い彼女に至っては、用意された席に座りもせず、刀を持ったまま壁に身を預けている。

「喧嘩しに来たんなら帰れ、竹上」

 ちゃんと用意された座布団に座り、そう彼女をたしなめるのは、その竹上の上席にあたる和田聡一わだそういちだ。

「ここへは問題を解決する為に来たんだ。ここにいる面子、全員で協力してな」

「それは分かってる、ただこの女は信用できない」

 竹上は長さんから視線を外さず、唸るように言った。

「十年前の事もある。こいつは私達に何も言わず、如月を狙った」

「……あれは彼女が自分の身を守る為に必要な事だった。それにあれは二人の合意の上での戦いと聞いている。俺達はなんの関係もない」

「……そう割り切れるもんでもないだろう。如月童子の敗北っていうのは」

 気に入らないとでも言うように、竹上は長さんを睨みつける。長さんはその視線から逃れるように俯き、髪を掻き上げた。

 俺はどうしたもんかと如月さんの隣で座る和尚を見るが、彼も肩を落とし、首を振っている。対岸の回天坊も目を閉じ、指で目蓋を揉んでいる。

 清や毒島、何より矛盾コンビを外に追い出しておいて正解だった。矛盾コンビの天と羽が今のやり取りを聞いていたら間違いなく竹上に突っかかっていただろうし、毒島もアレでそういう気質がある。それに、清をこんな野獣共の檻に放り込みたくはない。

 あいつらが買い出しから帰ってくるまで、あと十数分と言ったところか。俺はもはやマナーの欠片もないこの客間に放られた座布団を一枚引っ張り、和尚の隣に適当に座った。

 それまでに、この会談は手を組む事を約束するところまで進むのだろうか。もう敵は、準備を整えてしまっているのに。




 そもそも、何でこんな会談を開く事になったのか。モニカの川下邸への引っ越しの手伝いや、割と危うかった人食い布団との戦いを終えてからというものの、これと言った問題もなく、俺は普段通りの日々を過ごしていた。

 人間社会で起きた妖怪の問題を穏便に解決するという、如月さんとの仕事も、精々山彦の騒音問題や雪女の数度に渡る上京の阻止くらいで、大した事はなかった。

 しかし一週間前、如月さんが持ってきた一報が全てを一変させた。

 京都の大江山が、妖怪達に占拠されたらしい。

 初めは性質の悪い冗談だと思った。大江山は、千年以上前に朱点童子が治めていた山だ。そして古くから続く鬼と天狗の戦いの停戦の約束として、朱点童子の死後、大江山は鬼と天狗どちらも手を出さない山になったのだ。

「……やってくれたよ。これほど俺を苛立たせる場所もねえ」

 如月さんは、俺にそう言った。この鬼もかつては如月童子として、大江山に住んでいた古い鬼だ。そして朱点童子の死後、天狗大将の太郎坊に停戦の話を持ち出したのも、他ならぬ如月さんなのだから。

 山を占拠した妖怪達は声明を出した。彼らを率いるのは足切助広、一カ月前、如月さんの創ったこの人間と妖怪が共生した社会は妖怪が虐げられているとして破壊すると宣言した、俺と同じ刀の九十九神だ。

 彼は全国の妖怪に、我に続けと呼びかけているらしい。千年前から続く人尊妖卑とも言うべきこの古臭い社会体制を捨てるべく、この蜂起に参加せよと。

 助広は如月さんを、まだ何もしていなかった自分の仲間を襲撃し、虐殺した非道な指導者と主張している。俺にその居場所を教えたのは奴らだと言うのに、それすらも体良く利用している。

 そして、そうなるように仕向けたのは足切の隣にいる男、ムメイだ。同じ刀の九十九神であり、助広のアドバイザー。

 彼については調査の中で、その経歴が割れた。ムメイ、彼は明治から続く九十九衆つくもしゅうなる組織の代表らしい。

 妖怪、取り分け九十九神の多くは一つの秀でた能力を先天的に持っており、九十九衆も元を正せば江戸時代の中でその能力を活かせずにいた武器具の九十九神を貸し出す、組合のような連中だったらしい。その組合を明治に世界規模に展開し、売り出す商品も多様化させたのがムメイという話らしい。

 九十九衆は現在に至るまで人材派遣を行う非合法組織として裏社会を狡猾に生き抜いてきたという。その非合法組織の長としてさえ面に出ることのなかったムメイが、今回の騒動で初めてこの妖怪社会に正面から牙を向いている。

 しかし、俺としては彼のそんな事情などどうでも良い。俺にとって重要なのは、彼が俺の失った過去を知る男だという事だ。

 すぐさま山に行き、連中を叩き潰したいのは如月さんも、俺も同じだ。しかし、大江山に俺達が足を踏み入れれば天狗が黙っていないだろう。連中にとって、大江山を支配されている事より、如月さんの創った今の妖怪社会の崩壊より、如月さんを失墜させる事の方が旨みがある。その証拠に、彼らは何の行動も起こさず、傍観を決め込んでいる。

 こんな、俺から言わせれば下らない権力争いの為に、俺達は占拠直後には行動を起こせなかった。しかし一昨日、岡山の一角を統べる魔法様という化け狸からの報せでおちおち待ってもいられなくなった。

 その情報は妖怪関連の仕事を受け持つ人間達からの情報らしいが、俺達の顔色をより一層悪くさせるには充分過ぎるものであった。

 岡山に封印されていた、殺生石せっしょうせきが盗まれていたらしい。

 代々管理を務めていた者達も殺され、世間では殺人として報道されていたそうだ。一カ月前、俺がちょうど雑居ビルに潜んでいた足切の部下たちを斬り殺していた、あの日の事であったと言う。

 その手の人間達がこの情報を俺達妖怪に一カ月も伝えずにいた、というのも問題だが、それ以上に盗まれた物が物だ。時期的に盗んだのはクーデターを起こしている助広達だろうが、こうなると、もう鬼だの天狗だのと言ってる場合じゃあない。

 殺生石は、玉藻前と呼ばれた者が死んで尚、人に害をもたらさんと化した石。鬼の朱点童子、天狗の崇徳坊と並ぶ三大悪妖怪、白面金毛九尾の狐の成れの果てなのだ。その石には、飛ぶ鳥を落とすほどの毒素と怨念がこめられていると言う。

 殺生石だけでも手放しにできない存在だが、連中がそれをどう使うか。嫌な考えしか思い浮かばない。




 如月さんは事態に対応するべく、かつての仲間を川下邸に集めた。

 仲間、とは言っても、別に親しい間柄ではない。集められたのは十年前、血蔓という人間が創りだした人造の妖怪に関わった面々……この道のベテラン達である。

 まず、人と妖怪の中継ぎ役を代々務める川下家の現当主、川下童家。

 童子の名を持つ古き鬼、現代妖怪の長の、如月鬼乾坊。

 何百年も世を流離ってきた風来坊、和尚。

 鬼殺しの異名を持つ策謀家、長将美。

 そして、十年に俺達と共闘する形となった、妖怪の専門家達。彼らは彼らで、俺達と関係なく組織的に活動していたのだが、もう解散している。

 かつて如月さんに敗北し失権した元三羽鴉の天狗、回天坊。

 竹上六道流の継承者にして剣の名手、竹上蓮。

 彼らを束ねていたリーダー、和田聡一。

 他にも二、三名の構成員がいたが、血蔓事件の時に皆死んでしまっている。それを機に彼らも解散していたらしいが、十年の月日を超え、再度集まったという訳だ。

 他にも、如月さんの部下である俺や清、川下邸に住み込んでいるモニカ達、長さんのところからも何名か来ているが、この会談の場にいるのは俺だけだ。

「今は身内で揉めてる場合じゃねえ、事態はお前達が思う以上に深刻なんだ」

 険悪な場を納まるべく、如月さんはそう一喝した。

「九尾の狐は俺達が手を組んだ、あの血蔓よりも強い。俺達がこうして集まったのも、それを理解しているからじゃねえのか?」

「……そうだ如月さん、俺達だって殺生石の危険性を理解しているからこそ、家庭持ちの竹上も、現役を退いた俺もこうして集まったんだ」

 和田は神妙な面持ちで頷く。

「回天坊に至っては、あんたと会う事すら避けるべき間柄なはずだ。……俺達は如月さん、あんたに協力し、この事件を乗り切りたい。口ではどう言おうと、その点は信用してくれて構わない」

 そうだろう。と、和田は皆を竹上を見る。

 大した男だ。俺は改めて、和田を見つめる。

 和田聡一、歳は四十を幾つか超えているくらいだったか。縁なし眼鏡を掛け、顔にも老いは見られるがしかし、あの竹上やその他の、一癖も二癖もある際物共を纏め上げていただけはある。

「……そうだな。お前は正しいよ和田、いつだって正しかった」

 竹上は自分を納得させるように言い、立ち上がった。

「頭を冷やしてくる。後はお前に任せる」

 それだけ言うと、外へと出て行ってしまった。

「………」

 重苦しい静寂の中、長さんが口を開いた。

「……やっぱり、私が貴方達に会うのは不味かったようですね」

「気にするな。血蔓事件の首謀者はお前の父親であって、お前じゃない」

 回天坊は、川下とフローラが淹れてきた茶を啜りながら言う。

「あの時、如月童子に情報を流していたのもお前だったそうだし、彼に挑んだのも、残党狩りから自分や妹を守る為だったんだろう」

 だが……。と、回天坊は湯呑を茶托に置き、続けた。

「あいつの気持ちも分かってやってくれ、妹分を実験台にされ、仲間を殺され……理解はしても、感情的には許せないんだ。だから振り上げた拳を降ろせず、お前の言葉に一々突っかかってしまう」

「………」

 長さんは何も言わず頭を下げた。

「だけど、あの人もここに来た以上は、協力してくれるんでしょう?」

 配膳を済ませた川下は、最後に残った竹上の分の茶托を盆に乗せたまま戸を開けた。

「せっかく淹れた茶だ、冷めてしまうのももったいない。怒りと一緒に呑み込んでくれるよう願って、こいつ、持って行きますわ」

 川下は音もなく戸を閉め、座る間もなく竹上を探しに行ってしまう。……なんとなく、外に出てサボりたくなる気持ちが分かった。

「んじゃまぁ、こっからは本腰入れて対策といきますか」

 如月さんはそう言うと、平手でパンパンと自分の膝の辺りを叩き。

「とにかく、やる事は二つだ。大江山に住みついたゴミ共を片づける事と、殺生石への対応だ」

 和田は手を挙げ、言った。

「その殺生石だが、盗まれた後の消息は掴んでいるか?」

 その言葉に皆口をへの字にし、黙り込んだ。

「なら、先に頭の方を叩きゃあ良い。殺生石は見つかり次第、って事で」

「その大江山も、天狗との条約がある」

 如月さんの案に、和尚が口を挿んだ。

「まずは今の天狗宗主、崇徳坊……それと、太郎坊にも話を着けねばな」

「面倒臭え……」

「……これについては、私が話をつけよう」

 頭を掻く如月さんを見て、回天坊はそう宣言した。皆の視線が、一気に回天坊に集まる。如月さんも怪訝な目で、回天坊を見つめる。

「……本気か?」

「ああ、天狗としても、殺生石が国を汚すのは見過ごせない。それに宗主に会うとなれば、私の肩書きも役に立つはずだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 和田は、酷く狼狽しながら喋った。

「それじゃあ、あんたの天狗としての立場が……」

「今はそんな事を言ってる場合ではない」

 和田の言葉を遮り、回天坊は毅然と言った。

「鬼だの天狗だの……そんなわだかまり、太郎坊が失脚した時に終わるべきだった。今、三大悪妖怪の一角という両者をまとめて脅かす存在が現れた。今なら鬼と天狗の関係を変えられるかもしれん」

「……なら、拙僧も手伝おう。交渉は私がする。回天坊は道案内としてなら、天狗を裏切った事にならんだろう」

 和尚は回天坊の言葉に頷き、そう名乗り出た。

 如月さんは、和尚を睨み。

「おい、クソ坊主……」

「如月童子が天狗の山に乗り込むより、その友人であるクソ坊主の方がマシだろう?」

「……分かった。じゃあ、頼んだぞ」

 そう、和尚の言葉に渋々頷く。俺から見ても、これは中々の組み合わせだと思う。回天坊だけでは交渉ができず、和尚だけでは崇徳坊とやらに会える補償もない。

「じゃあ残りは、殺生石の方へ回るか。しかし、手がかりも情報もなしとなるとなぁ……」

 何か手はあるか。と、如月さんは和尚を見る。和尚は思案するように顔を伏せたが、やがて首を振った。

「いや……近くにあるなら探す術はあるが、それが市町村、県を超えた探索となれば、術より人との繋がりの方が重要だろうな」

「なら、地方を治めてる連中と……藤井兄妹には金でも撒いとくか」

 如月さんがそう呟き、口元を手で覆い唸っていると、障子の戸が開き。

「如月さん、客です」

「んー……? おお、花車か」

 見れば、川下の背には竹上と、自由な妖怪として生きる火車、雲隠花車の姿が見えた。

 俺も思わず声を漏らしてしまった。と言うのも、花車はここ最近顔を見せず、連絡も取れない状態だったのだ。まさかクーデターに加わったのかと、彼女の性格からしてあり得ない考えも頭によぎったが、そう言う訳でもなさそうだ。

「何か会うの久しぶりだな。で、会談の最中に何事だ?」

「ちょっと貴方達に合わせたい男がいてね。連れてきたわ」

「ああ? どちら様で?」

 頭を傾げる如月さんに対し、花車は中へ上がり込み。

「足切助広の仲間。それも、大江山占領の立役者よ」

 花車の言葉に、部屋内の面々がざわつく。竹上も知らなかったのか、バッと振り返って廊下の奥を凝視している。

「……密告者ってこと?」

 長さんの質問に、花車は頷く。

「当然、このまま追い返したりはしないわよね?」

 当たり前だ。いつの間にか立ち上がっていた如月さんはそう言うと、どっかりと座り込んだ。




 黒笹くろささ、男はそう名乗った。京都を追われた土蜘蛛の一族、その末裔らしい。

 彼の話を信じるのならば、彼の一族は人間の住む土地を避けた所で暮らしているという。しかし彼の風貌は、そんな話を手放しで信用できるほど……それこそ人間社会の一員を名乗れないほどには、模範的でなかった。

 背の割に細く、長い四肢はとりあえず良いとして、髪は伸ばし放題だ。肌も荒れており、顔も病んでいるように生気がない。何より俯き加減の顔からギョロつく目は、とても友好的とは思えない。

 人の目から逃れたコミュニティ。人里離れた所で、彼の一族がどのような生活をしているのか、その姿が物語っている。しかし彼らにとっては、その姿こそが当たり前。昔も今も変わらない、彼らの姿なのだろう。

「俺達一族が連中に誘われたのは確か……十月の半ばだった。一週間も経たずに多くが奴の思想に賛同し、そして手始めにとやらされたのが、あの山の奪還だった」

「手始めが大江山とか、ハードルが高すぎやしませんかね?」

「いや、何人か人間を殺しただけで、一晩も掛からずに方がついた」

 川下が呟きに黒笹はそう返し、俺を凍りつかせる。それが問題なんだろうが、と突っ掛かりそうになる。

 今の発言で、山付近にいた人間達がどうなったか分かってしまった。俺は恐る恐る、竹上の顔を窺ってみた。彼女の顔は平静を装っているが、左手はすでに鞘を握っており、その親指は鯉口を切るか迷っているようにクルクル回っていた。

 次に軽率な発言をしたら、あの親指は鯉口を切ってしまうだろう。そしてそれは、竹上があいつを殺すと決めた事を意味する。俺はすぐに動けるよう、イソイソと座り直した。

「……ほうん。で? お前は、いや、お前らは何で連中に付いた?」

 如月さんは太ももに肘を乗せて頬杖をつき、叱るように言った。

「裏切んのなら、初めっから付かない方がマシだろうが」

 その言葉に黒笹は、うな垂れていた顔をあげ。

「……それを鬼のお前が言うのか? 如月童子」

 そう、忌々しげに吐き捨てた。

 先ほどまでの抑揚のない話し方とは打って変わり、苛立ちを隠さない黒笹。俺は思わず片膝を立てたが、当の如月さんは事もなげに鼻を鳴らす。

「土蜘蛛……か。なるほど、お前の先祖は鬼側に付いてた訳だ」

「ああ、そうだ。土蜘蛛はお前達鬼と同じく、人から忌み嫌われた者達だ。鬼と土蜘蛛、千年前には仲間として人と、天狗と戦い続けた。それは五十と生きぬ俺より、その時代を生きてきたお前が一番良く知っているはずだ」

「………」

「朱点童子が討たれた時も、真っ先に報復に出たのは俺達土蜘蛛だ。それなのに……聞いているぞ如月、お前はその時、報復に出ようとした他の鬼を殺し、天狗や人間と停戦の取り決めをしたそうじゃないか?」

「………」

 否定はしねえよ。如月さんは、はっきりとそう言った。

「だから足切の蜂起に手を貸したのか? 復讐の為に」

「……いや、俺は過去の恨み辛みだけで、今ある命を投げ打った訳じゃあない。他の連中はともかく、俺は単に足切助広の思想に賛同して立ち上がったんだ。奴の語る世界は、妖怪の誰もが願う世界だし、事実、彼の下には俺達土蜘蛛だけでなく、多くの妖怪……鬼熊の一族なども集っていた」

「じゃ、何で貴方はここに来た訳?」

 長さんの質問で、黒笹の顔に影が差した。彼は口を真一文字にし、目を伏せた。

「俺は一族の代表として、足切助広に直に会って話し合う立場にいた……間違っていたよ、奴の中には、お前達や人間社会への復讐心しかなかった」

「だから手を引いたと?」

「奴の掲げる正義は間違っちゃいない。だが、奴自身は嘘だ。その証拠に、奴は殺生石なんて物まで使おうとしているじゃあないか」

「その殺生石だ」

 と、和田が身を乗り出して黒笹に尋ねた。

「あんた、その殺生石についてどこまで知ってる?」

 黒笹は和田を見て、首を振った。

「俺達……土蜘蛛衆のほとんどは大江山の警備をさせられている。山の外の事は、鬼熊衆や他の連中がやってるんだ。それに殺生石の件は、仲間内でも情報が漏れないよう動いてる」

 ただ。と、黒笹は続けた。

「俺も幹部の一人だ。殺生石関連の活動を指揮している奴の名と、その活動について詳しい奴を二人知ってる」

「指揮してるって、足切やムメイじゃないのか?」

 俺が漏らした疑問の言葉を聞き、黒笹はこちらを見る。

「いや、足切達は地方の名のある妖怪に手回しばかりしている。指揮をしているのは、別の男だ」

「……誰なんだ?」

 和田の催促に、黒笹は一瞬だけ逡巡し。

「……その前に一つ、条件がある」

「この面子の前で、よくそんな口が利けるな」

「そう脅すな竹上……で、その条件ってのは?」

 黒笹は、周りの面々が信用できるか確かめるように見回し、それから条件を提示した。

「俺は知っている限りの情報をお前達に渡す。その代り、見逃してほしい奴らがいる。さっき言った殺生石に関わっている二人……俺の妹と、俺の友人だ」

 この場にいた全員は、静かに如月さんの出方を窺う。如月さんは思案するように顎を撫で。

「……先に、そいつらの身分を話しちゃくれないか?」

「………」

 黒笹は如月さんをジッと見つめるが、如月さんの方は困ったように笑うだけだ。

 しばらくして、根負けしたのか、黒笹は溜息をつき、頷いた。

「一人はさっきも言ったが、俺の妹だ。名前は山衣やまい、山の衣と書いて、山衣だ。あいつは腕を買われて、今は殺生石関連の活動に参加している」

 土蜘蛛の山衣。腕を買われた、と言われるくらいだから、かなりの実力者か。俺は心の中で溜息をついた。最近になって知った事だが、前に雑居ビルで戦った炎の使い手、金城は幹部候補として足切に誘われたらしい。

 腕の立つ幹部のお次は、陰の仕事する特殊部隊と言ったところか。全国で燻っている魑魅魍魎をスカウトしているだけあって、バラエティに富んでいやがる。

「もう一人は銀波童子ぎんぱどうじ、鬼熊衆を指揮してる男だ」

「童子……?」

 和尚が呟く。如月さんも首を捻り。

「鬼熊で、しかも童子って名乗っているのか?」

「あ、ああ。そうだが……」

「……そうか」

 如月さんはむっとした顔でうな垂れ、押し黙る。

「それで、どうなんだ?」

「……良いんじゃねえの?」

 如月さんはそっぽを向き、事もなげに答える。

「そいつらが素直に足を洗ってくれんなら、俺としては文句はねえ」

 そう言って、ちらりと如月さんは向かいの連中を見るが。

「妖怪の問題は元々、如月さんの管轄だ。それに今は、手段を選べる状況じゃない」

 和田もそう語り、首を鳴らした。

「二人の事は後で詳しく話すとして、先にその指揮している奴の名前や実働隊の通称……とにかくお前の知っている情報を話してくれないか?」

「……分かった」

 黒笹は頷き、話し出した。

「とは言え知ってるのはリーダーの名前だけだ。……アスラ。会った事はないが、そう呼ばれている」

 アスラ。俺は心の中でその名を復唱した。それが世界を脅かす石を、今まさに振り下ろさんとしている者の名か。




 アスラ、阿修羅、仏教に疎い俺でも知っている名前だ。

 どんな奴なのだろう。俺は会議から抜け出し、買い出しから帰ってくるなり矛盾コンビと庭で稽古を始めている清を見ながら、敵に思いを巡らせる。男か女か、どんな妖怪なのか。

 懐に飛び込む練習だろうか。清は天が振るう竹箒を躱しつつ、前に出ようと懸命になっている。

「違ぁう! もっと足使って、足! 後ろに下がるだけじゃ付け込まれて終わるよ! で、一々距離を大きく空けない!」

 羽は古井戸の縁に腰かけ、叫ぶ。

「足、体捌きに牽制っ! いつでも前に出れるようにだ!」

「でぇい合点だチクショウ!」

 清はそう応えると、三角跳びのように地を蹴って横合いから天の懐へと向かうが、あっさりと反応され竹箒の餌食になってしまう。

 しかし、あれで練習になるのだろうか。俺は清の悲鳴に嘆息しながら思った。俺には訓練や練習をした記憶がないから、あれで上達できるのかさっぱり分からない。もっと型から入った方が良いんじゃないだろうか。

「やっぱり心配か?」

 声のした方を見れば、和田が俺の脇に立って清達を見ていた。

「しかしあの娘も幸運だな、あの二人に師事してもらえるなんて」

「正直、ぶっ壊されそうでヒヤヒヤしてる。……で、もう終わったのか?」

「ああ。鬼熊の方は連絡が取れるらしいから、俺と竹上がやる。回天坊と和尚さんが宣告通りに天狗。他は例のアスラと殺生石だ」

「山衣、だったっけ、それもこっちだな……」

 つまり俺達の仕事はアスラの打倒、殺生石の確保に加え、黒笹の妹の捕獲もある訳か。これは骨が折れそうだ。

「そういえば、あんた、体の方は大丈夫なのか?」

「ん? ああ、ほらこの通り」

 俺の質問に、和田は右腕を突き出した。その指は微かに震えている。

「死に損なって、それから死ぬ死ぬと医者に言われ続けて……もう十年だ。薬で得たあの反射神経も残らず、ぶっ壊れた体のまま不様に生き長らえてるよ」

 俺は顔を伏せた。十年前、和田は血蔓事件の解決の為に、敵の作っていた薬品を使っていたらしい。和田は頭の回転は良いが、竹上のような武の才能も、回天坊のような超常の力もない。だから和田は、薬に頼った。

「経営してたタクシー会社も譲っちまって、気楽な隠居生活を送ってたんだけどな。今回が最後の仕事と思ってるよ」

「……戦えるのか?」

「銃の引き金さえ引けりゃ、あとはこいつで乗り切るさ。強いのは竹上に任せる」

 和田はそう茶化して、自分の頭を指で小突いた。

「……っと、そうそうその銃だ。如月さんか、川下にでも銃の用意してもらわないと……」

 と、思い出したようにそう呟き、和田は部屋内に戻っていった。

 最後、か。俺は和田が律儀に閉めた障子を見つめる。皆、それぞれの思いや考えがあって、ここに集まったのだろう。

「おいお前ら、ちょっとそこ邪魔だ」

 そうこうしているうちに、如月さんと和尚が清達に割って入り、井戸に腰かけていた羽をどかす。

 あの井戸には、アカハラという妖怪が封印されている。あいつに何か用でもあるのか。気になるので、俺も近くにあったサンダルを履いて駆け寄る。

「如月さん。あいつに何か用か?」

「おう。俺達が出払って、ここの守りが手薄になるのはマズイからな」

 如月さんが井戸蓋を開け、ヒュッと息を吸い込んだと思ったら顔を井戸の中へと突っ込み。

「あっかっはぁらくーんっ!! 俺様だよぉぉおおおっ!」

 如月さんのどら声は井戸の中で反響し、いつまでも鳴り響く。俺は思わず顔をしかめた。清もビクリと両肩を上げている。

「ちょ、いきなりやめろよ如月さん……」

 それでもどうなるのか気になり、耳に手をやりながら俺達は井戸の中を覗いた。天と羽もそれに続き、かなり井戸口が混雑してきた。

 底は暗くて見えないが、これと言って何か特別な事が起きている訳でもない。如月さんもしばらく底を覗いていたが、やがて舌打ちし。

「チッ、野郎だんまりか。おいムラマサ、その辺の石を井戸に投げ入れようぜ」

「ぶつけるの?」

「というより、そっちの方が外からの音よか響くんだよ」

「なら初めからそうしようぜ」

「石なんてまだろっこしい。ムラマサ、刀落とせ、刀」

「布団に食われた最強の天さんは黙ってようね」

「言うじゃん。気に入った、殺すのは最後にしてやる」

「喧嘩してないで手伝いなよ、お二人さん」

「……私は頭が痛くなってきたよ」

 井戸から顔をそむけ、額に拳を当てている和尚を余所に、俺達はその辺りにあった石を次々に井戸へと放った。

 変化があったのは、放った石が二桁に行くかなと思い始めた頃。底から怒声をあげ、男が井戸の内壁をペタペタと這い登ってきた。アカハラだ。

「うわ、キモぉ!?」

「どけぇ! 雑魚共おっ!」

 言われなくとも、全員予想以上のものに井戸から身を引いている。

 井戸から噴き出すように外界へと出たアカハラは、そのまま如月さんに飛び掛かる。

「てんめぇ、如月ぃっ!」

 如月さんもアカハラに応え、頭の横へと拳を振り上げる。

 しかし、その拳はフェイクだった。如月さんは持ち上げた拳をそのままに、飛び降りてきたアカハラの顔面を蹴り上げたのだ。アカハラの上半身はぐるんと後方へ弾け飛び回転。頭から地面へと落ち、うつ伏せのまま動かなくなった。

「き、汚ぇ……」

「汚ぇのは向こうさ。見ろよ、スーツに水が……」

 などと言いながら、如月さんはハンカチでスーツに着いた井戸水を拭い始めた。

 相変わらずの傍若無人っぷりだ。俺が呆れかえっていると、アカハラがガバリと顔を挙げて叫んだ。

「如月! ってか、てめぇら! 石を井戸に捨てんな! あれ底に落ちたの捨てるのスンゲェ大変なんだぞっ!?」

 如月さんは反省の色を見せず、欠伸を噛み殺しながら言った。

「居留守するお前が悪い」

「んだとぉ!」

 こうして、アカハラは胡坐をかき、如月さんは仁王立ちしながら二人で言い合いを始めてしまった。

 アカハラ。俺はこの男については詳しく知らない。俺が如月さんに雇われるよりずっと前から、こうしてこの井戸に封印されているらしいからだ。イモリの妖怪で、かつてはとある川の主であったらしいが、如月さんと和尚によって撃退され、最終的にこの井戸に封印。名をアカハラと改められ、井戸守りという役に束縛されているようだ。

 ひょろりとした体を死に装束のような白単衣一枚で包み、井戸に住み着いてる為かいつも水で濡れている。肩まで伸びる髪もぐっしょりと濡れていて不気味だが、何より妖怪めいているのはその肌だ。全身浅黒く、着物から覗く腹からクビ、顎の方まで毒々しく赤い模様が付いている。

 しかし恐ろしいのはこの男の容姿ではない。真に恐ろしいのは、この男への如月さん達の評価だ。

「何度ぶちのめしても殺せないから、井戸に沈めてやった」

 と、如月さんはかつて俺に説明した。他にも、相手にしても疲れるだけ、奴のホームでは無敵、砂漠にでも細切れにして捨てるか川ごと潰さないと死なない大妖怪の鑑、どうせ再生するんだから構わず斬れ……などと、大変な評価を聞き受けている。

「急に起こして、すまんアカハラ。しかし、どうしてもお前の力が必要なのだ」

 と、見かねた和尚が、二人の中に割って入った。封印している張本人だからか、アカハラは少し唸るだけで怒りを収めた。

「……こんな真冬に、俺を外に連れ出そうってのか?」

「いや、この屋敷を守ってもらいたい。そうせざるえない事情があるのだ」

「……天下のお二人様が、ずいぶんと弱気だな」

 アカハラはそう呟いて立ち上がり、井戸の縁へと腰を下ろした。

「聞かせてもらおうじゃねえか。俺が寝てる間に、なにがあったか」




「はん、なるほど……で、留守のうちに顔役のここを潰されちゃ、そちらとしちゃ堪んないってか」

 アカハラは和尚の説明に納得し、頷く。気がつけば、天と羽はこの場を去っていた。きっと長い話に飽きたのだろう。その弟子はこうして熱心に聞いていたというのに、なんて連中だ。

「そうだ、協力しても……」

「だが考えてみりゃあ、連中は俺みたいな妖怪を解放するのも目的のうちなんじゃあねえのか?」

 和尚の言葉から被せるようにアカハラは言い、意地の悪い笑みを浮かべる。

「だってそうだろ? その連中は人間に虐げられたり、媚びを売ったりするのが嫌で革命だの何だの言ってんだろ?」

 俺を見てみろよ。と、アカハラが両腕を広げて見せ、和尚は言葉を詰まらせたように押し黙る。

 たしかに、アカハラの意見は最もかもしれない。封印され、勝手に守り神の役目を押しつけられているアカハラは、助広の言う人の犬に成り下がっている妖怪そのものだ。

 しかし、如月さんはそんなアカハラの言葉を、まるで聞いていなかったかのようにこう言った。

「連中の思惑なんざ確認するまでもねえ。んで? お前はどうするんだ?」

 と、如月さんはずいっとアカハラに顔を近づける。

「聞いてるのは俺に付くか、足切助広に付くかじゃねえ。ここを守ってくれるか、否かだ」

 如月さんの言った言葉に、アカハラは徐々に口の端を吊り上げていき、やがて堪え切れなくなったように噴き出した。

「っふ、くっふふふ……そうとも、誰も助けてくれなんて頼んでねえからなあ……」

 そう言って笑ったかと思えば、唐突に如月さんの胸ぐらを掴み、さらに両者の距離を狭める。俺は思わず前に出たが、清に肩を掴まれ思い止まった。

「いいぞ、俺もここは気に入ってんだ……俺一匹殺せん非力な鬼どもに代わって、ここを恩着せがましい革命家さん方から守ってやる」

「……そこまで俺をコケにしたんだ。守れなかったら、どうなるか分かってんだろうな?」

「おう……へへっ、その時はしっかり殺してみろよぉ鬼公。家一つ守れねえ妖怪ぐらい楽勝だろ?」

 そうするさ。如月さんはそう言って、アカハラの腕を払い除けた。

 如月さんが一歩ずつ下がり、二人の距離が離れていく。見下ろす如月さんに、睨み上げるアカハラ。二人の口元には、言い知れぬ笑みが浮かんでいた。




 それからしばらくは、俺は清と他愛もない会話を縁側でしていた。如月さんや川下は蔵で何か探し物をしているようだが、俺も清も、あそこには二度と近づきたくないので自然とこのような遠巻きになったのだ。

「でさ、やっぱりさ、私も武器とか持った方が良いのかなぁって思う訳。刀とか!」

 話題はもっぱら、清の特訓の事だ。

「使い慣れてない物持ったって、碌な働きはできねえよ。特に刃物は振り回せば良いって訳でもないから……」

「と言うケン君は、別に剣術とかで鍛えてる訳でもないんだよね? 天ちゃんが、ケン君は会う度に鈍らに戻ってるって言ってたよ」

 あの野郎。俺は顔を引き攣らせたが、正解なので否定もできない。

「でも、あれだ。俺、刀の九十九神だから、剣術とか習うまでもないんだって」

「……あと、ケン君のは剣術じゃなくって、刃物を上手に振ってるだけで、あとは勢いだけだって言ってた」

「……俺の言葉と天の言葉、どっちが信用できる?」

「ぬへへ」

 清は笑って答えなかった。

「おい皆っ! ちょっと集まってくれ!」

 そんな時だ。川下が蔵から何かを抱え、俺達を呼ぶ。

 何だ何だと散っていた連中がこうして、ぞろぞろと蔵の前に集まってきた。その中には二階で控えていたジーナちゃんやモニカ達、長さんの脇は厳爺と毒島君もいる。しかし黒笹と、花車がいない。もう帰ったのだろうか。

 しかしこうして見ると、結構な人数がいるものだ。いつも二人か三人でやってた仕事とは次元が違うのだと、俺は人知れず緊張してしまう。

「川下悪いな、御馳走になった……で、何かあったか?」

 何か振る舞われていたのか、和田の言葉に川下は頷き。

「ああ、こっちの秘密兵器のお披露目だ。……おいお前ら、遠巻きに見てないで来いよ。これは布団と違って噛みつきゃしないから」

「秘密兵器?」

 すごすごと近づく俺達数名に首を傾げつつ、竹上は川下に聞く。

 ああ。と、川下は頷き、目で和尚に合図する。和尚は皆の前に立ち、説明を始める。

「知っての通り、殺生石は飛ぶ鳥さえ落とすと言われた、強力な毒を発する呪物です。何の対策もなく近づけば、呆気なく毒に倒れてしまうでしょう」

 和尚は川下に手渡された小さな木箱の一つを受け取り、箱を包んでいた布を解いていく。

「無論、彼らも剥き身で殺生石を持て出しているとは考えづらいが……しかし、殺生石の邪気は、持ち出せる程度の封印で完全に抑え込めるものではない。必ずその周囲に毒と言う、痕跡を残す」

 そこで。と、和尚は木箱を開け、中身を取り出した。

 それは、紐の付いた小さな鈴だ。鈴はチリンチリンと涼やかな音を立てつつ、風もなく左右に揺れている。

「この鈴は私が昔使っていた物で、普段は魔が近づいてきた時に鳴るようになっています」

「鳴子みたいなものか」

「ええ。ただ、これだけでは魔を退けたりはできません。これはあくまで、殺生石を見つけ出す為のみに使う物です」

「好都合だ。効果範囲は?」

「距離と、反応する力によって変わりますので、正確には……」

 そう、和尚が説明しているが、俺はその鈴が揺れ動き続けているのが気になってしょうがなかった。

「あの……和尚?」

「何でしょう?」

「今現在、鳴りまくってるんだけど……」

「ああ、それは……」

 和尚が説明をしようとした矢先、如月さんが別の鈴を俺の耳元に近づけた。鈴は狂ったように跳ね、音を響かせる。

「妖刀村正、お前に反応してんだよ」

「あ……そうですか」

 そう言って、ニヤけた笑みを浮かべる如月さん。俺はやかましいその鈴をむんずと掴み、音を止めた。

「……って、じゃあ使えねえじゃねえか」

「私達、人間がいる」

 紐を指に絡ませ、鈴を顔の前で垂らす竹上がそう言いつつ、俺から一歩づつ離れて行く。

「でも、私は先に鬼熊の方だから、これを使うのは別の……中々音が小さくならないな」

「お? 変だな?」

 川下が首を傾げ、竹上の方へと駆け寄る。和田は茶化すように肩をすくめ。

「竹上に反応してんじゃあないか?」

「いやぁ、まさか……」

「……そうみたいだな」

 竹上から鈴を貰い、触ったり振ったりしていた川下が、ぽつりと呟いた。俺達はその言葉に凍りつき、竹上を凝視する。

 竹上も鈴と、俺達を交互に見る。

「……ちょっと待て」

「化物染みてるとはいつも思っていたが、竹上、お前……」

「人間辞めてるとか、洒落じゃなかったのか」

「だからちょっと待て……!」

 竹上は弁解しようとしどろもどろしていたが、やがて思い当たる節に辿り着いたようで、縁側に走り、左手に持っていた刀を置いた。

「ど、どうだ川下……?」

「もうちょい近づいて……あー、反応が消えたな」

 どういう事だ。と首を傾げる和田に対し、俺は合点が行っていた。きっと俺が近くにいるから、刀身が反応したのだろう。

 後、皆が鈴について談義してる中、俺はそっと竹上に耳打ちした。

「刀、いい加減に返せよ」

「嫌だ。もう私の物だ」

 くそったれ。俺は心の中で悪づいた。十年前のあの時、刀身を渡したのは緊急時の為にしかたがなかったとして、以来十年も使われているのは良い気分がしないものだ。




「うし、お前らそろそろ良いか?」

 川下が手を叩き、注視を促す。

「もう分かってると思うが、敵は殺生石、死んでも尚生き物を殺す最悪の呪物を使おうとしている。妖怪だとか人間だとか、そんな垣根はなしにして協力し合おう……十年前の失敗は、俺の代じゃ起こさせねえ」

 十年前の失敗。その言葉に、それに関わった主要人の顔が曇る。

 十年前の失敗……それは人間として動く和田達と、妖怪として動く俺達との協力が遅れた事にあった。人造の怪物と言う、どちらの立場からも動けたこの事件は、互いに相手を気にして手をこまねいたり、獲物を奪い合ったりと面倒な状態になり、結果として互いに最悪の被害を出してしまった。

「その為に俺は、こうして全員を招集し、人と妖怪、互いに協力できるという姿勢を示したつもりだ」

 言うようになったな。俺はうな垂れ、笑みを隠した。お前はもう十五のガキじゃない、聞き分けろ。などと前に川下に言った気もするが、取り消した方が良さそうだ。

 川下は一族の矜持を、人間と妖怪の中継ぎと言う役割を、こうも一心に果たそうとしているのだから。

「だから頼む。つまらない維持を張らず、目の前の敵に集中してほしい。その為に必要な事なら、川下家は協力を惜しまない」

 そう締め括った川下の言葉で、今回の会談は一応の幕を閉じた。

 そして、今さらながら俺は、足元に影がある事に気がついた。空を見上げれば、漂う重苦しい雲から薄れ、強い日の光が雲の隙間から覗いていた。

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