第三部

第三部 プロローグ

プロローグ




 小春日和というのだろうか。冬山へと姿を変えていく山中、木々の間に差し込む日が温かい。

 そう、本当に良い天気だった。こんな気持ちの良い日に野盗に襲われるとは、まったくツいてない。街道沿いに歩いているとは言え、ここまで西に行けば幕府の影響の外なのか。それもキツい坂道を登り切った矢先と言うのだから、文句の一つや二つ出てくる。

 刀に付いた野党の血を払い落しながら、俺は地面に転がった野盗共を見下ろす。不揃いの兜や鎧に、長旅らしい汚れた姿。それに訛りも、ここの土地の者ではなさそうだった。俺と同じ、大坂を目指す牢人達だろうか。

「おうい、そこの! まったく……ぬしも、ツいておらんな」

 後ろから声を掛けられ、バッと俺は刀をそちらへ向ける。見れば、俺が来た坂道を五人ばかりの旅装の者達が登って来て、そのうちの一人が手を挙げてこちらに声を掛けていたのだった。

 服装からして、巡礼のよう……害意もなさそうだ。そう判断した俺は、刀の切っ先を下げる。仲間が静止する声を無視するような形で、その山伏姿の男は俺の下へと駆け足でやってきた。

 若くはない、四十そこいらの男だ。顔立ちは穏やかだが、湛えた笑みに吸い込まれるような魅力がある。山伏の風体なのに大小帯刀しているが、護衛の任でも負っているのだろう。

「はぁ、やれやれ……これは、うむ、ただの賊の類だな。しかし感謝せねばな。この坂を先に登るのが逆ならば、襲われていたのは我らの方であった」

「……面白い事を言う。恐らくこの先、こんな連中は山ほど出るぞ」

「で、あろうな。こちらは女もおる故、この手の揉め事は避けたいのだ」

 男はそう言って、後ろの連中を指した。確かに一人、巫女の格好をした女がいる。

 しかし……どうもおかしい。その女は話し合っているこちらを見ているが、まるで歴戦の武人のように隙がない。それどころか、俺がこの男に何かしようものなら、即座に掛かってきそうな目線だ。

 となると、俺は男を見た。そうなると腰の大小も、違った意味合いがあるように思える。こいつ、何者だ。

「何か?」

「いや……」

 ではごめん。と、俺は踵を返して先に行こうとした。関わらない方が良い気がしたからだ。しかし男は、俺を呼び止める。

「まぁ待て。おぬし、人ではないな?」

 思わず立ち止まってまった。振り返って男を凝視する俺と、それぞれ武器を構える奥の者達。男は微笑を浮かべ。

「なに、ただの勘働きよ。鞘を帯びておらぬのに、手慣れたように刀を持つ……もしや噂に聞く、刀を身から生やす関ヶ原の鬼とはそなたの事か?」

 バレた。顔が強張る俺に、男はさっと手を挙げた。

「いや、討とうなどと考えてる訳ではない。しかし……それが真であるならば面妖な話だ。関ヶ原から十四年、その姿のままなのか」

 のう。と、男は振り返り、女を見た。女はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「行く先は大坂か?」

「……巡礼者には、関係なかろう」

「我らの行く先も大坂だ」

 勘付きはしているはずだが? 男はそう言って、腰の刀を示すように触る。

 どうやら俺は、戦場に赴く前からとんでもない怪物に出会ってしまったようだ。黙る俺に、男はこう言ってきた。

「そこでだ、私の下で働かんか? なに、悪いようには扱わぬぞ」

「………」

 どう聞いても、士官への誘いだ。これが普通の侍ならば、飛び上がって喜ぶのだろう。しかし、俺はなにも仕える主家を求めて戦場を渡り歩いている訳ではない。刀の妖怪として、刀を振るう事しか知らぬからだ。

「……俺に、お前の刀になれと?」

 馬鹿馬鹿しい。俺はそう吐き捨て、手にしていた刀を捨てる。それに男が釣られた隙を突き、一瞬にして首筋から刀を抜き放ち、男の首の手前で止めた。

「殿っ!」

 男の背後の連中の一人が叫び、懐刀を投げつけるような構えを取る。男はこちらを見たまま片手を挙げ、それを静止した。

「碌に名もないこの俺が、人に仕えると思っているのか? 俺は戦う事しかできん、ただの妖怪だ。大坂へ向かっているのも、そこでこの腕を振るう為だ」

「……何やら勘違いをしておるようだ。私の刀は……」

 男は刀の柄に手を掛け、すらりと抜いた。

「ここにある」

 切っ先を俺に向けないよう、横に提げたその刀を見て、俺は息を飲んだ。刀の目利きができる訳ではないが、本能的に分かる。男の手に握られた刀は、尋常のものではない。

「私が欲しいのは……」

 気がつけば、俺の右腕は男の左手に掴まれてしまっていた。

「この腕だ」

 適わない。俺は心のうちで、負けを認めてしまった。この男の器には、俺の刀は通用しない。

「私は大坂で、己の才を試したいと思う。ぬしも私の隣で、その腕を存分に振るうが良い。仕える為の人の名がないと言うのなら、与えよう。関ヶ原で敵味方問わず怖れられたその妖術、それを間近で見てみたいのだ」

 男はそう言って掴んでいた手を離し、刀を納めた。俺も倣って数歩引き、刀を体の中へと納める。

「私が何者であるかは、向こうに着いてからの楽しみとして……共に戦おうぞ刀の妖怪、どうせ行く先は同じ戦場だ」

「……確かにな」

 その物言いに思わず微笑むと、男も、うむ、と頷いた。

「ぬしらも納めよ」

 男の言葉に、後ろの連中もやれやれと言った様子で武器を下げる。例の巫女も肩をすくめ、苦笑している。察するに、連中も俺と同じ男の気概に負けた者達なのだろう。俺も今さっき、その仲間入りとなった訳か。

 苦笑する俺に、男はニヤリと笑って言った。

「では参ろうか、大坂へ」

 ああ。俺は頷き、歩き出した男の背を追った。

 肩を撫でる空気は寒いが、木漏れ日がそれを温める。

 今日は良い日になりそうだ。

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