第二部 二話「武神」

第二話『武神』




 雲一つない、澄み切った青空。夏の堂々とした入道雲も好きだが、俺はこんな秋晴れが一番好きだ。

 そんな天気とは裏腹に、俺はどんよりとした面持ちで、隣人である長さんの家のインターホンを連打している。

 カチャリと鍵を開ける音、そしてドアに張り付くようにしてドアを押し開けたのは、長一家の知識人にして番犬、狗賓の厳爺げんじいである。

「うっす、長さんいる?」

「……平日の昼間に何を言ってるんだお前は? 将美と誠治は出掛けとるし、ジーナは学校だ」

「……もしかして、まだ気づいてない?」

「何の話だ?」

 とにかく入れ。と家に招き入れられる。

 部屋自体は同じ間取りなのに、全体的にこまごまと物が多いのは三人と一匹、俺達の倍の数が生活しているからだろう。それでいて、物があるべき場所にあるように感じるのは、流石長さん、と言ったところか。

 しかし、同じ間取りで家具やその配置が違うと、不思議な気分になる。俺はキョロキョロと落ち着きなくテーブルに座ると、その足元に厳爺は寝ころぶ。グデッとした態度からして、本当に何も知らないようだ。

「それで、何の用だ?」

「マジで何も知らないのか。……テンウー、あの矛盾コンビがまた何かする気らしい」

 天と羽、その言葉を聞いた途端に厳爺の頭が持ち上がる。

「……確かか?」

「マジだ。連中からメールがきた。大方、如月さんがいないうちに一発遊ぼうって腹だろ」

「待て、それならお前一人で行けば良いだろう」

 分かり切った事を言う。俺は厳爺の意見を苦笑で払った。巻き添えは多い方が良いに決まっている。本当は長さんに説教でもさせて、あいつら黙らせようと思っていたが、しかたない。しかしせめて、この犬くらいは巻き添えにしてやろう。

 俺は立ち上がり、厳爺用のリードを探す。とにかく、相手は二人なのだ。そして、どちらも俺よりも遥かに格上。死ぬ心配はない以上、数は多い方が楽だ。

 そう、格上なのだ。あの二人、いや、考えてみればこの厳爺も含めて三人か。この三人は長さんと共に、俺が最強とさえ考えている鬼を打ち倒した。矛盾コンビの天と羽。長さんがあの事件の中心人物ならば、彼女らは事件の先端。そう、実際に勝敗を決したのは、あの二人なのだから。

「何を探してる?」

「ん? いや別に何も?」

「……で? 連中、今度は何をする気なんだ?」

 今年最後の花火大会だとよ。俺はそう答えつつ、玄関にあったリードを掴んだ。




 矛盾コンビの天と羽、あの二人は中国出身の武器の精霊。ずっと昔に武器に宿り、自立した存在なのだと聞いた。生まれ自体は、九十九神である俺と似ている。しかし、二人の気質は俺のそれとはまるで別物だ。普段はおちゃらけているが、彼女らにとって生きる事は戦う事。二人は闘争の化身なのだ。

 二人は以前、長さんの部下として俺や如月さんの前に立ち、勝利をもぎ取った後、長さんの下から離れた。そして二人して最強を名乗り、自分への挑戦者が現れるように仕向けた。鬼殺しの異名を使い地位を盤石にした長さんとは、まるで違うその後の行動。

 この十年、二人は戦い続けたのだろう。そして、最強と囁かれる現在の地位を維持している。しかしそれは、別に最強という称号自体に固執している訳ではない。それを維持する事で得られる戦いの日々を楽しんでいるのだ。

 俺なんかとは比にならぬほど、二人は武器として研ぎ澄まされている。今回だってきっと、俺が最強の名欲しさに動かないからと仕組んだ茶番なのだろう。

 行きたくないと喚き、足を踏ん張る厳爺を引きずって、俺はメールに書いてあった山へと向かう。多少距離はあるが、確かあそこは畑一つない山、戦うにはもってこいだろう。

「待て待て待て、私は行きたくない。お前だって、無視すれば良いだろう? な?」

「如月さんがいない以上、俺がやるしかないだろ。それに無視すればさらに過激な挑発するだろうし、初回で潰した方が良いんだよ」

「……言っておくが、荒事はからっきしだぞ私は」

 厳爺はリードを鬱陶しそうに睨みながら、俺に言う。

「嘘つけ。昔俺に、石の雨降らせてきただろ」

「実はあれ、祈祷で一時間使う」

「あれ? 俺、人選ミスったか?」

「誤ってはいないさ」

 横合いからの、厳爺とは違う声色に足が止まる。見ればどうやら、俺達は大物を通り過ぎようとしていたようだ。

「か、回天坊(かいてんぼう)!?」

「うん、懐かしい顔ぶれだ」

 回天坊は煙草を燻らせながらそう言って、笑みを浮かべる。

「久しぶりでございます、回天坊様。回天坊様もあの二人に?」

 天狗、回天坊。ヨレヨレのワイシャツを着て、灰色の髪の上にハンチング帽を無造作に被せた、初老の痩せた男だ。

 彼の出現に、厳爺は言葉を改める。狗賓もまた天狗の一種、彼の地位は見過ごせないものらしい。

「ああ、そうだけど……厳爺、別に言葉を改めんでも良いって。私はもう落ちぶれ。片や厳爺は天狗の傘下に下る事なく頑張ってたらしいじゃないか」

「それも昔です。私ももう、山を降りた身です」

 などと天狗同士で挨拶をしながら、歩を進める。俺はその背中を黙ってついていった。

 元、三羽鴉の回天坊。彼の経歴を語るには、まず鬼と天狗の軋轢について語る必要がある。

 千年以上も前、天狗と鬼は争いを繰り返していた。朱点童子と太郎坊を大将とした二つの勢力は山を奪い合い、争った。

 だが、絶対的な力と統率性を持った朱点童子が人によって討伐され、鬼の力は一気に弱まる。彼の他に鬼を束ねられる存在がいなかったのだ。

 これを機に太郎坊は鬼を殲滅しようとしたらしいが、一人の鬼が立ち上がり、太郎坊との停戦協定を結ぶ。その鬼こそが如月童子、背広を着た、俺の雇人である。

 停戦の条件は朱点童子が支配していた大江山を鬼と天狗、両方ともに手を出さぬ事とする。そして、力をつけ山を次々と切り拓いていく人間への対策を共同で行う事だったらしい。それがもう千年前の事だ。

 その後の事は、劇的にどうなったという話でもなく、二つの勢力は過去のものとなった。元々我の強い鬼達は如月さんの下に付こうとはせず、各々の生き方をした。天狗の組織体制は今もあるが、それも形だけ。いつのまにか太郎坊は大将の座を降ろされ、新たに大将となった崇徳坊は一山を統治した天狗を絶対的に支配しようとはせず、放任している。

 鬼と天狗の戦いの末に残されたのは、汚れ仕事を押しつけられた為に地位を得た如月さんだけだ。結局、優位に立とうと画策するばかりで目先の仕事をしなかった太郎坊の自滅だと、如月さんは俺に笑って話したのを覚えている。

 そして、彼。前で厳爺と話すこの男もまた、戦いの末に没落してしまった者の一人だ。

 回天坊は、天狗大将に仕える三人の腹心、三羽鴉であったらしい。この三羽烏という言葉は、そもそも彼らを指す意味であったという。それが人間達に伝わり、優れた三人を指すようになったんだよ。と、随分前に和尚に聞いた事があるが、実際は定かではない。それほど昔からある言葉なのだ。

 彼が没落したのは、人間との間に確固たる地位を得ようとしている如月さんを殺すよう指示され、そして失敗したからだと聞いている。しかし、その任も方便で、実際は切り捨てるのが目的で彼に無理な任を与えたものらしい。

 彼は如月さんとの戦いに生還こそしているものの、左腕を負傷し全盛期ほどの力はもう二度と振るえないらしい。切り捨てられたと知りつつも、天狗全体の為に戦える潔い男だ。そう和尚は彼を評価していた。また如月さんは彼の事を、天狗でなきゃ認めてやるほどにできる男とまで言っている。

 彼は天狗社会を追われてからは愛知の片隅で暮らし、そこの人間達は彼の事を磯天狗と呼んでいたらしい。また、正義漢でもある彼は多くの者に力を貸している。とは言え如月さんは絶対に協力を要請しないので、俺との面識はそれほど深い訳ではない。彼と直接会ったのだってほんの十年ほど前、血蔓という如月さんのワンマンアーミーではどうしようもないほどの規模に膨らんだ事件からなのだから。

 そういえば、と俺は二人の背中、そして前方に見えてきた目的の山を見て思い出す。そういえば、俺を除く面子は皆、如月さんに挑んだ過去を持つ者達だ。

 厳爺や矛盾コンビはもちろんの事、回天坊だってあの鬼に挑んだ。違うのは、三人は勝ち、一人は負けたという事。よくよく考えてみれば、回天坊が天と羽の挑発を無視できないのは当然と言える。

 そして、やはり無視できなかったという事は、彼も武人である、という事だ。




 紅葉で囲まれた山道を登り、中腹の広場を目指す。初めこそ木々の彩りに目を奪われたが、今は下しか見えない。

「思ったより、長いな」

 坂は思ったよりキツい。回天坊は額の汗を拭い、呟く。

「いっそ術で、一気に行ってしまうか……」

「俺らを置いてっすか?」

「優しい天狗様は、そのような無慈悲な真似致しませんよね?」

「………」

 このように足を引っ張り合いながらも、俺達は先を急いだ。

「厳爺、何か面白い事、言ってみ?」

「にゃーん」

「ごめん、俺が悪かった」

「見ろ、着いたみたいだ」

 回天坊の言葉に、俺は暑さにグラついた頭を持ち上げる。左右の木々が開け、落葉が絨毯のように敷かれた広場らしき空間があるのが分かる。

 ようやくかと坂を登り切る。すでに体力の半分は持って行かれた気分だ。隅に資材らしきものがあるものの、何の為にあるのかも分からぬその空間に、二人の女がこちらに背を向けてしゃがみ込んでいる。片やデカくて、片や小さい。奴らだ。俺達は顔を見合わせて頷き、そのまま歩を進める。

「……着火は? 一応持ってきたけど、蝋燭立ててやるもんでもないだろ、これ、やっぱ」

「ライター一択っしょ。このサイズ見ると、流石に他の案は無謀だったと思う」

 二人がそんな事を話しながら、筒状の物をあれこれ触っている。あれが花火か。昼間のうちにケリを着けて、阻止してやろう。

「んー、んじゃあ日没と同時に片っ端に、って感じか?」

「ちょ、と言いつつ何で火を着ける!?」

「そろそろ二人も来るだろうから、号砲に一発……あ」

「わぁぁぁっ!?」

 デカい方が悲鳴を上げて、体を仰け反らせる。そして、ヒュウと風切り音を立てて、何かが俺達の方へとまっすぐ飛んできた。

 火を噴きながら迫るその飛来物に、俺達は反射的に左右に避けた。俺達の間をそれは通り過ぎ、朽ちた木に激突。その衝撃で方向をずらし、地面に降下する。

 尚も火を噴きだしているそれを、俺達は呆然と見ていた。そして誰からという訳でもなく、俺達は蜘蛛の子を散らすように駆け出す。それが何であるか、理解が追いついたからだ。

 走って間もなく、その筒、特大ロケット花火は爆ぜた。背を向けていたにも関わらず、音と光が俺の五感を貫く。平衡感覚を失い、俺は地面に突っ伏して倒れた。

 顔を上げると、地面にバラバラと雨のように火花が降り注いでいる。落葉に火が着いたら、おしまいだ。頭を抱え、俺はただ祈った。

「……だから」

 煙と静けさが支配する中、厳爺のか細い声が聞こえた。

「……だから嫌だったのだ。連中と関わると、いつもこうなる……」

 俺はフラフラと上半身を持ち上げ、周りを見渡す。先ほどの騒ぎが嘘のように、前と変わらぬ世界がそこにあった。火の気も、ないようだ。

 向こうから、やれやれと言った様子でこちらに来る天と羽が見える。安堵すると、怒りが込み上げてくる。俺は立ち上がり、息を腹いっぱいに吸い込み。

「この……てめぇらあっ! 殺す気かこの野郎っ!」

「悪かった、事故だアクシデントだ」

「天、あんたちょっとは悪びれなよ……!」

「お、回天坊もいる……それと厳爺? 呼んだっけ?」

 天は悪びれた様子もなくマイペースに事を進めようとしている。俺は無言で天に詰め寄る。小さな体や長い髪、シフォンブラウスと言うのだったか、水色のヒラヒラしたシャツにジーパンと言った出で立ちは二十歳ばかりの大学生に見える。

「まあまあ刀のお兄さん、そう目くじら立てなさんなって」

 そう言って羽は駆け寄り、俺達の間に割って入る。ノースリーブのTシャツとカーゴパンツに包んだ長身、その長い手足や短髪は、遠目からは男にさえ見える。そして大きさを感じさせず、区切りのないその滑らかな身のこなしは、実体のない影を思わせる。

「ほら、どうせ後でバトルするんだし。今怒らなくても、ね?」

 そう言われて、俺は渋々拳を解く。天が一五〇センチほどなのに対し、羽は一八〇に届くほどの高身長だ。こう割り込まれると、天は羽の体にすっぽりと隠れ、殴る事も叶わない。

「……で、何で厳爺はここにいる訳?」

「……本当に、何でだろうな」

 こちらに歩み寄りながら、厳爺は頷く。俺はそっぽを向き、誤魔化した。

「厳爺殿は見てるだけで良いさ」

 さらに回天坊も、帽子の汚れを太ももで払いながらこちらに来て、天と羽、二人を交互に見る。

「名こそ聞き及んでいたが、直接会うのは初めてだね? 今回の招待、本当に嬉しく思っている……あの鬼を倒した者達に、こうして会えたんだから」

 飄々とした回天坊の気配が、一気に危険なものとなる。この戦意は意図的なものでなく、隠しきれなくなったのだろう。直に会って、押え切れずに溢れさせている。そんな様子だ。

「本当は、ずっと前から戦いたかったんだけどね」

 そんな回天坊に反応し、ゆっくりと試すように身構えながら天は応える。

「この前ようやく、あんたのメルアド知ったんだ。ホント、便利って良いね。まだろっこしいのを全部省いて、手軽に決闘を申し込める」

「……そうか」

 ふっと力を抜き、回天坊は後ろに下がっていく。

「じゃあ、さっさと始めよう。どっちが相手をしてくれるんだい?」

「こりゃあ……花火なんて撒き餌はいらなかったね」

 羽が呆れたように頭を掻きながら、俺達から離れるように歩き始める。回天坊も、それに並行するように歩く。

「私が相手になる。元三羽鴉の回天坊、竜巻って異名があんだっけ?」

「山にいた頃は、つむじ風と呼ばれていたけどね」

 回天坊は右手を前に突き出し、左手で何かを引き剥がすような動作をする。すると、左手に持っていた彼の得物が現れる。いや、見えるようになっただけだ。彼はいつも、ああして物を不可視にする蓑で得物を隠しているのだ。

 彼の得物、それは太刀だ。刀の一種だが、長さと反りの強さが俺の打ち刀とはまるで違う。刃先を下にして腰に帯びると、地面に着いてしまうほどに反ったその形は突く事を想定せず、斬る事のみに特化しているのだ。

 一メートルを超える刃渡りの太刀を手に、術で起こした渦巻き状の風と共に回転して敵に斬り掛かる……それが異名の所以だ。俺は彼と戦った訳ではないが、回転の勢いに乗った右手のその太刀が、敵の体を真っ二つにしたのを見たことがある。二つになった体と血はそのまま風によって巻き上げられていた。彼と戦うという事はつまり、刃のある竜巻を相手取るようなものなのだ。

「ま、全盛期の頃のようにとはいかないが……」

 そう苦笑しながら、回天坊は太刀を左に持ち替え、右手で抜刀する。日の下に晒され、真っ白にぎらつく白刃。羽は笑った。

「やっぱ綺麗だね、日本刀は」

「グイッと反れてるだろう? 太刀って言うんだ。ムラマサ君の物とは別物さ」

「とにかく斬る、に、特化してる訳か。似てるね、こいつに」

 羽はそう言って、ブンと右腕を振った。

 いつのまにか、羽の手には刀が握られている。柳葉刀りゅうようとう、と言ったか。鉈のような幅広の刀だ。刃で最も使う、斬れる部分である切っ先三寸がぼってりと膨らんだような形状は、如何にも叩き斬るといった感じだ。

 二人は構えも取らず、じっと対峙する。距離こそまだあるが、あの二人なら一瞬で詰めれる程度だ。俺や厳爺、そして天は、二人を黙って見守っていた。

 さて、どうなる。回天坊は鞘を脇に放り、太刀を右肩に担いでいる。対する羽は腰を落とし覗き込むようにジッと相手を見つめている。実質の片腕とは言え、回天坊は太刀を軽々と操る。体格は羽の方が上だが、正面からぶつかって有利なのは明らかに回天坊だ。

「……ああ、そうだ。厳爺」

「お? 何でしょう?」

 睨み合っていた回天坊は思い出したように帽子を取り、こちらに向かって掲げる。

「こいつを預かっててくれないかな? 結構良いやつなんだ、これ」

 はぁ……。と、厳爺は気の抜けた返事をして彼の下に駆け寄る。

「じゃ、頼む」

 回天坊は厳爺の頭にポンと帽子を乗せる。それはあからさまで、見せつけた隙である事は明らかだった。

 だが、羽はそれを見送るほど賢明な性質ではなかった。獲物に飛び掛かる獣のように、一直線に回天坊へと駆ける。

 慌てる厳爺と違い、回天坊の反応は冷静そのものだった。太刀を肩に担いだまま右足を前へと踏み出し、腰を落として捻りつつ、左手は右腋の下へ。迎え撃つ気だ。思わず俺は息を飲んだ。

 二人の距離が縮まり、回天坊の太刀が届く一瞬前、彼の腰が唸りをあげて駆動した。腰の回転を駆使して、太刀を横殴りに振るう。だが、羽も一筋縄ではいかなかった。羽は回天坊の間合いに入る直前で膝を折りたたみ、両の膝で地面にスライディングを決めたのだ。ぱあっと落葉を舞わせながら地を滑る羽は上体を反らし、寸でのところで太刀を躱す。

 そして羽は、息を着く間もなく攻勢に出た。そのまま地を滑りながら、回天坊の懐に飛び込んでいく。回天坊はすぐさま太刀を返し、横に身を翻して太刀を振るう。二人の得物がかち合い、火花が散った。

 一瞬の斬り合い。二人の体が交差し、離れていく。回天坊はそのままクルクルと回りながら距離を取っていくが、羽は回天坊を追撃しなかった。柳葉刀を持った右手以外の手足で勢いを殺さぬまま器用に立ち上がり、傍の厳爺に迫ったのだ。

 羽は有無を言わさず厳爺の首輪を掴み、遠心力をつけて森の方へと投げ飛ばした。厳爺はフリスビーのように横回転しながら悲鳴をあげ、森へと消えた。

「貴様……」

「二対一だ。天狗の旦那」

 地面に落ちた帽子を手に取り、指でクルクルと回しながら羽は平然と語る。

「怪我人相手にハンデなしってのもね。厳爺を無視するのも悪いし……ね」

 そう言うと、羽は有無を言わさぬまま自分も森の方へと走り去った。回天坊はその背中を追わず、溜息をついた。

「……クレバーな奴だ。木で私の動きを封じようというのか」

 そう呟き、俺に目配せする。俺は黙って頷いた。

「やれやれ、じゃあそっちは頼むよ」

 そう俺に投げ掛け、彼は森へと踏み入っていった.

 回天坊が森へ向かうのを見送ってから、俺と天は向き合う。

「そろそろこっちも始めようか」

「俺としては、花火さえやめてくれればそれで良いんだけどな」

 連れない事言うなよ。と、天は羽のように、右手を振って得物を生み出した。

「あんたとやるの、結構楽しみだったんだよ?」

 天の得物は偃月刀えんげつとうだ。薙刀に似たそれは、小柄な天よりも遥かに長い。

 俺はTシャツを左手で僅かに捲りあげ、右手で腹に手を当て、刀を引き抜く。そしてチラリと、その刀を見つめた。刀の九十九神である俺の血であり肉でもある、俺の刀。前に打ち合った時は、あれに真っ二つにされたのだったか。撃ち込まれた時、刃物の鋭さでなく鈍器のような重さを感じたのを今でも覚えている。俺は刀を中段に構えながら言った。

「正直俺は、お前らが戦ってきた連中と違ってこういうのが好きじゃあないんだけど……」

「知らないね」

 天は偃月刀をゆっくりと振りかぶり、地面に叩きつけた。そこを中心に、葉が上に舞い上がる。見れば、片手で振ったのにも関わらず、刃が半分以上埋まっている。これこそ天の強み。奇をてらった速さが羽の武器なら、天の武器は単純なまでの力。鬼に匹敵する、あの膂力だ。

「こっちはこっちの好みであんたを選んで、ただ誘っても動かないだろうから悪役になった……ここまでやってやったんだ、偶には付き合え」

 面倒臭ぇ……。などと呟き、俺はゆっくりと間合いを詰めていく。

「そう、それで良い……」

 天は左手も柄に添え、刃先を下へ。仰々しく下段に構えた。俺は構わず、体を少し前に倒しながらトン、トン、とリズムを刻みながら足を前に出していく。

 近づいて行ったのは俺だが、先に天が仕掛けてきた。偃月刀を右肩の方へと回し、その流れを崩す事なく斬り上げてきた。重い刃が、振り子のようにこちらへと飛んでくる。

 しかし俺は、刃がこちらに迫るより前に後方へと飛び退いていた。元々後の先、つまり相手に一手打たせてから斬り込む気で近づいたのだ。避けるのは容易い。

 そして空振りをした天の脇腹に、逆胴を斬り込むべく刀を走り出させるが。

「フッ……!」

 天は数歩下がりながら偃月刀を再度回し、刀を弾いた。俺はさらに攻めようと、打ち上げられた刀を脳天目がけて振り下ろそうとしたが、8の字に偃月刀を回し始めているのに気圧され、思わず足を止める。

 それを天は見過ごさなかった。八の字の軌道で、俺の顎を斬り飛ばそうと偃月刀を伸ばしてくる。俺は地面を蹴って、大きく仰け反った。鼻先で電車でも通ったのかと思うほどの風を浴び、次には背を地面に打ちつけていた。

 天は尚も偃月刀で8の字を描きながら、俺に迫る。刃が地に掠る度、落葉が巻き上がっていくのが見えた。冗談じゃない。俺は無我夢中に、体をどうにかしながら後ろへと転がり続ける。

 とにかく、立たなければどうにもならない。俺は天に背を向け、駆け出そうとしたが。

「いただき……!」

 背後で、勝利を確信したような声が聞こえた。しかし、俺の背後は死角ではない。俺は背中から刀を生やし、とにかく突き伸ばした。

 Tシャツを突き破り、槍のように伸ばしたが、串刺しにした手ごたえはない。だが、何とかこちらも無事だ。天の舌打ちが耳に入った。躱されたが、牽制にはなったようだ。

 刀身を体の中へと戻しながら、立ち上がって天を睨む。天は左右にフットワークを踏みながら、俺の出方を窺っていた。

「相変わらず便利だな、それ……嫌になる」

 口先ではそう言いつつも、口元は釣りあがっている。

 自分の口元は、どうなっているのだろうか。思わず口を手で拭い、刀を握り直す。

「お前に言われたくねえ、この怪力女」

「それ、何で出血しないの? 体に穴開けたんでしょ?」

「自分の刀身なら別に……」

「それで、こいつで斬られるのは駄目ってんだから不思議」

 そう言って、天は手の内で柄を転がし、刃をキリキリと回して見せた。

「……ハッ」

 俺は構えも取らず天に向かった。踏み込みもせず、歩きながら逆袈裟斬り、防がれた反動を使い、袈裟斬り、また逆袈裟斬り。三度の打ち込みで、間合いは刀も振れぬほどに詰まる。俺は左手を刀の峰に添え、のしかかるように天に飛び掛かる。全体重で、天を押し倒そうとしたのだ。

 しかし、どうやら天の膂力を甘く見ていたようだ。天は刀を受け止め、後ろに仰け反ったままの体勢で持ち堪えてみせたのだった。

「中々……そう、それだ……!」

「ぁあ……!?」

「いつもの使いっ走りの剣じゃあ、この私はやれない。来るなら今みたいに、あんたの意思で斬り掛かってこい……!」

「……言ってろ!」

 俺はさらに体重を乗せようと、柄の方へと体を預けていく。天は歯を食いしばりそれを堪えていたが。

「……やぁっ!」

 と、気迫ある声と共に膝を折り、身を縮めて俺の懐へと潜り込んだ。俺の体は、完全に持ち上げられてしまった。

「おわっ……なぁ!?」

 天は咆哮をあげ、俺を宙に投げ飛ばした。

 俺は何とか足を地に着け、天の方へ振り返る。その瞬間、腹への衝撃と共に体がくの字に折れ曲がる。下にズレた視界に、天の足が映る。蹴られたのか。

 本日三度目のコケ。刀も蹴られた時に手放してしまった。嗚咽を堪え、意識だけでもと天を見る。天はこちらに走り寄り、跳躍。身を捻って体を車輪のように横回転させ、遠心力を付けた偃月刀を、一気に振り下ろしてきた。

「おおおぉぉぉぉっ!?」

 俺は身を捻り、辛くもそれを躱した。そしてドタドタとその場から離れる。

 天の追撃はいつ来るか。背後にプレッシャーを感じつつも、何とか距離を置き、そしてそこでようやく気づいた。追撃など、来ない事に。

「……てめぇ」

 唸りながら、俺は振り返る。天はあの一撃から、一歩も動いてはいなかったのだ。余裕に満ちた目で、俺の逃走を見送っていたのか。俺の体がカァッと熱くなる。屈辱的だが、事実だ。俺は、舐められたのだ。

「怒ったのなら堪えてないで来いよ、ムラマサ」

 手招きしながら、天は挑発を繰り返す。

「地に足つけた、鋭い斬り込み。それがあんたの魅力なんだからさ」

「……さっきから、何様のつもりだ」

 俺は肩を怒らせながら、天へと向かう。最強を騙り、好き勝手に暴れ回り、終いにはこの俺を計るか。

 俺は雄叫びをあげ、刀も抜かずに天へと走り出した。

 天の唇が、そっと動く。聞こえなかったが、それが失望の言葉だったのは分かる。構うものか、見せてやれば良い。俺は天が突きの構えを取るのさえ無視して、一直線に駆ける。

 天まであと数歩と言ったところで、天の四肢が僅かに膨らむ。来る。俺は右手を首筋に当て、抜刀する。偃月刀が向かうのを阻むように突き出されたのと、俺の抜き打ちがそれを横から打ち当てたのは、同時だった。

 そして、偃月刀の軌道が横に弾かれる。天の顔が、驚愕に歪んだ。

 ざまーみろ。俺は呟いたが、天には届いただろうか。次の瞬間には、俺の左拳が天の顔面を捉え、天を後方へと殴り飛ばしていたのだが。

 天は地面に仰向けに転がっている。それを確認してから、俺はようやく息を吐き出し、呼吸を再開した。しかし未だ得物を手放さないのは、流石と言うしかない。

 息を整えていると、小さな笑い声が聞こえてきた。確認するまでもない、天の笑い声だ。

「ふっふふふブッ……痛たた、思っきし鼻に刺さった……けど」

 天は鼻血を拭きながら立ち上がる。そして、改めて偃月刀を構え直し。

「やっと予想を上回ってきた……!」

 これで対等か。俺は天の気迫を正面から受け止め、そして真っ向から天と斬り結ぶ。

 腕力での応酬は向こうが上だが、間合いをこちらに合わせてくれている以上、打ち込む勢いはこちらにある。

 しかし、武器の頑強さは圧倒的に天が上だ。打ち合う度に刃がこぼれ、落葉と共に舞い落ちる。さらには刀身にガタがきて、打ち込んだ拍子に折れてしまった。だが、まだ終わらせはしない。体から新たに引き抜き、天へと斬り込む。天は楽しげにそれに応えた。

 三本目の刀を捨てた時、天の息が上がっている事に気づいた。体ごとぶつかり、顔を着くほどに近づけさせて俺は叫ぶ。

「どうした最強気取り、いつもの余裕を見せてみろよ……!」

「いや、お前みたいなのが来てくれる以上、私は最強さ! お前こそ顔が青いぞ、そろそろ血が足りなくなってきたんじゃないか!?」

 天はそう答えて俺を突き飛ばす。

 そんな掛け合いをしつつ、戦いを続けようとした。

 その時だ。横から何かがパッと光り、次いで爆音が辺り一帯の空気を震わせた。まだ昼間なのに、もう打ち上げたのか。思わず俺達は止まり、音の方を見る。

 しかし、花火が炸裂しているのは空ではなく、森の方であった。

「……は?」

 呆然とそれを見ていると、森から悲鳴を上げて飛び出し、こちらに駆けてくる者達がいた。火を背にしたその二人と一匹の誰かが、俺達に向かって叫ぶ。

「逃ぃげろぉぉぉっ!」

 シュウと羽のそばをロケット花火が通過した。ロケットは俺達の前でバウンドし、地上から五、六メートルで爆発した。火花が辺り一面に飛び散る中、また数本のロケット花火が森から飛び出した。

「じょ、冗談じゃねえぞ!」

 俺は刀を体に仕舞い、逃げ出した。天はすでに、俺の遥か前を走っていた。俺は足の回転を上げ、天を追い越した。

「ちょ、ズルい!」

「足の遅い自分を呪え! それに恨み言を言いたいのはこっちだ!」

 とにかくここから離れねば、秋の山はマッチ箱と同じだ。そう吐き捨て、そのまま天を置いて逃げようとしたが天にベルトを掴まれた。

「ちょ……!? 離せこの疫病神が!」

「……さ、私の事は気にせず、速く走りな。振り向かず、ただ真っ直ぐに」

「つまりが引っ張れってか!? この……疫病神が!」

 そうこうしているうちに、後ろの連中が追いついてきた。羽は引き攣った笑みを浮かべながら手を合わせている。

「ははは、何かごめん邪魔したね。いやホント、ごめん」

「そこはどうでも良い……何でこうなった!?」

「こいつが悪い!」

 厳爺が叫んだ。

「こいつが葉に火を着けたから、こうなったのだ!」

「先に木の葉を術で舞わせたのはそっちでしょ、厳爺?」

 羽が反論するが、どちらが悪いかなど、どうだって良い。口論を諌めるように、回天坊が口を開いた。

「とにかくこの山から逃げねば、生きねば」

「よし、それは私がやるよ旦那」

「羽! お前!」

 天の言葉を無視して、羽はその長い脚を使って加速する。しかし、地面スレスレに飛ぶロケットが羽の膝裏に引っ掛かり、宙返りするように天地が逆になる。頭から地を滑る羽を無視して、俺達は坂道を駆け下りて行った。




 時刻は午後九時三十二分。

 俺達は命辛々あの山から逃げ出し、仮宿を求め、ここから一番近い花車の家へと向かった。

 俺が出したこの案に、羽は不安げに質問してきた。

「あれ? あの人、今は仕事中じゃ?」

「あ、あいつキャバクラ辞めたんだよ」

「ふぅん……ま、長いこと同じ職場で働けば、年齢とかで誤魔化しがきかないからねぇ……」

 花車の住居は、駅前の高層マンションだ。当然、マンション入り口のエントランスホールには鍵の掛かった自動ドアと集合インターホンがある。家主の許可がないと、ロックが解除されない仕組みだ。

 俺はインターホンで花車を呼び、全員でカメラの前でニッコリと愛想笑いを浮かべる。間もなく、花車の声がマイクから響いた。

「……どちら様?」

「まずは入れてください」

 厳爺の言葉に、花車は通話を切った。

「……おい、どうする?」

「構うこたない、乗り込もう」

「ほいきた」

 天の意見に反対する者もおらず、俺達は自転車置き場から螺旋階段へと侵入する。そして五階に移動し、今度は花車の玄関のインターホンを押す。

 玄関がそっと開く、嫌そうな花車の顔が出てきた。

「……ゴキブリか? お前ら……」

「お願いします、泊めてください」

 そう言いながらも、俺はそっと足を玄関の隙間に入れた。

「あ、ペット禁制ならこいつ投げ捨てますんで」

「この高さから!?」

 羽に持ち上げられ悲鳴を上げる厳爺を一瞥して、花車は溜息をつき、扉を開け放った。

「上がりなさい。ムラマサ、あんたちゃんと清にメールした?」

「した」

 俺はそう答えて靴を脱ぎ、花車の家に上がり込んだ。




 他人の風呂を使わせてもらう経験自体限られているが、どうしてこうも勝手が違うのだろう。何から何まで女物だからか。

「おい、あがったぞ。次の奴ー」

 俺はそう言いながら、リビングに入る。テレビを見ていた天が、舌打ちして立ち上がった。

「何であんたの次な訳?」

「それが嫌だったら、ジャンケンでも最強になるんだな。ドベ」

 俺の言葉に頬を膨らませながら、天は風呂場に向かった。

「あんま虐めないでよ? あいつ、根に持つよー?」

 花車の隣でカクテルを舐めてた羽が、陽気そうに話しかけてくる。家主の花車はもちろんの事、二人とももう風呂に入った後だ。

「回天坊と厳爺は?」

「ベランダ。山火事を見てる」

「ここから見えるのか?」

「もうほとんど鎮火してるけどね」

 俺はカーテンを開けた。しかし、こちらを恨めしそうに見ている二人を見て、窓の鍵が締められている事に気づいた。俺は二人を無視し、カーテンを再び閉めた。

「……なんか、こっちを見てたんだけど?」

「あいつらにはもう少し、あそこで見てもらう」

「お兄さんにも、後で見てもらうからね」

 ここに来て男女の壁が芽生えたか。俺は手を挙げ。

「せめて、風呂上がりの一杯はください」

 良いわ。と、花車は頷き、キッチンに向かう。

「にしてもお兄さん、接戦だったんだって? やるじゃん」

 と、羽はこちらにフラフラと歩きながら、くだを巻き始めた。自分よりデカい体格を引き離すのに手こずりながらも、俺は言葉を返す。

「訳ねえよ。最強って言っても、結局は人呼ぶ為の宣伝文句だろ」

「まーねー。でも、これでも昔、武神とまで言われたんだよ? 私達」

「……それなんだけど」

 俺に赤いカクテルの入ったグラスを渡しながら、花車が羽に質問する。

「何であんた達、それぞれが最強名乗ってるの? だから矛盾コンビとか、言われるのよ?」

「ああ、それね……たしか一番初めにそれ言ったのは、長の姐さんだったかな?」

 羽は懐かしげにそう呟き。

「宣伝の意味もあるけど……私達が最強を名乗り、また互いに最強と讃えるのは、私達二人だけで伝説を成そうって決めたからだよ」

「……伝説を成す?」

「そう、伝説。最強さんには、それを証明する為の相手もいるし、讃えてくれる奴もいるしで、割と面倒なものなのさ。そして何より、こいつは宗教と同じでね。余所の最強さんを敵に回しやすい。最強さんが望まなくとも、周りが黙っちゃいない」

 遠い昔を思い出しているのだろう。ぼんやりとした表情で、羽は語り続ける。

「別々の地で武神と呼ばれた私も天も、そうやってカードを組まされて出会った訳。でも、戦っているうちに馬鹿馬鹿しくなってね。認め合おうじゃないかって、互いに最強と認め合えば、言われるがまま戦う必要はないって……それが私達の矛盾の始まりさ」

 言われるがまま戦う必要はない。俺はその言葉に、チクリと胸が痛んだ。そして戦っている最中の天の言葉の真意が、読めた気がする。

「長の姐さんの下から離れたのも、結局はそれさぁ。逆らえない仲になるのは、ゴメンだったから……今でもラブリーだけど」

「そう、だな……あ、ごちそう様」

 俺はそう言ってグラスを花車に手渡す。

「はいはい。じゃ、ベランダにね。朝には開けてやるから」

「………」

 ここで争っても、追い出されるのが関の山だ。俺は黙ってベランダに向かう。

「……なぁに、それでも強者は何かに巻き込まれる。全ては利用される、これが世の常だよ。強い刀のお兄さん」

 羽の言葉に俺は立ち止まり、振り返る。羽は寂しげな眼でこちらを見て、ニヤリと笑う。まるで俺の過去を、あの幕末での事を見抜いているかのように。

「一度露見してしまえば誰かが拾うものなのさ。私だって気ままに戦ってきたつもりだけど、気がつけば武神と崇められてた。強さは見過ごされない。逆に言えば、見過ごされないのは強者の証さね」

「………」

 俺は黙って、ベランダに出た。いや、正確には追い出された訳だが。

 ベランダで、もう火の手が見えない山を眺めていると、隣の回天坊が話しかけてきた。

「話は聞こえていた。まぁ、正論だね。私もかつて、上の意向で如月童子と戦い……それでこの様だ」

 そう言い、彼は自分の左腕を見つめる。肘を砕かれ、もう太刀を振る力もないその腕を。

 だが。と、回天坊は、確かめるように左拳を握る。

「だけど私は、それについて後悔はない。誰かの思惑によって戦わされたとしても、私は覚悟をもって戦った。この傷は、私だけの結果だからだ」

 大した人だ。しかしそうは思っても、俺の痛みと決意は変わらない。

「……それでも、俺はもう、誰にも柄を握らせるつもりはないよ」

 そうだ。もう、あんな風に利用されるのはご免だ。俺は回天坊と同じく、自身の道を確認するように呟き、夜明けを待った。

 こうして、一晩分の大量の虫刺されと山火事騒ぎと言う傷跡を残し、矛盾コンビの起こそうとした花火大会は終焉を迎えた。

 後のニュースでは、火事現場には死体こそないものの刀が数本見つかり、何らかの抗争があったのではないかと、最近頻発している放火事件と関連性を踏まえて調査されていると報じられていた。

 そしてこれが、これから五日後に起こる事件に利用されるとは、俺も思いもしなかったのだ。

 全ては利用される。そう、まるで羽の言葉が、全てを予見していたかのように。


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