第一部 三話「邪眼」

第三話『邪眼』




 午前中だろうとお構いなしにアスファルトを焼く、そんな八月の終わり。

 結局清に押し切られ、俺の余暇はもっぱら走ることに消費されている。

 しかし。

「ちょ……ちょ清! もう無理! ギブ! ギブ!」

「巣から落ちた小鳥は! 自分を哀れだとは……」

「いやそういうの良いから! ちょい休もう!」

 俺はそう言って、勝手に足を止める。両足はすぐさま地面に貼りつき、動こうとしなくなる。

「ほらほら、そうやって立ち止まるより、少しペースを下げて走った方が負担も軽いんだよ?」

「………」

「……うわぁ、死んでる」

 返す言葉も出ない。吸った酸素は全部、体の隅々に散ってしまうからだ。

「もう。じゃあ、今日はここまでにしよっか」

 俺はガクガクと頷いた。しかし、本当の地獄はこれからだということを、俺はこの十日ほどのランニングで学んでいる。

「うーん……どこだろ、ここ」

「……おかしいだろ」

 何で行きで体力を使い果たそうとするのか、何でいつもコースを決めない見切り発車なのか、何でいつも気まぐれで方向を決めてしまうのか。

 そして、何で俺はまたケータイを持ち忘れたのか。

 バンが二台、俺達の横を通り過ぎる。そうだ、こんな一面畑のしかない場所を徒歩というのがおかしい。

「ほんっと、馬鹿だ。俺も、お前も……」

「そんな顔しなくても良いじゃん……せっかくメロンみたいなジャージ着てるんだし、ポジティブにいこう」

「ブルースリーみたいなジャージ着てる奴に言われたかねえ」

 俺達はそんなことを言い合いながら、家へとたどり着くべく歩き出した。

「そういえばさ、ケン君、若木の下で笠を脱げって諺知ってるよね?」

「この前やってたクイズ番組のやつだろ? ……どういう意味だっけ?」

「ほら、若者だからって甘く見ちゃいけないって」

 うん、と俺は頷いた。清はこういう、どうでも良さそうなことも一々覚えているのが凄い。隣で見ていたはずの俺はもう、そんな番組を見たことすら忘れていた。

「でもさ、あれって若木の下なら日除けになって、笠なんていらないってことなんじゃないかな?」

「何でそうなんだよ。帽子を脱ぐってことだろ」

「だったら若木の下で、じゃなくて、若木の前で、じゃないの?」

「あー……何だ、俺に言われても……困る」

 こういう些細なことを気にしたりするのは、こいつがほんの一年前まで山で暮らしてきたからか。きっとこいつには、人間社会の全てが新鮮なのだろう。

「歳食えば皆偉くなった思えるんだよ、きっと。……ん?」

 唐突に、清が立ち止まった。何か見つけたのか、じっと何かを見つめている。

 俺は清の視線の先を追ったが、俺には道路脇によくある畑の一画にしか見えない。それとも、そんなに茄子が好きだったのか。

「……ケン君」

「お?」

「あそこ、何かいる」

「茄子だな」

「いや、そうじゃなく」

 清は嫌に真剣だ。目を細め、首を竦めるように体勢を落としていく。

「あの下に、何か生き物がいる」

「………」

「何かは分からないけど、息づいてる」

 ミミズだとか、そう言った話ではなさそうだ。これでも獣の端くれ、俺には分からない感覚で、地面の下の何かを感じ取ったのだろう。

 思わず息を呑む。この異様な空気、それに当てられた俺にはもう、あの茄子まで黒光りした拳銃に見えてきた。

「ケン君……」

 清が不安げに俺を呼ぶ。

 しかたない。ここは俺が行くしかないだろう。

「清、そこから動くなよ」

 俺はゆっくりと歩み寄る。大方、もの好きな妖怪でもいるのだろう。でなければ、デカいモグラか。

 そう、俺は油断していた。身の危険なんて、欠片も感じてはいなかったのだ。

 しかし、誰も思うまい。

 まさかそこに、二メートルを超える巨漢が潜んでいたとは。

「……は?」

 土を蹴散らすように出てきた筋肉の塊を、俺は呆然と見上げた。だがそれも、その男が斧を握っているのに気づいた瞬間には切り替わった。

「ちょ、待っ……!?」

「ブァァァァァァァッ!」

 巨漢の咆哮と共に巨漢はこちらに向き直り、斧を振りかぶる中、俺は腰を落として臨戦態勢を整える。そして振り下ろされた斧を、横に跳んで躱した。

 元より殺しに来てたのか、巨漢はすぐさま追撃してきた。振り下ろした体勢から、丸太のような左腕を横薙ぎに振るう。俺は両手で受け止めたが、気がつけば体は宙に舞っていた。

 一瞬の浮遊感。吹き飛ばされ、畑の作物を蹴散らしながら柔らかい地面を転がる。勢いがなくなる頃には、俺は土まみれだった。

「野郎……!」

 俺は、のしのしとこちらに近づいてくる巨漢に毒づき、立ち上がった。腕は痺れているが、怪我と言えるものはない。やってやる。

「ケン君!」

 清が叫んだ。その声でようやく気づいたかのように、巨漢は清を一瞥した。さらに向こうからバンが二台、こちらへと来ている。さっきのバンだ、あれもこいつとグルか。

「清っ! 逃げろぉ!」

 俺は清に向かって叫んだ。しかし、それは逆効果となった。清は視線を俺から巨漢に移し、グッと睨む。巨漢が清を脅すように吠えた。

「ブァァァァァァァッ!」

「だらぁぁぁぁぁっ!」

 やりやがった。清は負けじと叫びながら畑に躍り出て、巨漢に向かった。馬鹿か、あいつは。俺は慌てて二人の下へと走る。

 清の行動は、頭が痛くなるほど単純なものだった。叫びながら巨漢へと飛び掛かり、空中で地蔵に変化する。文字通り身を投げた、タックル。

 巨漢はヒョイと横に避けつつ、ついでと言うようにそれを手で叩き落とした。

 ギャンと悲鳴をあげ、清は地面へと墜落した。いわんこっちゃない。疲れた体に鞭打って、俺はこの夏一番のガッツで畑を疾走する。

 巨漢が斧を振り上げた。狙いはもちろん、足元の清。しかし、そうはさせまいと、俺は走った勢いのまま巨漢の脇腹に飛び込み、肘鉄を突き刺した。流石の巨漢も、横合いからの突撃によろめき、フラフラと清から離れる。

 何とか間に合った。肩で息をしながら、横目で清の安否を伺う。しかし、その清はもう立ち上がって鼻息荒くファイティングポーズを取っている。先ほどの失態への反省が見えない。

 まぁいい、とにかく今はこの男だ。赤のノースリーブのシャツに、迷彩柄のズボン。顔立ちからして、外国人か。飾り気のない、巻き割り様の斧を握ったその姿は、まるでテレビで観るホラー映画の怪人だ。

 しかし、どうでも良い。どこの誰かは知らないが、清に斧を向けたツケは払ってもらおう。俺は清を手で静止ながらジャージのファスナーを乱暴に下げ、一歩、前へ出た。

 巨漢は斧を前に突き出すように構え、ジリジリとこちらの様子を伺っている。

 しゃらくせえ。俺は地面を蹴りつけて右足を前へ、半身となって腰を落としつつ、左手でジャージの下に着ていたシャツの裾を軽く上げ……。

「アルフレッド!! そこまでっ!」

 その時だ。バンの窓から人が顔を出し、声を荒げた。アルフレッドと呼ばれた巨漢はピタリと動きを止め、声の方へと振り向く。俺も思わず、動きを止めてしまった。声の主は、バンから飛び降りるように駆け降りた。

 初めに目に着いたのは長い、ハンチング帽から溢れる金色の髪だった。そして、そのすぐ下にある、大きな黄色のサングラス。

 長いブロンドの髪に、白い肌。小柄だが、体型からしても日本人のそれとは違う。デニムのジャケットとジーパンに身を包んだその少女は、自信に満ちあふれた歩きでこちらに近づく。

「誰だ、お前は?」

「私達は革新怪団」

 少女は違和感一つ感じられない、流暢な日本語で答えた。

 革新怪団、聞いたことすらない。

「あなた、ムラマサでしょ? 如月童子の刀の。今日は古参の貴方達に、挑戦状を叩きつけに来た。さっきは予想外にヒートアップしちゃったけど……」

「上等だコラ、ここでぶっ潰して……!」

 俺はこれ以上騒ぎを起こさせないように、好戦的な清の口に塞ごうとしたが、口に指を突っ込む結果となってしまった。場が場なので俺はそれに構わず言う。

「それに、俺は如月さんの刀じゃねえ。……何が目的だ?」

「鬼殺しの称号」

 少女は顎をしゃくらせて、堂々と宣言した。

 馬鹿か、この女。俺は呆れてしまった。

 新参者の専門家の人間か、鬼を知らない無知な妖怪か、どちらにせよ何に喧嘩を売っているのか、真に理解していないのだろう。

「今日は挨拶よ」

 少女はすっかり脱力してしまっている俺に近づき、ポケットに入れていた名刺サイズの紙を突き出した。

「こんな所でやる気はないわ。今日と明日の夜、私達はここで待ってる。コケにされたくないなら、あなたと如月童子、二人まとめて掛かってきなさい」

「………」

 声も出ないのかと、少女は嘲笑じみた笑みを浮かべる。だが俺から言わせれば、おかしいのはこいつだ。

 刀の九十九神である俺の間合いに、平然と入ってきた。

 無用心なのか、それとも大丈夫だという自信でもあるのか。鬼に挑もうと言うのだ、聞けば本人は後者と言うのだろうが。

 ひょっとすると、ただの馬鹿ではないのかもしれない。

「……これを渡せば良いんだろ?」

「そうよ」

 とりあえず、俺はその紙を受け取ることにした。ちらりと見たが、紙には一行、何か書いてあるだけのようだ。

「それじゃあ今夜か、明日の夜に」

 少女はそう言って巨漢、アルフレッドを引き連れてバンに戻る。

「ちょっ……ゴラァ!」

 二人が早々に帰ろうとする背中に、俺の指を吐き出して清が吠えた。

「私への挑戦状はないのかっ!? 舐めんなこの野郎ぉ!」

 そこにキレるか。少女は鬱陶しそうに振り向き、サングラスに手を掛けた。

「あんたは家で寝てろ」

「うっ……!」

 清は言葉を詰まらせ、押し黙る。それに満足した少女は、さっさとバンに乗り、行ってしまった。

「……最後まで名乗らなかったな、あいつ」

 立ち尽くす清の肩に手をやりながら、俺は呟いた。

「とにかく、さっさと帰って如月さんに連絡……おい、どうした?」

 清の様子がおかしい。うつむき、顔は強ばっている。

「……ケン君」

 清は真剣な面持ちで、声を絞り出した。

「トイレ、行きたい……」

 それはあまりにも唐突で、この見渡す限り畑のここでそれがどういう意味であるかを理解するのには、若干の時間を有した。




「ほう……それ以来、ずっとああなのか」

 如月さんはそう言って座った状態から肩ごしに、一向に開く様子のないトイレのドアを一瞥した。俺は空になった如月さんのコップに麦茶を注ぎながら、説明を続ける。

「初めは野糞に踏み切れと言ったんだけどさ、彼氏の前で獣以下に成るくらいならここで死ぬとか言って……」

「あー……狸も一応便所みてえなの拵えるらしいからなぁ」

「巨漢よりよっぽどだったな。いや、冗談抜きで」

 数時間後。俺達は自宅のマンションへと帰宅し、こうして如月さんを呼び先ほどのことを報告している訳だが。

「……で、大丈夫なのか、あれ」

「あ、近寄んない方が良いぞ。出産前の母猫みたいにピリピリしてるから。呪いの類だとは思うんだけどな……俺には良くは分からん」

 清はあそこに、かれこれ一時間は閉じこもったままだ。声を掛ければ反応するから無事ではあるようだ。

「今からあのクソ坊主呼んでたら、干からびちまうな。かと言って人間の専門家に任せたら、俺様の面子丸つぶれだ」

「……呪いをかけた張本人に任せた方が早い?」

「脅し……いや人質か。俺達を誘き寄せる餌のつもりだろうな」

 なら、今夜中にでもケリを着けねばならない。

 如月さんは俺の顔を見て、肩をすくめた。

「それにしても革新怪団とはねぇ……面倒臭えのに目ぇ着けられたな」

「有名なのか」

「別に一大組織って訳じゃあねえがな。ここ数年でアホみてえに数を増やしている、悪ガキ共のふきだまりだよ」

 如月さんはそう言い、ウザったそうに首を回した。

「ようするにヨーロッパを中心に好き勝手やってる不良集団だ。古参妖怪から覇権を奪い取るとか、色々言っちゃいるがどうも口だけらしい。組織としての統一性もない、ようは暴れたいだけの連中だ」

「海外から来たのか、あいつら」

 ご苦労なこったよな。如月さんはそう言い、麦茶を一口で飲み干した。

「ガキ共が泊を付けたくて、俺の首を狙ってる訳だ。悪いな、お前ら巻き込んで」

「別に良いよ。どうせあれだろ、長さんの時のが知れ渡ったんだろ」

「もう十年も前だってのにな。長に続こうとする奴がいなかったものだから、油断していた」

 十年前、如月さんは長将美という女に勝負を挑まれ、負けを認めている。彼女の目的もまた、ここ数世紀で唯一如月さんに勝った者、という経歴を手に入れる為だった。

 その経歴を手にした長さんは今も人妖問わず恐れられ、俺達の隣の部屋で好き勝手に生きている。この鬼に勝つということは、それだけ周りに効果を与えられるものなのだ。

「十年間、後に続けと俺に挑もうとする奴がいなかったのは、その無謀さを皆分かっていたからだ。だが海外にもなりゃ、普段の俺を知らずに結果だけ見て飛びつく奴らもいる」

「俺も如月さんに挑むと聞いた時には、正気を窺ったからな」

 それよりも。と俺は言葉を付け足し、一つの疑問を口にした。

「何でそんな馬鹿な連中がのさばってるんだ? 海外にだって、その手の専門家はいるんだろ?」

「………」

 如月さんは、俺の言葉を聞くなり押し黙り、そっぽを向いて頭を掻く。

「……背負いたくないからだ」

 やがて、ポツリと如月さんはそれを口にした。

「放っておいてもさほど問題にはならない。すぐに潰せるほどの規模でもない。なら、どうする? 放っておいたんだよ」

「放っておいたって、そんな滅茶苦茶な……!」

「お前、道端に転がる空き缶を拾う度胸はあるか?」

「え……?」

「誰かがやるだろう、俺がやる義務はない。そう思うんじゃないか?」

「………」

「誰だって、周りより多くの苦労はしたくはないのさ。奴らを増長させたのは、誰も連中の相手をしてやらなかったせいだ」

 その言葉に、俺は目眩のような嫌悪感を感じた。だが、これも見知った話だ。言ってしまえば、当たり前の話。

 迷惑だが、自分がどうにかするほどの問題ではない。そう見なされ、革新怪団は野放しにされた。道端に転がる空き缶のように。

 しかし、俺が聞きたかったのは、そんな一般論じゃない。

「……それは」

「ん?」

「奴らを無視するって言うのは、如月さんも同じなのか?」

「……馬鹿言えよ」

 如月さんはそう言って、試してんのか、と笑みを浮かべる。

「空き缶だって、誰かが拾ってくれるからなくなるのさ。いつもの仕事とはちょいと違うが、海外の連中に俺の力を見せつけるのも悪くねえ」

 さっきの連中以上の不遜な笑み、負けることなど毛頭にない絶対の自信。だが、それでこそ如月鬼乾坊だ。俺は頷き。

「ああ、手を出してくるなら切り落とすさ。若木の前で笠を脱ぐってやつだ」

「意味違うだろ、それ」

 違わないよ。と俺はしたり顔で言った。

 そう、俺達みたいな古木は、腐った若木の前では笠を脱ぐ。

 笠を脱いで、斧を握るのだ。

「したり、したり……ってね」

「……お前も、ずいぶんとあの狸娘に毒されたな」

 如月さんはそう言って苦笑した。

「じゃあ、今日中に終わらせよう。あの狸娘の腹のことも考えて」

「作戦は?」

「いらねえよ」

 如月さんはそう言って椅子から立ち上がり、玄関に向かった。

「こっちに来る前に、軽く連中のことを調べてみたんだがな。モニカとアルフレッド。特にモニカってのは十四、五六のガキだが、革新怪団として知られている中じゃずば抜けての知名度らしい。日本で片っ端に古参の魑魅魍魎に挑戦し、勝ってきてんだと」

 如月さんは楽しそうにそう言う。

 モニカ、あの少女のことか。たしかに風格はあったが、そこまでの奴とは思わなかった。なら、やっぱりあいつが清に呪いをかけたのだろう。清がおかしくなる前、モニカはサングラスに手をやっていた。

 そんな風に俺が朝のことを思い返しているうちに、如月さんは革靴を履き、玄関から出て夜空に目をやっていた。

「……良い夜だ。連中は良い舞台を用意してくれた、人間のことを気にする必要もねえ。なら今夜は久々に、如月童子として騒ぐとするか」

 低い声で、しかし楽しげにそう呟くその時の如月さんの背中は、いつものそれとはどこか違っていた。きっとこの背中は、思想家としての背中ではなく、人と戦い消えていった、童子と呼ばれた鬼の一匹としての背中なのだろう。




「一時間くらいで戻る、それまでに戦う準備をしておいてくれ」

 如月さんはそう言って、さっさとどこかへ行ってしまった。

 戦う準備、とは言われても、身一つで充分な俺に用意すべきものなど精々包帯くらいなものだ。

 他にやれることと言えば、仲間集めか。

 しかし、誰がいるだろうか。俺は腹ごなしに台所で炒飯を作りながら考える。隣の長さんのは粒ぞろいだが、関わって損するのはこちらだ。人間と妖怪のグレーゾーンに立つ川下や和尚も駄目だ。私事で協力させる訳にはいかない。

 つまり、純粋に妖怪側として生き、且つ強く、すぐに駆けつけてこれる妖怪。そうなるともう、霧隠花車しかいない。

 炒飯を掻き込みながら見れば、時刻は午前零時を過ぎた辺り。仕事を辞めたとは言え、彼女は夜行性の火車、まだ起きているだろう。俺は電話してみることにした。

 電話はすぐに繋がった。

「はーい。ムラマサァ?」

 電話越しでも分かる、気怠そうな声。俺は慌てて謝った。

「ああ、悪い寝てたか? すまん、こんな時間に」

「これから寝るところ。……で、何なの?」

「ちょっと力を借りたいんだけど、話していいか?」

「如月さんに私の説得でも頼まれたの?」

「それとは別件だ」

 俺は今起きている事態を、おおまかな形で説明した。花車は時々相槌を打つ程度だったが。

「へぇ、なるほど。面白そうね」

 と、話を聞き終わる頃には気怠さは感じられず、声に筋が一本通ったかような強さがあった。

「でもパス。悪いけど」

「あ、駄目だった?」

「子供をいたぶる趣味はないし、あの鬼が絡んでるとね、やりづらいのよ」

 それは残念と、俺は肩を落とす。即戦力として期待できたのだが、仕方ない。

「じゃあ、一つ頼まれてくれるか?」

「清のお守りでしょ? 分かってるって」

 花車は何ということもなさそうに言った。流石、姉御と言われるだけある。

 花車に礼を言って、電話を切る。次は、清か。俺はトイレの前に立ち、ドアに話しかけた。

「清ぉー? 無事かー?」

「……うぃす、お恥ずかしながら無事です」

 か細い声で、ドアが喋った。あまり気を使うのもあれだろう。変に取り繕わず、俺は喋り続けた。

「ちょっと連中に会いに行ってくるわ。明日には帰ってくるから、テーブルの炒飯食って、ここでジッとしてろよ」

「……ごめん」

「んー?」

 ドアはか細い声で、俺に言う。

「本当に、ごめんなさい。手伝うつもりが、尻拭いまでさせてる自分が情けなくて、情けなくて……」

「……俺はやりたいことをやってるだけだ」

 俺は肩をすくめながら答えた。

「だから、お前が気にする必要はない」

「……ケン君は、どうしてそんなことがしたいの?」

「それこそ、言葉にして口にする必要のないことさ」




 丑三つ時、決意は早くも揺らいでいた。

「如月さん、本当にここで良いんだよな?」

「ああ。……そのはずだ」

 俺たちは今、街灯のない夜の山道を如月さんのガヤルドで登っている。

 如月さん曰く、あの紙にはこの山の上にある廃墟を紹介したURLが書かれていたそうだ。誰の邪魔も入らない場所、というのは分かるが、そこへ向かう俺達の身にもなって欲しい。

「クソッ、もうすぐのはずなんだけどな……。おいムラマサ、看板とか見えたか?」

「さっぱり。ライトで照らしてる場所以外見えねえよ。……あとさぁ」

 と、俺は気になっていた如月さんの服装を指摘してみることとした。

「何でまた背広姿? 準備しとけって言った癖に、何も変わってないじゃん」

「お前だっていつも通りだろが」

「俺は動きやすいから良いだろ、それに懐中電灯は持ってきた」

 自慢になるか。と如月は背広の裏側へと片腕を突っ込み。

「それにな、ほら、こいつ隠すのにも都合が良い」

 そう言って、俺の前に真っ黒な鉄の塊を見せる。暗がりでも分かる、拳銃だ。それも大男の如月さんに相応しい、大口径の。

「……おい、おい! 何考えてんだあんた!?」

「鬼に金棒って言うしな」

「なら金棒でも持ってろ。っていうか銃口こっち向いてんだよ!」

「金棒よか、こっちの方が強ぇだろ」

 如月さんはそう言って、何の気なしに拳銃を懐にしまった。銃口から外れて、思わず息が漏れる。

「ま、俺の拳の方が強いけどな」

「ならいらないだろ、馬鹿かあんた……って分かった分かった分かった!」

「んー、俺の手がロケットみたいに飛びゃあ、いらなかったかも」

「分かったからこっち向けんな!」

 如月さんが再度、拳銃を収める。俺は顔を手で覆い。

「ありえねえ……殺す気満々じゃねえかよ。何だよ? 何でお前らそんなに荒事が好きなんだよ。人が健康に気を使って走ってんのに、俺今日で二回は死を感じたぞ」

「使うかは相手見て決めるさ」

「それと、何で左? 右利きだろ、如月さん」

「遊びだよ、遊び……っと」

 車が急遽止められる。前を見れば、カーブしてすぐの所に朽木が横たわっていた。激突すれば、この車も廃車になりかねない。

「罠……にしてはチープだな」

「俺は本当にこの山で良いのか、疑問だよ」

「うるせえ。待ってろ、こんなもんすぐに退けてやる」

 如月さんはそう言って車を停車させ、シートベルトを外す。こういう時、人型重機のような鬼がいると助かる。俺は頼んだと言い、ふと横を見た。

 そこには、斧を横殴りに振りかぶったあの大男、アルフレッドがいた。

「うおっ!?」

 屈んだ直後、斧が窓を叩き割り頭上を掠める。防犯用に備えられた車の警報が鳴る中、俺は運転席の方へと上体をずらしながら叫んだ。

「馬鹿野郎っ! 殺すのは俺じゃなくて運転席の奴だろう!」

「どういう意味だムラマサァ!?」

 アルフレッドは声を張り上げながら斧を車に叩きつけ、ドアが縦に裂けた。如月さんは銃を引き抜き、俺の鼻の先で構える。

「こんの野郎……!」

「わああぁちょっと待て!」

 俺の言葉などお構いなしに、如月さんは引き金を引いた。目の前で銃が火を吹いている。俺は耳を塞ぎ、必死に身を小さくした。

 警報と銃声、車に叩きつけられる斧の音。アルフレッドと咆哮と如月さんの怒声。それらに飲まれて初めは分からなかったが、間違いない、アルフレッドが車を横から持ち上げているようだ。左側へと、どんどんと車が傾いていく。

「おいおいおいおいおいっ!」

「てんめぇふざけんなゴラァッ!」

 如月さんは構わず発砲していたが、とうとう車が九十度に、そしてそのまま回転を始める。道路から横の坂へと放り出され、絶叫をあげながら、俺達は車と一緒に坂を転がっていった。

 遠心力に全てを翻弄され、視界は滅茶苦茶だ。俺は強く目を閉じた。

 そして気がつくと、周りは静寂に包まれていた。

 恐る恐る目を開けてみれば、鋭い木の先が俺の前に突き出されていた。反射的にそれを手で払う。

 車内はボロボロだった。割れたガラス片、石と土、破れたシート。布地のような天井もなくなっている。俺は呻きながらシートベルトを外し、斜めになっている車から這い降りる。

 車内から地面へと転がり落ちる。周りは真っ暗な木々ばかりだ。

 体のあちこちが痛いが、酷い怪我もない。シートベルトとエアバックのお陰だろう。俺は腕を振ったりして調子を確かめる。そして、腰に提げていたライトを点け、辺りを見回す。

 車は、川に捨てられた自転車のようになってしまっていた。ランボルギーニ・ガヤルドスパイダー。真横にある大きな樹木にぶつかって、ようやく止まったのだろう。エンジンはもうついてなく、変な煙も出てはいないようだ。これはあの大男、如月さんに殺されるんじゃないだろうか。

 そうだ、如月さんはどこに行ったのだろう。周りを見回しても、人っ子一人見当たらない。

 そういえば、冷たい汗が一筋、頬を伝う。そういえば、如月さんは横転する前にシートベルトを外していた。まさか、車外へと飛び出たのか。俺は叫びながら、如月さんを探した。

「如月さん! おいっ!? 返事しろって!」

 駄目だ、この辺にはいない。飛び出したのなら、もっと上の方か。俺は痛む体を動かし、山を登ろうとしたが。

「おおっ! こっちだムラマサ!」

 と、下りから如月さんが登ってきた。元気そうだが、服自体はボロボロで、鬼でなきゃ死んでたのだろうことが容易に分かる。

「如月さん。その、よく生きてたな……」

「お前も無事そうだな。……転がってる時は何とかハンドルにしがみついてたんだが、あの木にぶつかった衝撃でハンドルごと弾き出されたんだよ。まったく、酷い目にあった」

 銃も落としたしな。と、如月さんはそう答えて俺の肩を叩き、廃車と化した愛車を見た。

「………」

「如月さん……」

「……絶対に許さん」

 如月さんはそれだけ言うと、草を掻き分けて山を登り始めた。俺も慌てて後を追う。

「でも如月さん、無策で良いのか? さっきまではただのガキだと思っていたけど、連中、かなり戦い慣れてるぞ」

 今考えると、あの大男も考えなしに車を坂に落としたのではないように思える。如月さんと真っ向から戦わないよう、背を向けて逃げるのではなく、俺達を遠のかせる形で逃げてみせた。そこまで考えが及んでいたのなら、ここから先も俺達のやりたいようにはさせてくれないだろう。

「いや、かと言って退く気にはなれないけどさ」

「………」

「何とか言えよ、怖いだろ」

「絶対に許さん」

「いや、そうじゃなく」

 俺を無視して、如月さんは道路へと戻り、黙々と山を登っていく。

 片っ端から罠にかかりそうだ。うなだれる俺の頬を、風が撫でる。空を見上げれば、分厚い雲がすっかり星を覆い隠してしまっている。一雨きそうだ。

 雨具を持って来れば良かった。そんなことを考えながら、俺は如月さんの背中を追った。




 山の上にひっそりと佇む廃墟、ホテル・ベストチョイス。そこが俺達の目的地だ。ホテルでありながら、体育館、テニスコート、ディスコ専用のステージなどの施設を備えた、典型的なバブルの遺物らしい。

「着いたな……」

「多大な犠牲を払ってな」

 口々にそう呟き、俺達は廃墟を見上げた。前にも仕事で廃病院に行ったことがあるが、外から見る分ではまだいい。問題は中に入ってからだ。人気が有るはずの場所に、自分しかいない。それが不気味なのだ。心落ち着く静けさとは違う。異質な空間。それが廃墟だ。

「で、どうやって探す?」

「しらみ潰しにやるしかねえだろ」

「面倒くさいなぁ……。その前に外周グルッと回ろうぜ。もう罠は懲り懲りだし」

 と、俺は建物を中心に時計回りに行こうとする。すると、如月さんに突然肩を掴まれて止められた。

「うおっ、如月さん?」

「ムラマサ、見てみろ」

 如月さんはそう言って、顎で自分の見ている方を差す。俺はそれに従い、駐車場の方にライトを向けてみる。

 そこには、仄かに光る棒状のもの。名前は忘れたが、映画などで縦穴の深さを確かめる為に落としたりするやつだ。それが点々と、まるで道しるべのように落ちている。どうやらホテルではなく、その隣の体育館へと向かっているようだ。

「ケミカルライト……、誘ってるみてえだな。あそこへ」

 如月さんはそう呟き、ニヤつきながら俺に聞いてきた。

「それに、さっきから見られてる気もするが、どうする? 乗ってみるか?」

「………」

 どうせ罠だ。しかし車を失った今、もう身一つだ。そうだ。死なぬ限りは、攻め以外を選ぶ必要もない。俺は苦笑し、馬鹿馬鹿しいと肩をすくめた。

「悪い顔だ。んじゃ、行くか」

「ああ。雨が降る前に片付けよう」




 分厚い鉄のドアを如月さんが蹴破り、埃が濡れたものだろうか、黒い汚れが跳ね上がった。

「うえっ、何がしてえんだよ。あんた」

「……正直俺も後悔してる」

 体育館は廃墟の割には荒廃してはいなかった。窓ガラスは割れているが、床にガラス片は落ちていないし、ゴミもない。恐らく、ここを戦いの場と決めた連中が片付けたのだろう。その証拠に、四方からのライトに館内は照らし出されている。

 強いライトに目をやられながら、俺達は館内の中央へと進んだ。そして見上げる。自信に満ちた笑みを浮かべ、中二階の観客席から俺達を見下ろすモニカを。

「ようこそ、如月童子!」

 モニカは芝居がかった手振りで叫んだ。

「それと妖刀村正。今まで相手にしてきた雑魚とは違う、最高の獲物ども! 歓迎するわ」

 如月さんは一歩、前に出て言った。

「モニカって言ったか? てめえは後だ。とりあえずアルフレッドを出せ」

「……私達のことを調べてきたみたいね」

「早くしろ」

 見るからにイラつきながら、如月さんは大男との戦いを要求する。さっさとリーダーを潰せば良いものの、愛車ガヤルドの仇打ちをしたくてしょうがないのだろう。だが、俺もそうだ。あの大男は、一発殴らねば気がすまない。

 モニカはそんな俺達を見て、クスリと笑った。如月さんは舌打ちし、下を向く。

「……出さねえなら、この鬱憤、お前に向けるぞ」

「どうぞ」

 その言葉を聞いた次の瞬間、如月さんは弾丸のように飛び出していた。ここからモニカのいる中二階へと、文字通り飛びかかった。

「アルフレッド!」

 モニカは叫んだ。するとモニカの背からあの大男、アルフレッドが飛び出した。まさか、あの小さな背中に隠れていたのだろうか。

 アルフレッドはモニカの盾となり、如月さんと衝突した。組み付くような形となった如月さんを、アルフレッドはこちらへと投げ飛ばした。如月さんは猫のように空中で身を翻し、俺の前に着地する。

「やっと姿を見せやがったな、この野郎……!」

 アルフレッドは何も言わず、腕を組んでこちらを睨む。代弁するようにモニカがコケにしたように笑う。

「ほら、出してやったわよ」

「はっ、土の中に暗がり、果ては小娘の背中か。随分とかくれんぼが得意みてえだな」

「ベッドの下の男だからね。人が思いもしない所ほど、彼には良い隠れ場よ」

 モニカが話しているうちに、如月さんは後ろ手で、俺に離れていろと合図した。邪魔をするなと言うのだ。俺はそれに素直に従い、如月さんから距離を置いた。

「それに、アルフの強みはそれだけじゃない」

「ほう……」

「さぁ、やろうか如月童子っ!」

 モニカは高々に叫び、指を鳴らした。その音を合図に、隅の暗がりから何かが飛び出し、如月さんに横合いから迫る。

 迫ってきたのは、アルフレッドだった。いや、アルフレッドと瓜二つの大男と言うべきか。その大男は吠えつつ、鎌を横薙ぎに振るう。

 如月さんは膝を曲げて低姿勢となり、その横薙ぎを潜り背後を取った。そして振り返る大男の横面に飛び廻し蹴りを合わせ、地面へと張り倒す。

 奇襲は更に続いた。

 直後、如月さんの前の床が弾け、また大男が出てきた。それだけじゃない、また別の暗がりから大男が如月さんに駆け寄る。

 床から現れた大男は両手で如月さんを掴みかかろうとしたが、如月さんは跳躍してそれを躱した。そして、落下に合わせて手刀を肩口に叩き込み、大男の腰から下を再度床に沈める。

 如月さんは屈伸したその膝の先を、先ほどの威力に飲まれて立ち止まった大男に向ける。大男の持つナイフを意に返さず、如月さんは一直線に飛び掛かった。そして正拳突きを腹に叩き込んで、大男を壁まで突き飛ばした。

「……と、これで終いか?」

 如月さんはそう言って周りを見渡した。それから、握り拳をアルフレッドに突き出した。

「いや、お前がいるじゃねえか。大物ぶってねえで降りて来いよ、叩き伏せてやる」

 アルフレッドはそれに応え、足元から斧を拾い上げてから一階まで飛び降りてきた。如月さんはそれに満足そうに頷き。

「しかし……何だお前ら? 四つ子、って訳でもないんだろ?」

 そう、大男達は同種としても似過ぎている。違いがあるとすれば、手にする武器や、シャツの色くらいだ。

「それには私が答えてあげる」

 モニカは口を開き、楽しげに言う。

「彼はベッドの下の男、だけどその姿は噂によって変異する。手にするのが斧だったり、鎌だったりね。それが都市伝説、噂から生まれる怪異。そう……」

 倒された大男達は立ち上がり、如月さんを囲む。

「これこそ貴方を倒す者達、アルフ戦隊よっ!」

「………」

 赤いシャツに斧を持つのが、アルフレッド。

 なら、青いシャツに鎌を持つのが、アルフブルー。

 黄色のシャツにナイフが、アルフイエロー。

 緑のシャツに素手が、きっとアルフグリーンか。

「なるほど、馬鹿かお前ら」

 あまりの下らなさに、俺は隅で思わず口に出してしまう。如月さんは俺とは違い、かなり気に入ったようだった。

「良いじゃねえか、向こうにも戦隊物があるとは驚いたがな。おい、ムラマサ」

 如月さんは俺を呼び、モニカを指さした。

「お前、あの小娘な」

「マジか」

「マジだ、俺はこいつらと遊ぶ。殺すなよ」

 拒否権はないらしい。それだけ言うと、如月さんはアルフ戦隊へと意識を集中させてしまった。

 俺はモニカの方へ振り返る。モニカも頷き。

「いいわ、この下の扉からこっちに上がってきなさい」

 そう言って、踵を返して行ってしまった。

 お前が降りて来い。そう言いたかったが、ここでは危険だろう。俺はモニカの指示に従い、モニカの真下にあった扉から出ることとした。

「さぁ、来いよ。本当の暴力ってものを味合わせてやる。何に喧嘩売ったか、思い知らせる為にもな」

 背後では、如月さんがそんなことを言っていた。あんたこそ、やり過ぎるなよ。心の中でそう呟いて、俺はライトを手にして前へと進んだ。




 窓すらない薄汚れた通路を、ライトの光だけを光源に進んでいく。すると、階段があった。ここを登れば、モニカのいる場所へと行けるだろう。

 罠はないかと、俺は一段一段ゆっくりと階段を登っていく。目に付くのは、くだらない落書きと汚ればかりだ。上にも下にも罠らしいものはない。

 階段を登りきる。結局、罠はなかった。上の通路には、モニカが待っていた。

 お互いをライトで照らし合う。モニカは相変わらず自信たっぷりの笑みを浮かべていた。幸せな奴だ。

「鬼殺しの前の余興にはちょうどいい、刀の精霊、ツクダニ」

「ツクダニ? あ、九十九神な」

 この娘が外国人であることを忘れていた。いや、そんなことはどうでもいい。俺は半身となって身構えた。モニカは変わらず、顎をしゃくってこちらを見ている。

「降参するなら今のうちだぞ」

 俺はモニカに言った。

「如月さんじゃあないけど、喧嘩売る相手が悪すぎる」

「ふん、勝てる相手に降伏する馬鹿がいる?」

「勝算があるって?」

 ええ。とモニカは自信たっぷりに頷いた。

「四対一なら流石の鬼もどうしようもないし、もし勝てても、私の能力の前じゃ怪力なんて無力よ」

「能力?」

「そう……」

 モニカはゆっくりと手を持ち上げた。左手が、ゆっくりとサングラスに伸びる。

 俺の四肢に緊張が走る。呪いなどを使う連中と戦うには、ペースをこちらに持っていくことが重要だ。主導権を向こうに渡してしまえば、負ける。

 清の時もそうだった。呪いの儀式的なものとして、あのサングラスに手をやることが重要なのだろう。ならば、その前に倒すべきだ。俺はモニカへと駆け出そうとした。しかし。

「見せてあげる。私の邪眼イービルアイをっ!」

「………」

 中二病、というものがある。

 一瞬、こいつがそういった類いの人間なのかとこちらが焦った。それが隙となった。もし先ほどの発言が俺にこの隙を作らせる為だとしたら、間違いなくこの娘は長さんに匹敵する策士だろう。鬼にだって勝てるかもしれない。

 俺が硬直した隙に、モニカはサングラスを取ってしまった。

 青い。ライトの光しかないこの暗さでも分かる。吸い込まれるような青い瞳。俺は数秒、それに見入ってしまった。

 しかし、何も起きない。モニカが首を傾げた。

「……あれっ?」

 こっちの台詞だ。どうやら向こうにも予想外の結果らしい、俺はゆっくりと駆け出した分の距離を離す。

「ちょっと待ってよ、何よあんた!?」

「何がだよ……」

「何で私の目が効かないの……!?」

 目、あの青い目が呪いの装置か。しかし、どうやら俺には効かなかったようだ。

 俺はふっと肩の力を抜いた。どうやらそこまで強い呪いではなかったらしい。なら、少なくとも俺は大丈夫。俺には、耐性がある。

「悪いけどな」

 と、俺は構えを解いて口を開いた。

「俺は妖刀村正の九十九神、妖刀の妖怪だぞ? 俺自身が呪われた存在だ。ちゃちな呪いなんて……通用しない。お前だって弱い呪いは効かないんだろ?」

「嘘……」

「調べが足りなかったな」

 こうなれば子供と大人の喧嘩だ。さて、どうしてやろうか。俺は構えなしにモニカに近づく。

「くっ……フローラ!」

 モニカが叫んだ途端、背後から何かが来る気配を感じた。反射的に振り返るその瞬間、右肩に熱いものが駆け抜け、俺はライトを取り落としてしまう。

 見れば、Tシャツから血が滲み、滴り落ちている。浅くだが、斬られたようだ。

「あっ……ははははっ!」

 その様子にモニカが引きつった笑い声をあげた。

「呪いは効かなくても、刃は効くんでしょう刀の精霊!?」

 妖術ではない、誰かに刃物で斬られたようだ。そいつはどこにいる。俺は周囲を見回し、敵を探す。

 ……見つけた。モニカの横。壁際に、血の着いたナイフが宙に浮いている。

 規則正しく上下するナイフ、そう、まるで呼吸するように。

「……まさか、透明人間か?」

「ご名答」

 モニカは勝利を確信し、ニヤリと笑う。

「もう降伏しなさい。ナイフしか見えない相手に、武器も持たずに勝てる訳ないでしょ」

「武器も持たず?」

 つくづく、幸せな奴だ。俺は斬られた右肩を突き出した。傷口の先に、あのナイフがあるように。

「忘れたのか? 俺が刀だって」

 俺は苦笑いをして、そう言い。


 傷口から吹き出すように、刀身を伸ばした。


 刀身は透明人間に向かって勢い良く伸び、ナイフに当たった。そこで俺は刀身を止める。透明人間を殺しては、如月さんとの約束を果たせなくなる。

 ナイフは弾かれ、床を滑って暗闇に消えた。きゃあ、と透明人間が悲鳴をあげ、倒れる音が聞こえる。

 音がした方向を見れば、薄っすらと全裸の女が見えてきた。その女は像を濃くしたり、薄めたりを繰り返しながらこちらを睨んでいる。

 透明人間は女か、しかも裸、ますます殺しづらい。俺はスルスルと刀身を傷口を戻していき、手頃な長さにする。

 俺を照らしていたモニカのライトが、ゆらゆらと揺れる。震えているのか、見たらモニカはガクガクと震えていた。

「な、何なのよあんた……!」

「刀さ」

 俺は端的に答え、左手で刀身を傷口から引き抜いた。柄すら被せていない、茎が剥き出しの抜き身の刀。俺はそれを右手に持ち替え、血を振り払う。

「俺は刀だ。血も肉も骨も、全てが刀。この刀は俺の血肉、そしてこの血肉も俺の刀だ。俺にとって刃物なんて、爪みたいなもんだよ」

「化け物め……っ!」

「妖怪だからな。まだ出るぞ、ほら」

 俺は体の至る所から刀を生やしていく。モニカが小さな悲鳴をあげた。血を刀に変えて貧血気味になったせいか、だんだんハイになってきた。不思議と口の端が釣り上がる。

「……数で勝るから、鬼にも勝てるって? 武器があるからこの俺にも勝てるとも言ってたな。お前らはずいぶんと俺達を常識的に考えているようだけど……」

 下から地鳴りのような音と共に、地面が揺れる。如月さんが暴れているのだろう。この様子では、向こうもすぐに終わる。体中から刀を生やしたまま、俺はモニカに刀の切っ先を突きつけた。

「見誤ったな小娘。俺達は妖怪だ、まともじゃあない」

 俺は二人に、俺はゆっくりと近づいた。殺しはしないが、清のこともある、相応の報いは覚悟してもらおう。




 気絶したモニカ、そして透明人間のフローラとやらを担いで体育館に戻ってみたが、如月さんはおろかアルフレッド達も見当たらなかった。

 外の天気は予想通り崩れ、横向きの雨が割れた窓から降り注いでいる。ひょっとして、外にいるのか。そう思い、俺はモニカ達を観客席に転がしておいて、下へと降りて外に出る。

 予感は的中した。強い雨風で視界が悪いが、それでもテニスコートのすぐそばで如月さんらしき男が見えた。この雨の中、一心不乱に何かしている。俺はそこへと駆け寄る。

「如月さん!」

「ん? おお、終わったか」

 如月さんは振り返り、どこから持ってきたのか、スコップの先端を地面に突き刺し額を拭う。

 何をしていたのだろう。俺は視線は自然と下を向いた。

「………」

「こっちも終わったぞ。いやぁ、流石に疲れたわ。何せ大男四人分だからな」

「これは……生きてるのか?」

「頭は出てんだろ」

 ボコボコに腫れた頭だけは、だ。その壮絶な光景から俺はそっと目をそらした。

「あのガキはどうした?」

「体育館で寝てる。……ああ、あと、女透明人間もいたな」

 そんなのも隠してたか、と如月さんは感心したように唸った。

「じゃあ、そいつにボコされたのか」

「へ?」

「その腕の傷とか。それに何だよ、何で上裸なんだよ」

 ああ、と俺は腕を振る。もう血は止まったが、包帯を巻いている訳ではないから生々しい傷が丸見えである。

「これはそうだけど、Tシャツはちょっとな……どうせ穴にしたし」

「あー……アレか、アレは初めてだとキツいからなぁ」

 ざまぁみろ。と如月さんは愉快そうに笑う。

「とりあえず、体育館に戻るぞ。あのガキに用があるし、傷の手当てもやっとかねえとな」

 如月さんの提案で、俺達は戻ることにした。

「あ、これ見てみろ」

 如月さんはそう言って、俺にキーホルダー付きの鍵を見せた。

「奴らの車のキーだ。仕置きとして、連中には歩いて帰ってもらおう」

「……良いんじゃない?」

 もう俺は、連中に対しての同情を感じ得なくなっていた。

「俺らの車壊したのこいつらだし」

「だーよなー」

「俺怪我したし」

「だよなー」

 そうこうしているうちに、体育館へと着いた。俺がモニカ達が持っていたバックから包帯等を取り出し、手当てをしているなか、如月さんは俺の背後でモニカ達を見ていた。

「どの辺が透明人間なんだ? ベッピンじゃねえか」

 というかよ。と、如月さんは疑わしげな眼でこっちを見た。

「何でお前のTシャツ着てんだ?」

「勘違いすんなよ……初めはこいつの服を着せよう思ったんだけど、サイズがね……」

 俺は手で顔を覆いながら、溜息をついた。あの透明人間は無駄に良い体をしていた。屋内とはいえ、あのままにはできなかったのだ。

「ほーん……埋めても良いか? こいつらも」

「良いんじゃない?」

「鬼かよ、お前……」

「鬼はあんたで、あんたが言ったことだろ」

 だからといって、同情が湧かないのもまた事実でもある。

「んー、しかしだ。流石に埋めるのは厳しいな……後々マズそうだ」

 如月さんは頭を掻きながら、そうぼやいた。

「そうかよ」

 そう言うも、ふと、俺は彼を茶化してやりたくなり。

「鬼のあんたにしちゃ、優しいじゃないか」

 と言った。

「あー?」

 如月さんは怪訝な顔でこちらを見て。

「……こんなもんだろ、ガキの仕置きなんざ」

「そうか?」

「上には上がいることを知らなきゃ、怖いもん知らずになるのは当然だ。このガキは、きっと負けを知らねえんだよ」

「……そういうあんたは、最強と言われてんだろ」

「地を舐めずに強くなれた奴はいねえ、俺だってそうさ」

「………」

「それをクソガキに教えるのは、大人の義務だ」

 如月さんはそう言うと、地面に転がるモニカを優し気に眺め。

「という訳で帰るか。え? おい」

「ああ」

 俺は包帯をしっかりと巻き終え、バックを担いで立ち上がった。

「帰ろう。走ったり戦ったり……いい加減疲れたよ、今日は」

「あ、じゃあ先に車のとこ行ってろ」

 如月さんはそう言って、俺に鍵を投げた。

「俺はこいつに話すことがある。車はホテルの裏にあっから」

「……ま、いいけど。バック、ここに置いとくぞ」

 俺はカバンを放り捨て、ここを後にした。

 それから、如月さんがバンへとやってきたのは三十分ほど経ってからであった。

「何話してたんだ?」

「革新怪団について。それと、二度と革新怪団に関わるなって忠告しておいた」

「それであいつらは放免か?」

「人間とのややこしい事情も絡まねえし、若気の至りってことにしておいてやるさ」

 俺はな。と、含みを効かせた言葉と共に、如月さんはエンジンを掛けた。

「……あ、ちょっと待った!」

 全てが終わって、気が抜けた拍子に思い出した。

「どうした、やっぱ埋めとくか?」

「そうじゃねえよ。清、清の呪いだよ」

 ああ、それか。如月さんはそう言って車を発進させてしまう。

「それならさっき聞いておいたぞ。半日もしないうちに治るってよ」

「……そっか」

 俺はボスンとシートに沈んだ。出血のせいか眠い。このまま寝てしまおうかとも考えたが、どうせ帰ったら清の看病だ。寝るにはまだ早い。

 これだから家庭持ちはキツい。そんな似合いもしないことを考えながら、俺は薄ぼんやりとした意識の中、ずっと外を見続けていた。

 暗い森の中、雨だけはその存在を音で主張する。その音が、どこか優しげに聞こえる。

 やがて、ふわりと意識が消えた。




 バンから降りる、土からアスファルトへと変わった地面に、帰ってきたことを実感させられる。背中に浴びる朝日さえ、眩しく感じた。

 帰って寝る。如月さんはそれだけ言うと、アクビを噛み殺しながら行ってしまった。

 見慣れたマンションでさえ、雨の雫でキラキラと光っている。台風一過、いい天気だ。如月さんと違って少し寝ていたから、妙に晴れた気分だ。

 階段を登り、自宅の前に。この高さからでも見える外はもう人が、車が、妖怪が、今日を始めている。

 まだ鍵を開けてそっと家に入る。カーテン越しの朝日で、薄暗い室内。清はソファーで寝入っていた。

 ベッドで寝れば良いのに。そう思いつつも俺はソファーの前で横になり、クッションを頭の下に入れ、清の隣で寝た。

 その結果、今日のバイトの時間をすっかり寝過ごし、傷のことも相まって俺はバイトをクビにされた。

 やはり、問題にクビを突っ込むとロクなことにならない。バイト先からの電話の後、腕の傷に手をやりながら、それでも澄んだ夜空を見上げて俺は納得した。


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