第一部 おまけ「祖霊」
第一部 おまけ『祖霊』
タイミングが悪かった、とした言いようがない。
「本っ当に……久しぶりだなぁ、お兄さん」
「……そっすね」
厨房からカウンターへ身を乗り出すオヤジさんから顔を合わせず、俺は応えた。
「隣にいんのは彼女さんかい? いやぁ、お兄さんもやるね! 可愛い娘じゃない!?」
「へへへ、嬉しいこと言ってくれるなぁ」
「そだね」
可愛いと言われた隣の清は、顔を赤らめて頭を左右にブンブン振っている。時たま肩が俺とぶつかる。清は爺さんと初対面だから良い、まだ良い。問題は俺なのだ。
幽霊騒動の調査二日目の夕方。俺達は如月さんらと合流する前に飯でも食おうかと、近所のラーメン屋に足を運んだ。
ラーメン屋、麺魔。こんな名前だが、長年ここで営業している店だ。店長も親から子へと変わりつつも、それなりに繁盛している。
俺もここへは良く来る。今の店主の父親、このオヤジさんから通っている馴染みの店だ。しかし、また先代店主、オヤジさんに会うとは思わなかった。
「……で? 今日はどうする?」
「私つけ麺!」
「……チャーシュー。息子さんは?」
「あ? ……ああ、今用事で店空けてんだよ。だから代わりで厨房入ったわけ」
ふぅん。そう言って俺は冷水を口に含んだ。
「いやぁ……十年ぶりかね」
「ふぶっ」
「ちょ、ケン君汚い!」
そして、お約束のように水を噴き出す。ギリギリだったが、何とかコップの中に戻してみせた。
十年。父から子へ店を継いだことも過去になる年月の中、何一つ変わらないもの……妖怪、俺だ。
十年もの間姿が変わらない男というのは、人から見たら当然異常だ。だが、俺の正体を知られる訳にもいかない。
「相変わらずだねぇお兄さんは、俺なんかこんななっちゃったのに」
爺さんは、皺くちゃの手を振って見せる。俺は視線を落とした。目尻がなぜか震える。
「あの背広の大将も相変わらずかい?」
「……ぅ」
いかん、喉から何か出かかった。
「元気……ですよ?」
「そうかい」
「うん、元気だ。うん、元気」
何を言っても白々しい。何かもう好々爺のオヤジさんの穏やかな顔が、人を食った意地の悪い顔に見えてくる。
「いやね」
オヤジさんは厨房の奥でネギを刻みながら言う。
「昨日の夜、大将にそっくりな人を見かけてさ。何か口喧嘩してたから話しかけなかったけど、やっぱあれ大……」
「……気のせいじゃないかな?」
丁寧に磨かれた木目のテーブルに視線を落としながら、俺は呟いた。
「そうかね? お坊さん相手に口喧嘩してたな。必要ねえ、手ぇ出すなー……とか、言ってたかなぁ……」
「いやぁ、お坊さんの知り合いなんかいないだろあの人!」
和尚まで見られた、これ以上シラを切るのも限界だろう。
「ま、会えたのなら……それはそれで嬉しいけどね。ほい、お待ちど」
「ひゃっほい、いただきまーす」
今まで会話の成り行きを見守っていた清は歓声をあげ、割りばしに手を伸ばした。俺もそれに習い、チャーシュー麺に手をつける。
良い感じの固さの麺に、チャーシューの油と少し多めのネギ……美味い。息子さんのラーメンと変わらない気もするが、こっちの方が美味いと感じるのは思い出補正というやつだろうか。
しかし、人間じゃない事を気づかれる訳にはいかないが、もうバレてるんじゃないかとも思えてきた。どう考えてもに極刑なのに、裁判で場当たり的な無罪を主張しているような……駄目だ、もういっそここで吊してほしい、洗いざらい吐かせてほしい。
「……でもねぇ、俺は安心したよ」
オヤジさんは清の食いっぷりを眺めながら、独り言のように呟く。
「この辺りの町並みも色々変わってくだろ? 若いのはそれで良いかも知れないけど、俺みたいな年寄りは何か不安になんのよ」
たしかに、と俺は頷いた。
昔、それこそオヤジさんが生まれるより昔、町は少しずつ変わっていた。変わったとしても周りに合わせるよう、建物の色合いや高さは似たり寄ったり……昔の方が良かったという風には思わないが、懐古に似た感情は俺にもある。
「昔は日本も金あって開拓だの発展だの、俺もそんなのに目ぇ輝かせてたさ。この店も建て直す前は四席しかねえ小さな店だった、厨房入った時それを思い出してよ。……歳ぃ食ったなぁ」
オヤジさんはため息をついた後、俺を見てニヤっと笑う。
「だがお前さんらは変わってねえ、あの四席だった頃から。……今なら分かる、それが嬉しくてよ」
「……オヤジさん、あんた」
オヤジさんは頭を下げ、それから帽子、エプロンの順に取る。それを厨房の片隅に置き。
「さて、そろそろ息子も帰ってくんだろ。まったく、盆くらいで店休みやがって……んじゃ引っ込むわ、金は払えよ?」
「……当たり前だろ。あんたこそ、ちゃんと帰れよ」
俺は麺を掻っ込みながら答える。へへっ、とオヤジさんは肩をすくめ、厨房の奥、自宅の方へ行ってしまった。
それからすぐ、息子さんこと現店主が入口から入ってきた。
「む、村正さん? 今日は休み……あれ? え?」
そうか、今日は休みだったのか。俺は最後にスープを一口飲み、店主に挨拶する。
「こんばんは」
「はぁ……? あの、誰がこれを?」
店がなぜか開いてること、それに誰かがラーメンを俺達に出したか。困惑する店主をよそに、俺達は素早く身支度を済ませ。
「あー……お代、ここ置いとくから」
「いや、だから誰が厨房に」
「オヤジさんの親父さん」
「は……?」
「ごちそうさま!」
清の言葉に、さらに店主は首を傾げる。清はクスクス笑いながら店を出た。
俺もそれに習い、店を出ようとするが、ふと立ち止まって振り返り、厨房の奥に向かって声をかけた。
「ごっそさん。……相変わらず美味かったよ」
店を出て、空を仰ぐ。流石に暗く、もう月が見える。さて、仕事をしようか。
今日は八月十六日。送り盆の日である。
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