第30話 SOS ⑤

 フリークスレギオン構成員、林莉花リン・リーファが使う魔法、カバラ魔術は、古代のヘブライ人たちが創り出した秘術でありその起源は紀元前のエジプトやメソポタミアにまで遡る。

 カバラ魔術では自分たちが存在する物理的な現実世界マルクトに、形而上にしか存在しない空想上の上位世界と共通する在り方を当てはめることで、その力を引き出そうとする。より正確には上位世界に『ありとあらゆる概念のレシピ』があると仮定し、それを実行することで物理的な形で顕現させようとする。

 その手段は多岐に渡るが、上位世界を『生命の樹セフィロト』や『邪悪の樹クリフォト』等の概念図に区分けして整理し、それらに干渉するための物品を作りそれを発動体として使うやり方が主流である。


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 莉花達が乗っている地下鉄の、全ての仕切りのドアが開いた。そして車内を小鳥程の大きさの蜂の式神が何百匹も縦横無尽に飛び交い、世界に認識されなくなる呪いをフルオープンにしている莉花達のことを探そうとする。見えなくても空中で何かにぶつかればそこに莉花達がいるというわけだ。


 だが、莉花は車両の隅に寄って蜂をやり過ごすと同時にポケットから小石ほどのエメラルドを取り出し魔法の詠唱を開始した。できれば使いたくなかったが、奥の手の一つを発動する。



「Gevurah‐Tiphereth‐Netzach‐Yesod‐Malkuth!『迷宮構築』ッ!」



 金網の上にあらかじめセットしていた全て正位置の4枚のタロットカード──正義、死神、皇帝、世界。エメラルドとそれらが塵になっていき、書かれていたヘブライ語の文字がカード内から車両内に移る。それと同時に車両内の再構築が始まった。


 まず空間そのものの体積が、車両を長方形に見立てた場合の長辺の方向に何十倍にも拡がった。次に電車内のドアや座席等をモチーフにしたかのような壁が次々とせり立っていく。それらの現象が終わった時、車両内はちょっとした迷宮と化し、中にいる式神の連携を分断していた。時間にして3秒に満たない間の出来事である。莉花達はそれに紛れ込み身を隠した。


 そこへ、両隣の車両から、大型肉食獣程の大きさのカマキリのような式神が二体莉花達がいる車両に入ってきた。そして迷宮の壁に鎌を立て、次々と容易く切り裂いていく。その裂け目を蜂の群れが通り、飛び回って再び莉花達を探す。


 当然莉花もそれを黙って見ている訳はなかった。



「Hod‐Malkuth『弾道誘導』、Tiphereth‐Hod『境界溶融』」



 迷宮の奥から弾丸が6発飛んでくる。それは迷宮の壁にぶつかる寸前になるたびに曲がり、蜂にかすらせる様に飛んで、最終的に二体のカマキリの鎌に当たった。


 その程度では式神達にとっては大したダメージにはならない──と思われたが。


 直後に弾丸が当たった部分が溶け始めた。いや、その表現は正確ではない。輪郭が曖昧になったのだ。そしてその部分から空気と混じり合い、水に垂らした絵の具のように流れ出していく。


 そのうち一匹の蜂から流れ出した蜂自身の身体が、迷宮の壁にくっついた。必然的にその蜂は空中で姿勢を保っていられず、他の蜂を巻き込んで壁に激突する。そのままひと固まりになって、完全に壁と融合し身動きが取れなくなる。次々と、それとほぼ同様の事が弾丸がかすった式神全てで起きていた。カマキリも、壁と鎌が一体化して実質何もできなくなっていた。


 最終的に、動ける式神はほとんどいなくなっていた。物理的に拘束することに成功したのだ。


 地下鉄が次の駅、広瀬通に近づいてきた。だが全く減速せず、そのまま駅で停まらずに通り過ぎてしまった。不思議なことにホームにいる乗車待ちの人々もそれを誰一人として疑問に思っていない様子である。蜂とカマキリの式神が乗り込んできた仙台駅でもそうだった。あんなにホームに人がいたのに誰ひとり見咎めず、乗車もしていない。


 莉花は敵の増援が来なかったことにひとまず胸を撫で下ろした。地下鉄内で確保するより終点あるいは各駅で待ち伏せし、出てきた所を捕まえる事にリソースを裂く方針に変えたのかもしれない。だとしたらどう脱出するかだが、それについてはフリークスレギオンの仲間にも話していないもう一つの奥の手を使うしかないだろう。


 失敗するわけにはいかないのだ。出し惜しみはしていられない。莉花は地下鉄内の動向にも気を付けながら、脱出する際の計画を頭の中でシミュレーションし始めた。



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「未熟です。立ち回りが甘すぎますね」


 『塔』内部のどこでもない場所で、石神量子いしがみりょうこは一人呟いた。


 終野澄香と行動を共にしている今戦っている敵は、石神が式を与え操っている式神を敵自らの魔法と融合させた。それにより物理的に動きを停めただけで無力化したつもりでいる。敵はその時点で石神の式を遮断するかハッキングするかをして操作権を奪うべきだったのだ。


 石神の操る式神と敵の魔法が一つに融合しているということは、つまり敵の魔法を式神の一部とみなし石神側で操ることができるということである。石神は最初別の手段でそれを行うつもりだったが、その手間は省けたようだ。もう十分な戦闘データは取れた。これ以上戦闘を続ける意味はない。


 石神は『塔』内部にある全ての魔導書を認識射程に入れた。そして魔法を使った。



「『魔導書検索グリモアレファレンス』敵魔法使いの魔法解析結果に基づく解除方法──実行」



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