第29話 SOS ④

 澄香に手を引かれ地下鉄に飛び乗ると同時に、我に返った莉花リーファが最初に取った行動は、『莉花自身と触れているもの(この場合は終野澄香)の存在を認識されなくなる呪い』をフルオープンにすることだった。


 次にポケットからヘブライ語の術式がびっしり書き込まれた鍵を取り出し、床に差して回した。それと同時に詠唱し、魔法を発動する。


「Yesod‐Malkuth 『干渉遮蔽ת』」


 カチリ、と鍵の掛かった音がした。この魔法により、この電車は魔法的な干渉を極めて受けづらくなった。さらにドア付近、座席の上、金網の上など車両内のあちこちにタロットカードを配置する。


 最後に他の乗客の側に寄り(乗客の数は多くないが座席は埋まっており、立っている人も数人いた)、囲まれるように位置取った。これでウィッチシーカー側の行動はかなり制限されるはずだ。


 特に先程突然現れた、渦のように広がる穴の魔法を封じられたのは大きい。莉花たちの位置が分からなくても地下鉄の車両そのものに対して、『干渉遮蔽』を行う前に再度使われていたらそれだけで終わっていたかもしれない。連発できないのか、無関係の一般人を巻き込まないための例外処理ができないのか、あるいは地下鉄のような高速で動く物には使えないのか。いずれにせよラッキーだったと莉花は思う。


 このまま存在を消して、終点泉中央にある第二集合地点までやり過ごせればそれが一番ではあるが、既に一度発見されている以上その可能性は薄いだろう。ましてや電車内という逃げ場の少ない場所である。必ず次の手を仕掛けてくるだろう。莉花は拳銃を抜き、隠し持ったタロットカード、それと『奥の手』をいつでも使えるよう油断なく身構え、相手の出方を待った。


 しかし、予想に反して何も起こらない。地下鉄の駆動と人が作り出すノイズの中、莉花達は緊張の時を過ごした。


 やがて地下鉄が次の駅に着き、乗客が乗り降りした。と、その時。


 誰かがホームから縺昴l繧峨?繝偵を電車の床に投げ込んだ。縺昴l繧峨?繝偵は繝医?縺ェ縺?〒縺という聞いたこともないような大きく奇妙な音を立てて落下した。他の乗客が驚いてそちらを見る。


「……!見るな!」


 莉花が澄香に叫び、とっさに目を逸らす。遅かった。澄香はもう見てしまっていたし、莉花本人も一瞬ではあるが見てしまった。一瞬だったからか、あるいは既にかかっている呪いと競合を起こしたからか、かろうじて抵抗レジストする。


 おそらく投げ込まれたものは『見たら呪われる』あるいは『それが何なのか理解したら呪われる』タイプの呪物だろう。


 呪物を直視してしまった乗客たちは全員目が虚ろとなり、弛緩した表情となった。そして全員がふらふらと歩きぞろぞろと地下鉄から降り始めた。


 澄香はというと、表情こそ多少焦っているが、呪い自体は全く効いていないように見える。抵抗できたようだ。莉花に問う。


「ど……どうしよリーファちゃん」


「……」


 事前に聞いていた話と違う。今のウィッチシーカーはスポンサーの意向上、一般人が魔法被害を受けるのを避けると事前のミーティングで聞いていた。実際はそれどころかウィッチシーカー側が一般人に呪いを掛けている。いくら機密保持や戦闘に巻き込まない為といえどもだ。莉花は僅かな間悩んだ末、澄香の問いに答えた。


「となりににげる」


 ウィッチシーカーが一般人の被害をできるだけ避けたいことは事実なのだろう。そうでなければ莉花達は『干渉遮蔽』では防げない種類の絶え間ない魔法の波状攻撃を受けとっくに敗北していたはずだ。このままこの車両に居座り続けることはあり得ない。そもそもまだその辺に呪物である縺昴l繧峨?繝偵が転がっている。


 かといって、他の乗客に付いて地下鉄から降りるのもまずい。十中八九降りるよう誘導するための罠だろう。何しろ他の乗客は呪いで行動を操られているのだ。迂闊について行ったらいつの間にかウィッチシーカーの所有するワールドアパートに居ました、ということも十分有り得る。


 それよりは運転席側の隣の車両への退避を繰り返し、泉中央までやり過ごしたほうがマシなのではないか、最悪の場合『奥の手』を使えばいい────と莉花は考えたのだが。その直後。


ここまでやるのか你要走那么远……」


 莉花は考えが甘かったことを知った。異変にはすぐに気づいた。弛緩した表情の乗客たちがぞろぞろとホームに降りてきていた。


 それだけではない。仕切りドアの窓ガラスの向こうから見える運転席側の隣の車両から、額に五芒星がしるされた大型肉食獣並みの大きさのカマキリのような化け物が近づいてきている。逆側の車両からも同様である。さらに駅のホームの壁から渦のように広がる穴の魔法が、莉花に見えている範囲だけでも3つ発生していた。そしてそこからは。


 無数の、小鳥ほどもある蜂が雪崩の如く飛び出してきた。何百匹いるのかも分からない。それらもまた、額に五芒星がしるされていた。それら全てが、地下鉄内のすべての車両に、開いているドアから勢いよく飛び込んでくる。莉花は澄香の手を引き、隅の方に伏せるようにして何とかかわした。


『ドアが閉まります。ご注意ください』


 綺麗なソプラノだが、どこか機械的な声のアナウンスが流れた。


 ドアが閉まり、地下鉄が発車した。


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